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第4話  -スケッチブックの聖剣は-

 王都ベルエナは、ジルヴァーニ王国の中でも比較的治安が良好である……と、思われがちだが、実際はそうではない。突出して無法者どもが巣食っているわけではないが、王都の複雑な地形は彼らのような狡猾な者には絶好の地の利となるのも事実だ。

 加えて、守りが堅牢であればある程、その先にあるのは一際高価なものであるというお決まりは共通。貴族たちも度々観光に訪れる王都には、露店や公共施設に値の張る代物が置いてあることが多く、それを狙ってやって来る輩がいるのも確かである。


 しかし、世に言う"悪漢"とは一概に盗人を指す言葉ではない。

 悪巧みという点では同じだが、悪漢は種類によってその目当てが変わってくる。金を目的に高価な宝を欲す者。訳あってとある物品を求める者。頭の軽い馬鹿を金蔓にしたい者。私怨を満たすために暴挙を振るうつもりの者。数を挙げればキリがないが、その舞台を王都ベルエナに限定すれば幾分か推測は容易になるだろう。飛び切り治安が良好ではないとは言え、犯罪に適した都市なんて探せば幾らでも見つかるのだ。そんな王国の中で敢えて王都で悪事を働く理由を、想定してみればいい。


 この都市にあって他の都市にないのは、豪華絢爛な部分だ。

 そして、ベルエナが王国随一の華やかさを誇るのは、何も街の景観や流通する商品の質だけではない。街を活気で彩るには、どうしても不可欠な要素がある。

 そう、例えば――王都の名に恥じぬよう着飾った見目麗しい乙女たち。


「なぁお嬢ちゃん、良いだろう少しくらい?」


 悪漢である彼らは、そのような乙女たちを標的に街を彷徨いていた。

 念には念を入れて逃亡経路を確立し、できるだけ目立たないように場所を考えて、そして警戒心の少ない年齢層に獲物を定めて、彼らは用意周到に行動していた。


「この、――離しなさいよッ!!」


 少女が叫ぶ。女性にしてはやや短めであるその黒髪を揺らしに揺らし、全身に冷や汗を浮かばせながら彼女は抵抗を見せつけていた。しかし、同世代の中でも背の低い方である少女の力は男のそれを凌駕することなく、彼女はあっさりと二の腕を掴まれた。

 強引に振り解こうとすれば、男の腕を掴む力が途端に強くなる。ギリギリと締め付けられる感覚に少女は顔を歪めるが、決して弱音は吐かなかった。

 片腕に抱いたスケッチブックを落とさないよう、蹲りながら男を睥睨する。男は鼻ピアスを指で弄りながら、その少女を強引に自身へと引き寄せた。


 口だけの反抗となった少女に、三人の悪漢は下卑た面で笑う。

 男たちにとって、待ちに待った獲物だった。標的として想像していたものと比べれば多少体格が小さいが、想像していたよりもずっと簡単なことでもあった。

 警戒心はあったものの、こうして無理矢理押さえ込んでしまえば何も問題はない。

 内心では安堵に胸を撫で下ろし、男たちはもう一人の獲物も品定めする。


「くっ……!?」


 その少女は銀の髪を揺らし、攻撃的な目で男たちを睨んでいた。

 余裕綽々な様子で近づいて来る短髪の男に一矢報いる決意を灯すが、眼前で捕まった友人の姿に動きを止める。それを純粋な恐怖と勘違いしたのか、男は支配欲に満たされながら銀髪の少女の手首を掴んだ。ゾワリ、と少女の肌が粟立つ。


「サイカっ!?」


 黒髪の少女の抵抗が一層激しくなる。

 だが、友を救うためならばどうとでもなれと言わんばかりの暴れっぷりは男の舌打ちを誘うことには成功したが、それ以上にはならなかった。


「何だかんだ言って期待してたんだろ? こんな怪しげな道を通るくらいだしなぁ」

「ち、近道なだけよ!」

「またまたぁ」


 勿論それは男だって知っているが、これは問答が目的の言葉ではなかった。

 恐怖に染まるうら若き乙女たちの顔に愉悦を感じてしまう、捻れ曲がった男の趣味だ。前戯を楽しみ舌なめずりする男に、サイカと呼ばれた少女の瞳が細くなる。


 男たちの獲物である二人の少女は、世間一般で言う「美少女」の類であった。

 身に纏う服装こそ王都ならばどこでも見かけるようなものだが、衣服では誤魔化しきれない気品というものが漂っている。目鼻立ちはどちらも整っており、黒髪の少女は後三、四年もすれば紛れも無く絶世の美女になるだろうし、もう片方の少女に至っては既にすれ違う者の十人中十人を振り向かせる程の容姿を持っていた。長い間、王都で好き放題している男たちだが、今回の獲物はいわゆる上玉で間違いないと確信する。


