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ドラマや小説みたいな恋愛に憧れる。
でも、それは実際自分の身には起こらないってわかっていた。
現実の世界では。
空想の中ではいくらでも思い描けるけれど。
そう。夢を見るぐらいならいいじゃない?
華乃は仕事が終わるとまっすぐ家に帰る。
OL生活も3年目。合コンも飲み会も買い物も飽きてきた。
会社の同僚とは深入りしない付き合いのほうがうまくいくことを学んだ。
後輩の若いパワーにはついていけない。
かといって気の置けない先輩は寿退社で着々と減っていく。
このあいだ、二次会を途中で切り上げたのもなんだかつまらなくなったから。
仲が悪いわけではない。それなりに楽しい。
仕事だって毎日きちんとこなしている。
それが華乃にとっての日常。少しだけ退屈だけど、人生こんなものだと思っていた。
今までは。
夕食後、一人で音楽を聴きながらくつろいでいると、チャイムが鳴る。
華乃はドキッとする。久しぶりに彼が来た。
ずっと待っていた。
ガチャ。
ドアの向こうにたたずむ男を見て、知らず笑顔が零れる。
「おかえりなさい」
「ああ。」
「ゴハン食べた?何か作ろうか?」
あわただしく冷蔵庫を開けながら聞く華乃に、端正なスーツの彼は薄く笑った。
「華乃」
腰掛けたソファから、低い声が華乃を呼ぶ。
それだけで華乃の身体全身に甘い痺れが広がる。
「こっちに来い」
差し出された手。
大きな、骨ばった男の手。
抱きしめる強い腕。
頬が触れている胸元から伝わる体温。
華乃は夢に堕ちた。
仙道久志。
あのとき華乃を助けてくれた男。
腰が抜けて足元がおぼつかなかった華乃を、黒い外車で送ってくれた。
気がついたらキスをしていた。
初めて交わしたキスは優しく、柔らかくて、甘くて。
一度だけでは物足りなくて。
すぐにまた欲しくなった。
玄関のドアにもたれたまま何度も何度も貪った。
それが全ての始まり。
そして、そのまま華乃の部屋で一緒に夜を過ごした。
なぜ、そんなことになったのかわからない。
華乃だって人並みに恋愛経験をつんできたけれど、
出会って1時間もしないうちにそんな関係になったことなんて、今まで一度もない。
でも、彼の引き締まった強い腕の中は温かくて心地よくて、いつまでも包まれていたかった。
たぶん、所謂まともな仕事の人ではないと思う。
纏っていた雰囲気も、仕草も、一般的なサラリーマンとは違う。
外車に乗るときも、いかにも違う筋の人たちが数人見送っていた。
仙道は何も言わない。
もともと寡黙なタイプらしい。会話を振るのはもっぱら華乃。
だけど、華乃も聞かない。
触れてはいけないような気がした。
夢から覚めてしまうと気づいていた。
それでも。
「携帯に私の番号登録していい?」
あの朝、無言で服を着て帰ろうとする仙道に、華乃は勇気を出して聞いた。
涼しい目元が一瞬細められ、その言葉の意味を確かめるように鋭い視線が投げかけられる。
「また会いたい。」
深追いをしてはいけないと頭の中で警告音が鳴っている。
世間一般でいう「恋人」になれるとは思わなかった。
仙道はもちろん、華乃にさえ愛情という感情が存在するのかもわからなかった。
それでも、言わずにはいられなかった。
一度きりに出来なかった。
あのとき差し出された手に。
あのあと柔らかく握られた手に。
あの刹那見つめられた鋭い視線に。
あの夜身体をなめらかにすべる手に。
「迷惑になるようなことはしないって約束する。
だから会いに来て。待ってる。」
それから密やかな夜が始まった。
仙道はふらりと華乃の家を訪れる。
そこに確かなものは何もない。
それでも、華乃は待っている。
乾いた日常にスルリと入り込んできた仙道久志という男を。
これは夢。
夢を見ているのだ。
その自覚はある。いつか覚める日が来ることも…感じている。
それでも、今はまだ夢を見ていたい。