第5話 -新たな仲間-
夕焼けを浴びながら、アジナは学生寮への帰路へついた。
王都に来てまだ初日だが、アジナは早々にこの街の素晴らしさに感動する。
フラス大聖堂で目を奪われたステンドグラス。聖剣ほどではないにせよ、あの美しさにはアジナの心を揺れ動かす力があった。この街に来てからというもの、芸術的な物や光景を目撃する機会が多く、物を見る目が急激に肥えた気分だ。
しかも、今回は予想外の収穫まであった。
路地裏でのちょっとした、諍いである。流石にあの時は色々と張り詰めていたが、結果的には何故か一切の荒事なく解決。拍子抜けしたアジナだが、問題はその後だ。
新たな聖剣との出会い――残念ながらそれは、紙に描かれた絵であり決してそこから飛び出ることはなかったが、その姿形はアジナの瞳に強く焼きついた。
聖剣大図鑑と呼ばれる、公に明かされている聖剣の情報が事細かに記された書物を読破しているアジナは、聖剣に関しては人一倍詳しいと自負していた。聖剣の特徴から、誕生するまでの歴史。並びに、聖剣の使い手である勇者まで。アジナの脳味噌に蓄えられた知識は、こと聖剣と結びつくものならば途方もない量がある。
しかし、あの絵の聖剣は、それらの知識とは一切引き合わなかった。
完全な未知。聖剣マニアと散々言われているアジナにとって、それは看過できない事実だった。ただでさえ膨大であった聖剣への期待が更に高まる。これだけ知っていても、これだけ追い求めてもまだ底を見せないそれに、アジナは歓喜した。
「お帰りなさいませ、アジナ様。夕食の用意ができております」
「んんっ?」
寮の入り口前に立っていた一人の男性が、こちらに気づくなり声を掛けてきた。身に纏う黒一色の衣服は、スーツと呼ばれるものだったか。作業着一筋のアリディール村では用途がなく、過去に読み漁った本の記述によれば、スーツはある状況に応じた正装であったとアジナは朧げに記憶している。
「私、この学生寮【スフィリア】に勤務する用務員、兼執事のセバスと申します。」
「あぁ、ど、どうも……?」
都会の住人は、皆こんなに丁寧な対応をするのだろうか。
マナーなんてものとは縁のなかったアジナは、内心大焦りでセバスを見る。自身のことを執事とも言っていたが、あれは何かのギャグだろうか。笑うべきなのだろうか。
「先刻は対応が出来ず、申し訳ありませんでした。何分、この寮に新たな入居者が現れるのはかれこれ数年ぶりとなりますので……」
「え?」
反射的に声を漏らしてから、そう言えば副学校長も似たようなことを言ってたなぁ、と記憶を蘇らせる。セバスと名乗るその執事はルービス同様、アジナを歓迎している態度ではあるが、そこにはただ仲間を迎え入れるという意思だけではなく、もっと感慨深い他の感情が含まれているような気がした。
「あの、そんなに此処の住人になることって珍しいんですか?」
「はい?」
心底疑問そうに、セバスが聞き返す。
アジナは自身の問いに誤りがないことを確かめた後、再度同じ問を繰り出した。セバスはそれを耳に入れ、暫し硬直した後に口元に手を添える。
「これはまた、お戯れを。まさか知らずに訪れたわけではないでしょう?」
冗談と勘違いしたのか、セバスのそれはジョークへの対応だった。
本心からの疑問を発した筈のアジナは、セバスの答えに冷や汗を垂らす。その答えだとまるで、本当に【スフィリア】には何かがあるようだ。
「ほ、本当に知らないんだけど」
「いえいえ、まさか。そんなことある筈が……」
困ったように口を閉ざすアジナに、セバスの眼の色が変わる。
冗談めかした態度から一転。セバスは信じられないものを見るような目で、アジナに視線を寄越した。
「本当に、知らないのですか……?」
「……」
