私と鍵辻くん
青天の霹靂だった。
『王子』なんてあだ名が付けられてる同級生のイケメンに「ちょっといい?」と教室から連れ出されたことも、その先で「付き合ってくれない?」と言われたことも、「罰ゲームとかなの?」とか「冗談?」とかごちゃごちゃ言ってしまったのに「俺があんたを好きになった。それだけじゃダメなの」と至近距離で見つめられたことも。
イケメンの顔に耐性なんてあるわけない。頭が真っ白になりそう……。
「な、なんでわたしなの? だって、知り合いでもないのに……」
「あんたは知らないだろうけど、俺はあんたを見てた」
「見てた、って……」
「音楽室の窓から、花壇が見える。あんた、よく見に来てたから」
このイケメン……鍵辻千くんは、有名な音楽一家の人だ。だから、昼休みは音楽室でよくピアノを弾いている――というのはさすがにわたしでも知っている。
聞こえてくる美しい音楽に聞き惚れたことは一度や二度じゃない。
でも鍵辻くんは、何か誤解しているんじゃないだろうか。
わたしは植物を愛する心優しい少女、なんて柄じゃないので、好意を持たれるようなことをしていた覚えがない。
「よく、なんて……ただ園芸委員の当番だっただけで」
「当番って毎日? 他にも委員がいるのに?」
「それは……」
音楽室の窓から見えるところの花壇というと、人通りも少なくて、園芸委員でも忘れがちな場所なのだ。
うっかり水をやり忘れられてしおれていたところを見てからというもの、昼休みに散歩がてら覗きに行っていたのは確かだった。
でもそれは、植物が好きとかそういう理由じゃなくて。
「せっかく自分の当番の時に世話したのに、枯れたらいやだから……ってだけで。鍵辻くんは何かわたしのこと誤解してるんじゃないかと思う」
「誤解なんかしてない。当たり前のことを当たり前に思って、当たり前に行動できる、そういうところがいいなって思ったんだから」
そんなこと、それこそ誰だって思うだろうことで、認められるようなことじゃない。
そう思うのに、真剣に、真摯に、言われてしまったら、どきりとしてしまう。
「俺のこと、嫌い?」
「嫌いとか……そういうの、考えたこともなかったっていうか……」
「じゃあこれから考えて。それで嫌いだと思ったなら、別れてくれていいから」
いやそれって付き合うこと前提じゃない?
なんてつっこみを入れられる雰囲気でもないし、そんな度胸もない。
わたしは押しに押されるまま、その言葉に頷いてしまったのだった。
そんな出会い(?)から数ヵ月。
なんかこう流されるままに『お付き合い』は続いて、鍵辻くん……千くんのことも知っていって、「釣り合わないんじゃないか」「身分不相応なのでは」という気持ちはぬぐえないものの、共に過ごすことにも慣れてきたし、……その、千くんのことも好きになった、と思う。
好きだと言われて、態度でも示されて、それが好ましいものだったら、好きになってしまうのも仕方ない……というのは言い訳だろうか。
千くんは告白?してきたときの印象と変わらず、結構ぐいぐい来るので、わたしはいつも押され気味なのだけど……。
「……ねぇ、男の人って、キスしたいとか……思わない、のかな?」
「……いきなり何言い出したかと思えば、鍵辻の話?」
「う、まぁ……そう、です……」
親友のいつきちゃんに切り出してみたら、ずばり図星を指された。
「男女関わらず、性欲の薄い人間はいると思うけど。個人的に鍵辻はそういうタイプじゃないと思うけどね。なに、もしかしてまだキスもしたことないの?」
「……そうなんだよね……。千くん、スキンシップは多いんだけど……」
「本人には……まぁ聞けないか」
「き、聞けるわけないよ……!」
「なんでキスしてくれないの?」なんて聞くのは恥ずかしすぎる。
でもこういうとき、世の中の恋人同士はどうしてるんだろう……。
「何の話?」
心臓が止まるかと思った。
だって、話題の渦中の人――千くんが、ひょっこり顔を出したのだから。
「せ、千くん……!」
「俺の名前が聞こえた気がしたけど」
「き、気のせい気のせい!」
「そう? もう帰れる?」
今は放課後。いつも千くんのクラスはホームルームが長いので、待っていたのだ。
