14
出迎えたのは好青年だった。
ケント・シュタイナー中尉と名乗った彼は、オートグレール少佐のもとで秘密任務に就いているのだという。
若いのに大変だな、と〈調整官〉は言った。
いえいえとんでもない、と彼は返した。
「人類の故郷を取り戻す壮大な軍事作戦の末端として、役割を果たせるとは光栄であります」
期待と誇りで輝く瞳が疎ましかった。
あまりにも、澱みがなさすぎる。
あまりにも、理想に澄みすぎている。
その無垢さが、かえって〈調整官〉は気に食わなかった。傍にいた李燕も、表情の冷たさから同じ想いをしているのだろう。
とにかく、そんな男に連れられて、工場見学は始まったのだった。
無重力ドックでは、巨大な軍艦が出来上がりつつあった。チタニウムの骨組み、セラミックスの外殻。巨人の顎のようにいかつい艦首に、直方体の船体がまるで巨大生物の解体現場のように開かれている。
中に見えるのは汎用戦闘機〈ランサー〉の格納庫、そしてエネルギータンク。リボルバーのような形状をした居住区画は、コロニーと同様遠心力での擬似重力を形成するためのかたちだ。その構造にはある程度の柔軟性を要するために、カーボンナノチューブでところどころ補強されている。
〈調整官〉はこの機構を書類で見たことがあった。火星〈星府〉の最新型の軍艦だ。たしか書類上での名前は〈ファランクス〉。
しかしそれの名前は〈テストゥド〉──すでに《機関》が許可を出している軍艦だった。
尋ねてみると、細かいところがちがうんです、と中尉は言った。
「〈テストゥド〉は〈ファランクス〉と同じ機構を持った、いわば兄弟艦です。しかしながら〈ファランクス〉は同系列の中でも最高峰の技術と性能を有しています。本来この建造計画は〈ファランクス〉の現実的完成を目指したプロジェクトなのですが……」
中尉は滔々と解説する。
その語り口調は、明快だった。
「なるほど。解説はありがたいが、オートグレール少佐はどちらに?」
「いましばらくお待ちください。こちらに向かって来てるそうなので」
「客人を待たせるとは、無礼なヤツだな」
「少佐は多忙な身なのです。ここさいきん結晶生命体の情勢が読めなくて、現場が混乱しているものですから」
そことなく憐れむような喋り方だ。
ますます気に食わなかった。
微妙な沈黙に陥るまえに、李燕が助け舟を出す。
「じゃあそれまで休めるところはありませんか。わたしたちオートグレール少佐に内密なお話があるから来たんですよ」
「ええ、そのように伺っております。なので少佐がご到着なさるまで、どうです、もう少し工場見学としませんか。デスクワークばかりだと、こうした現場の空気を忘れられてしまいますので……」
「ああそうだな。じゃあ見せてもらおうか」
〈調整官〉はうなずいた。
いいんですか、と李燕が耳打ちする。
かまわん、と〈調整官〉。
「向こうが見せてくれるんなら、見てやろうじゃないか」
こちらです、と中尉は言った。
それに続いたふたり。
〈テストゥド〉の巨大なボディをゆっくり過ぎる。重力下では必要とされるであろうクレーンの類いはいっさいないものの、各素材は置き場に固定されていた。さらには溶接用/組み立て作業用の即席コンパートメントが、まるで気泡のように無数に張り付いている。
二次被害を防ぐためです、と中尉。
コロニーで禁じられることがふたつある。ひとつは規定されてない細菌やバクテリア、遺伝子を持ち込むこと。もうひとつは不必要に火を使うことだ。双方ともコロニー内の大気に深刻な被害を及ぼす。惑星経済とは異なり、コロニーでは清浄な空気も高い金を支払う必要があった。生命とそれを維持するものがとにかく貴重だったのだ。
そんななかで溶接や金属加工は必要悪だったが、安全管理にはかなり慎重になるように求められる。これが軍艦でなければ惑星経済に外部委託してもよかった。だがこれは軍艦であり、軍事機密でもあった。
「そこで例の気泡型コンパートメントを使うことになったんです」
「へえ」
「なるほど」
「……あまり、興味はなさそうですね」
「本筋と離れてるからな。そろそろ少佐に来てもらわないと、ホントにただの工場見学になってしまうよ」
「あくびが出そうだわ」
「やれやれ、これだから事務屋は……」
軽蔑というより、憐れみの混じった声。
どうしてこうもまっすぐなのだろう、と〈調整官〉は思う。それとも、政界の暗黒面を泳ぎすぎた自分のほうがひねくれているのだろうか。こと軍部の不正を勘繰るつもりできた〈調整官〉も、自身の情熱にまっすぐであることには変わりなかったが、どうしても中尉の狂信的態度には納得がゆかなかった。
なぜ、ヒトは正しさを信じるのだろう。
なぜ、正しさのまえに誰かを蔑まなければならないのだろう。
そしてなぜ、この青年はこうも愚直でいられるのだろう。
不穏な気配を感じる。この空気の異常さは、〈調整官〉だけにしかわからない。李燕はそもそも興味がない。仕事だからここにきただけだ。それはひょっとすると、この現場で動く人びともまた同じだろう。彼らは全貌を知らない。このコロニーをそこはかとなく覆っている、政治の空気の味を知らない。
「おや、よかったですね。ようやくオートグレール少佐がいらっしゃったようです。いまこちらに向かってきております」
見上げる中尉の顔は明るい。
その顔の向こう側には、〈調整官〉がかつてエリンギと揶揄した刈り上げ頭と、ヒトを怖気させる三白眼の顔があった。こちらに向かって泳いで来ている。
あの男……いったい何を考えている、と〈調整官〉は肚裡に思う。しかし、それを知るのが彼の任務だった。