第6話 -謎の同胞-
ルービス視点です。
象牙の輝きを灯す月が、夜空に滞る。
静寂が包む学生寮【スフィリア】の二階廊下で、ルービス・ハーメイルは窓辺から外を眺めていた。夜の帳が下りた天蓋は、肉眼では明瞭に映ることがない。差し込む月光もどこか頼りなく、廊下は冷たい静けさを醸し出していた。
「ちょっと、不自然過ぎたか……?」
数刻前の、新たな同胞への歓迎会のことを思い出す。
少なくとも、表面上は大丈夫だった筈だ。実際、自分は楽しんでいたし、向こうも満更ではなかった。同席していら他の仲間も、見咎めるような真似はしていない。
だから、きっと気づいていないだろう。
お前の存在が、どれほど不思議なのか。
そしてそれを、自分がどれだけ勘繰っているか――。
「お疲れ様です、ルービス様」
灯りのない暗がり。
目前で声を掛けたその男性は、周囲の闇に溶け込む色合いの衣服を上下揃えて身に纏っていた。皺の刻まれた彼の顔は年老いており、軽やかな足運びや正装の着こなしが熟練の空気を彷彿とさせる。紡がれた柔らかな声は、唐突だったにも関わらず、驚きを誘発しない丁寧なものだった。
「おう、セバス。お前もご苦労さん。仕事はもう終わったのか?」
「いえ、最後に裏庭の掃除が御座います」
「……偶にはファナにもやらせるべきだな」
今頃彼女は、自身が荒らした裏庭のことなんていざ知らず、のんびりと風呂に浸かっているだろう。あの場を利用しているのはルービスも同じだが、鍛錬には各々のやり方というものがある。ファナのそれは、一際周囲に害を及ぼしやすいものなのだ。
「それにしても、驚きましたね」
「ああ、アジナのことか。【スフィリア】を知らないとなると、相当田舎から来たな」
歓迎会……もとい、夕食時にある程度の親睦は深めた二人。
アジナは特に隠すことなく、己の過去を話してくれた。本来ならば、トラウマになっていてもおかしくはない、勇者狩りに遭遇したということ。そして、命を救われる際に、この学生寮への推薦状を貰ったということ。
「推薦者の意図が読めねぇな……態々【スフィリア】を指定している時点でアジナが凡庸である可能性はないだろうし。無自覚、或いは何か事情が? ……にしては、流石に無知過ぎるだろ。見たところ、これといって光るものも……」
本人の前では言えないことも、この男――セバスの前ならば言える。
セバスの口の硬さは岩以上のものだとルービスは考えていた。最も、ルービスにとって、セバスはそうでなくては困るのだが。
「セバス。学校長に問い合わせを頼む。内容は、十年前に起きた勇者狩りについてだ」
真剣な面持ちで、ルービスがセバスに指示を下す。
それを聞いたセバスは、一寸たりとも動揺を見せず、流暢に返答した。
「僭越ながら、既にさせて頂いてます」
「流石、仕事が早い」
今更ながら、長年付き添ってきた自称執事の技量の高さに感嘆するルービス。
とは言え、褒めることに時間を費やしている場合ではない。閉口し、視線だけをセバスに向けたルービスは、無言で結果報告を促した。
「十年前、王国南部にて一件の勇者狩りが確認されております。場所はアリディール村、周辺の自然環境に大きな被害が出ましたが、幸い死者は無しとのことです」
首を縦に振って相槌を打つルービスは、まだ口を開かない。
自分が知りたいのは。話の本題はその次だ。
「そして、討伐に駆り出された者が――」
一度言葉を切り、セバスが周囲の気配を探る。
次いでルービスも気を張り巡らせたが、人影の姿は見えない。警戒に警戒を重ね、問題がないと判ると、それを視線でセバスに伝えた。
小声で伝えられるその先の言葉に、ルービスは目を見開いた。
「おいおい、嘘だろ? 何でそんな、大物中の大物が……」
