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第1話  -旅立ちの日-

 払暁の空の元、それは盛大に行われていた。

 緑豊かな環境と閑散とした雰囲気が売りである此処、アリディール村の朝は早い。村全体が共同で行っている酪農に始まり、各家庭が今日の生活を豊かにするための行動を開始する。水汲みだったり、狩りだったりと、その多くが力仕事だ。


 しかし今回は違う。

 村人たちが今日朝早く起きたのは、普段通りの仕事をこなすためではない。いや、勿論後でそれはしなくてはならないのだが、ともあれ彼らには全く別の目的があった。

 それは、門出の祝い。とある一人の少年が、この村を去るのを見送ることだ。


「今まで――お世話になりましたっ!!」


 対面する村人たちに、少年――アジナ・ウェムクリアは深々と頭を下げる。

 視界一杯に地面を収めていると、目頭から頬に熱い液体が垂れていった。慌てて顔を上げるが、滴ってしまった涙は隠し切れない。村人の一人がそれを指摘すれば、どっと笑い声が湧く。口を開き、腰に手を当てて笑うその姿は……どこか切なく見えた。


 泣いているのは自分だけか、とアジナは内心で苦笑する。

 涙ぐんだ瞳で、長い月日を過ごしてきた村の全貌を見据え、そして村人たち一人ひとりの顔を確かめる。口元に手を添えて笑う老夫婦、豪快に声を発する中年の男性、風に靡く髪を掻き上げる若い女性。中にはまだ小さな子供もいた。


 もしかして、村人全員がここに集まっているのだろうか。

 そんな風に思ってしまうと、またしてもアジナの内側からとてつもない感情の激流が迸る。思い出を糧に無限の感謝と感動が押し寄せ、滂沱の涙となって流れ出す。


「泣き過ぎだ」

「くそ、こんな筈じゃなかったんだけど……」


 村人の一人にそう言われ、アジナは手の甲で涙を拭う。

 年の頃は十五。この年代になって大泣きとは情けない話だが、それでも止まらない。

 これから出向くのは、王都と呼ばれる国一番の大都会だ。村人、いや国民全体にとって憧れの場所であるそこは、アリディール村からそれなりの距離がある。

 今回だって、足を用意するのにかなりの時間を要した。

 ここで去れば、暫くは会いたくても会えない。


「身体、弱いんだから気をつけろよ?」

「だからそれは昔の話だってば。今はもう、大丈夫だよ」

「なぁーにが大丈夫だ。散々ぶっ倒れやがったくせに」


 荒々しく頭を撫でられるも、アジナは笑いながら腕を払い除ける。

 ほら見ろ大丈夫だろ? と言わんばかりの顔で応酬して見せるが、直後に足を滑らせた。咄嗟に体勢を立て直し転倒は回避するも、背負っていた風呂敷は激しく地面に打ち付けられる。衝撃によって広げられた風呂敷の中からは、大量の書物が溢れ出た。


「……おい。何だその荷物は」

「あ、いや、えっと……」


 無数の視線で射抜かれ、アジナは萎縮する。

 風呂敷から飛び出した荷物は本と、本と、本。事前に村人たちが餞別として着替えやら食べ物やらを渡した筈だが、そういった類の物は一切入っていない。

 これはおかしい。アジナの荷造りに協力していた村人たちは、怪訝な視線を注ぐ。


「俺の渡したナイフはどこにやった」

「その……い、家にあります。荷物、入らなかったんで」


 ふぅ、と息が吐かれた。

 腕を組む村人たちはそこで言葉を切り、散らばった書物を見る。赤や青、黄や緑、など様々な色の表紙があるが、全ての本に関して僅か一点だけ共通する部分がある。それらの表紙の中央、つまりはタイトルの部分に『聖剣』と記されていることだ。


