1 ★第一階層、妖精の洞窟
「あ、目を覚ましたようですね!」
意識が覚醒して、ぼんやりとした視界がくっきりとクリアになった。
目の前にいたのは、白髪に紫の目が特徴的な少女だった。
異国の少女は、白のキャミソールワンピースを着こなしている。さては何かの映画撮影かと疑問に思うが、撮影スタッフは周囲にいないし、俺と少女の二人きりのようだ。
少女は髪色からパンプスまで、白コーデでまとめている変人だった。良く言うなら、天使のようだった。ウィッグやカラコンを使ったコスプレだろうか? こちらに近づいてじろじろと観察しているが、作り物めいた美があった。
「失礼、どちら様でしょうか?」
「あなたに危害を加えるつもりはありませんので、ご安心ください」
不信感を抱く俺の声音にかまわず、ズレた答えが返ってきた。どうやらこの少女は、名乗る気がないらしい。
周囲を見るに、ここは俺の部屋ではなく、どこかの地下らしい。寝ている間に誘拐されたかと恐怖するが、そんなことをされる心当たりはない。
「ここはどこですか? あなたが私をここまで連れてきたんですか?」
「落ち着いてください。私のことを説明している暇がないので」
なぜか俺は洞窟の行き止まりにいた。
日光が差し込んでいる様子はないが、壁面に生えた苔が蛍光灯のように光っていた。それなりに広いようで、洞窟の圧迫感はない。少女の後ろに通路があるが、それがどこまで続いているかは不明だ。
「椅子もベッドもないですけど、私は立ったまま意識を失ってたんですか?」
混乱はさらに加速していた。ここは自然の洞窟には見えなかった。
光る苔なんて見たことがなかった。差し込んだ日光を反射するくらいならまだしも、苔が光源となり周辺を照らしている。ドッキリを仕掛けられたのではないかと疑うが、こんな大がかりなセットを誰が仕組んだのだろうか。
「おびえて周囲を探らなくても、危険はないですよ」
「はぁ、そうですか」
この少女、さっきから何も教えてくれないな。どうせこの洞窟の先には撮影スタッフでも隠れているだろうし、説明を求めるために移動した方がよさそうだ。
そんなことを考えていると、少女が次にはなった言葉は、俺にとんでもない衝撃を与えた。
「あなたは、自分のことをどこまで理解していますか?」
「俺は……、あれ、なんで自分の名前が思い出せないんだ?」
一般常識や、つまらない雑学は自分の中にあったが、記憶が思い出せない。自分の人格をかたどったはずの思い出が、欠片さえも出てこない。
はたして自分の声はこんなに幼かっただろうか。なんで俺は中学の学ランを着ているのか? ブラックアウトして足元から崩れ落ちてしまいそうなめまいと、吐き気がこみあげてきた。
「ああ、配慮が欠けていましたね、気を強く持ってください!」
少女はふるえる俺を支えるように、肩に手を添えて強く宣言した。
「やるべきことから伝えます! あなたはこの世界でただひとりのダンジョンマスターです、それを受け入れないと命はありません!」
アメジストのような目を爛々とかがやかせて、白コーデの少女はそう告げた。
どうやら俺は洞窟をダンジョンと言い張る、コスプレ少女に絡まれているらしい。これは現実ではなく、自覚のない夢の世界なのかもしれない。それなら支離滅裂なことにも納得できる。
少女の姿をした夢の住人は、マッドサイエンティストのごとく興奮している。俺が短絡的な行動をすれば、痛い目を見そうで不安だ。とりあえず話をあわせた方がよさそうだと判断する。
「私はあなたが考えたような、夢の住人ではないです。くりかえしますが、私に悪意はありません」
「俺の心を読まないでくれないか?」
少女への恐怖はあったが、それよりも心に土足で踏み込まれたことへの反発があった。夢の住人というワードを、俺は口にした覚えがなく、少女にそれを知るすべはなかったはずだ。思考の盗聴を疑うなんて精神を病んだようだが、この少女はピンポイントで俺の思考を言い当てた。
拒絶感がふつふつとわいてくるが、この少女から情報を得る必要がある。切り替えなければいけない。
「おっと、つい心を覗き見てしまいました、今後は注意します。言葉はくずしてくださって構いませんよ」
「そうですか、では遠慮なくそうさせてもらう」
俺はすでにやけっぱちになりつつあった。