 この年頃で、手ぶらで。しかも同世代二人で出歩くという事実。辿った経路からして、ただの観光客では持ち得ない土地勘があるのも明白だ。とすれば、彼女たちが王都に滞在する理由は二つ。大人たちの事情によるものか、王都の教育機関に在籍しているか。どちらにせよ共通しているのは、こういった曲事に不慣れであること。そして、二人が比較的、質の高い人間であるということ。

 才能か血統のどちらかが優れてる彼女たちは、親やその他の大人たちに蝶よ花よと育てられた可能性が高い。例外を除けば、こういった荒事には弱い筈だ。


 片や、背は低く声も行動も幼子のそれに近いが、どこか凡人外れした空気と、瞳の奥底に深い知性を宿す黒髪の少女。片や、色白で華奢な体躯をしているにも関わらず、抜身の刃のような鋭い佇まいを感じさせる銀髪の少女。成る程、見るからに凡夫とは無縁の才気を発している二人だ。特に後者の銀髪の少女は、先程から首筋をチリチリと焼きつかせるような殺気を放っている。


 男の内、一人がその殺気を克明に感じ取っていた。そして思い違いを僅かに懸念するが、仲間二人の面構えを見て口には出すのは止める。自分たちが優位に立っていることを改めて確認した彼は、やはり仲間と同様に嫌ったらしい笑みを浮かべた。


 よもや、勇者ではあるまい。

 彼らは今日も世界を救うために忙しい筈だ。どうせ今この瞬間も、学校で鍛錬に勤しんでいる。だからこんなところをほっつき回る勇者なんて、滅多にいない。男たちはそれを、綿密な調査で把握している。


「ところでさっきから気になってんだけど、これ何?」

「あっ!?」


 黒髪の少女の腕を掴んでいた鼻ピアスの男が、もう片方の腕で少女の持つスケッチブックに触れた。少女の驚きも束の間、次の瞬間には為す術もなく奪われる。


「おぉ、中々巧いじゃねぇか。画家志望か?」


 素人目から見てもわかる精巧な絵に、男はこの場にそぐわない態度で感嘆した。

 真っ白な紙に描かれる絵の一枚一枚を、呑気に眺める。その視界の片隅に、持ち主の悔しげな表情を収めていると一層魅力が引き立つような気がした。腕を伸ばしてスケッチブックを取り返そうとするも、少女の腕は届かない。


「あぁん?」


 乱暴に捲られていくスケッチブックの、あるページを見た瞬間、男が顔を顰める。元より男の声など聞いていない黒髪の少女は再三スケッチブックを取り返そうとするが、その際に自然と視線が開かれたページへ向き……表情を、一転させる。


「なあ嬢ちゃん、こりゃ純粋な好奇心だがよ……何だこの、気持ち悪い絵は?」


 その言葉が、彼女たちの何かに亀裂を走らせた。

 気持ち悪いと罵倒された自身の絵を見上げる黒髪の少女は、溢れんばかりの憤怒に歯を噛み締める。反対に、サイカと呼ばれた銀髪の少女は男の言葉を聞いた直後、まるで糸の切れた人形のように抵抗を止めた。代わりに全身を震わせながら、頭を伏せる。


「形からして武器……剣か? にしても醜悪だな」


 禍々しいというか、忌々しいというか。ともかく、男はこの絵に対してとことん否定的だった。傍にいる仲間二人も口々に似たような感想を漏らす。


「おうおう、怖かったな。大丈夫、俺っちが守ってやるからよ」


 銀髪の下にある青褪めた表情に、男が調子に乗り出した。そっと抱き寄せても一切抵抗することのない彼女は、先程までの殺気を完全に霧散させている。


「嬢ちゃん、モデルは選んだ方がいいぜ? なんなら俺の裸体でも――」

「私は……」

「あん?」


 気分よく話していたところを妨げられたからか、鼻ピアスの男が如何にも柄の悪そうな声色を出す。スケッチブックを奪われた少女は瞳を涙で潤わせながらも、その小さな体躯からは想像できない程の声量で男に怒鳴った。


「私はそれを、美しいと、綺麗なものだと思って描いたのよ! あんた達に……何も知らないあんた達に、とやかく言われる筋合いはない!」


 路地裏に怒号が響いた。悲鳴とはかけ離れた、聞く者の鼓膜を揺るがせる声を、少女は喉から絞りだす。肺に溜まった酸素の全てを駆使したのだろう、言い切った彼女は激しい息切れを起こし、頼りなく倒れてしまった。ただ、その目だけは力強く男を……否、男の持つスケッチブックを見据えている。