アジナの無言が肯定であると悟られるまで、数秒。
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。無自覚ながらも、何かやらかしたか。思い悩むアジナを他所に、セバスも眉間に皺を寄せて黙考する。
セバスは言葉を選ぶように頭を悩ませ、その口を恐る恐る開こうとした。
「おい、アジナ! 夕飯の用意できてんぞ!」
暗雲立ち込める空気を一刀両断。
屋敷の奥からひょっこり顔を覗かせたルービスは、アジナの姿を見るなり笑顔を浮かべて手招きした。続いて傍らのセバスを見て、僅かに首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「……いえ、お気になさらず。さあアジナ様、食堂へどうぞ」
「え? う、うん。わかった」
話を切り上げたいのだろう、セバスの意思を汲み取ったアジナは首を縦に振る。
ルービスの手招きに従い、屋敷を歩く。廊下を進むにつれて、香ばしい臭いが漂ってきた。後方で一定の距離を保ちながらついてくるセバスの恭しい態度に何とも言えない感情を抱きながらも、アジナはルービスの後を追い続ける。
「うわぁ……!」
食堂へ辿り着いたアジナは、長テーブルに配膳された料理の数々に度肝を抜かれた。
丁度、腹の虫も鳴いている頃だ。空腹のスパイスがそれらを一層美味しそうに見せている。口内に溢れる涎を飲み込み、ゴクリと喉が鳴った。
「今日はアジナの歓迎会だ。……と言っても、普段よりちょっと豪華な飯が食えるくらいなんだけど。悪いな、このくらいしかできなくて」
「十分嬉しいよ、どれも美味しそう」
「後で料理人たちにも言ってやってくれ、きっと喜ぶぞ」
学生に食わせるものとは思えないほど、高級な品々がそこに並んでいた。
田舎育ちのアジナでもわかる、素材の良い料理の数々。真新しいものばかりを前にして、食事マナーについて不安になったものの、椅子の上で胡座をかいているルービスの存在がそれを和らげる。
「さて、飯を食う前に……最後の一人を紹介しないとな」
ルービスが視線を、アジナから少し離れた位置に座る女性へ移す。
ファナの座る席の二つ奥の席に、彼女は座っていた。ルービスの合図に反応し、その身体をゆったりと持ち上げて、アジナに向ける。
「昼は会えなくてごめんなさい。私はリセ・シュエリーハット。二年生の勇者だから、一応先輩ね。同じ寮に住む者同士、仲良くしていきましょう」
藍色藍瞳の彼女が、三人の中では一番マトモであるとアジナは何となく理解した。
長い髪を結うことなく腰まで伸ばし、リセは口元に手を添えて微笑する。ゆったりとした服装に、のんびりとした口調や動作は育ちの良さを思わせた。深窓の令嬢とは、まさに彼女のような女性のことを言うのだろう。
ルービスやファナにしてみせたように、アジナも自己紹介をする。
そうして二人の顔合わせが終わったのを見計らって、ルービスが目の前のグラスを勢い良く持ち上げた。中に溜まった飲料が零れ落ち、テーブルクロスに染みを生むが、特に気にする様子はない。
「それじゃ、我らが【スフィリア】の、新たな同胞に――乾杯!」
ルービスがそのままアジナの方へ歩み寄り、グラスを翳す。意図を読み取ったアジナは慌てて自身のグラスを持ち上げ、ルービスのそれへ当てた。カチン、とやや遠慮気味の音が食堂に響き、壁際で待機していたセバスから拍手を浴びせられる。
「……乾杯」
「乾杯っ!」
ルービスに続き、ファナ、リセの順でアジナとグラスを重ねる。
こちらと目を合わせてくれないファナにアジナは苦笑したが、煙たがっているようではないので一安心。直後、今度は柔和に微笑むリセがグラスを傾けてくる。
たった四人でこの食堂を占領するのは些かもの寂しい。