本人が言葉を崩せと言ったのだ、それで気を悪くしても知ったことではない。しかしこの少女、心理学でもかじっていて俺の心を見通したならすごいものだ。占い師ならさぞかし大成するだろう。
どうしようもない異常さを、俺はひしひしと感じ取っていた。この少女が語りかけてくる言語を、俺は知らないはずだ。英語ではない、少なくとも地球の主要な言語ではない。
しかし、俺はそれを知らないままに、母国語のように理解して話せている。なんなら文字さえも理解できそうだ。頭に同時翻訳のチップでも埋め込まれたのかもしれない。
この少女は何者なのか? 不安が俺をさいなむ。
しかし俺の周辺には、彼女以外の人間はいない。憂鬱なことに、記憶喪失の俺には他者を疑っている余裕さえない。
「君の語るダンジョンとは、どういうものなんだ?」
「ダンジョンは試練と財宝を与えます。内部では魔物が湧き、限界を超えれば崩壊して外にあふれます。なのでその存在が知られたら、調査部隊が飛んできます」
「俺を唯一のダンジョンマスターと呼んだが、ダンジョンマスターとはなんだ?」
「無秩序なダンジョンを改変し、魔物を制御し、物質を創造することが可能です。ただしその能力を利用するには、魔物の落とす魔石を集めないといけません」
人々は富を求め、ダンジョンにやってくるという。ダンジョンには力の根源であるマナが満ちていて、生命をかたどった魔物や、不思議な力を秘めた異界のアイテムが出現する。
希少な異界のアイテムは、一つで屋敷が立つほどの価値があった。魔物は倒せば魔石という物質に変化し、エネルギー源に活用できた。
魔石を利用できるのは、俺も同じらしいが、俺は化け物退治できるような人間じゃない。魔物を人間にけしかけて、死んだ人間から魔石を奪い取るのが、単純な入手方法だろうか。
「って、のんびり説明している場合じゃありません!」
「いきなりさわがないでくれよ、耳が痛い」
ただでさえ頭が痛いのに、少女の声はきんきんとしている。わざとらしく、焦っていますよと言動でアピールしてくる。
「このダンジョンに人間が近づいています。今なら情報がもれる前に処理することもできますけど、どうしましょうか?」
「もしかして君は、非合法な組織の一員だったりするのか? もしくは生け贄を求める悪魔なのか?」
「私は清廉潔白なのですが! 見ればわかるでしょう、ほら」
謎の少女は心外であると、むっとした表情で両手を広げる。
こともなげに人間を処理とは、この少女はなんとも殺伐としている。正直、これ以上関わりたくない。思わず顔をしかめた俺にかまわず、早期対応をせまってくる。別に博愛主義ではないが、さすがに後ろ暗い話に乗るほど異常者ではない。
「それで、人間がここに近づいてきているという話の詳細は?」
「このダンジョンの入口は、森の崖の斜面にあります。そして近くには猟師のものらしき拠点があり、少年がそこを目指して移動中です。通り道にあるので、見つかる可能性が高いです」
「ダンジョンに偶然接近しているということか、親はいないのか?」
「ほかの人影はなく、一人です。着の身着のままで屋根もない拠点を目指していますし、緊急性が高い事件に巻き込まれたのかもしれません」
親とはぐれたのか、孤児なのか、森に捨てられたのか、それとも他に何か理由があるのか。情報が少なすぎて判断はできない。
この少女は洞窟にいるのに、どういう仕組みで外の状況を察知しているのか。それらしい情報端末も持っていないし気になってくるが、それは後だ。どういう経緯で俺はここにいるのかと世の理不尽にひたりながら、しばし少女の語る情報を頭に整理していく。
「俺はダンジョンマスターとやらで、見つかると酷い目に遭うんだよな」
「猶予はあと数分です。まだ魔物もいませんし、私たちも目撃されてしまうかもしれません。侵入者を処理しますか?」
あまり考える時間を取れそうにない。少女は俺という存在をはかるように、じっと見つめている。これはもしかして踏み絵として、俺に人間を殺せとせまっているのだろうか。
「どうするか、俺は……」
これが大規模なドッキリ企画なら、俺はとんだ世間の笑いものだ。しかしこれは夢ではなく、まぎれもない現実である。そんな予感がした。
ここでの判断は今後に響きそうだが、答えはすでに決まっている。