「そうだなぁ。確かに、俺たち何も知らないからさ……よければ教えてくれる? 何から何まで、隅々と?」


 何かが彼女の琴線に触れたのだ。だがそれを理解したところで、悪漢の行いが止まる理由にはならない。同情する心を持ち合わせていれば、そもそも悪漢ではないのだから。

 恐怖が消え、怒り一色になった少女の頬に男が手を添える。


「そ、そこまでだぁぁぁぁーーー!!!」


 黒髪の少女が悔しさのあまり唇から血を垂らしたその時、威勢の良い声が……しかし冷静に聞き取ってみれば終始震えている声が、路地裏の先から聞こえてきた。


 ドタドタと大きな音を立てて走って来たのは、少女たちと同じ年頃くらいの少年だった。所々が跳ねた灰色の髪に、一重瞼の黒い瞳。極々平凡な、これといって特筆すべき点のない容姿をしている。服装も王都では若干浮いてしまうような質素なものであり、唯一、首に下げている銀色のネックレスだけはこの街の住人でも素直に美しいと述べる逸品だった。とは言え垢抜けていないその表情は、田舎者のそれだ。いわゆる「おのぼり」である少年には、お世辞にもネックレスが似合っているとは言い難い。

 おまけに、こんな物騒な場面に堂々と立ち入って来た割に、背丈は平均的で、やや線の細い体型である。あまり筋肉がついているようには見えない。正直に言ってしまえば、どこかなよっとしている弱々しい少年だった。


「お前たち、男がよってたかって何をして――ゴホッ!? ちょ、タンマ!」


 台詞の途中で咳き込んだ少年は、掌を男たちに向けて停戦を主張し、胸を叩き始める。

 額に汗を滲ませ、既に疲労困憊の様子を見せる少年に、その場にいる他の者たちは呆然とした。散々場を掻き乱されたことに些か興を削がれた男たちは苛立ちを露わにし、代表として短髪の男が眉間を揉みながら少年に告げる。


「あー……今良い所だから、坊主。お前帰れや」

「こ、断る!」


 さながら、子犬が恐怖に震えながらも立ち向かおうとしている風だった。

 どう考えても場違いな少年だ。男児たるもの英雄願望があるのは何らおかしくないが、分不相応という理屈が世の中にはある。囚われのお姫様を救うには、もう少し男らしい逞しさが必要なところだった。


「これでも僕は勇者なんだ、こんなところで逃げるわけにはいかない!」


 勇者であることに誇りを持つと同時に、勇者という名誉に傷をつけたくない。

 膝は笑っているし腰は引けているが、少年には少年なりの覚悟があった。口に出すことで意思を固めた少年は、三人の男を一度に視界に入れる。


「……ちょっと待て。お前、勇者だと?」


 いよいよ交戦か――口を開く鼻ピアスの男に少年は身構えるも、男たちの様子がおかしいことに気がついた。妙に曇った表情で、彼らは少年をまじまじと見つめている。

 勇者であるという告白は、男たちに焦燥を生んでいた。


 当然である。

 勇者と呼ばれる人種は、他とは一線を画する能力を持つことで有名なのだ。

 魔王を倒した英雄の遺伝子を受け継ぐ彼らは、他の人種と比べて潜在能力が高い。しかも方向性すら無限大の可能性を秘めており、商人であろうが、或いは鍛冶職人であろうが、必ず並外れた成果を生み出すことが保障されている。


 万事に秀でる才を持つ勇者を相手に、真正面から立ち向かうなど蛮行も良い所。勇者と喧嘩できるのは勇者だけだ。体格に恵まれている程度の男たちが、適う対手ではない。

 例えそれが目の前の小動物のような少年であろうと、同じこと。生物的に強者の位置に属しているのだ、理屈にならない格差が男たちと少年の間にはある。


「何だよ、ちゃんと紋章だってあるぞ」


 無言を疑念だと判断した少年は、男たちに背中を向けて、服の左肩の部分を摺り下げた。引っ張られた生地の奥に見えるのは、薄赤色の刺青。歯車と、それを囲う炎のような模様が刻まれている。


勇者紋章ブレイブシール……」

「ほ、本物だ……!」


 一瞬だけ少年を尊敬の目で見る男たちだが、次の瞬間には現状を再認識。今、自分たちが敵対している者の正体に顔面蒼白し、狼狽を露わにする。

 形勢逆転。あくまで心理的なものではあるが、男たちは既に戦意を喪失していた。当の本人である少年は、何が起こったのかわからず首を傾げている。怯える自分を鼓舞しただけのつもりが、自覚のないところで大きな効果を発揮していたらしい。


