06 子供
日暮れ時、屋敷の表口である引き戸ががらがらと鳴った。
「こんにちはぁ、ミツばっさま~、生きておいでですかぁ~?」
「まだ死んでおらんわ!」
憎まれ口を返しながらも、見るからに元気溌溂とした客の姿に、ミツの顔も自然とほころんだ。
「よく来てくれたなぁ、ヨネ」
「こっれくらいなんって事ないですよぅ。とりあえず、うちんとこの小坊主たちの着物を持ってきましたが、これで大丈夫ですかね?」
充分じゃと頷いて、ミツは屋敷の奥へとヨネを招き入れた。
ヨネはミツの屋敷から一番近い集落に住んでいる村の女だ。
夫も子供もいるが、アヤカシに襲われていた所を偶然、ミツが助けてから、面倒見の良いヨネは何くれとなく屋敷の面倒まで見てくれるようになった。
村人たちもミツの退治屋としての実力を承知しているので、たまに村で採れる野菜を届けたりしてくれたりと、若い頃はともかく、年老いた今となっては、屋敷での生活も穏やかなばかりだ。
折り紙で作った使役に(ヨネが小鳥がいいと言うので小鳥にした)記した言伝を受けて、ヨネは頼んだ荷物と食料を持ってここまで出向いてくれた。
「そんで一体、どうしたんですかぁ? 子供着が必要だなんて。ばっさまがぽろんと子を産んだってわけじゃないですよねぇ?」
「ばか者、わしがこの年で産めるか! …なに、ちょいと知人から子供を預かる事になってな」
これは一つの賭けだ。
ヨネの温かな人柄と母親としての度量を見込んで、ミツは四人の子供たちを寝かせてある一室に連れて行った。
「ま! まぁ! これは!」
畳の上に寝かせた子供たちはミツに磨かれて、手当ても受けて、見違えるように改まった。
どれも十を満たぬかという年頃の子供たちで、栄養も足りていないのか、腕も足も一回り細い。
一番小さいのは銀髪の男の子だ。
目は深い森の緑で、光が戻ればさぞかし美しい子になるだろう、綺麗な顔立ちをしている。
話せるようになっている筈だが、まだ一度も口を開かない事が気になっていた。
あとの三人はおそらく二つか三つの年齢のばらつきはあるだろうが、体格的にはそう変わらない。
背丈もミツより少し足らないくらいだ。
一人は黒髪に蒼い目の子。荒削りながら彫りが深い顔立ちで、全身から滲み出る荒ぶる魂が夏の嵐を思わせた。
禊の時も手当ての時も燃えるような眼差しで睨み、唇を切れるほど噛み締めて耐えていた。
口が聞けるようになってからは、何度、クソばばあと噛み付かれたか、数え切れない。
あとの二人は比較的、落ち着いてみえる子供だった。
一人は鳶色の髪をして、刃物で抉られただろう左目と対になる右目は真紅の色だった。
ただ黙ってこちらのする事を見守り、慎重に状況を見極めようと考え込んでいる様子をみせる。
暴れる蒼い目の少年を目で黙らせた事といい、おそらくは子供たちの長にあたるのだろう。
もう一人は黒髪に黒い瞳を持っていたが、やはり鬼子だと思われる。
静かな少年だが、その漆黒の眼差しを覗き込めば、不屈の精神が透かしみえるかのようだった。
こちらとの距離を測りつつ、他の子供を護るためならば牙を剥くに違いない。小さくとも覚悟を決めた戦士の目をしていた。
口を手で覆って言葉を失うヨネを祈るような気持ちで見守った。
「な、なんてひどい! 嫌ですよぅ、ばっさま!」
顔を背けて泣き出してしまったヨネに、やはり忌み嫌われている鬼子を受け入れるのは無理だったかとミツは消沈した。
が、それは早合点だった。
「こんなっ、一体、誰がこんなひどい事を! みんな、傷だらけじゃないですかぁ!」
「ヨネ…」
子供たちの惨状に胸を痛めるヨネの姿は、じんわりと目元を熱くさせるほど嬉しいものだった。
「面倒をかけてすまないが、助けてやってくれないか? どうもわしだけじゃどうしたらよいかわからんでなぁ」
「もちろんですよ! じゃあ、早速、腕を振るいましょうかね!
