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第0話  -煉獄の女神-

 










 ――惚れた。


 轟々と燃え盛る炎に囲まれて、少年はそう思った。

 灼熱の業火が地を舐める。生命の彩り溢れる緑一面の大草原だった筈が、今では見る影もない焼け野原だ。芝という衣を剥がれ、裸を晒す土の地面は硬く、冷たい。汗と砂に塗れた少年は全身をそこに横たわらせるも、首だけは懸命に上を向こうとしていた。


 もう駄目かと思った。

 自分もこの、踊り狂う炎に喰い尽くされるのだと諦観していた。

 紛れも無い死を前にして、少年は瞳を閉じ、額にざらざらとした砂粒を感じながらその時を待っていた。だが、いつまで経っても身体の焼け溶ける気配がしない。肌、或いは感覚が麻痺したのか。身体は熱に蝕まれることなく、何故か生きながらえていた。

 そうして、少年は己の死が訪れないことに疑問を持ち、恐る恐る頭を上げて――。


 ――惚れた。


 灰色の空の麓、艷やかな黒髪が熱気に翻る。この荒々しい煉獄のような光景には似つかわしくない容姿を持った眼前の女性は、少年の顔をみるなり微笑した。髪と同じく漆黒の外套をたなびかせ、炎の狭間を散歩道のように悠々と歩いて近づいてくる。

 捻れ折れ曲がった木々が炭へと化す音と、身体の奥底から聞こえてくる激しい鼓動の音。それら二つが混在し、少年の脳味噌は二重の意味で熱に苦しんだ。


「もう大丈夫だ、安心しろ」


 舞い散る火の粉すらも装飾品だと言い張るような美貌。

 堅苦しい甲冑を一切身に纏わないその姿は、どんな屈強な男よりも頼もしく見える。

 汗よりもドレスが似合う彼女のその立ち振る舞いは、凛としていて清々しい。まるでお伽話の英雄のような姿であり、そしてそれ故に、彼女の握る一振りの剣は、英雄の象徴たらんとする圧倒的な存在感と輝きを宿していた。


 英雄に鈍らの剣は無粋。

 なればこそ、その輝きは隣の女性によって一層引き立つ。


 傷一つなく、汚れ一つないその姿は武器か芸術品なのか区別がつかない。

 繊細な造りは触れるだけで手折れそうな儚さを醸し出す。だが、実際は一太刀で空を薙ぎ、一突きで大地を断割する力を持つと言う代物だ。

 白く聖なる衣を纏い、常に煌々と輝くその剣の名は――聖剣。

 勇者の血筋を引いた者にしか扱えないという、使い手が選ぶのではなく、自らが使い手を選定するという世にも奇妙な武器。だが選り好みをするだけはあって、その性能はおよそ武器と呼べる物を凌駕する域にある。伊達に魔王を滅ぼしたという逸話が語り継がれてはいない。聖剣は紛うことなき、最強の武器だ。


 少年の視線は聖剣に釘付けだった。

 世にある数多の宝石よりも美しい、その彩りに。

 周囲で紅の影を形取る爆炎よりも震え上がる、その雄大さに。

 砂嵐の吹き荒れる乾荒原に咲く一輪の華よりも揺るぎ無い、その気高さに。

 英雄ですら喉から手が出るほど欲しいと言うであろう、その強さに。

 言葉しか知らなかったその存在も、いざ目の当たりにすればその魅力が理解できる。あまりにも美しく、あまりにも猛々しい。気がつけば息すら忘れてしまいそうになるその眩さは、さながら悪魔の魅了。魂を抜かれそうになる。


 この瞬間、少年は間違いなく惚れていた。

 目の前の女性に――ではない。

 彼女の握る、一振りの聖剣に、だ。


「……すごい」


 舌足らずな、まだあどけなさを残す声色が思わず紡ぐ。

 子供の数少ない語彙力の中から、少年は精一杯の心情を吐き出した。


「きれい、かっこいい、すばらしい、うつくしい、――――ほしい」


 そして最後に、欲求をそのままぶつけてみる。

 相手が親でないことは百も承知。駄々をこねるなんて幼稚な真似だ。そのくらいは少年も理解しており、だったら他人にそれをするのは尚更たちが悪いとも理解しているが、それでも抑え切れなかった。


 だが、残念なことに、心底の願いとは裏腹に身体は持ってくれそうにない。

 茹だるような暑さの中、切に思う。どうかこれを、餓鬼の戯言などと片付けるのだけは止めてくれ。自分は本気なのだと。本気でそれを欲しているのだと、知ってくれ。

 願いが叶う叶わないの問題ではない。今の少年にとって、目の前の女性にこの思いを切り捨てられることこそが最大の屈辱に他ならなかった。

 つまるところ、少年はただ、内側で膨れ上がる感情を吐き出したかっただけ。

 そして、それを聞いて欲しかっただけ。

 黒髪の女性は少しぎこちない笑みを浮かべて、口を開いた。


「大層私の聖剣を気に入ってくれたようだが、生憎これは――」


 その続きは何だったのか。

 ただ、黒髪の女性は少年の肩口を見て息を呑んだ。何度も何度も転びながら走り続けた少年の全身は、浅い火傷に覆われており、服も所々が焦げ破れている。

 彼女は露出された少年の肩に、赤い筋のような線が刻まれているのを見た。

 それは、証……少年が彼女の同胞であることを示す、血統の証明だった。

 偶然と片付けるには勿体無い、これは運命だ。


「なあ少年、聖剣が欲しいか?」


 少年が持ち上げていた首から力を抜き、額を地面に打ち付けた。そしてもう一度持ち上げ、震えながら瞳で感情を訴えてくる。何が何でも手に入れてやると言わんばかりのその鋭い眼光は、瀕死の獣が放つ、貪欲なまでの執念に似た気炎を彷彿とさせた。


