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人格の最適化と畜産農家

 エンブリオは余った森林熊の肉を自生していたカグヤ草に、意外に丁寧な手つきでくるんでいく。

 カグヤ草とは殺菌作用と防腐効果があると昔から知られている植物だ。


 主にサクヤの腹がはち切れそうなほど食べたとはいえ、2メルタほどの体躯の森林熊は体重も数百キルとあり、とてもではないが食べきれない。

 また、筋は弓や楽器の弦になり、骨も加工すれば様々な道具へと変わる。

 つまり、捨て置くにはもったいないのだ。

 ましてや、その全てを運べる手段がある場合には。


 エンブリオは一連の作業を終えると、振り向き泉を見つめて何事か考え込んでいるサクヤに声をかける。


「サクヤ、お前、確か無限収納(ストレージ)とかいう能力を持っていたな?」


 唐突に話しかけられたサクヤはびくりと体を震わせる。

 

「……なぜ知っている?」


「知っているから知っているだけだ。入れておけ」


「なぜ私が……」


「あの女騎士の命と引き換えにお前は俺の所有物となった、忘れたわけではあるまい?」


「今、マールギアはいない。酷い事もされた。従う理由がない!」


 そう言ってサクヤはストレージと呼ばれる能力で、何もない場所から短刀を取り出した。


「私はお前を殺すっ! 絶対に、絶対に許さないっ!」


 常ならばあどけなく、可愛らしいという言葉が似合う顔立ちが、鬼のような形相になり、エンブリオを睨みつける。


「……俺を殺すか」


 エンブリオは激情のままに吐き出された、サクヤのその言葉を吐き捨てるように呟いた。

 そして唇の端を吊り上げるようにして笑う。


「何がおかしいっ!」


 激高したサクヤは無意識に無限収納から短刀を取り出す。

 感情は高ぶってはいたが、しかし体は流れるような動きでその刃をエンブリオへとはためかせる。


 しかし、エンブリオは少し身をずらすだけでそれを交わすと、おもむろに腕を伸ばして彼女の首を掴んだ。

 そのまま窒息しない程度に力を籠める。

 気道を塞がれたサクヤは空気を求め、喘ぐように口を開閉する。


「何もおかしくはない」


 エンブリオはつまらなそうにそう呟くと、彼女の首から手を放す。

 崩れ落ちたサクヤは咽びながら空気を取り込むと、ぼろぼろと涙をこぼした。

 だが、その眼光はするどく、エンブリオを睨みつけている。

 しかし、昨夜、乱暴をされた少女、という悲壮感は幾分か薄れているような印象をエンブリオは受けた。


「お前は簡単に殺すと言ったが、お前の世界では殺し殺されが当たり前なのか?」


「何、言っている? この世界とは違う。私の世界は……もっと、そう、もっと命は重い」


「そうか……」


 サクヤのその言に、エンブリオは何か腑に落ちたというように納得の色を浮かべた言葉を返した。


女神(アバズレ)の祝福……いわゆる、異世界への人格の最適化というやつか……いや、これはもはや呪いのようなものか……哀れな……)


 胸中でそんなことを独りごち、何事か言おうと口を開きかけ、しかしそれは言葉となる事は無く、エンブリオは肩を竦めた。

 自分が言えたことではない、と気が付いたのだ。

 

  ――確かに、サクヤが元いた世界と比べれば、人は簡単に死ぬ。

 あらゆる人権を剥奪された奴隷制度や強盗、野盗の類の頻繁に続出し、様々な意味で被害にある人間は多い。

 しかし、日々を真面目に生きている一般人にとって、殺人の禁忌感も、性差を取り巻く価値観も大して違いはないのだ。

 ましてや、命の重さを測る事など傲慢の極みと言える。

 エンブリオは、それを嫌というほど知っていた。

 だが、サクヤはその一線をたやすく飛び越えている。

 彼女から見て異世界人を殺すこと、また男性優位に事が進むことは、忌避すべきことではなく必要とあらばしょうがない、とまで価値観を歪まされ、そしてそれが異世界であれば当たり前だとすら思っている。

 いや、見下しているのだ。自分の居た世界に比べて、文化的、文明的な発展が遅れている世界なのだ、と。

 そして、それを受け入れるように人格が最適化されている。

 人を殺すという、過酷な行為を乗り切れるように。

 それは、女神の祝福と称されるものの一つだ。

 異世界を渡る時、いくつかの力を異世界人は与えられる。

 そしてそれは性質の悪い事に、それは全くの善意であり、優しさだった。

 異世界でも生きて行けるようにとの、ある種の優しい呪い。


 だが、エンブリオはそれを咎めようとは思わない。

 結局のところ、殺すことでしか生き残る術はないのだ。

 お互いに。

 故に、命を奪う事の葛藤や過酷な状況に身を置く事の負荷が軽いというのであれば、それならそれに越した事は無い、という結論しか有り得ない。


(だがそれはあの女神(アバズレ)と同じ――)


 一抹の虚しさを覚え、エンブリオはため息とともに自嘲した。

 だが、去来した感情はその程度では解消できるはずもなく――


女神(アバズレ)らしい事だ」


 吐き捨てるようにそんな呟きが漏れ出ていた。


「どういう……っ!?」


 自分に向けた侮辱だと受け取り、サクヤが色めき立ち、崩れ落ちていた格好から勢いよく立ち――上がろうとした時だった。

 

 エンブリオの耳朶は、びゅんという風を切る音を捉え、腕を自らの軽鎧の首の隙間の空いている当たりにかざす。

 その掌の中にはどこからか飛来した1本の矢が握られていた。

 

