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08 暗雲

 ミツは怒っていた。


 波風立った感情のままに、せかせかと足を動かす。


 背には少しずつ遠ざかっていく黄京の都があり、空は青く澄んでいる。

 緑豊かな街道のそばを流れるせせらぎにも癒やされる事はなく、しかめ面で一人歩く。


 風見はその後ろをのんびりと歩いていた。

 背丈と共に歩幅も当然、大きくなるので、ミツが五歩で進むところを風見は三歩もかけずに追いついてしまう。

 それも腹立たしい。


 実年齢は前世のミツのおよそ倍、百年以上も優に生きた天狗だ。

 千も生きると伝えられるアヤカシの中では若輩者だが、自分よりも遙かに長く現世にいるというのに、この手に負えぬ気儘ぶりは何なのだ。

 アヤカシはやはり精神的な年の取り方が違うのか。

 いや、それにしても我慢がならん。


 さきほどからそんな埒の無い問答をぐるぐると繰り返す事になった始まりは昨晩にまで遡る。


 人が集まる前にアヤカシの襲撃現場から二人は離れ、予定通り、一夜の宿を求めて、暖簾をくぐった。

 宿を探すには遅い時間だったが、幸いにもすんなり一部屋を取る事が出来た。


 ちなみに、男女で一部屋取る事の言い訳に、風見はミツの事を親戚の子だと称していた。

 男子でさえ十三で一人前と認められる時代だ。十五といえばもう嫁いでいてもおかしくは無い年頃となる。

 だが、憤懣やるかたない事に、小柄なミツはどう見繕っても、十ほどの幼子にしか外見は見えぬのだという。

 さきほどアヤカシからミツを庇った青年が、年端もいかぬ子供扱いをしたのは、そういう事であったのだ。


「どういう事じゃ、風見」


 あてがわれた部屋に入ったとたん、無邪気な子供姿を脱ぎ捨てて、ミツはぎろりと眦を険しくする。


「あれから十五年経ったという。それなのに、何故まだこんな町中にアヤカシが出るんじゃ。

 風見、どうしてその事を黙っておった?」


 昼間に都の様子を聞いても、欠片もアヤカシの話は出なかった。

 だから、愚かしくも勘違いしてしまったのだ。もうアヤカシの脅威はこの国から去ったのだと。


「ミツ様がアヤカシの事となるとそんな風に目くじら立ててしまうからですよ」


 そんなミツを軽くいなすように、風見は肩を竦めてみせる。


「…風見」

「そんな恐いお顔をせずとも、ちゃんとお話しますよ。あまり町中で不穏な話題を持ち出したくなかっただけです。

 あなたの嬉しそうな顔を曇らせたくなかっただけですよ?」


 そんな風に言われては怒る事など出来なくなってしまう。

 女の扱いに慣れた男そのもののあしらいに、ミツは軽く脱力した。


「そうですねぇ、ミツ様がこの世を去られてのち、アヤカシは驚くほど姿を見せなくなったのは本当です。

 当時も徐々にアヤカシの襲撃が減りつつあったのはご存知でしょう? おかげで都は何とか持ち直し、今日に続いています。

 昨今では、外海の向こうから外つ国よりの使者も訪れるほどですし。―――ですが」


 夜風を入れるために細く開けた障子の窓の外に視線を送り、天狗は皮肉気に片眉を持ち上げてみせる。


「この半年余りの事でしょうか。また再び、アヤカシが舞い戻ってきたのですよ。

 こうして町中にまで現れる事はありませんでしたが、今後はそれもどうなる事やら」

「アヤカシが戻ってきた…?」

「えぇ、死期の近付いた天子の代替わりが囁かれるようになってほどなくして、ね」


 その意味深な一言に息を呑み、ミツは警戒して素早く辺りに気を張り巡らせた。


「滅多な事を口にするものではないわ。…今のところ確証はなかろう」


 諫めつつもミツの表情は暗く翳る。

 薄々は感づいていたが、やはり、そうなのか。

 代々この東国を治める天子とアヤカシの間には何らかの関係性があるというのか。だとしたらそれはどんなものか。

 現人神にも喩えられる至高の存在に拭いようもない不吉な影が滲んでいる。それに気づかないミツではなかった。


「それとじゃ」


 気を取り直して、また再び、ミツは厳めしい顔つきに戻る。


