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10年後 1

 全てを覆い尽くさんとばかりに降り注ぐその雨は、容易く身にまとう軽鎧の隙間から染み込むが、決してエンブリオの体を冷やす事は無い。

 しかし、世界の敵の証たる紅髪は額や頬に張り付き、鬱陶しい事この上ないのは事実ではあった。

 これだから長髪は嫌なのだ、と心中でこぼすが、短髪に刈り上げようとしたところ綺麗な紅髪がもったいないと有無を言わさずに止めた少女の事を思い出し、ため息を吐く。

 ままならない。何一つままならないのだ。

 もはや、自分の体の一部ですら自分の自由にすることができない。

 それは絆と呼べるほど綺麗なものではなかったが、しがらみと呼ぶほど否定的な物でもない。

 そんなあやふやな理由ではあったが、不思議とエンブリオの内側にしこりを残していた。


「命の奪い合いの最中、別の事を考えるなんて随分と余裕なのね……」


 投げかけられる、冷たい女の声。次の瞬間には、冴え冴えとした剣閃が横なぎに振われ、男は一歩後ろに下がる事でよけた。

 ばしゅっ、と剣に切り裂かれた空気と雨が音をたて、一瞬だけ空白を作る。

 凄まじい剣閃ではあった。当たれば必殺の一撃。

 だが、かわしてしまえば意味はなく、かわされたことを考えて追撃の手段を持つべきなのだ。

 女騎士の腕はまだ未熟と言えた。

 いや、この雨で身体が冷えて思うように動かないのかもしれない。


 エンブリオは女が体勢を整える前に、自らの持つ黒い刀身の剣の先端をその空間に差し込むようにして突き入れた。


「なめるなっ!」


 女が吠え、黒剣を弾く。だが、いささか大げさに振られたその動作は、女性にとって致命的な隙を男に与えてしまった。

 一振り一振りが大きく、女性にしては珍しいくらいに腕力に物を言わせた剛剣ではあった。

 しかし、当たらなければ意味はなく――気が付いたときには男の身に着けたガントレットが女の目の前に迫り、そして、凄まじい衝撃と共にそのまま吹き飛ばされ、地に伏せる女。

 男は動かなくなった女を見下ろすと、ため息をついた。


「甘いのは、俺のほうか……」


 小さくつぶやく。

 ――あるいは、怒りと憎しみしかなかった10年前であれば、容赦なく止めを刺したのであろうか。

 そんな事を胸中で自問しながら。

 楔となったのはやはり一人の女性だ。

 全ての増悪の象徴である忌むべき燃える様な紅髪を、綺麗だと言ってくれたただ一人の女。


 降りしきる雨の中、男は背を向ける。

 その背中に、弱々しい声が届いた。


「ま、まて……貴様……にげ、逃げる……のか……」


 焦点の合わぬ瞳で必死に男を睨み、剣を杖に立ち上がろうとしている女。

 しかし、全身が軋み、力が入らずに中々立ち上がれない。

 女は下半身の感覚自体がなく、それとは対照的に上半身全体を激しい痛みが襲っている。

 おそらく背骨か延髄に致命的な傷を負っている。

 雨に流され、男はおろか本人さえ気が付かなかったが、神経の制御を失った下半身は尿を垂れ流していた。


女神の剣(フェストラブレイド)だったか。さすがに頑丈だな。だが、その傷では今後もまともな生活はおくれまい。どうせ今死ぬか、後で死ぬかの違いでしかない故に、生死などどちらでも良いと思ったが、殺して楽にしてやろう」


 その瞬間、空に一条の雷が走り抜ける。


「クソっ! こんな、みんな殺しやがって!」


 雷に照らされた女の表情は、威勢よく毒づいたものの怯懦に支配されていた。

 男はただただ無表情に見下ろし、なにを考えるまでもなく剣を構える。

 あと一動作。

 振りあげた剣を振り下ろすだけで、女の命運は尽きるだろう。


「何か言い残したことはあるか?」


 それは気まぐれだった。10年前の、あの後であればただ憎しみのままに剣を振り下ろしていたであろう。

 だが、表面上はどうあれ、10年の歳月――彼女と過ごした時間は彼に多少の人間性を取り戻す事には十全たりうる時間だったのだ。


 ――そして、それが男にとっては唯一の隙だった。


「なぜ……なぜ今更姿を見せたのだ! エンブリオォォッッッ!」


 咆哮。それはある種、慟哭と言ってもいいほどに絶望に塗れた絶叫だった。

 エンブリオは女のその言葉を聞き届け、そして口を開いた。


「さあな……」


 それだけ呟くと、剣を握る掌に力を籠める。


 女は自らの運命を、目の前の現実を否定するかのように瞳をぎゅっと瞑り、その時を待った。

 そして、男の剣が振り下ろされる。その先端が彼女の身体を切り裂かんとした、その瞬間。


「逃げろ、マールギアッッッ!」


 まだ年若い、青年の声が響き、エンブリオの凶刃は直後に襲い来た衝撃で防がれる。

 ギン、という鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が響く。


「ほう。生き残りがいたのか」


 エンブリオが驚いたように呟いた。


「コーヤ殿……!」


 女――マールギアは間に入った青年を、僅かに宿った希望と共にその名を呼び、直後に絶句した。


「コーヤ殿……其方、腕がっ!」


 そう、彼は片腕がなかった。17歳ほどだったはずの青年は、利き腕たる右腕を肘の先からなくし、鮮血をまき散らしながらも左腕だけでエンブリオの刃を受け止めていたのだ。

 よくよく注意してみると、呼吸も荒く、体全体が震えている。

 おそらく、失血からくる低体温症。加えて1メルタ先も見通せない程の豪雨だ。それでも未だにショック死するどころか、それなりに体を動かせているのは選ばれし勇者がもつ頑強さ故なのか。