「――確保!」


 瞬間、アジナは自ら転ぶように低空を跳んだ。

 そして、一冊でも多くの本を抱え込もうとする。だが、二冊目の本に伸びる腕を村人に掴まれると同時、アジナは身体ごと持ち上げられてしまった。

 あっという間に複数の村人に包囲され身動きが取れなくなるアジナ。

 村人たちも、アジナのこういった所業を警戒して予め準備していたのだ。


「ちくしょう、離せ!」

「誰が離すかこの恩知らず! 人の贈り物より自分の趣味を優先しやがって!」

「趣味なんかと一緒にするな! これは僕の、愛だ!」

「うるせぇ! せめてまずは着替えを入れろ! この本は没収だ!」

「ああっ、僕の聖剣大図鑑が!!?」


 散らばった本の全てと風呂敷を回収した村人は、すぐにアジナの家へ突入した。

 足止めを食らったアジナは必死に抵抗するも、時既に遅し。ガチャリ、と鍵を掛けられる音を聞いて、力なく地面に膝をついた。心なしか、その表情は先程の村人たちに向けたものよりも一層悲しそうな気がする。


「本当に、アジナは昔から変わらないな」


 誰よりも聞き慣れた、優しげな男性の声。

 振り返って確かめるまでもない。ポン、と肩に置かれた手の温もりを心地良いと感じながら、アジナは口を開いた。


「一途と言って欲しいね、父さん」


 立ち上がり踵を返せば、そこには村人の中でも、アジナにとって一番近しい存在たちが立っていた。父と、母と、そして妹の三人だ。


「はは、そうだね。まさか十年も続くとは思わなかったよ。……どうせ王都に出向くんだ、次に家に帰ってくる時は聖剣の一人や二人、幾らでも連れて来なさい」

「任せてよ。百人くらい連れて帰るから」

「いや、随分と桁が飛んだね……」


 何ともまあ下らない会話をしている、という自覚はある。

 しかしこれが、アジナと父の間ではいつも通りの会話だった。家族だからこそ、今更別れの言葉なんて必要ない。互いの気持ちなんてもうずっと前から理解しているのだ。


「さて。唐突で悪いけど、アジナに渡したいものがあるんだ」

「渡したいもの?」


 王都出立に向けての祝い品は、ひと通り貰い受けた後だ。

 アジナは父が何を用意しているのか心当たりを持たず、首を傾げた。そんなアジナの様子に優しげな表情を浮かべる父は、ポケットから一枚の封筒を取り出す。


「十年前。アジナを届けてくれたあの人が、一緒に渡してくれたものだ」


 アリディール村には似つかわしくない、上等な白封筒。

 受け取ったそれの封を開き、中に入っていた一枚の羊皮紙を手に取る。そこには、見たことのない達筆で、次のような言葉が記されていた。


「指定学生寮推薦状?」


 それは、アジナが王都に向かった先に待つ、新生活に関わることだった。

 連ねられた言葉を見るだけで、大凡の意味は理解できる。だがしかし、それゆえに、アジナはこれを問わずにはいられなかった。


「ちょ、ちょっと待ってよ。僕がこの学校に行くことを決めたのって、あの事件から何日も過ぎた後だよ? これじゃあまるで……」


 初めから、僕がこの学校に通うことを知っていたかのようだ。

 狼狽するアジナに、父は含みのある笑みを浮かべる。その疑問は最もだが、その答えは彼にもわからないのだろう。緩やかに唇を開く父に、アジナは口を閉ざした。


「言伝も預かっている。もしも今後、アジナがその学校に通うことがあれば、迷わずそれを活用して欲しいとのことだ。学校長に渡せば良いらしいよ」

「その言伝は……」


 言わずともわかる。

 父に言伝を預けた彼女の存在は、アジナの中でとてつもなく大きい。彼女に示された道ならば、一寸の疑いもなくそれに従おう。


「恩人の言葉だ。ちゃんと考えて、行動しなさい」

「……うん。ありがとう」


 受け取った推薦状とやらを再び封筒に戻し、それを丁寧にポケットへ収納する。

 これで本当に、伝えたいことがなくなったのか。父は口を閉ざす。


「アジナ、これを持って行きなさい」


 父が一歩下がり、すれ違って前に出た母はアジナに長方形の箱を渡す。

 薄布の袋の中からは鼻腔を擽る香りが漂っていた。顔を近づけて嗅ぎ、大好物の臭いをいち早く察知したアジナは、手渡されたものが弁当であると理解する。


「ありがとう。向こうに着くまでに食べるよ」


 母の瞳に水分が溜まった。ああ、拙い、貰い泣きする……そう思ったアジナだが、唐突に響いた何かの割れる音に、ビクリと身体を震わせる。涙も悲しみも全て引っ込み、音のした方向を振り返ってみれば……そこはアジナとその家族の家だった。