四人はテーブルの中央で、隣合わせ向かい合わせの形で席を取った。
「王都散策はどうだった?」
アジナの隣に座ったルービスが、フォークを手に取りながら尋ねる。
「凄く楽しかったよ。ついでに本も買えたし」
今日の出来事の中で本の購入は比較的大人しめのものだったが、メインは食事を楽しみながらにでも話そう。アジナは片手に持っていた本を、ルービスに見せた。
「ん? その本って確か、ファナが欲しがってたやつじゃないか?」
その言葉にファナが反応し、彼女は視線だけをアジナの持つ本にやった。
それがどうにも睨まれているように感じてしまい、アジナは萎縮する。苦手意識を否定することはできない。しかしだからと言って、嫌いなわけでもない。仲良くして欲しいという気持ちを暗に伝えるためにも、アジナは明るい表情でファナに提案する。
「良かったらファナも読む?」
「……そうね。読み終わったら貸してもらうわ」
思った以上に好感触を掴めて、アジナは胸を撫で下ろす。
落ち着いたら空腹が更に際立った。
グラスの中身を喉に通し、口を潤わせてから「さて」と呟く。まず始めに手を付けるべきものは何か……それは勿論、この中でも一番美味そうなものだ。
豪快に肉へ魚へと齧り付くアジナとルービス。黄金色のスープを音を立てずに飲むファナ。瑞々しい生野菜を器用に丸めて一口で食べるリセ。一口食べればその美味しさに魅了され、アジナは次第に一言も喋らず、舌鼓を打つことに徹した。
「明日は久しぶりの学校か。ぶっちゃけ面倒臭ぇな」
パンを噛みちぎり、もしゃもしゃと咀嚼しながらルービスが言う。リセが否定も肯定もせず、ただ苦笑。ファナは首を二度縦に振って、同意であることを伝えた。
学校と聞いて、アジナは顔を上げて皆に質問する。
「そう言えば、皆は高等部より前からゼリアスに通ってたんだよね?」
「寧ろ、高等部から入学する方が珍しいけどな」
ルービスの言葉に、アジナは「それもそうか」と相槌。
その潜在的な能力から、勇者はどこの国でもどこの土地でも引く手数多だ。
金や名声の他。生活に困らないということが目的ならば、態々学校になんて通わなくても適当に働いた方が手っ取り早い。基本的に勇者が学校に通う目的は、親などの目上の立場の者に勧められた場合か、本人が学校生活自体を望んでいるかの二択である。
どちらにせよ、どうせ通うのならば低い年齢の頃からそうするべきだろう。その方が早く馴染みやすいし、新参者としての疎外感も薄れるからだ。
ちなみに、聖剣の場合は勇者とは異なった目的を持つことが多い。
潜在的な能力は一般人とさして変わらないため、聖剣は勇者と違って引く手数多、というわけではない。しかしそれ以上の理由として、聖剣は勇者に使われてこそ真価を発揮する存在なのだ。故に聖剣は、なるべく多くの勇者と出会うような人生を歩む。そうして最高のパートナーを見つけ、輝かしい栄光の道を勇者と共に築きあげるのだ。
勇者聖剣養成学校の存在意義の一つとして、それがある。
つまり、出会いの場であるということ。勇者と聖剣は勿論、勇者同士、聖剣同士による切磋琢磨の関係を作ることも視野に入れている。
「逆に、どうしてアジナはこの時期に入学してきたんだ?」
聞かれると思ったが、解答を用意していなかったアジナは暫し黙考。
別段隠していることではないが、これを説明するには少々時間を要する。
「元々は僕も早めに入学する予定だったんだ。ただ、その……身体が弱くて」
あまり明るい話題ではないため、言いにくそうに告げるアジナ。
しかし、ファナやリセ、としてルービスの三人の手が止まったことを悟り、これは最後まで説明しないと駄目だと理解する。
「原因は不明なんだけど、昔から不定期に昏倒する体質でさ。そのせいで、中々遠出が認められなかったんだ」