「わしはお前に後を頼むと言った。それには、わしの養い子たちの面倒をみる事も含まれていた筈じゃな?」


 訊かれる事を予想がついていたのか、風見が憮然となる。


「お前は是と答えた。じゃから、わしは安心して黄泉路へ旅立つ事ができた。それについては感謝してもしきれんと思っておるよ。

 ―――だが、あれは何じゃ」


 転生して多少腕が鈍ったかもしれないが、名うての霊能力者であるミツに気配を気取らせず、簡単にアヤカシを屠ったあの力。

 あの黒髪の青年と、姿は見る事ができなかったが、もう一人。


「今宵、アヤカシを退治たのは、あの鬼子たちじゃな?」


 それは確認というよりも断定的な問いかけ。

 既にミツは確信してしまっている。


 出会った頃は、ミツの背丈ほどもない小さな子供たちだった。

 それまでの苛酷な環境が充分な成長をもたらさず、果たして不自由なく育ってくれるものか、最初は気懸かりだったものだ。


 それが今では身の丈は倍ほどはあろうかという立派な青年に成長していた。

 わずかな邂逅であったが、目に留まった青年には当時の面影など見る影も無かった。

 まるで別人のようだとも思ったが、懐かしい気配を思い返してみれば彼らは間違いなく、彼女の養い子たち以外の何者でもない。


「まったく妙な所で勘が鋭いんですから」


 遠回しに肯定した風見もミツを誤魔化せるとは思っていなかったようだ。


「まさか、この都で会うとは思っていなかったんですよ。そうと知っていれば、すぐさま別の都に連れて行ったのに」

「風見、わしが養い子たちを気にかけておるのは知っておったじゃろう? お前があの子たちと相性が悪いのはわしも知っておるが」

「そうです、私はあの身の程をわきまえぬ鬼子どもが嫌いです」


 きっぱりと言われてしまい、ミツも二の句が告げなくなる。


「か、風見?」

「己がどれほどの幸運を手にしているかにも気づかず、ミツ様の厚意に甘えてしたい放題に!

 …まぁ、他ならぬあなたの頼みですから、尻についた卵の殻が取れるまでは面倒をみてやりましたよ。仕方なくね」


 ミツが去ってから一体、何があったのだろう。

 これほどまでに冷ややかな敵意を剥き出しにするほど天狗と養い子たちとの関係が悪化していたとは。

 この分では世話をしたというその内実もろくでもないものに違いない。


 こんななりをしていても、アヤカシはアヤカシ。

 人選を誤ったかとミツは少し後悔した。


「あちらの方からもう面倒はみなくて結構と言われたんです。ですから、…十年以上、もうあの鬼子たちとは顔を合わせていませんよ。

 退治屋の真似事をしているとの噂は拾ってはいましたが、あの見た目ですからね」


 鬼としての異質な外見の事を言っているのだろう。

 鬼としての特徴を色濃く示す髪や瞳の色は早々、隠せるものではない。

 風見の口ぶりから、十年以上経っても尚、鬼たちへの偏見と迫害は変わっていないようだ。


 だとすれば、普通の職にはつけまい。

 その、人よりも強靭な身体能力が活かせる退治屋は、うってつけとも言えるのかもしれない。


 が、養い子たちには、自分のような死と隣り合わせの命のやり取りから遠ざけ、穏やかに次代を育むような暮らしを望んでいたミツとしては、複雑な思いが渦巻く。


 多くの鬼たちはアヤカシと同じように、人の立ち入らぬ禁足地に隠れ里を構え、自給自足で生活を営んでいると聞く。

 ある程度、養い子たちが回復し、首枷の問題を片付けたら、ミツはその隠れ里に彼らを連れて行くつもりでいた。

 そこでなら、隠れ住むようにとはいえ、脅かされる事もなく、ごく普通の平らかな暮らしに戻れると思っていたから。


 ―――しかし、本当に彼らが戻れるかどうかは五十年生きた老婆にも見通せるものではなかった。


 首枷の呪をかけた者に対する激しい憎悪。

 特に、気性の激しいダイラなど、手に取るように復讐を望んでいる事がわかり、どうしたものかと頭を抱えたものだった。

 他人が言ってわかるような話ではない。ただ、無残に幼い命を散らせる事だけは避けたかった。

 