本来ならば、ルービスは飄々とした性格の持ち主だ。
だが、アジナが来てからというもの、その持ち前の陽気さが崩されることが多い。予想外に次ぐ予想外に、余裕を保てなくなっている。
「わかりません。ですが、情報に誤りはないかと」
「あの人は、もっと重要な案件を幾つも抱えている筈だ。今更、勇者狩りに固執する理由なんてないだろ。ということは……」
「何か別の目的があった、ということになりますな」
頷くルービスの表情はあまり優れない。
正直、知って得をするものでないことは確かだ。これについて完全に既知となったところで、ルービスの何かが好転するということはない。
拭いたいのは不快感。迎え入れた同胞が持つ、謎のベール。
「……セバスは引き続き調査を頼む。但し、くれぐれも無理はするなよ? 仮にその目的とやらが俺らの予想通りならば、遅かれ早かれすぐに暴かれるからな」
「相承りました」
当面、方針を変える必要はないだろう。
元から優先順位は低い。先程ルービスが告げたように、いずれは本人が自発的に真実を露見する可能性もあるのだ。問題なのは、その真実を本人が認識していないこと。それによって、直接尋ねることができないことである。
では何故、尋ねられないことが問題なのか。
それは、ルービスが所属する此処――学生寮【スフィリア】の性質が関与していた。
「これは、あくまで可能性の話ですが。もし、全ての予想が外れたら……」
「追い出す、なんてことは絶対ないからな」
無論、当事者である彼らはそのことを知っている。
学生寮【スフィリア】を利用する者ならば、誰であろうと例外なく、だ。正式な住人であるルービス、ファナ、リセ。そこで働くセバスたち使用人。加えて、過去の住人や関係者。そして、かつてこの屋敷を保持していた者……。
「【スフィリア】に入るための条件は、推薦状の提示のみだ。アジナはそれを正式な手順で終えている。それに、ファナも言ってたろ。他はどうでもいいんだよ」
黙するセバスは、偏に【スフィリア】の未来を憂いていた。
その感情はわからないでもないルービスは、極力触りのない言葉で意思を伝える。
「意外に思うかもしれねぇが、俺達にとっても良い巡り合わせなんだ。固まった面子にも飽々してたし、ファナも喜んでるみたいだし。マニアを名乗る以上、付き合ってみれば新しい着想が得られるかもしれない。色んな意味で、良い風になるぜ、あいつ」
吹き抜ける新風を、一切の抵抗なしに受け入れる。
それが予想に反する程荒々しかったとしても、ここの住人たちならば上手く対処していける。均して収めて、真の意味で仲間にすれば良いだけの話。
セバスに告げた言葉を脳内で反芻し、己の意思を確認している最中、ルービスは目の前の執事が小さく笑っていることに気がついた。
「どうした?」
「いえ。久々に楽しそうな表情をしておりましたので、邪魔をしてはいけないかと」
「大きなお世話だ。ったく」
感情を見透かされたことによる羞恥を、後ろ髪を掻くことで誤魔化す。
「セバス、お前の不安は最もだが……これはもう決めたことだ」
「……承知しました。以後、この件に関しては進言致しません」
セバスも、ルービスたちのことを思っているだけに過ぎない。
蔑ろにするのはお門違いだ。ルービスは最後にそれだげ伝えて、セバスと別れた。裏庭の掃除に向かうという執事の後ろ姿が廊下の角に消えるのを見届ける。
「しかし、本当にこいつは驚きだな」
唇で弧を描き、吹き出したい笑いをどうにか腹に留めた。
押し殺したそれを発散するかの如く、続く言の葉を口から発する。
「最も初代に近い勇者、血閃の女王……かの有名な、カティナ・アストラル様からの推薦ねぇ。こりゃあ、楽しむなって方が無理な話だぜ」