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ロスト・アナムネーシス【打切】  作者: 八雲 辰毘古
第1部 亡霊の泪
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 シャワーを浴びて、いちおうの着替えを済ませると、七瀬は面会室に向かった。その道すがら面会希望者について多少の想像を巡らせていたが、少なくとも家族ではない、との確信はあった。もしそうだったら最初から(しら)せてくれただろうから。

 では、かつての軍属の上司か。ありえない。上司は戦死していた。ならば、誰だ。誰がこんな不具の帰還兵に用があるというのだろうか。

 面会室のドア付近で、さっき訪ねてきた医師が立っている。


「待たせた」

「お、ようやく来たか。先方、お待ちかねだぞ」

「面会するまえにお尋ねしたいんですが、面会相手は誰なんです?」

「それが……《機関(オルガノン)》のエージェントなんだよ」

「は、エージェント? 名前は?」

「匿名希望さ。おまけに機密だと言って、捜査理由も明かしてくれない。《機関(オルガノン)》の特権、てヤツさ」


 こっちだってどういうことなのか知りたいよ、おまえ、《機関(オルガノン)》になんか目つけられることでもしたのか? と医師は肩をすくめた。

 《機関(オルガノン)》。その言葉に思わず顔がこわばる。正式名称は《太陽系人類保護監視機関》。〈星府〉より上位にある官僚組織であり、事実上の最高権力機構でもある。彼らは統治はしないが監視する。軍隊を持たないが内乱を抑制し、管理はしないが保護をする。……そんな巨大組織の一員が、いったいなんの用なのか。決して平穏無事では済まされるはずがない。

 ごくり、とツバを飲む。

 冷や汗が、つ、と背筋を撫でる。


「いえ、身に覚えがないんだけど……何かの間違いでは?」

「それはない。残念ながら指名をいただいたのは穂村七瀬、他ならぬあなたなんです。一言一句、間違えはないんですよ」

「そう……」


 もはや考え、悩む猶予はなかった。

 仕方ない、よほどのことがなければちゃんと話し合えるはずだ。そう信じて、彼女はドアを開け、面会室へ入った。

 面会室には丸テーブルと、椅子が複数置いてあった。面会人はひとりとは限らないので、いちおうの用意がされているのだ。しかし今回はひとりだった。七瀬はそれを見て、《機関(オルガノン)》のエージェントはつねに単独行動だということを思い出した。


「どうも。遅くなりました」

「入院患者とは思えないくらい元気なのね。自由時間ちゅうにズブ濡れになるほどはしゃいでたなんて」


 早々のイヤミに、七瀬は舌を噛んだ。

 向かい合って席についているエージェントは、赤縁のアイ・グラス越しにこちらを観ていた。まるで計測し、こころの底まで読み取っているかのようだ。


「ええ、まあ。わたしは比較的軽度なので」

「結構だわ。とりあえず座って。本題に入りましょう」


 言われた通りに、座った。

 感情のカケラも見えない瞳が、組んだ手のひらのうえで七瀬を捕捉した。視線は七瀬の眉間を貫いて、壁にピン留めしているかのようだった。


「前置きは面倒だから省くわよ。わたしが尋ねたいのはただひとつ。()()()()()()()()()()()()? 穂村七瀬さん」

「何を……?」

「質問に答えて」


 表情は真摯だった。

 だが彼女は気づいてしまった。自分の脳裡には、戦場の記憶がすっぽり抜け落ちていて、代わりにある鮮明なイメージだけが焼き付いていることに。


「……青い、地球」


 数秒後に吐き出された言葉を聞いて、エージェントは確信の閃きを宿した。やはり、とでも言いたげだった。しかしエージェントはタブレット状の端末を取り出すと、しばらく無言で操作していた。

 これを見て、と画面を見せる。

 見せられたのは灰色の惑星だった。

 その造形はまるで着色を忘れたプラモデルのようだった。まったく、背後に広がる宇宙空間ですら暗幕に砂金をばらまいたように嘘くさく見えてしまう。それほどに惑星の見かけは人工的で、画像処理を施されたのではないかと勘ぐりたくもなる。

 ところが。


「これが地球よ」

「えっ」

「すでに火星天文台を始め、多くの調査で判明しているのだけれど、地球は色を喪っているわ。理由はまだ明らかではないけれど、おそらくはナノマシンか何かを用いた環境改造。いまでは《機関(オルガノン)》が禁忌としているけど、かつての地球にはそのテクノロジーが存在した……」

「嘘だッ」


 爆発するような立ち上がると、ミディアムウルフの髪を逆立てるほどの気迫で叫んだ。

 しかしエージェントは眉ひとつ動かさない。予想済み、といった具合だ。


「わたしは近年《機関(オルガノン)》の命令で、ある調査をしています。それは一部の帰還兵に共通して現れる精神病的な幻想……つまり、『青い地球』のイメージについてです」

「……!」

「あなたは『地球は青い』と信じておられる。しかし我々を含む一般的な知識は異なります。かつて地球は結晶生命体(クリスタロイド)に奪われ、その侵略から逃れるために人類は太陽系の他の惑星に分散しました。それから数世紀のあいだ、いったいいつそうなったかはわかりませんが、()()()()()()()()()()()()()()。だから地球が青いなんてことは、いまでは誰にも視認できないんですよ」

「そんな! だって、あたしは視たんだ……この目で……はっきりと……」

「実を言いますと、みなそう言うんです。わたしは/俺はこの目で視たんだ。地球は青い。あれは紛れもない、人類のふるさとだ、生命の星なのだ、と」


 淡々と、まるで報告するかのように言葉を連ねてゆく。

 その口調がむしろ冷たく鋭利なナイフのように、七瀬のこころを抉ってゆく。それでは自分が妄言症ということになるではないか。いや、すでに妄言症だという自覚すら持てなかったのか?

 手が(ふる)える。

 視界もぼやけた。

 じゃあわたしは何を知っているのか?

 こんな問いを立てても、誰も答えてくれなかった。なにせ記憶がないのだ。そこだけ意図的に消し取られてしまっていて、空白だった。


「お気持ちは察しますが、もうしばらくお付き合い願いたい。と、いうのもまだことの本質には入ってないのだから」

「なんですか。ヒトの内面をズタボロにして、まだ何かあるんですか?」

「ズタボロ? まだこれは序の口です」


 ふと気づくと、七瀬の目のまえには不可思議な道具一式が展開していた。頭に被るような網目状の冠に、無数のコード、スクリーン付きのスタンドに、手袋など……

 いったい何をする気なんだ、このヒトは。

 声には出さなかったけれども、まるで聞こえていたかのように、エージェントは答えた。


「あなたの記憶に潜らせてほしい」

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