まさかこんなタイミングで来るとは思ってなかったけど……。
「大丈夫。……また明日ね、いつきちゃん」
「はい、また明日」
いつきちゃんと手を振り合って、別れる。
横に並んだ千くんの顔を見上げた。
(うっ……相変わらず、きれいな顔だなぁ……)
『王子』なんてあだ名がつくだけある。
美人は三日で飽きるとか言うけど、三ヵ月経ったってふとした時に見惚れそうになる。
「どうしたの?」
「千くん、かっこいいなぁと思って」
「……密はそういうとこ、ずるいよね」
「え?」
「何でもない」
ぽん、と頭をなでられてごまかされる。
千くんはこういう、何気ないスキンシップが多い。そしてわたしはその度にどきどきしてしまうのだった。全然慣れない。
あの先生の授業が面白いとか、今日出された宿題が難しいとか、そういう他愛ない話をしながら家路につく。
とは言っても二人とも電車通学で、方向も違うから、駅でお別れなのだけど。
駅に着くまでの道は、話しているとあっという間だ。
だから、わたしたちはいつも、途中にある公園で少しだけ休憩することにしている。
「日が長くなってきたね」
「そうだね。密の家に帰る時間が明るい時間になって、ちょっと安心」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。電話してくれるのも、嬉しいけどそこまでしなくてもいいんだよ?」
家の最寄り駅から家までの間、千くんはわたしと電話を繋げてくれる。
送れなくて心配だから、と言われて押し切られて、今では習慣になっているのだけど、そこまでしなくても……と思うのも本当なのだ。
「密は危機感が薄すぎる。女の子の一人歩きは危ないものだよ」
「そんなに長い距離でもないし……。千くんが心配性すぎるだけだと思うけど」
「何を言われても、やめる気はないから」
真剣に心配してくれてるんだというのがわかるから、わたしも強く拒否はできない。別れた後でも話ができるのは正直嬉しいし。
「それより、密は俺とキスしたかったの?」
「……………………え」
頭が真っ白になった。
突然の話題転換に。何より、その内容に。
「教室でそんなふうなことを話してたから」
「き、聞こえてたの……?」
「あの場で追及するのもどうかと思ったから、あそこでは聞かなかったフリしてただけ」
そ、そんな。聞かれてたなんて、そんな。恥ずかしいというかいたたまれないというか、とにかく顔が熱い。真っ赤になってる自信がある。
「密、いまだに俺が触るとびくっとするから、少しずつ慣らしていこうと思ってたんだけど……」
「慣らして、って」
「密が望んでるなら、待つ必要もなかったね」
にっこりととてもきれいに笑った千くんが、わたしの肩を抱き寄せる。わたしはやっぱり驚いて、どきどきして、どうしたらいいのかわからなくなる。
「目、閉じて」
少し顔を傾けた千くんが言って、わたしはわけがわからない――わかっているけど脳が処理を停止してる――ままに、ぎゅっと目を瞑った。
間近で、千くんが苦笑する気配がする。
「俺の前ではいいけど、他の男の前でそんな素直にしちゃダメだよ」
そうして、唇に柔らかいものが触れた。
心臓が、飛び出してしまうんじゃないかってくらいに飛び跳ねた。
ちゅ、と音を立てて、近かった温度が離れていく。
「最初はこれくらいから。密は免疫なさそうだから」
そう言う千くんは免疫があるの、っていうか慣れてる感じだけどなんで、やっぱり外国の人とかとあいさつでキスしたりするの、とか言いたいことはいっぱいあったのだけど、頭がふわふわして言葉にならない。
そんなわたしを見て、千くんは「かわいい」と微笑んで、もう一度ちゅ、と頬に口づけた。
追い討ちだ。
わたしは頬を抑えてぱくぱくと口を開閉するしかできない。
「こんなかわいい密をひとりで帰らせられないから、今日は家まで送るよ」
なんて言われて、結局千くんは家まで送ってくれて。
……手のひらで転がされてる感がすごいなんて、わたしが一番よくわかってる……!
誰にともなく言い訳をしながら、わたしはその日、部屋に閉じこもってキスを思い返してはベッドでじたばたする羽目になったのだった。