 額に青筋を立てた父親が、強引に自らの家の戸を叩く。一瞬だけ開かれた扉の先に見えたものは、先程アジナの風呂敷を奪い、本人の代わりに荷造りをしている村人たちの「やってしまった」とでも言いたげな真っ青な顔だった。大方、父の大事にしている骨董品でも割ってしまったのだろう。村人たちのあの表情は過去に何度か見ている。


 父の怒声が聞こえ、母が肩を落として溜息を吐く。

 普段通りの気の抜けたやり取りに、アジナと母は顔を見合わせて苦笑した。


「……絶対に、間違ってます」


 その時、ポツリと、今の今まで黙っていた妹が声を発した。

 喧騒の近くであることと相まって、呟きはアジナと母にしか聞こえなかった。けれどそれは確かな意思表明であり、二人は黙して妹の様子を伺う。


「だって、おかしいじゃないですか。聖剣は、武器……所詮、物なんですよ? 憧れるならまだしも、それに惚れているなんて……絶対に、間違ってます!」


 怒声となって、漸く村人たちの耳にも妹の声が届く。

 これもまた、普段通りのやり取りだった。人の身でありながら聖剣に惚れているアジナと、それを頑なに許容しようとしない妹の水掛け論。村人たちは彼らから一歩距離を置き、次に来るであろう大論争に巻き込まれないよう影を薄める。


 今でこそ懐かしい思い出だが、アジナが聖剣に惚れていることが発覚した当初は、村人の殆どが妹と同じことをアジナに言っていた。傍から考えればどちらが異質なのかは火を見るよりも明らかだし、その件については村人たちも未だに納得していない。

 しかし、アジナの主張はこの十年間、一瞬足りとも曲がらなかった。

 ただ一途に、一心に、それこそ全てを捧げる勢いで聖剣を愛するアジナに、説得の余地がないと察するや否や、村人たちが折れていったのだ。


 だが、実の妹である彼女だけは決して折れない。

 とは言えこんな時にまで言い争わなくとも、とすっかり野次馬と化した村人たちは思う。しかし、妹の次の言葉は、彼らやアジナにとっても予想外のものだった。


「認めません……私は絶対に、認めませんから……!」


 言い争いは、そこで終わる。

 もうそれを続ける時間がないのだ。拍子抜けすると同時、表しにくい寂しさが胸を掻き毟る。妹の、揺れ動く涙目をアジナは直視することができなかった。

 結局、アジナも妹も、互いを説得できぬまま別れを済ますことになってしまった。

 その事実が両者にとっては、酷く悔しい。


「そろそろ、時間ね」


 母が妹の両肩に手を下ろし、抱きしめるように引き寄せる。顔を隠すように下を向いた妹は、それ以降口を開くことがなかった。


「ほら、これを持ってけ」


 家の扉が開き、村人がアジナの風呂敷を放り投げる。全身で受け取ったアジナはその重量感に顔を顰めるが、風呂敷を抱える腕の感触に違和感を覚える。

 片眉を跳ねさせて村人を見れば、彼は恥ずかしそうに鼻下を指で擦っていた。


「どうせお前は何を言っても聞かんからな。……知り合いの商人に譲ってもらった最新の図鑑だ。それならちゃんと、持って行ってくれるだろ?」

「……ありがとう」


 長い別れになったが、間もなく時間切れ。

 アジナの背後では、一台の幌馬車がこちらに近づいて来るのが見えた。規則正しく風に乗って聞こえてくる蹄の音が、刻一刻と迫ってくる。


「じゃあ、行ってきます!」


 あの日から変わらない。ずっと求めてきた聖剣に、一歩でも近づくために。

 ムーフォリク大陸一の国土を誇る大国、ジルヴァーニ王国。その中心と言っても過言ではない王都ベルエナの、更に一際有名な、とある教育機関へとアジナは向かう。

 かつて魔王を滅ぼした勇者と聖剣の後を継ぐ、次世代の勇者と聖剣を導く学舎へ。

 勇者と聖剣のためだけに存在する、勇者聖剣養成学校『ゼリアス』へと――。







2014/10/9:修正しました。

指定学生寮推薦状の件です。

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