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夜が来て

常に戦いを日常としてきたエンブリオにとってはどうという事も無い、しかし、元々は平和な世界から無理やり呼び出されたサクヤにとっては絶望的な剣戟の一日が終わり、夜が来た。


 夜だというのに、エンブリオは休むことなく、時折周囲を見渡しては方向を変えながら歩き続けている。


 その後ろで意識が戻ると同時に下ろされたサクヤは、幾度かの逃走失敗を経て、トボトボと遅れないようについて行く。


 降りしきっていた雨は止み、木々の葉の隙間から見える夜空に広がる無数の瞬きと一際大きく輝く月のような天球――この世界ではリリスと呼ぶ――が、この世界が地球と同じような天体群であることをサクヤに教えていた。


 もっとも、その星図は当然のごとく彼女には見覚えのないものではあったのだが。


「よそ見をしていると、ぶつかるぞ?」


 見入って枝葉をかすめそうになっていたサクヤにエンブリオは声をかける。


 だが、一歩遅くサクヤは鼻先を擦りながら、恨めしそうにエンブリオを睨みつけた。


 しかし、すぐにまたその星々の瞬きにサクヤの目は奪われるようで、再び枝鼻先をかすめた。


「そんなに珍しいのか?」


 サクヤは頷いた。


「私の生まれ育った場所は、こんなに綺麗に星は見えない。空気が澱んでるから」

「そうか」


 それっきりエンブリオはサクヤに声をかけることもなく、黙々と歩みを進める。


 サクヤは一度鼻先をこすると、、渋々夜空から目を離してエンブリオの後へと続く。


 すると、体中に染みついた血臭に暗澹たる心地になり、速度を緩めることも無くただ林間を歩くエンブリオに、ざらついた心を鎮めるために嫌がらせの様に何度かの殺気を放つ。


 当然エンブリオもそれには気付いていたが、どうでも良い事だと言わんばかりに無視していた。

 サクヤのため息は、彼の赤い髪の一房も揺らす事は出来なかった。


 と、不意に――


「こっちだ」


 そんなつぶやきと共にエンブリオが立ち止まり、視線を森の木々の奥へと向けている。

 彼は迷いなくそちらの方向へ歩みを進め、邪魔をする草葉を切り飛ばし、枝を折り、ただ一直線にそこへとたどり着いた。


 森の中に忽然と現れた、さほど大きくもない泉。


 水面には水月が時折吹く風でゆらゆらと揺れていた。


 サクヤがしゃがみ込み、指先を水面へと沈める。


 冷たくも清浄な感触。さらさらとした手触りと、なによりも頭の中を洗い流していくような水の香りが、その水が澄んでいる事を教えていた。


 サクヤは身震いすると、自分の身体が汗や血液、そして失禁によりべたべたに汚れていることを思い出した。


 ――水浴びをしたい。


 そんな事を思い、エンブリオへと視線を向けた瞬間だった。


「ふぇ?」


 口元から漏れるのは間抜けな声。

 そんなことはお構いなしに、ざぱん、と、そんな音が響き水面が揺れる。


 サクヤが思わず目をやると、エンブリオが身にまとっていた軽鎧、衣服、果ては下着まで捨て置かれ、彼の太もも辺りまでの水場の中へつかっていた。


 水月が揺れ、あがったしぶきが月の光に反射する。


 エンブリオの紅髪はそれを艶やかに反射し、大きな掌で救い上げられた水が、彼の程よく締まった実践的な肉体に時折刻まれた傷跡でいくつもの支流に分かれ、流れ落ちていく。


「ひゃぁぅっ!」


 サクヤはその様子に思考停止し、茫然とした。


 ちょうど深くなった水面がエンブリオの下半身を隠したので、彼のそれが目に入らなかったのは幸いか。


 しかし、掌で瞳を隠すという行為さえ忘れ、大きく見開いた目が、強化された視力が夜の薄暗さを無視してそのエンブリオの裸身をつぶさに脳裏に刻みつけた。


 その様子をどこか面白そうに見ていたエンブリオは、


「お前も汚れを落とせ」


 そう一言呟き、サクヤの方へと歩みを進めた。


「え? ちょ、こっち、来るな……っ!」


 全裸のエンブリオが近づいてきてようやくサクヤは再稼働する。

 あわてて顔を逸らすと、後ろに逃げようと身をひるがえし――


「きゃっ」


 そんな可愛らしい悲鳴を上げたのは、泉で冷やされたエンブリオの冷たい掌で、首根っこを掴まれたからだった。


 背丈の差から、ぶらりんと宙づりになるサクヤ。


 痛くも苦しくもならない絶妙な力加減で掴んだまま、エンブリオはそのまま器用に片手で着ていた教会から支給された、防刃、対魔性能の高い特殊な布で編まれた戦闘服を脱がせていく。