 彼はそのままエンブリオの剣を押し返し、弾く。

 エンブリオは「ほう」と漏らすと、ひとまず仕切り直すために後ろに飛んで距離をとった。

 コーヤの身体が青白い光を帯びる。

 神の奇跡を再現する神術と呼ばれる業。

 今回コーヤが使ったのは身体能力を一時的に底上げする乙女の祝福(フェストラブレス)という術であった。

 

 失血して震えている身体が一時的に安定し、コーヤは爆発的な力で一歩を踏み出し、そのままエンブリオに肉薄し、剣を振った。

 エンブリオが剣を弾くが、その力すら利用して流れるような連撃を繋げていく。

 一度止まってしまえば、次が無い事を理解しているのだ。

 エンブリオに付け入る隙を待っているのは、マールギアの二の舞だ。


 「ツカサッ! 今のうちにマールギアを……っ!」


 コーヤがそう叫ぶと、降りしきる雨の中から現れたのは、ローブ姿の少女だった。

 年のころはコーヤと呼ばれた少年よりは多少上に見える。

 それでもまだ、年端もゆかぬ少女だ。


 ツカサと呼ばれた少女は返事をする間も惜しみ、地に突き刺した剣に縋りつくことで辛うじて立ち、意識を保っているマールギアの元へ跪いた。

 彼女の前で両手を重ね合わせて瞳をつむり、祈りを捧げる格好となる。


()永久の眠りに(を置いて行)つくものよ(かないで) 今こそ我らに(あなたが死ねば)その力を分け(嘆きの泉は)与えたまえ(溢れ出る) 罪なき者に(例えそれが)慈悲と(救いでは)安らぎを(ないとしても) 彼の者(私は決して)永久なる汝の(さよならは)求道者なりて(許さない) 我が声を(だからどうか)聞き届けたまえ……(あなたの慈悲を)


 マールギアを中心にして、幾何学的な魔法陣が展開される。

 彼女は徐々に体の痛みが引いていくのを感じていた。


 癒しの光。その魔法が完成すれば、死以外の状態から全快させる上級の魔法。

 1で全の意味を持つという女神言語(フェストラワーズ)を唱えることで、術から法へと足を踏み入れる、神の御業。

 使える者はコーヤと同じく異界の勇者であるツカサしかいなかった。


 マールギアはしかし、女神言語をを唱え続けるツカサの様子がおかしい事に気が付いた。

 呼吸が浅く、所々にうめき声のようなものが混じる。

 よく見ると、雨で目立たなかったが、ローブの腹部辺りが黒く変色している。

 直後にわずかに届いた血の匂いにより、ツカサもまた大きな傷を負っていることに思い至った。

 それもそのはずである。

 エンブリオと遭遇した瞬間、マールギアが率いてきた神殿騎士達はあっという間に殲滅されてしまったのだ。

 騎士団員ではないと言え、エンブリオ討伐の一翼として随行していた彼らもまた抵抗する間もなくやられてしまった。

 こうして生きていただけで奇跡なのだ。


 マールギアは何事かツカサに声をかけようとして、直前で耐えた。

 今ここで治癒を辞めさせることは、彼女たちの覚悟を無駄にするのと同義であることに気が付いたのだ。


 今はコーヤが命を賭して作ってくれた時間を有効に活用するしかない。


 そうこうしている間にも、エンブリオとコーヤの戦いは続いていた。

 いつの間にか攻守が逆転し、エンブリオの凄まじい剛剣をコーヤは片腕でしのぎ続ける。

 しかし、その表情には色濃く疲労が滲み、呼吸も荒い。

 身体をつつむ青白い光が徐々に弱くなっている。


「その片腕でよくやるな」


 エンブリオが呟くように言った。


「うるせぇ、この化物! せっかく念願のハーレムを作って女待たせてんのによぉっ! 俺の片腕どうしてくれんだよっ!」


 上段から振り下ろされた剣を弾き、そのまま返す勢いでエンブリオの横腹を狙う。


「ハーレム……羨ましい限りだ」


 エンブリオは冷静に言葉を返し、半身ずれることで剣を避け、その手首を狙って自らの剣を振るった。


「くっ」


 かろうじて剣の鍔で受け止めるも、すさまじい衝撃に指先が痺れ、取り落としてしまう。


「これで終わりだ」


 いまだ体勢が整わないコーヤに向かって、エンブリオはその凶刃を――


 直後に生まれた背後からの殺気に瞬間的に振り返って剣を振るう。

 弾いたナイフと共に、黒づくめの格好の少女の驚愕の眼差しがエンブリオと交錯した。

 そのままの勢いで少女はその場を離脱。

 直後、


「お前がなっ!」


 剣を拾い上げ、そのまま技も何もなくコーヤはエンブリオの心臓めがけて剣を差し込んだ。




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