飛べ翼!
無事高校を卒業した翼が、遥に言った。
『俺、修二と一緒に音楽やりたいんだ……』
「……」
遥は黙っていた。
そう言うだろうと予測はしていた。
学校の進路相談でも、彼は進学でも就職でもなく、
担任の前で同じ事を言っていたからだ。
「家を出るの?」
遥が聞いた。
『修二が一人暮らし始めたんだ。とりあえず、そこに住ませてもらう。
もちろん、バイトして、家賃とか折半するつもりだよ』
親に相談もなく、とっとと先のこと決めてたわけだ。
「少し考えさせて」
遥はそう言った。
渋々翼が頷いた。
遥は出来るならもう少し、翼を家に置いておきたかったのだ。
勉強嫌いな翼に無理して進学しろとは言わないが、自分の作った弁当を持って、
会社へ行く翼を、見てみたいと思っていた。
「見られないのか……」
寂しそうにポツンと遥が小さく呟いた。
****
翌日。
朝からボンヤリと仕事をしている遥に、玲子が声をかけた。
『どうしたんですか?今日の遥さん、何だか脱け殻みたいですよ』
「は?うん。そうか……ごめん。ちゃんとしなきゃね」
遥は気のない返事をした。
『何かあったんですか?絶対ありましたよね?』
「うん。翼がね、家出て音楽やるって言ってるの」
『なるほど。いいじゃないですか!やらせてみたら。
ずっと夢みてたみたいだし……』
遥は玲子の顔をジッと見つめた。
「私には私なりのビジョンがあったのよ」
そう言うのが精一杯だった。
それ以上話したら涙が溢れそうだ。
自分が思う以上に心への打撃は大きかったようだ。
遥の様子を見て何か悟ったのか、玲子は口をつぐんだ。
そこへお客さんが……
『すみません!ランチ、まだいいですか?』
『あ、はい!あら藤井さん。どうぞ、どうぞ!』
玲子がいそいそとカウンター席へ案内したのは、修二の父、藤井 圭一だった。
圭一に水を出して、戻って来た玲子は、
『お店も落ち着いて来たし、休憩どうぞ!』
と遥に促した。
ふと遥が店内を見渡すと、確かに昼のピークは落ち着き、
今は2人の主婦らしき客がテーブルにいるだけだった。
「じゃ、お願い。私も、藤井さんのお隣いいですか?」
遥は玲子に店を頼んで、圭一の隣で食事をしようと思った。
『ああ、もちろん!どうぞどうぞ!』
圭一は自分の鞄とコートを席からどかし、遥がそこに座れるよう気遣った。
席に腰をおろした瞬間、遥の口から大きなため息が漏れた。
『珍しいですね。遥さんがこんなに元気ないなんて……』
圭一は遥の姿に驚いていた。
キッチンでは玲子がランチのメインの豆腐ハンバーグを焼いている。
仕上げにかける醤油ベースの和風ソースが何ともいい香りだ。
「私も人間なんでね……落ち込む事だってありますよ」
遥が圭一に言った。
『ははは……そりゃそうだ。で、どうしたんです?』
圭一は、笑いながらあえて軽い調子で遥に尋ねた。
「実は……うちの翼も音楽やりたいって。
家を出て、修二君と暮らすって。私、毎日美味しいお弁当作って、
あの子を会社に送り出すのが夢だったんです。それなのに……」
遥はまた大きなため息をついた。
『その事ですか。わたしは修二から何となく聞いてましたけど……
きっと翼君、お母さんに言いにくかったんだろうな。彼、優しいから、
きっと遥さんの気持ち、充分 理解してると思いますよ。でもそれ以上に
挑戦したい事が出来たんだ。翼くんの成長の一歩ですよ!』
圭一にそう言われると、遥には返す言葉が見当たらなかった。
彼は、遥より先に息子の背中を見送った、いわば先輩なのだから……
「そうですよね……あの子はもう、自分の足で歩き出そうとしてるんですよね……
笑顔で見送ってやらなきゃね」
遥は目に一杯涙をためて、圭一に笑って見せた。
圭一は、その笑顔に一瞬ドキッとしたのを隠しつつ、
出来立ての豆腐ハンバーグにパクついた。
その日の夜……
天海家ではささやかなパーティが開かれた。
遥、翔、翼の3人で、翼の出発を祝った。
『本当にいいの?』
泣き出しそうな翼が遥に言った。
「あなたの人生だもの。あなたの信じた道を行けばいい。
ただし、責任は自分で取るのよ!もう子供じゃないんだから」
夢見がちな翼に、母親としての不安はある。
けれど、いつまでも自分が守ってやる事など不可能だ。
いつかはその手を離さなきゃならない。
遥は翼を信じて背中を押すしかない。
遥の言葉に、翼が大きく頷いた。
****
翌朝……
小さな鞄と、修二から貰ったギターを持って、翼は家の玄関を出た。
「時々でいいからさ、顔、見せに来なさいよ!」
遥は悲しみを押し殺して、満面の笑みで翼を見送った。
翔も起きて来て、
『まぁ、色々あると思うけど、頑張れよ!』
と言葉少なに翼を応援した。
『行って来まーす‼︎』
まるで学校に行く時みたいに翼の声が響く。
少し先まで歩くと翼がこちらを振り返って、
大きく手を振るのが見えた。
遥も翔も、応えて手を振り返した。
「頑張れ翼!負けるな翼‼︎」
いつのまにか遥の唇から、翼への励ましの言葉がこぼれていた。
涙に濡れ、震えた声で翼には届くはずもないが……
翔はそんな遥を静かな笑顔で見守っていた。
遥も翔も、翼の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。