「やめて! 変態!」


 叫び、暴れるもエンブリオから逃れることはできず、あっという間に上下一繋ぎのその戦闘服は大地に落ちた。


 服には戦闘以外での傷みは無く、存外丁寧に脱がされていた。


 月光にサクヤの肌がさらされる。


「不思議な下着を着ているな」


 サクヤは羞恥に身を染める。

 幸いにも腕は動いたので、思わず胸と股に手を当てた。

 元の世界から持ち込み、大事に着回していた、運動性の高い胸当てスポーツブラと、失禁により濡れている、母親の生暖かいニヤニヤ笑いと引き換えに買ってもらった少し背伸びしたパンツ。

 羞恥に身を震わせ、サクヤはぽろぽろと涙をこぼしていた。


「なんで……なんでぇ……私がこんな目に……」


 おそらく、ずっと気を張っていたのだろう。

 それが女子の尊厳を脅かされる前に来て、決壊したのだ。


 エンブリオと言えば、唇を吊り上げるように笑い、


「それは、お前が負けたからだ」


 ただただ冷酷に告げると、胸を隠すサクヤの腕を解き、胸当てを剥ぎ取った。


 サクヤはせめてもの抵抗として再び腕で胸を隠した。


「綺麗な身体だな」


 エンブリオは13歳でしかないサクヤの未成熟な体に無遠慮に視線を向ける。


「嫌……」


 絶望的な心地になり、拒絶の言葉を呟くも、むなしく、エンブリオの腕がサクヤの身体を――

 

 ――その瞬間だった。


 胸を隠していたサクヤの腕が不意にエンブリオに向けて凄まじい速度で伸ばされる。

 その掌の中に隠されていたナイフが月光を受けてきらめく。


 ぎぃん、と鈍い音が響くと同時に、苦々しい表情でサクヤが舌打ちする。


 それは、エンブリオの眼球を抉る前にナイフが弾かれ、刃が砕け散る音だった。


 きらきらと刃のかけらが月光を反射しながら泉に落ちていく。


 エンブリオはサクヤを掴んだまま、露わになった彼女の胸に視線を注ぎこんでいる。


「この、すけべっ!」


 掴まれている首を起点に体に力を入れて持ち上げると、その勢いのままエンブリオのみぞおち辺りに、自身の足の骨が砕ける覚悟で蹴りを入れる。

 鋼でできた刃すら砕く彼の魔力障壁は思いのほか柔らかな感触を彼女の足の裏に伝えた。


 その勢いでエンブリオの手がはずれ、サクヤは自由を取り戻した。


「単純な物理攻撃無効スキル……ってわけではない……対刃特化?」


 マールギアの頭突きと今しがた得た情報をサクヤは呟きながら冷たい泉に潜る。


 水の中とは言え、地球に居た頃と比べて強化されている彼女の視力は問題なく見通せる。


(……お父さんとは全然違う……)


 かつてみた父のそれと比べて、場違いにもそんなこと思ってしまい慌てて首を振った。

 そして、すっっとまるで水に溶けるようにその姿を消したのだった。



「くくっ、はははっ、そうでなくてはな!」


 エンブリオは気配の無くなったサクヤを気にすることも無く、ただただ愉快そうに笑った。


 そして視線を巡らせ――


「そこだ」


 水に半身を浸かっているとは思えない速度で、移動すると腕を伸ばした。


「あぐぅっ!」


 短い悲鳴と共に、首を掴まれたサクヤの姿が現れた。


「な、なぜ!?」


「異空間に身を隠す業……異世界人風に言うとスキル、だったか? 昔戦った時空支配という天啓持ちが同じ技を使っていた」


 そう言いながら、胸に刻まれた切り傷のようなものを指さす。


「そいつにつけられた傷だ。あれは楽しかった。俺の魔力障壁をただの鉄の剣で切り裂いたからな。まあ、結局は死んだが」


 サクヤはどうでもいい昔話を聞きながら、閃く。

 おそらく、その時空支配スキルを持っていたその人は、鉄の剣で時空ごと切り裂いたのだ。

 その事実にぎりっと奥歯を噛みしめる。

 実のところ、その発想は持っていた。だが、実力がまだ足りていなかったのだ。


 同時にエンブリオがその身を晒してた戦場がとてつもなくハイレベルな物であると悟る。


「諦めるのか?」


 怯えたようなサクヤの瞳を覗き込み、エンブリオはそう訊ねた。

 彼女は逃げ出すことも出来ない、絶望的なまでの実力差にただただ震える事しか出来なかった。


 そんなサクヤの唇をエンブリオのそれが奪う。

 体中をまさぐられながら、まるで貪るような力強いそれに身を任せ、全てを受け入れるかのようにエンブリオの首筋に腕を回し――


 異空間から掌に取り出した短刀を彼の首筋に振り下ろした。


 しかし、結果は変わらず刃は砕け散り――


 エンブリオは何事も無かったかのように行為を続けていた。



 ――嫌になる。




 サクヤはそんなことを想いながら、身体をまさぐっているエンブリオに身をゆだねた。


 眼光だけは鋭く、いつでも隙を見せれば殺せるように、と。


 ただただ静謐さを取り戻した身の内にサクヤは怒りを湛えていく。




 ――ただ、サクヤ自身も意外だったのではあるが、少女から娘へと羽ばたくのに痛みはさほどではなかったのだった。

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