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知ってしまえば止められなかった。
ただの一日が眩しいほど輝く一日に思えて。
いいのだろうかと踏みとどまる気持ちは次第に消えた。
しょせん自己満足だと気づいて気持ちが楽になった。
華乃が仙道久志について知っていること。
一つは愛飲するタバコの銘柄。
一つは年齢。
そして最後に誕生日。
逆に言えば、それしか知らないけれど。
何気ない会話から零れた事実が華乃には嬉しかった。
特に年齢に関連してサラッと告げられた誕生日を知ったときなんて、心の中でガッツポーズをしてしまった。
頭のメモリがガッツリ反応して彼の声ごと焼きつけた。
華乃がどれだけ興奮したのか仙道は知っているのだろうか。
気づかれては困るのでカレンダーには何も記していない。
それでもその日が近づいてくると、いてもたってもいられなくなった。
誰かに物を贈る。
それは相手に自分のものを持ってほしいという気持ちの表れで。
どこまで踏み込んでいいのかわからず迷った。
「何がいいんだろう?」
目立たないもの。気合の入りすぎないもの。重荷にならないもの。
でも、彼が持っていてもおかしくないもの。
ライターを買った。
銀色の鈍い光を放つデュポン。ライターの高級品だ。
誕生日の2か月も前からドキドキしながら百貨店を回った。
「ちょっとありきたりだけど」
散々悩んだけれど、他に思いつくものがない。
ネクタイはスナックとかのお姉さんのようでやめた。
「ふふふ」
丁寧に包装された箱を手に取り、思わず笑みが零れる。
誕生日当日に渡せるとは思っていない。
ちょっとぐらいズレても構わない。
ただ、贈りたいだけ。
自分の贈ったものを持っていてほしいだけ。
贅沢な願いかもしれない。
距離感を踏み誤らないよう躊躇する気持ちと、ほんの少し期待する気持ち。
これぐらいなら大丈夫だよね?
「ハイ」
案の定、渡せたのは誕生日から2週間後。
差し出した小さな包みに仙道は食事をしていた手を止めた。
「お誕生日おめでとう。ちょっと遅れてるけど」
「…ああ」
手の中の箱に目を落とす。
いつもと変わらない冷静な表情の中に、わずかに困惑の色があるのがわかった。
「たいしたものじゃないんだけどね」
なんでもないのよ、そういう雰囲気を作りながら強引に押し付けた。
失敗したかも。
そんな思いが頭を駆け巡る。
踏み込みすぎた?
恋人でもないのに重かったかな。
…終わり?
せり上がってきた不安を押し隠して笑顔を作った。
「そんなにじっと見ないでよ。」
いつもと変わらない声を出すことに成功する。
「ああ」
ようやく仙道が視線を上げた。
「ありがとう」
いつもは鋭い視線が少しだけ緩んで。
少しはにかんだような笑みが浮かんでいた。
…ああ。ズルイ。そんな顔をしないで。
嬉しくて、幸せで、困ってしまう。
たったこれだけで、こんなにも簡単に舞い上がる自分をバカみたいと思いながら。
頬が緩むのを止められない。
「どういたしまして」
崩れてしまいそうな顔を隠そうと首に手を回して抱きついた。
抱きしめ返す腕の力を感じながら。
満たされていく自分がわかった。
少しだけ踏み込んだ夢がまだ続いているのか、自分ではわからなくて。
それでもあの笑みだけを抱きしめて。
私は今日も夢の続きを待っている。