猫と暮らす⁉︎
ようやくアパートの下に辿り着いた遥は、誰の目にも触れないように、
猫を自転車のカゴから 、タオルに包んだ状態で引っ張り出した。
急いで階段を上がろうとすると、お向かいの奥さんに声をかけられた。
『あら!今お帰り?』
遥はギョッとした。が、できるだけ不自然にならないように、さらりと言い放った。
「え?ええ……あの、これから夕飯の仕度。急がなきゃ!」
『ああ、そうね。いけない!鍋を火にかけっ放し!じゃあ』
お向かいさんが、あっさり退散してくれて、ホッと胸を撫で下ろした。
そそくさと家の玄関に滑り込むと、まずは浴室へ向かった。
汚れた猫の身体を、一刻も早く綺麗にしてやりたかった。
ところがこの猫、温かいお湯がシャワーヘッドからほとばしるのを見て、
どこにそんな力が残っていたのか、全力で逃げ出そうとした。
浴室中を暴れまわって、ガリガリ引っ掻き回して大騒ぎ。
浴室の扉が開かないと分かると、遥に向かって
『ウウウ……シャーーーー!!!!』
と、唸り声を上げて威嚇し始めた。
遥はそんな事、御構いなしに猫の首元をガシッと掴むと、その身体に
シャワーを浴びせた。
猫も観念したのか、始めは唸っていたが、だんだん静かになり、
目まで閉じて、されるがままになった。
「ほーら。気持ちいいでしょ?」
遥の言葉に猫も満更でもなさそうだ。
タオルでせっせっと拭きあげていると、
玄関のドアが開く音と同時に、大きな声。
『ああ、腹減った!今日さ、こいつの分の夕飯もよろしく!』
翼が親友の修二を連れて帰宅したのだ。
『え?何、その猫……』
翼がすぐそばへやって来て、まだ乾ききらない身体を撫でた。
猫は特に驚く様子もない。
『かわいい……飼うの?名前付けようよ。クロにしよう!』
勝手に修二が叫ぶ。
昔自分の家で飼っていた猫に似てるから、その名前にしようと言うのだ。
「冗談じゃないわよ!これ以上扶養家族増やしてどーすんの?
今夜一晩預かるだけよ。ご飯あげて、お腹いっぱいにしたら、
明日同じ所に帰してくるんだから」
『同じ所って、どこにいたの?』
「……」
翼の問いに、遥は絶句した。
どこだっけ?同じ所……?
どうやって行くんだっけ?
でもこのまま飼うわけにはいかないし……
遥は黙ったまま台所でカレーを作り始めた。
翼と修二は顔を見合わせて笑った。
今夜はチキンカレーだ。
鶏肉を別茹でして、猫のために冷ましていると、
またもや玄関を開けながら、
『ああ、腹減った……もう死ぬかも……』
とアピールする者が……
優介の登場だ。
まーるいお腹をさすりながら、
『お、今夜はカレーだね!』
と、嬉しそうに目を輝かせる。
翼達と戯れる猫を見て、優介はびっくりしていた。
『義姉さん、それどうするの?まさかここで飼うつもり?』
遥は慌てて否定した。
『そうだよねー。ここペット禁止だもんねー』
遥は優介の方を見ながら何度もコクコクと頷いて見せた。
『そういえば、ウチ、ペットOKの物件扱ってますけど……しかも店舗付き住宅』
優介が茶化して言った。
「買いません!」
遥が切り返した。
そう言う彼女の足下に、猫はゴロゴロ纏わりついていた。
浴室での大騒動が嘘みたいな姿だ。
冷ましておいたチキンをお皿に入れて猫に与えると、鼻先でフンフンと匂いを嗅ぎ、
夢中で食べ始めた。
「ゴメンね、こんな物しかなくて……」
遥は猫の前にしゃがんで謝った。
『じゃあ、その子どーすんの?また捨てに行くの?
義姉さんの事すっかり信頼してるっぽいのに……』
確かに、この子を今更どこへ置いてくるっていうんだろう………
遥はしばし無言で考えていた。
男達は、猫と張り合うかのように、ガツガツとカレーを食べている。
遥の脳裏をふと、マスターの言葉が過った。
「その物件、二世帯住めるかな?」
『んー……家族の規模にもよるけど、何とかなるんじゃない……
って、誰と暮らすつもりだよ?』
「……玲子さん達と」
遥が小さな声で言った。
『はあああ?どこまでお人好しなんだよ‼︎
なんで急にそんな事言い出したんだ?』
遥は黒猫を拾った経緯と、喫茶店“アニバーサリー”のマスターの事を話した。
『義姉さん、夢でも見てたんじゃない?この辺にそんな名前の喫茶店ないよ。
自慢じゃないけど、仕事柄この町のことは知り尽くしてるんだ。
俺は絶対に反対だ!』
「なぜか分からないけど、あの人達の事、放っておけないのよ……」
遥が言った。
『義姉さんはバカだ!お節介にも程があるよ。信じられない……』
優介はため息混じりに言った。
「そのお節介に乗っかってるんでしょ?あんたは!」
『まぁ……そ言われちゃうと、あれなんだけど……』
優介はバツが悪そうに言った。
一部始終を遠巻きから見ていた、翼と修二。
『お前ん家、いつ来ても賑やかだな。なんか癒される……』
修二の言葉に、
『は?うるさいだけだし、なんか また面倒臭い事言い出したし……』
翼が口を尖らせている。
藤井 修二の家は父子家庭だ。
母親とは数年前に離婚している。
大きな家に住んではいるが、父親の帰宅は遅く、
修二はいつも1人だった。
息子に寂しい思いをさせている事に負債を感じているのか、
父親の圭一は、修二に対して、何をやっていても干渉しない。
親子関係はギスギスしていた。
『いいなぁ……俺も一緒に住みたい』
修二の言葉に、
『へ?こんな汚くて狭いアパートに?あんな立派な家があんのに?』
翼が驚きの声をあげた。
『あそこは……あそこには、俺の居場所なんかないんだよ……』
修二がふと寂しげに笑った。
『俺ん家、いつでも来ていいからな!』
翼が真剣な顔で修二に言った。
修二は、
『ありがとう……』
そう言った後、大声で笑った。