「なっ……!」


 サクヤが驚き、絶句するも、すぐさまに周囲に視線を巡らせる。

 矢はどこから飛んできたのか――再び風を切る音。


 次はギンッ、という音ともにいつの間にか抜いた黒剣でエンブリオが弾き飛ばす。

 そうしなければ、その矢の軌道は正確にサクヤへと至っていた。


「思ったより早く見つかってしまったな」


「な、なに、これ!?」


 その間にも3本ほど、矢継ぎ早に撃たれる。


「狩人だ」


 全てに神速の剣閃で対応したエンブリオは、サクヤの質問になんでもないように答えた。


「なぜ、人間を狙う?」


「森林熊の密猟者は問答無用で死罪だからな」


「な、なぜっ!?」


 二人はひっきりなしに飛来する矢を躱し、時に撃ち落とす。


「言っただろう。狩人は畜産農家でもあると」


「……もしかして?」


「当たり前の話だ。森林熊を美味しく育てるには、食わせるための奴隷がいる。比較的安価な重大犯罪を犯した奴隷を使うとはいえ、数十人単位で必要になるからな。莫大な金額になる。仮に10頭育てようとすると、目も眩むほどの初期投資が必要だ。そしてその10頭は人を食らえば食らうだけ収穫が危険になる。だから、王国法で決まっているのだ」


 いつしか間断なく矢が飛来し、その全てを時に躱し、時に切り落とす。


「私は知らなかった!」


「盗人が知らなかったなどと主張しても通らぬだろうな」


「人でなし!」


「神敵だが?」


「クズ!」


「森林熊は美味かっただろう?」


「むぐっ……!」


 思わず口を噤んでしまうサクヤ。いつの間にか雨のように撃ち込まれていた矢が止まっていた。


「また食べたいのなら、やることは一つ。さっさと無限収納にしまって、そして……」


「逃げる?」


 そういいながらサクヤはカグヤ草に包まれた肉やら集めてあった骨や皮を一瞥する。

 その瞬間、それらはその場から姿を消していた。


「いや、生かして逃がすわけがないだろう?」


 サクヤの質問に答えたのは、エンブリオではなかった。

 

「……狩人?」


 サクヤが頭の上に疑問符を浮かべる。


「如何にも」


 そう言って弓を背中に背負い、代わりに鉈のような大ぶりの刃物を手に持つその姿に反し、まるで騎士のような流麗な碧い鎧を身に着けていた。


「森林熊の狩人は騎士爵を与えられているからな。故に騎士の鎧の装着を許されている。まあ、れっきとした公務員だな」

 

 その言葉に、サクヤは言葉を失う。


「もしかして……」


「ああ、本来森林熊とはその稀少性から市井には出回らないんだよ。王侯貴族たちだけが嗜むことを許される嗜好品。つまり俺たちは国王の物に手を付けたわけだ。逃がしてくれるわけはないな。逃がしたら懲罰は免れない。その前にそもそも俺は神敵かつ賞金首だからな」


「最悪」


「ふふ、ようこそ、犯罪者」


「死ねっ!」


 皮肉気に笑うエンブリオに対し、サクヤが蹴りを放つ。

 その一瞬で来た隙に狩人の矢が殺到した。

 エンブリオは冷静に蹴りと矢を見切り、サクヤをいなしつつも矢を切り落とす。


 一瞬にしてエンブリオと背中合わせになるような位置に置かれたサクヤはきょとん、と周囲を見渡した。


「6人だ。今矢を放っていたのが4人。伏兵として2人、矢が飛んでこなかった方に隠れている」


 強制的に背中を守らせる格好にしたエンブリオが、サクヤに告げた。


「さすがに気が付くか」


 それまで悠長に肉厚の鉈のような剣を構えるだけで黙していた狩人が、口を開く。


「随分と余裕だな」


「私と弓は役目は包囲網が完成するまでの足止めだからな。それに、剣の乙女を退け、異世界の勇者すら殺したお前に挑むほど強くはないんでね……なぜか一人寝返ったみたいだけどな」


 最後の一言に、ありったけの怨嗟を込め、吐き捨てるように狩人は言った。


「っ!?」


 その言葉に体を震わせるサクヤ。

 表情に暗い影がよぎる。


「ふん、こんないい女を自分の物にしないわけがないだろう?」


「は?」

「えっ?」


 世迷言、とも取れるようなエンブリオの言葉に、狩人とサクヤの声が同時に上がる。


 同時に周囲に潜んでいる狩人からも動揺の気配。


「その女、まだガキだろう? お前、変態(幼女趣味)だったのかよ! もしかしてそんな理由で神敵認定されたのか!?」


 驚愕の声を漏らす狩人。サクヤはただただ目を見開いて驚いてた。


「13歳くらいだろう。幼女趣味とは言えん。あと、神敵認定された理由に心当たりはない。俺は何もしていない」


「そうかよ。だけどまあ、現にお前は神敵だ。それも、女神(アーフェストラ)様直々に名指しされてのな。あの時は驚いたぜ。直接頭に神々しい声が響いてな。最初は自分の頭を疑ったが……」


 狩人はそこで言葉を切ると、女神の名前阿出たあたりから不快さを隠そうともしないエンブリオをあざけるように唇の端を吊り上げた。


 そして持っていた大ぶりの鉈剣を突きつけ――


「撃てっ!」


 号令と共に、エンブリオとサクヤに向かって幾筋もの魔術閃光が殺到した。

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