わかっていることと言えば、体力の低下に比例して症状が出やすくなることくらい。
決して誤った育てられた方をしてきたわけではない。ただ、その体質のおかげでアジナは学校に通うことはおろか、禄に身体を動かすことすらままならなかった。医者の話によれば、聖剣どころか、武器の所持自体が許されない程の病だったと言う。
「少しでも外を出歩けばすぐに意識を失うほどでね。いわゆる、病弱ってやつ」
これでも出来る限り端折ったつもりだが、食堂の雰囲気は重くなっていた。
いつもは明るく振舞っているルービスも、顔を綻ばせることなく沈黙する。追求したことを自責しているのか、後悔が滲んでいるようだった。
そんな空気を一転させたのは、意外にもリセである。
「私も、あまり身体は強くない方だから、アジナの気持ちはわかるわ」
「え……?」
これ以上空気を重たくしたくないという配慮だろうか、一度だけ微笑したリセはアジナの疑問に答えることはなかった。しかし、話を聞いていたファナはそれを好ましく思わなかったのか、敢えて伏せられていた事実をアジナに伝える。
「リセは、生幹病なの」
その名を聞いた途端、アジナの顔が引き攣る。
生幹病。それは、この世に生ける存在の全てが内側に持つという、生命の根幹を脅かす病だ。感染はしないし、激痛に苛まれることもない。だが、この病はじわじわと、しかし確実に命を削っていく重病である。
「とは言え、過度な運動さえ避ければこれといって症状のない病気だから、今は平気よ? 持病持ちだからと言って、あまり気を遣わないでね」
「……うん。わかった」
気を遣われる側であったアジナも、リセの気持ちが理解できなくはない。
だが、生幹病だ。流石にどう返せば良いのかわからなくなる。取り敢えず笑ってみるが、内心では巧く笑えてないんだろうな、と冷めた感情が過っていた。
「アジナも、普段は大丈夫なの?」
「ああ、それは大丈夫。今はもうすっかり回復してるよ。ほらこの通り!」
話題の逸れる絶好のチャンスだと言わんばかりに、アジナは力瘤を作って元気一杯をアピールする。ふふ、と微笑むリセの声と、呆れたようなファナの溜息が聞こえた。
「ま、それも聖剣への愛故にってやつか?」
「よくわかってるじゃないか」
流れに乗っかったルービスが、再び肉を頬張った後に告げる。
アジナは胸を張って、ルービスの言葉に二度、大きく首を縦に振った。そんな二人の気心知れたやり取りに、リセが可愛らしく目を丸める。
「聖剣への、愛?」
「ああ、リセは知らなかったな。アジナは、聖剣マニアなんだ」
「ふふん」
鼻を高々と伸ばすアジナに、リセが小首を傾げた。
期待していた詳しい説明を省かれ、仕方なしにリセは自分で解釈を進める。しかしそれでも飲み込みきれなかったのか、頭上には疑問符が浮いている。
「ええと、じゃあアジナは、聖剣とお話するために入学したということ?」
「正解。ついでに言うなら、聖剣を使いこなす技術を手に入れるためでもあるかな」
優れた勇者であると認められるには、何と言っても強さが必要になってくる。
ところが、アジナはその体質が原因して禄に身体を鍛えられなかった。喧嘩なんてしたことないし、汗を垂らした経験だって他の勇者と比べたら絶対に少ない。
加えて、アジナの住んでいたアリディール村には、実用書というものがなかった。
厳密に言えば、勇者が必要とするありとあらゆる資源が枯渇していた。
アジナとその妹の他に勇者なんて存在しない村なのだから、当然の結果でもある。村全体は常に平和な空気に包まれているから、誰もが剣よりも鍬を欲していたのだ。
だから、人類に仇なす脅威――即ち"魔物"と対峙するための力である"魔法"の存在価値は無に等しく、それを学ぶための道具が何一つ存在しなかった。
