03 現世
東国の中心、天子のおはす都の名を黄京と言う。
位置的にも、団子のように連なる三つの島の中央にあり、その主都を花びらのように四つの都が取り囲むかたちだ。
「おおー!」
その黄京一番の目抜き通りにやって来たミツは興奮露わにきょろきょろと辺りを見回した。
町に活気がある。
当時は、アヤカシの襲来に怯えて、人は家に篭もりがちだった。
状態は改善に向かいつつあったものの、打ち捨てられた家が集落のあちこちに見られ、人々の顔にも不安が色濃く巣食っていたものだが。
十年も経つとこうまで復興するのかという驚嘆がある。
前世においても、あまり主都である黄京には立ち入らず、護りが薄くなりがちな地方の四都にばかり足を運んでいたミツだ。
久々の黄京の姿は殊更鮮やかで、瓦葺きの二階立ての家々が左右に立ち並び、その間を大勢の人々が忙しげに行き交っている。
なかなか華やかな着物をまとう者たちも多く、ミツの緋袴もあまり目を惹かず、様々な色彩に溢れていた。
「これはすごいな、風見!」
素直にはしゃぐミツの姿を、隣に立った風見は微笑ましげに見守っていた。
「ふふ、お気に召されましたか。それでは私のなじみの店にでも入りましょうか」
そうして、風見が連れてきたのは、入り組んだ路地の裏にある、喧騒の届かない静かな料亭だった。
小さいながらも個室に案内され、ミツは戸惑った面持ちで敷かれた座布団の上に座った。
「ううむ、こんな高そうな所にはあまり縁が無かったから落ち着かぬなぁ。
風見、それにわしには持ち合わせがないのじゃが」
生まれ戻ったばかりなのだから、懐には一切の手持ちが無かった。
「あなたに金を出させるなど露とも思っていませんよ。まったく、妙な所に気を廻すんですから」
風見に呆れた顔をされ、ミツは、しかしなぁと心の中で反論した。
手入れの行き届いた畳を見ても、壁にさりげなく配された花器を見ても、何処を見てもミツが普段から利用している小銭で賄える掛け蕎麦屋とは桁が違う。
まして、退治屋としてアヤカシを追い立て、野宿も当たり前の暮らしに慣れていたミツにとっては、逆に敷居が高く思える場所だ。
間違っても部屋の調度を壊さぬように、と、ミツは肝に銘じた。
「そんなに緊張しないでください。言っておきますけど、あなたの得ていた収入では、この程度の店で食事するくらい安いものでしたよ。
あなたに届けられた貴族からの謝礼だけでも幾らとなったか。ま、大半、あなたは突っ撥ねていましたけどね」
悪戯っぽく笑う様が絵になる男である。
最低限、食うに困らないだけの金銭があれば、後は戦いに必要な呪具や曰く付きの妖物を手元に引き取るために費やして、あっという間に散財していたミツだ。
振り返ってみれば恐ろしい額を使っていたらしい。
どうやら自分の金銭感覚が斜め三十度くらいずれていると知った。
そうこうしている内に、女将らしき上品な着物に身を包んだ三十路過ぎの女が、手づから一通りの膳を運んできた。
風見とは懇意らしく、親しげに言葉を交わし、物慣れた手つきで膳の用意をしていく。
時間としては、日も暮れ出した頃で夕餉の時間には少し早い。おそらくまだ仕出しの時間だったろうに、文句一つ言わず、女将は笑顔で振舞ってくれた。
「風見さんがこんなお若いお嬢さんを連れて来られるなんて意外でしたわぁ。風見さんの娘さんにしては大きいやろうし」
本当に不思議そうに女将が言うので、風見も苦笑いをしている。
「知り合いから預かっている娘なんですよ。地方から出てきたばかりでして。
しばらく京にいると思いますので、どうぞよしなに」
無難な素性が並べられ、ミツもそれに合わせて頭を下げる。
おっとりとした女将はこちらこそと頷いて、しとやかに退室していった。
「そういえば、なんだが」
黙々と食事を終えて、茶を啜りながら持ち出してみる。
「…この、今生のわしにも二親がいるのだろうな」
風見の動きが一時止まり、穏やかに頷く。
「えぇ、おりますね。何処の誰とは私も知らされておりませんが、常磐の山神ならご存知でしょう」
それから二人、茶を啜る音が続いた。
生まれ変わって全て創り変えられても、前世の記憶を引き継ぐ限り、囚われ続けるのか。
―――まるで対照的な、ゆめまぼろしにも似た綺麗な思い出が根底にあるなら尚更に。
吹っ切れたと思っていてもやはり何処か割り切れないしこりが残っていたのか。
あまり自分でも触れたくない部分だと自覚しているだけに、苦い。
風見もそれ以上言わない事がその証拠だ。そんなに自分はわかりやすかっただろうかと反省すら湧き起こる。
「いやなに、わしに今生の名前はあるのかと思うてな」
「今生の名前、ですか。それは山神にもお聞きしませんでしたねぇ」
ミツという名は、正確に言えば前世のものだ。
この、今生の姿となる少女の名前ではない。それが気になった。
少し考え込んで、決めた。
「よし、なら風見、お前が決めてくれんか」
「―――え?」
何を言われたのか飲み込めていない風見に、にっと笑いかけた。
「今生の名をお前が決めてくれ。いつまでもミツの名を使い続けるわけにもいかんだろう?」
「…アヤカシに名付けを頼むなんて聞いた事もありませんよ」
「他でもない、わしがお前がいいと決めたんじゃ。何の不都合もなかろう」
これは一つの詫びも含めているのかもしれない。
最期の大仕事を独断でやり遂げ、押し付けるように後を頼んだだけで充分な礼も言わず、逝ってしまった自分からの。
三十年以上も一緒にいたのだ。もしかしたら、この天狗は自分の唯一の家族と呼べる存在なのかもしれない。
何が答えなのか自分でもわからないので、かもしれないとしか言えないが。
これから生涯を通して使い続けていく名前を貰い受けたい。この願いは、ミツの風見への想いそのものだ。
茫然としていた風見は口を隠すように手を押さえ、抑えきれぬものを堪えるように少し俯いた。
その耳朶が微かに色づいて染まっていた。
「わ、かりました。お受けいたしましょう」
ただし、少々お時間をいただきますけどね、と告げて、風見はミツに微笑みかけたのだった。