「では、私のお下がりで悪いが……これを授けよう」


 手に持っていた聖剣を地面に突き刺し、彼女は己の首元に手を伸ばした。

 掬い上げられる黒髪の内側から取り出されたのは、銀色のネックレスだ。

 少年は既にそれを受け取る程の力すらなくなっている。それを承知の彼女はうつ伏せになった彼の元に歩み寄り、そっとネックレスをかけてやった。


 慣れた手つきとは言い難い。元々彼女にとってそのネックレスは常に肌身離さず身に付けるものであったため、取り外しと取り付けの動作をさほどこなしていないのだ。

 程なくして、少年は首元にひんやりとした感覚を得る。


「少年も聞いたことはあるだろう? 外見ではわからないかもしれないが、今渡したのはメルクリウスと呼ばれる金属だ。通常時は何の変哲もないただの石ころだが、干渉化合物となった場合、それを身に付ければ所有者の生命の根幹ライフツリーが少しずつ削――」


『ちょっとカティナ』


 その時、先程まで寡黙を貫いていた聖剣が漸く声を出した。

 同調時特有の、頭に直接響くような声。不慣れな者はこれに酔うこともしばしばあるようだが、使い手である黒髪の女性は平然とそれを受け取った。


「待ってくれ、今良い所なんだ」

『待つのはあなたの方よ』


 彼女の悪い癖だった。

 得意なことや、興味のあることは徹底的に口に出さないと気が済まない主義。こういった者を相手にする場合、なるべく食いつかれない話題を選ぶべきなのだが、残念ながら肝心の話し相手が年端もいかない少年だ。彼を咎めることはできないし、というかどう考えても悪いのは彼女の方である。


『その子、寝てるわよ』


 しかしそんな厄介な癖を持つ彼女も、流石にこの一言で口を止めた。

 聞き役がいない会話に意味はない。口を閉ざした彼女は聖剣の一言を聞き入れ、静かに少年の身体を仰向けにした。幸せそうな顔で、規則正しく吐息を漏らしている。


『早速、あなたの渡した物が効いたみたいね』

「そのようだな」

『気は済んだでしょ。さっさと回収してここを去るわよ』


 何の気なしに聖剣が告げる。

 だが、カティナと呼ばれた聖剣の使い手は小さく首を傾げた。


「回収? 何を言っている、あれはもう彼の物だぞ」

『は?』


 愕然とした、そんな感情がありありと伝わる声色で聖剣は反応。

 怒り半分、呆れ半分といったところか。長年付き添っているだけあって、カティナの予測はほぼ的中しているが、口に出しては叱られそうなので黙っておく。


『だって、授けるって……』

「言葉の綾だ。実質あれは贈り物のつもりさ。それに、仮に言葉通り授けたとしても、こんなに早く返してもらうわけないだろう。私は鬼畜か」


 その言葉は一理あるように思える。相手の同意によって預けたものを、相手の同意なしで返してもらうのは些か自分勝手であろう。そういった約束を先に取り付けたわけでもあるまいし、ましてあれほどまでに懇願していた少年に対してとなれば、酷過ぎる。


『ならあなたは、あれを彼に持たせたままにするということ? ……ありえないわ、それそ鬼畜の所業よ。最悪、死ぬ可能性だって否定できない』


 だが、聖剣も引かない。

 それも当然、あれはただの宝石ではないのだ。カティナが少年に渡す際に、そのただならぬ由縁を説明していたが、果たしてあの少年はその本質を理解しているか。

 恐らく、否。五、六歳の子供が納得できる内容ではない。


「少年もそこまで馬鹿じゃないだろう。身の危険を感じれば自ずと取り外すさ」


 本当に、そうだろうか……。

 少年の安堵に満ちた顔が、聖剣の不安を駆り立てる。

 延々と燃え続ける光景の一部、その少年の寝顔はあまりに純粋に見えた。無邪気で、疑うことの知らない、故に言われたままを実行してしまうような。

 無茶をしてでもあのネックレスを手放さないような、そんな予感が浮かぶ。


「後は……まぁ、これは私の主観だが」


 息を溜め、彼女は続けざまにこう発す。


「あの少年の瞳。……通ずるものがあったよ、昔の私と」


 どこか懐かしむような表情で、カティナは昇り詰める煙を眺めた。

 彼女らしくない態度に、聖剣も叱咤する気が失せる。複雑な己の感情を輝きの明滅によって表現する聖剣は、それ以降何かを語ることはなかった。


「ともあれ、少年よ。それを巧く活用したまえ。そうすれば……そうだな、聖剣の十や二十、勝手に寄ってくるだろうさ」


 既に気を失った少年に言を投げかけ、カティナは聖剣を一閃。

 虚空を断ち切った斬撃は横薙ぎの爆風を生み、周囲の炎が消し飛んだ。降り注ぐ火の粉は大地に触れるより早く霞み散り、紅蓮の焔は瞬く間に消失する。


 見渡す限りの荒廃に、最早火の手は一切見えない。

 カティナは満足気に頷き、踵を返した。



序盤はあまり戦いません。

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