「サ、サイン下さ――」

「馬鹿言ってんじゃねぇ、ずらかるぞ!」


 状況が劣勢であると考えた男たちは、一目散に路地裏を後にした。去り際に舌打ちをかます男も、清々しいほどの逃亡っぷりを見せる。


「……あれ?」


 姿を完全に消した男たちに、少年は疑問の声を上げた。

 殴り合い覚悟で挑んだ少年にとっては拍子抜けな結果だが、何にせよ誰も傷つかなくて良かった、と前向きに考える。


「あ、あの……」


 黒髪の少女が、少年に向かっておずおずと声を掛ける。

 間抜けが終幕となってしまったが、彼女たちにとって少年は恩人。悪漢により心傷を抉られた友人に代わり、伝えるべき感謝を口にしようと少女は前に出る。


「た、助けてくれて、ありがとう」

「ああ、いや。えーっと、大丈夫だった? 僕、結局何もしてないけど」


 そう言いながら、少年はふと足元を見た。

 見ればそこには一冊のスケッチブックが置いている。持ち主は二人の少女のどちらかだろう。少年は純粋な親切心でスケッチブックを拾った。


「ん?」


 目の前の少女が小さく「あっ」と声を漏らすが、時既に遅し。

 身を屈めた少年は、そのままスケッチブックの開かれていたページを眺める。そこに描かれた一つの絵に口を閉ざし、やがてゆっくりと腰を上げた。


「見たところ、武器のようだけど……」


 どんなものであれ、品を持つ代物を被写体にする画家は多い。

 置物、景色、或いは人物。いずれも被写体に成り得る条件は、絵として描くに値する価値があるということだ。思い入れなどを考慮すれば基準は人によって違ってくるが、世にある多数の絵画はそういった個々の感情を抜きにしても見物客に認められるよう、なるべく万人が価値を認めやすいものを題材としている。


 ともすれば、少年の覗くその絵は歪であった。

 黒々と、禍々しさすら感じさせる。加えてその武器は本来有り得ないような姿をしており、非現実的な感性が一層歪みを引き立てる。しかしどういうわけか、その絵は非常に繊細に描き込まれており、見ているだけで絵師の気迫が伝わるような傑作だった。


 思い入れのみで構築されたものならば納得いくが、この絵は他者に見せることを目的としているように思える。要所によって濃淡や線の細さが使い分けられており、その丁寧さは被写体の造形を誇らしく思う絵師の心情を表わしていた。


 唇を噛んで目を伏せる黒髪の少女を他所に、少年は食い入るように絵を見ていた。

 心ここにあらずといった様子で、少年はポツリと言う。


「もしかしてこれ、聖剣……?」


 黒髪の少女が、驚きに息を呑む。

 その絵を見て僅かばかりの少年が、よもや言い当てるとは全く予想していなかったのだ。だが、先程の悪漢とのやり取りが少女の頭に蘇る。


「だったら、何?」


 どうせ、この男も口汚く罵るに違いない。

 少女の経験がそう語る。先程の悪漢だけにあらず、この絵は誰かに称賛されたことがなかった。別にそれはどうでも良い。少女がこの絵を描いたのは、とある友人の目を覚ますためだ。だからその友人以外の評価は気にする必要がない。

 少女が怒っているのは、その友人の目の前で、この絵を罵倒されることだ。


 拳を握り怒りに震える黒髪の少女と、スケッチブックを拾われてからは更に怯えた様子を見せる銀髪の少女。少年はしかし、彼女たちを一切視界に入れることなく、そこに描かれた絵を穴が空くほど見つめて――。


