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ロスト・アナムネーシス【打切】  作者: 八雲 辰毘古
第2部 愚者は識り、賢者は忘れる
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 幕が上がり、沈黙が下りる。

 現れたのは、仮面をかぶったウサギだった。仮面はあらゆる個性を殺している。ウサギの耳は長く、ぴょこんと立っている様子が、まるで電波を受信しているようだった。


 ──淑女紳士の諸君レディス・アンド・ジェントルメン、ようこそ我らが舞台へ。


 ヒトならざる声が、〈カルテジアン・シアター〉を覆った。誰でもないもの(ノーバディーズ)を象徴するかのような、非個性的な、声が。

 低い男性的な声ではある。しかし一般的な、普遍的な声だった。

 その声は語っている。本日は多忙ななか、ご来場いただきまことにありがとうございます。まもなく公演が始まります。

 物語は至って単純。世界支配を目論む悪党から太古の秘宝を奪い返す、どこにでもあるような冒険活劇であり、ある男が女の愛を勝ちえんと奮闘する愛の物語であります。

 それだけです。

 ここまで聞いたあなたがたは、もうこれ以上物語に関心を払う必要なんてない! なんならいますぐ支払った入場料を返してお帰りいただいてもけっこうでございます。あなたがたには多忙な現実がお有りでしょう。こんなくだらぬ三文芝居に足を運ぶ必要なんて本来ならなかった。()()()()()()

 しかしまかりまちがっても、ここは舞台。現実とは異なる、虚構(フィクション)の世界なのであります。たったいまそうとは意識せず異世界に足を踏み入れたあなたがたは、もうあとに引き返すことはできません。

 本当によろしいでしょうか?


(わずかな沈黙。しかし誰も身動きしない)


 なら、よろしい。

 では舞台は始まります。

 あらためて自己紹介をいたしましょう。

 わたくしは、道化(クラウン)。舞台の前口上から裏方、装置まで、至るところを歩きまわり、至るところにすがたを現す。興醒めとでも? いいえ。道化こそが真の案内役。その言葉は滑稽でありながら真実に満ち、シナリオを暗示しておきながら、誰もが見過ごしてしまう。

 まるでカッサンドラの予言のようだ! ああ、カッサンドラなんていまどき誰もご存知ありますまい。しかしそれはどうだってよろしい。とにかく、わたくしの言葉はすぐ忘れなさい。お饒舌(しゃべ)りなのはそういうクセなのです。忘れてしまえば、なんだってすんなりと楽しめる。楽しみたいなら忘れなさい! 忘れたくないなら楽しみを捨てなさい!

 さあそんなことを言ってるうちに時間が来てしまう。わたしの余計なおしゃべりの時間が、なくなっちまう。ああ、残念だ、残念だ。警句を吐いても笑われる。真面目に言っても嘘と言われる。そんなわたしの出番はこれっきり。仕方ないさ、道化なんだもの。


 途端、いい加減に退場しろと言わんばかりにウサギに迫るアンドロイドが二体。喚くウサギを問答無用で持って行き、会場を笑わせる。不快のタネが奪われて、ホッとしたような雰囲気に包まれる。

 そう、彼らは教え()()()のではなく、楽()()ために来たのだから。

 ウサギの非礼を詫びるように、あとからさらにアンドロイドがやってきて、お辞儀をする。いかにも礼儀正しい、流麗な所作だった。

 そして、沈黙。

 瞬間ときが止まったかと思われる不安のなかで、舞台は始まる。袖から現れるのは、豹頭の獣人、狐の美女、そして……


 激しい音楽が、劇場を満たした。

 騒々しいとすら思えるくらいの、電撃的なミュージック。序盤からクライマックスを仕掛ける大胆なテンポで、観客の不意を突き、こころを奪い去る。ブレーキの効かないノンストップのサスペンス。美女を巡る剣戟と、飛んだり跳ねたり大立ち回り。重力を忘れたかのような動きと、時折はじける血を模した赤いしぶきが、観客をリアリティの渦に巻き込んでゆく。

 まさにエンタテイメント。まさに大衆のこころを虜にしてやまない、怒涛のスペクタクル・ショー。物語のあらすじなんて関係ない、ただそこにある臨場感だけが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 この迫真の演劇空間において、李燕は幼年期の思い出を喚起されつつも、そのときとは異なるある不安を感じていた。

 なぜだろう?

 アーヴィングの言葉を知ってしまったからだろうか、いや、それとも……

 傍らの少佐を覗き見る。彼もまた、無表情に劇を観察している。彼は楽しむために来たのではない。観るために、確認するために来たのだ。

 しかしそれは李燕とて同じ。

 楽しむべきでありながら、どうしても楽しむわけにはいかぬと思った。ふと油断すると呑まれそうなリアリティの魔力に抗いながら、本当はそうあってはならぬと思いながらもそれでもなお自分を見失わないように、劇を()()する。


 そして、李燕はあるひとつの空想をした。

 それは人間のいない舞台のうえで、人間のように舞う一枚の長い布の光景だった。その布の周囲には風を送る装置があって、ただ風に煽られ、吹き上げられ、そして重力にしたがって舞い降りる運動のなかに、しかしヒトだけがそこに「舞い」を見出してしまうような、そういう光景を。

 踊っているものが何を考えているのかが観客にとって関係ないとしたら、踊っているものが人間である必要はないのではないか?

 必要なのは刺激的なイメージだけだ。イメージを刺激されれば、ヒトは自ずと意味を見出す。振り回されるなかに、楽しむなかに、自分にとって快楽となりうるパターンや意味をそれとなく取り込んでしまう。そういう意識を、ヒトが持っているのだとしたら。


 この舞台に人間なんて最初からいなかった。

 舞台で舞うのは人間ではない。ヒトならざるもの。魂を諦めたもの。その結果、シナリオに踊らされることを是とした操り人形(マリオネット)となったものたち。

 やっと見えた。アーヴィングが見た危険なヴィジョンの、すべてではなくても、その片鱗が。

 いけない。この舞台は、危険だ。

 なんとしてでもやめさせなければならない。でも、どうやって? そのチカラがわたしにはない。でも、やめさせなければ、とんでもないことが起こるに違いない。


 そう思った矢先、劇に異変が起きた。

 満を持してク・リン=トゥエルが登場したとき、彼女は、まるで糸の切れた人形のように、舞台で(くずお)れたのである。

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