武術と魔法。これらは戦闘行為における、最も重要な能力だ。
護るにせよ、傷つけるにせよ、力の有無は武器を持つ、持たない以前の問題である。アジナには、そんな戦うための力が圧倒的に不足していた。
そのための、勇者聖剣養成学校だ。
多数の同世代がいる環境下で、彼らの勇者としての強さを参考にすると同時に、互いに競い合う仲となる。そうすることで、今の弱い自分からの脱却を試みる。
「聖剣と戦いたいから……いや、単純に聖剣に好かれたいからだな!?」
「その通り!」
最もその目的は、ルービスの言う通り至極単純なものである。
いぇーい、とテンションを上げてハイタッチするアジナとルービス。
それに混ざれなくとも、ついていこうとするリセ。ちなみに、この時点で既にもう片方の少女は完全にパーソナルスペースを展開していた。
「つまり、アジナは聖剣に恋してるのね?」
「そういうこと」
「まぁ!」
アジナの解答を聞いて、途端にリセが過剰な反応を見せた。
内側に星々を内包しているかのように、キラキラと輝く瞳を、アジナにずいと近づける。前のめりになった彼女の身体は、ガタリとテーブルに伸し掛かった。
「お、応援するわよ! 何でも相談して頂戴!」
「う、うん、その時は頼りにさせてもらうよ」
「差し当たっては今晩にでも詳しく……ゲフッ!? ゴホッ、ゴホッ……」
「ちょ、大丈夫!?」
興奮し過ぎたリセは咳き込む、アジナが焦燥する。
リセの隣で黙々と食事をしていたファナが、小さく溜息を吐いて彼女の背中を擦った。目尻に涙を溜めたリセは、心配ご無用と告げるべく、片手の掌をアジナに向ける。
一向に咳が収まらないリセに、ルービスが黙って起立する。
そして、ポケットから真っ赤なカードを取り出して、頭上に掲げる。反対の手で指笛の形を取り、よく響く高音を鳴らした。
「退場」
「ああ、そんなっ!?」
壁際で待機していた二人の使用人が、リセの腕をがっちり掴む。
まだ心残りがあったのか、連れ去られていくリセの顔は悲痛に染まっていた。とは言え本人のことを思うならば、ここは黙って見届けるべき場面だろう。
そんなことよりも、アジナは今のルービスの行動が疑問で仕方なかった。
「えっと、何それ?」
「リセ専用強制退場権だ。ちなみに効果範囲は寮だけじゃなく、学校も含まれてるぜ。俺の目と用務員さえいれば、リセの無茶を何時でも未然に止められる」
「な、何かと苦労しているみたいだね……」
「今のはレッドカードで即刻退場な。で、こっちのイエローカードは警告として使ってる。……あいつ、黙ってたら完璧なんだがな……時折、おかしくなるんだ」
全然マトモじゃなかった。
自己紹介の時の印象が一瞬にして崩れ去る。自分自身がマトモでない自覚はあるので他人のことは言えないが、もう少し常識的な同僚も欲しかった。
「あんまり話せなかったなぁ……」
「次の機会に頼む。まぁ、リセもアジナのことを気に入ってたみたいだし、適当に訪ねれば向こうも乗り気で頷いてくれるだろ」
初登場から僅か数分で消えていったリセの存在に、アジナは微妙な顔を浮かべる。
程なくして、リセを連行した使用人二名が戻ってきた。何事もなかったかのように平然と振る舞うその立ち姿は、経験による"慣れ"を彷彿とさせる。
「話戻すけどよ、俺もちょっと気になってることがあるんだ。アジナの聖剣好きってのはさ、聖剣になれる人が好きってわけじゃなく、聖剣そのものが好きなんだよな?」
「そうだね。勿論、人の姿の時でも愛せる自信はあるけど、やっぱりそれは聖剣の姿があってこそのものだと思うから。ともかく、聖剣なら皆好きだよ」
「成る程。特に気に入った聖剣があるわけでなく、聖剣という種族自体が好きなのか」