 そんなミツがどうしたかというと、単純明快に、わしの屍を越えて行け作戦だった。

 わし一人斃せぬようでは復讐なぞ唱えても片腹痛いわ、と、痛烈に笑い飛ばし、稽古がてら術で容赦なく相手をしてやったのだ。

 他の三人が比較的、手がかからなかったからよかったものの、なかなか刺激的な毎日であった。


「元気にしているのならそれでいいんじゃが…他の三人はともかく、ダイラとか、ダイラとか、ダイラとか…心配じゃ。

 ヤシロも言葉を取り戻せたのか…トナミは思い詰めて無茶をしていないか、サラシナも阿呆な事をしでかしていないか…」


 目覚めてから気にならなかったわけではない。

 だが、何かあれば風見はきちんと言ってくるだろうと信じていた。


 心にかかる養い子たちの事に、顎に小さな拳をあてて考え込んでしまったミツを、風見は白い目で見やった。


「―――あなたという人は」

「っ、の!?」


 急にぐいと引っ張られれば、また身体が傾ぐ。油断しすぎだろうか。

 枯れ木のようだった老婆の時もそうだが、ミツのなりは平均よりも小さい。

 並べられた寝具の上で胡坐をかく風見の膝上に、背を合わせるように強引に乗せられると、はめ込まれた組木細工のようにすっぽりと収まってしまう。


「風見!」


 後ろから伸びた腕ががっちりと腹を拘束し、ミツの力ではいかんともしようがない。

 どうやら今生では鍛えていないせいか、随分、身体の筋肉がやわに出来ているようだった。


「妬けます」


 ぼそりと言われ、は!?と思い切り、ミツは目を見開く。


「あの鬼子たちが来てからあなたは来る日も来る日もそちらばかり気を取られて」


 甘やかな囁き声に淫らな熱を秘めて語る唇が、止める暇も無く、こめかみに押し当てられる。

 さらりとした、自分のものとは違う黒髪が首元をかすめ、ぎくりとさせられる。


「このまま私のものにしてしまいましょうか。そうすれば、あなたは私の事だけ考えてくださいますか」


 甘い甘い、恋仲の男女が交わすような、睦言めいたそれ。


 人外特有の、滴るほどの色気に絡め取られて、並の女子なら正気を保てよう筈がない。


 ―――この声には妖力が乗せられている。

 悪巫山戯としては度が過ぎる。


「―――放せ」


 その熱の片鱗すら撥ね付ける、凍てついた少女の声が、一瞬にして熱を切り払った。


 その含む本気を感じ取ったのか、首を竦めて風見は大人しく手を緩めようとして。

 ミツの見えぬ背後でにやりと含み笑いをした。


「仰せのままに」


 隙あればこそ、覆いかぶさるようにして、唇の端に触れるか触れないか、そこへ口づける。

 何をされたかわかった少女、しかして実態である老婆は、いまだかつてされた事のない振る舞いに真っ白になる。

 するりと逃げた天狗が不敵に笑っているのを目にし、羞恥に頬を染めるでもなく、ぶるぶると震えた。


「…っっっこの、たわけ者が―――!!!」


 盛大な怒鳴り声を背に、しかし風見は、久しぶりですからちょっと花街にでも顔を出してきますよ、と、綽々とのたまって、ミツを一人残して夜へと消えた。


 そして、翌朝、何事もなかったかのように、朝餉の時に姿を現したのだった。


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