「そうか、どうりで綺麗だと思った」


 本当に予想外の一言を向けられた時、人は脳の機能を停止するらしい。

 スケッチブックの持ち主である少女は十数秒遅れて「へ?」と間抜けな声で反応し、少し離れたところでは銀髪の少女が瞳孔を開いて少年を凝視する。


 そこで、少女たちは漸く気づいた。

 少年の目が、まるで玩具を見つけた時の子供のようであることに。


「凄い、何だこれ。図鑑には載ってなかったし、どの系統とも似通ってない。特にこの、反りのある片刃の形状。こんなの見たことないぞ……!」


 興奮に両頬を紅潮させ、唇を釣り上げる。爛々と輝いた瞳で、少年は絵を眺めた。

 スケッチブックを両手に持ちながら右に左にとふらふらしながら「おお!」やら「格好良い!」など感想を述べる。そんな彼の様子に、少女たちは硬直していた。


「……あ。ご、ごめん! これ返すよ!」


 我に返った少年が、スケッチブックを閉じて少女に返す。若干名残惜しそうな顔をしていたが、戸惑う少女にはどうすることもできなかった。


「絵、巧いんだね」

「ええっと、そ、そうかな? あくまで趣味なんだけど……」

「もしかして、他にも聖剣を描いてるの?」


 少年の目の色が、真剣なそれへ変わる。

 聖剣に芸術的価値を見出す者は少なくはない。聖剣専門の画家というのは聞かないが、描けるのならば描きたいと思っている者は多いだろう。


「ううん、聖剣はそれだけ。普段はその、風景を描いてるの」


 こんな感じに……、と続けた少女は、受け取ったスケッチブックを自ら開き、適当に自分の描いた絵を見せる。見晴らしの良い場所で描いた王都の街並みや、城壁の外に広がる大草原。それと、鮮やかに彩られた、窓のような物。


「これは?」

「聖堂にあるステンドグラス。結構、気に入ってて……」


 たはは、と小恥ずかしそうに頬を掻く少女。

 朗らかに崩れた彼女の表情にはもう、先程のような恐怖や怒りが滲んでいない。


「へぇ。僕もこの後聖堂に行く予定なんだけど、許可とかって必要なのかな?」

「うーん、特に問題なかったと思う。ただの信徒が言うのも何だけど、歓迎するよ」

「確か、テレッサ教だっけ。二人はそこの信徒なんだ?」

「私はそうだけど、こっちの……」


 他愛のない会話を続けている内に、話題がもう一人の銀髪の少女に向けられた。

 他人事のように会話する二人をぼーっと眺めていた彼女は、ふと自分が見られていることに気づき、銀髪の内側で赤紫の瞳を泳がせる。


「え、ええと、サイカ・フェイリスタンよ。その、よろしくお願いします……?」


 動揺した彼女の言葉に、二人は思わず吹き出した。話を聞いていなかったみたいだ。

 途端に笑い出す二人におろおろと狼狽するサイカ。そんな彼女を暫し笑いの種にした後、気を取り直して少年は口を開く。


「そう言えば、まだ自己紹介してなかったね。僕はアジナ・ウェムクリア」

「私はユリス・リーミア。さっきは助けてくれてありがとう」


 再度礼を言うユリスに、アジナは前よりも親しげに「どういたしまして」と返す。


「それで、サイカは信徒じゃないの。私に付き合ってくれてるだけで」

「そっか、二人は仲良いんだね」

「だって親友だもん」


 彼女たちの友情に暖かな気持ちを抱きながら、アジナは路地裏の先を見た。

 アジナがやって来た場所とは逆の方角。即ち、これから向かうと言う聖堂の方向だ。


「それじゃ、僕はこの辺で」

「あの。もし時間があれば、何かお礼でも……」

「気持ちは嬉しいけど、ごめん。今回は遠慮しとくよ」

「あ、じゃあ、また今度聖堂に来てよ。私たちいつもはそこにいるから。それで次に会う時は、何かお礼でもさせて頂戴」

「うん、それなら大丈夫。気が向いたらまた行くね」


 アジナはユリスに別れを告げた後、サイカの方にも顔を向ける。

 すると、彼女と目が合った。一瞬で逸らされたが、その反応からして気のせいではない。どういうわけかは知らないが、彼女はアジナの顔をずっと眺めていたのだろう。

 少々疑問に思いながらもユリスと同じように別れの挨拶を済ませ、アジナは去る。


 小さな足音もやがては消え、路地裏に静寂が訪れる。

 アジナの去った方向を心ここにあらずといった様子で眺めるサイカに、ユリスは笑いを堪えながら切り出した。


「もー! サイカったら動揺しすぎ!」

「し、仕方ないじゃない。だって、その……あんなの初めてなんだから」


 恍惚とした表情で、サイカは数刻前の出来事を思い出す。

 悪漢に襲われたことではない。彼女にとって衝撃的だったのは、寧ろその後のことだ。


「あーあー、顔真っ赤にしちゃって。サイカって意外と乙女だもんねー」

「……私はれっきとした乙女よ」


 一部では無表情、無感情で名の知れているサイカだ。乙女と言えど、ユリスの言う通り今のサイカが「珍しい」状態であるのは間違いない。


「ねぇ、サイカ」

「……何よ」

「あの人。サイカのこと、綺麗だって言ってたね」


 耳まで真っ赤になるサイカにユリスは堪えきれず、またしても吹き出す。

 王都の路地裏に、彼女の笑い声が木霊した。


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