「聖剣の良さに優劣なんてないからね」
この辺りが、人の人に対する恋愛とは異なったアジナの価値観である。
幼少期、アジナはふと「もしかして、自分は聖剣に恋しているのではなく、命を救ってくれたあの聖剣だけに恋しているのではないだろうか」と考えたことがある。無論、その方がまだ幾ばかりか健全ではあるのだが、その疑いはすぐに晴れた。
現代における聖剣とは、人である。
より正確には、聖剣は人と武器の二つの姿を持つ存在だ。
太古の時代、魔王を討伐する際に用いられた始まりの聖剣――通称"聖剣王"が、その戦いによって砕けた時、破片は世界中に散らばった。"聖片"と呼ばれるその破片を体内に取り込んだ人間が、アジナの良く知る聖剣の正体である。
聖片を身体に宿す人間は、任意で己の身体を人から聖剣に、或いは聖剣から人に変化させることができる。故に聖剣は、人間でありながら武器でもあるのだ。
アジナの疑いはつまるところ、自分の命を救ってくれた聖剣を、人として好いているのではないかということ。しかし冷静に考えてみれば、アジナはあの時の聖剣の、人間の状態としての姿を一切見ていないのだ。この時点で疑いが晴れる。
そして何より決定的なのが、ルービスの問いに対するアジナの答え。
言い換えればそれは、「聖剣ならば誰でもいい」という答えであり、それは即ち、人間としての部分を全く度外視していることに直結する。噛み砕いて言えば、アジナは聖剣という一つの種族そのものを愛しているのだ。
「じゃあ仮に、俺が聖剣だったらどうする?」
「そうだね、まずは熱い抱擁から始めようか」
「うわ、こいつガチだ」
身体を仰け反らせるルービスにアジナは笑うが、前言撤回をする様子はない。
先に退場したリセと違い、きちんと話を最後まで理解したファナは、ある意味この場で最も常識的な反応を示していた。言わずもがな、ドン引きである。
「ま、世の中にはそういう奴もいるからなぁ。特にうちの学校は個性的な奴が多いし」
「それを言うなら、ここの住人だって皆個性的だよ」
「そりゃブーメランってもんだぞ、アジナ」
その言葉、そっくりそのままお前に返すぜ。とルービスは言う。
確かに自分もかなり独特な方だろう。言われて悪い気はしないので、頷いた。
「けど実際、凡人の感性ではどう足掻こうと【スフィリア】には届かねぇからな。俺にせよ、アジナにせよ。その独特さってのが、武器になってるわけだ」
「……ん?」
ルービスの物言いに、アジナが首を傾げる。
しかしルービスはそれに気づくことなく、続けざまに口を開いた。
「それで、アジナは何ができるんだ?」
「え?」
今度は、先程よりも明瞭に疑問の声を上げる。
流石にこれにはルービスも気づいた。だが、ルービスはルービスでアジナが何故疑問を浮かべるのかを理解していない様子。結局、二人して首を傾げる。
「この寮に来た以上、アジナにも何かあるんだろ?」
何だそれは、どういうことだ。
さも当然であるかのように、ルービスが問う。アジナはそれに答えられず、口を閉ざしたまま思考を回転させた。心当たりはない。しかし、似たような疑問を持たれたことが、この一日で既に複数回ある。ゾディスも、セバスも。彼らはアジナが【スフィリア】の一員になることを意外そうにしていた。
何時になっても答えないアジナに、ルービスが動揺する。
「ちょっと待て。アジナ、冗談だよな?」
「いや、冗談も何も……そもそも【スフィリア】の名を聞いたのは今日が初めてだよ」
「は……?」
ルービスが目を見開き、話を聞いていたファナも同様の反応をした。
場の雰囲気が一転する。使用人たちは小声で談義しあい、セバスは無言で何かを考えていた。それらの中心であるアジナは、未だ首を傾げている。
