君自身から君は隠せない
突然の転校生三人のせいで、朝のホームルームは大騒ぎになってしまったけれど、その後の午前の授業は、極々普通、——リッチーもウェヴレイドのパワードスーツ部隊の二人も……そしてコン子も特に変わった動きはないまま過ぎたのだった。
それがかえって不気味だった。
このまま大騒ぎが続くのかと身構えたのに何も起きなくて、自分が少し前のめりにその静さの中にと言うか、空虚の中に落ちて行く感じで、何も掴む物も支える物も無いまま不安に宙づりと言うか……
「じゃあ、いっその事もっと騒ぎが起きちゃった方が良いと言う事かな?」
「そ……そんなわけじゃないですけど——ランさん! なぜここに!」
僕が、顔色悪いねとと言われてついつい話し出してしまった相手は気付くとランさんだった。ウェブレイドのトップMC、——この間の事件では散々世話になって、その事件で負った負傷が治ったら、イギリスに帰る前に壊れていないターンテーブルで、もう一度僕のDJを聞かせると約束したのに……
「と言うか、ランさん! 体もう良いんですか? 入院中の病院から連絡も無しにいきなりいなくなって、心配したんですよ……」
「悪いね少年。やんどころない事情があってね、緊急でウェブレイド本部に戻って対処しなければならない事件が起きた」
「と言っても、ランさん怪我は一週間や二週間で治るようなものでは……」
「再生医療が適用された——と言えば分かるかい?」
再生医療——万能細胞を使った身体修復治療。それは「この世界」ではこの頃やっと実用化されたもので、まだ通常では治らないような重篤な症状にのみ適用される治療と聞くが、それが、それでなくても時間をかければ治る怪我で、早く直すために使われるとは……
「まあ、君は——まだ深く立ち入らなくて良い。そんな仕事を私はやってきたんだと思って、それ以上は詮索しないことだね。なぜなら、——少年は清くあるべきだよ……少なくともそうあれるうちはね」
いきなり、真剣なキリッとした顔になってそう言うランさん。
「なるほど……」
僕は、それを見て、それ以上何も問うこと無く、黙る。
ウェブレイドには、報道され喧伝される華やかな物ばかりでなく、世に見せられないような裏の黒い仕事もあると父さんから聞いていたが、まさしく、つい最近、ランさんがやっていたそう言うものだったのだろう——と僕は思った。
ウェブレイドのトップMC足るランさんが無理に体を修復してでも出て行かなければならなかった「事件」が僕の知らない所で起きていたのだろう。
僕には言えないような——ランさんの危険。
それに今の僕が深入りする義理も理由も無いのだが……
一緒に死線を越えて一角ならぬ信頼関係ができたと思ったランさんに、僕にまだまだ言えないような危険が、闇があるのだと思うと……
僕の心の中に霧が張り、腹の奥の方が少しキンとなるのだった。
いや、僕は自分の立場をわきまえているし、決して自惚れてはいないつもりだ。
僕は、DJとしては、まだ半人前とさえ言えない赤子同然なのだ。
僕は、自分しかやれる者のいない状況で、やむを得ずDJデビューして、そのぶっつけ本番で業羅を人間に戻す事ができた。
僕として精一杯やったし、それは自分としても誇るべき事だと思う。
しかし……
それはやはり「たまたま」でしかないのだ。
幸運であったに過ぎない。
もちろん僕は僕なりにベストを尽くして頑張った。
でも、やはり、たまたま精一杯やった仕事が、たまたま成功しただけなのだ。
何も考えずに、責任も負えずに……それは子供のお遊びといわれても仕方ない。
世界は、そんな風に、青臭い正義感や理想で動いているのではなく、大人たちの地道な泥を被る努力でなりたっているのだ。
ランさんのやさしげでしかし憂い、闇を孕んだ瞳は、僕にそんな彼女の凄さ、強さを感じさせた。
僕はそれにぐっときた。で、痺れて、憧れた。
僕は自分の弱さを自覚して。学ばねばならない大人の大きさを感じた。
それは嘘ではない。僕の本当の気持ちだ。
でも……
「——ランさん。あんた何やってるんですか?」
僕は、配膳口のカウンターの向こう、Aランチのハムカツ定食を僕に向かって差し出して、次にお椀にみそ汁をよそっている食堂の「おばさん」に話しかけた。
「へ?」
その「おばさん」はキョトンとした表情で僕を見る。
「なんで食堂のおば……いやお姉さんなんかをランさんがやってるんですか?」
「んっ? なんかおかしいかな?」
いやおかしくない。
なんというかはまり過ぎてそのせいで……おかしな事になってしまっている。
ランさんが教室に女子の高校制服来て現れるかと思った時の、その想像の中の、何とも言いがたい、背徳的と言うかマニアックな僕の嗜好の試される格好に比べればこの食堂のおば……お姉さん姿はピッタリとはまっているのだが……
「食堂の給仕の人の格好にしては色っぽすぎませんかね」
「えっ? これって普通に渡された服だけど」
いや、分かっている。普通に、普通の食堂おばさん用に渡された服なのだろう。でも、それだから、それだからこそーーおかしなことになってしまっているのだった。
普通の人の普通の人の体型を基準に作られた服なのだろう。
だからだめなのだ。