ばっさまもまだ何も食べてないんじゃないですかぁ? 駄目ですよぅ! また水しか口に入れてないんじゃないでしょうねぇ~?」
「うっ…いや、今はアヤカシと戦うわけでもなし、そんなに腹は空いておらんからの…」
「駄目です! 毎日ごはん食べないと倒れちゃいますよぅ! 明日から毎日、様子を見に来ますからねぇ…!」
母は強しというか、その気迫に腰が引けつつも礼を呟くと、ミツは頼もしい助っ人の存在に感謝を込めて、もう一度、深く頭を下げた。
夕餉を人数分つくり、子供たちそれぞれの服が身体に合っているかざっと見極めると、ヨネは日が完全に暮れる前に帰った。
最近、この近辺ではアヤカシは見かけないという話だったが、用心するに越した事は無い。
灯りに火を入れて、ぼんやりとした光に照らし出された室内では、各自の前におむすびが幾つも並んでいる。
それと、ろくなものを食っていないだろう子供たちの弱った胃のために、薄い粥もこしらえてもらった。
季節は春を迎えたばかりで夜は肌寒いだろうと、埃まみれの火鉢にも久しぶりに炭を落として火を入れた。
あの天狗以外と、こうして家で飯を食べるなぞ何年振りの事だろうか。
「食べられるならお食べ。でなけりゃ、ここから逃げ出す事もできないよ」
ヨネに厳命されたミツも薄味の粥を匙で掬った。
相変わらずヨネの料理の腕は一級品だと、しみじみと味わっていると、空腹に耐えかねたのか、ようやく器に手を伸ばす気配があった。
一番年長と思われる片目の少年が、無言で器に口をつける。
こくりと喉を鳴らして粥を飲んだ。
それを見守っていた他の三人も続いて食べ始める。
難儀な事だとミツは壁に背を預けたまま、目を細めてその光景を見ていた。
初め警戒して恐々と口をつけているようだったが、それ以上に体が求めていたのだろう、あっという間に大きな鍋を空にした。
黒髪の少年だけが最後までがつがつとせずにいたが、その匙を進める速度は恐るべきものだった。
空になった鍋と器を重ねると、ミツは、隣に寝間がしつらえてあるよと伝え、洗い場へと足を向けた。
片づけを終えて戻ってこれば、子供たちはちゃんと寝床に横たわり、既にぐっすりと寝付いていた。
気配を殺してその様子を確かめると、ミツは何とも言えぬ快い気分になって、火の始末をしてそのまま寝た。
あくる朝、日の出と同時に起き出したミツは身支度を済ませると、さてどうなった事やらと子供たちの寝間へと顔を出した。
既に気配を探ってわかっていた事だが、子供たちは夜の間に逃げ出す事はなかったらしい。
井戸で顔を洗っておいでと言いつけると、ミツは朝餉の支度に取り掛かった。
ヨネが作り置きしてくれた汁ものを温め直して、また、冷や飯のおにぎりを並べるだけだが、ミツ一人の事を思えばかなり手間のかかったものだ。
前と同じ室にそれぞれの朝餉を取り分けると、子供たちは昨日と同じように大人しく座り、ミツのお食べの一言で食べ出した。
子供たちはどうやらきちんとした礼儀を心得た育ちをしているらしい。
それは、年長者に従う姿勢からも、食事の作法からも、寝間の布団がきちんと畳まれていた事からもよくわかる。
朝餉を終えて、それぞれに茶を振舞うと、ミツは何処から話をしようかと少し悩んだ。
「まぁ、何はともあれ、まずは自己紹介といこうか。わしはミツという。ここは萩の都の外れ、わしの屋敷じゃ。
基本的にヨネともう一人と言ってよいかわからんが、その者以外、この屋敷にわしの断りなく立ち入れる者はおらん。結界を張ってあるからの。
留守をする事が多いせいで多少手入れは疎かになってはいるが、まぁ部屋数だけはある。したいように過ごせばいい」
あまり表情の変わらない子供たちを見渡せば、奇妙な沈黙だけが伝わってくる。
敵意もあるが、それよりも戸惑いが大きいだろうか。突然、見知らぬ老婆から言われた内容に頭がまだ追いついていないのだろう。
「それから伝えねばならん事がある」
そのミツの声に何を聞き取ったか、子供たちの肩がぎゅっと強張る。
「お前たちにかけられていた呪の事だ。何の呪か、お前たちは理解しているな?
昨日、神剣から神の威を借りて、わしは呪の改変を行った」
「…この、銀に変わった首枷の事ですか」
自分たちの将来に関わる事だ。気になったのだろう、片目の少年が尋ねてきた。
「あぁ、お前たちの目にも映っているんだねぇ。そう、それの事じゃ。
このわしの力をもってしても解呪は出来なんだが、呪の理を曲げてやる事くらいはできる」
代償を支払うなら別じゃが、と、ミツは心の内で呟いた。
「主の命令に背いても命を奪わぬように、な。その鎖の制裁はもう動かぬ筈じゃ。
条件を付与してある程度、誤魔化した。ちなみに主はわしじゃが、わしからお前たちに命ずる事は一つだけじゃ」
一人一人の小さな顔を見て、告げる。
「己の心のまま、囚われずに生きよ。それだけじゃ」