「じゃ、じゃあ。推薦状は誰から貰ったんだ?」
「あー……それが、その……」
本日二度目になるその説明。
適当に誤魔化そうにも、ルービスの真剣な面持ちを見るに許されそうにない。仕方ないか、とアジナは小さく一息ついてから、述べた。
「過去に僕が勇者狩りに遭った時、命を救ってくれた人がいるんだ。それで、その人が気を失った僕を家に届けた時、一緒にあの推薦状も渡したらしい。でも、僕はその人の顔も名も覚えてなくて……」
勇者狩り、その単語に何も思わない勇者なんて存在しない。
だが、アジナの話を要約すれば「覚えていない」の一言に限る。
「それに僕自身、別段何かを持っているというわけじゃ……」
寧ろ、何も持っていない。
空っぽだからこそ、アジナは勇者聖剣養成学校に入学したのだから。
各々、思う所があるのだろう。ルービスは眉間に皺を寄せて悩乱し、セバスは腕を組んで目を瞑る。流石に不安になったアジナも、黙って返答を待つ。
「別に、どうでもいいわよ。そんなこと」
意外にも、静寂を断ち切ったのはファナだった。
振り向いたアジナたちの視線を物ともせず、彼女は再びこう告げる。
「あんたが何を持っていようが、持っていなかろうが、関係ないわ」
それは、どれに対しての言葉なのか。
私には関係ないのか。それとも、【スフィリア】の住人であることに関係ないのか。
言うだけ言って、ファナは食事を再開する。落ち着いた様子でグラスを傾ける彼女の姿は、この話題に対する明らかな"無関心"を示している。そんな態度を見てしまえば、真剣になっている自分たちの方が馬鹿に思えてきた。
「……そうだな。どうでもいい、か」
自らに言い聞かせるよう、ルービスが呟く。
吹っ切れたようなその顔で、彼はアジナを一瞥。迷いのない眼光は、アジナの内側に巣食う不安を瞬く間に消し飛ばした。
「既にアジナは【スフィリア】の一員。誰がどう言おうが、お前は俺たちの仲間だ!」
力強く注げるルービスに、アジナは言葉を失った。
驚きと嬉しさ。そして、それをはっきり告げる意味への疑問。まだ悩ましげな顔を浮かべるアジナだが、ルービスは既に気を取り直している。一転したこの場の雰囲気で、アジナは不安を吐き出すことができなかった。
「そら、もっと食えよアジナ!」
「うわっ、ちょっと待った! 無理矢理は流石に――!?」
骨付き肉を力づくでアジナの口に突っ込もうとするルービス。
アジナはそれに抵抗している内に、自然と笑顔を取り戻していた。傍から見守っていたファナは、相も変わらず一人で食事を楽しんでいる。彼女の眼前で積み上げられた皿の量はちょっと洒落にならないくらいの多さだ。
「――ええぃ! 上等だぁ!!」
差し出された肉を勢い良く噛み千切り、アジナは頬を膨らませる。脂の乗った肉は柔らかい歯応えと、旨味の篭った汁を口内に溢れさせた。
「よっしゃもう一本プリーズ!」
「ははは! いいねそうこなくっちゃ! って、あっ!? お前それ俺の――」
「ごちになります」
「よかろう。それが最後の晩餐だ」
ルービスがアジナの頭を両の拳で締め付け、アジナは唸る。
胸に巣食う不安は既にない。悩んでも意味のないことならば、早々に切り捨てるに限る。重荷を下ろした今のアジナは純粋に、この瞬間を楽しんでいた。
「これから大変になるなぁ……」
中空を眺め、ルービスが小さく漏らす。
「何が?」
「色々だよ。色々」
妙に優しげな顔で、ルービスはアジナを見た。
擽ったいという感情よりも、気味が悪いと思ってしまったのはきっとアジナのせいではないだろう。慈愛というものは、得てして同姓から与えられるものではない。
「さて、さっさと全部食っちまうか!」
ルービスの掛け声に、アジナは声高らかに同意した。