いや駄目と言うか、駄目すぎるのだ——男子高校生の理性的に。
「おら、カケル遅いぞ! 何時まで話してるんだ!」
ランさんを独占し話をしている僕に罵声が飛ぶ。
ぴちぴちで弾けそうな、と言うか第二ボタンまでしまらないで外してしまった白いワイシャツ。
胸に布を持って行かれたせいでキュッとしめつけるようになってくびれが強調されている腰。
そして、その下の何の変哲もないはずの白い作業ズボンは魅惑の曲線を収める宝器へとかわり……
「なんか……今回カケルくんとは目立たずに接触しろと言われて不本意にもここに紛れ込んだんだけど——かえって目立っちゃったのかな?」
まあ、その通りであった。
無意味に色っぽい食堂のお姉さん出現に色めき立った男子高校生達が、全員Aランチの列に並んでしまったので食堂は大混乱である。
そしてその先頭にいるのが僕である。みんなの羨望と嫉妬が一店に集中した背中は、視線で焦げてしまいそうである。もしその視点が僕の後頭部に集中したなら、円形脱毛症になってしまうのでは——そう思うくらいの激しく強い目線であった。
だから、
「じゃあ、ともかく……これで」
僕は思春期男子のリビドーの無用なトラブルが起きないようにと——ランさんにまだまだいろいろ聞きたい事はあるのだが——食事を受け取ったらそのままさっさとカウンターからさろうと振り向きかけたのだった。
すると、
「まあ、しょうがないね。これもスターたる私の定め……この状態じゃ、ちょっと秘密の話を伝えるわけにもいかないだろうから……これ」
ランさんは、ハムカツの皿の下にそっと紙切れを差し入れる。
「放課後にその紙に書いてある所に来てね。そこで二人っきりでゆっくり話しましょ……」
僕は、皿の下からちょっとはみ出たメモ書きの紙を見ながら頷く。
でも、これなら最初から放課後にこっそり会えばばよかったのでは、マットくんあたりに言付け頼んでーーと思わないでもなかったが、こうなってはもうどうしようもない。
なのでそのまま素直に、定食ののったトレイを持って壁際のあまり人のいないテーブルを見つけて座るのだった。
すると見えるのは、A定食のカウンターだけに長蛇の列をなす男子高校生たちと、それに愛想を振り撒きながら驚くほど巧みに給仕をするランさんの姿。
「今日は1日食堂署長をしにきましたウェブレイドのランです! 皆さんよろしくね」
今でっち上げたような役職を作って(そして驚くべきことにこの後、ウェブレイドの圧力によりこの高校には食堂署長と言う謎の役職ができることになるのだが……それは後々の話なのでおいといて)みんなに挨拶をするランさん。
あがる歓声。
なんだか僕に何か用事があったらしい、その秘密任務を、アドリブのMCで一気にごまかしながらも、ベテランの食堂のおばちゃん顔負けの凄いスピードで配膳をおこなってゆくランさん。そして、その様子を見てまたあがる歓声。そして、さらに、その歓声を聴いてますます大きくなる歓声。
僕はその姿を見て、何度目かわからない、ランさんに対しての更なる感心をした。
ランさんは、何でもできる器用な人ーーなのは間違いない。
でも、それがあの人の本質ではないんだ。
それは結果でーー彼女はみんなを楽しませたいーーその心が物凄く強いから、何でも器用にこなすと言う結果がついてくるだけなんだ。
音楽が無くても、ランさんの声と笑顔ーーそしてみんなを楽しませたいと言う気持ちだけで、ここは最高のダンスフロアになるのだった。笑顔に笑顔が重なり、食堂はいつの間にか、最高のパーティー会場のような、高揚感に包まれるのだった。
まったく、大した物だった。僕はいっきに皆の心を掴み、食堂中の人を一帯に盛り上げたランさんの手腕を見て、感心して頷いた。やはり彼女は、ーーDJとMCの違いはあれど、僕が尊敬し目標にしなければならない人、そんな風に思いながらランズ・ハウスとなったこの食堂を楽しく眺めていたのだった。
すると、
「うん、確かに大した物だね彼女は。ウエブレイドのムードメイカー……その場ののりで適当にやってるように見えて——いやそれができるのが今までに乗り越えて来た死線の数々の蓄積……MCラン、本当はとてつもない努力家だと聞くからね——」
いつのまにか僕の後ろに立っていたリッチーが話しかけて来たのだった。彼は、僕が慌てて振り向くと、ニヤッと笑いながら、
「ここ座って良いかい」
「——構わないけど」
向いの席に座るのだった。
そして、リッチーが言う。
「ウェブレイドの中で生き残るのも大変だあんな媚び売らなきゃやってけないんだからね」
「媚び?」
僕はリッチーの言い方に少しカチンと来て、少しきつめの言葉を返す。
「……あらあら怖いねえ。もしかして気にさわったかい? なら言い方を変えても良いけど——おためごかしだね」
「何を……君は!」
よりひどい物言いに、僕は本気で頭にきて声を荒げる。
「あらら、カケルくん、僕は君のためを思って言ってるんだけどな」
「……君がこのあいだの業羅出現の時にあのランさんたちと友情を培ったのは知ってるし、今の君があの人たちを尊敬して憧れるのもよく分かる——でも」
「でも?」
「君はそんなところで終わる男じゃないだろ? ウェブレイドに利用されて捨てられる。そんな連中の仲間になりたいのかな?」