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17 捕獲

 翌日、不機嫌な天狗を連れて町を歩き回る少女の姿があった。


「ふむ、ここで良いか」


 町と外を隔てる境の一つで、拍手かしわでを打って場を清めると、印を切った後に短く呪を唱える。

 それから手に持っていた鈴を埋めた。土で捏ね上げただけの変哲もない鈴だが、これは老婆がよく用いた呪具の一つだった。


「ミツ様は無粋な事ばかり興味をお持ちになります」


 そう咎めて風見は良い顔をしないが、不承不承ながらも止める事はしなかった。

 萩を襲ったアヤカシを退治ると宣言したミツに、必要な呪具をさっさと用意したのもこの男だ。


 朝から町の端々を巡り歩いてミツは簡単な鳴子の結界を張っていた。

 アヤカシが侵入すれば常人には聞こえぬ音色を響かせるという代物だ。


 無論、人外である風見も対象に入ってしまうので、近付くなと厳命している。


「前から思っていたのですが、どうして私にそのアヤカシを退治よと命じないのです?」

「わしがお前にアヤカシ退治を命じた事があったか?」


 逆に問い返され、「そういえば一度もありませんね」と、風見は首肯した。


「ずっと不思議だったのに聞きそびれていましたよ。どうしてミツ様は私に命じないのかと」


 二人が仕事の相棒だったのは本当だ。


 情報収集は元より、多勢のアヤカシに襲い掛かられた時、背中合わせで共闘するのは自然な形だった。

 だが、思い返してみれば、退治屋の老婆から不自然なほど、あれをしろ、これをしろと言われた覚えがない。


「私の実力もご存知でしょうに。何か訳がおありでしたか?」

「なに、お前も一応、アヤカシの端くれだと思ってな」


 何気なく返された答えに虚を突かれ、振り返らずに先を進む少女の背を風見は注視していた。


 この人は何処まで眩しいのだろうか。


 彼には全くその気がないとはいえ、同胞を手にかける、そんな点にまで気を回していたとは。


「…敵いませんね、あなたには」


 いささか複雑な思いを込めて、そう小さく呟いた天狗の声は少女まで届かず、消えた。







 その鳴子の仕掛けが動いたのは、前回と打って変わって人の寝静まる深夜だった。


 夜着に着替えていなかったミツは跳ね起きると、方角を見定め、宿から飛び出した。  


 風見はいない。

 月が昇りきる前に届け文に呼び出されて出掛けている。

 色めいた逢瀬の誘いかと茶化せばあまりに渋い表情で睨まれたので、どうやら相手は女ではないらしい。何時戻るとも告げずそれきりだ。

 当然、ミツは風見を待つつもりはない。


 アヤカシに夜も昼も関係ないが、夜目が利かぬのは人。

 とうに提灯に入れた火も燃え尽きて、辺りは冴え冴えとした月光のみ、しわぶき一つ響きそうなほど暗く静まり返っている。


 ―――襲う人も見当たらぬのに何故、この時間に。


 もしや雷獣とは異なる、別口か。


 その可能性も捨て切れない。現時点でアヤカシの動向は全く知れていないのだから。

 ただ、今までにない統制された動きに、何者かの作為をひしひしと感じる。


 仕掛けの場所に行き着けば、まず感じ取れたのは流されたばかりの鮮やかな血臭だった。


 既に誰か襲われた後か。

 外の森へと途切れた道の先と逆側に居並んだ平屋へ、ぐるりと視線を走らせたミツは、地面に点々と落ちる黒い血痕に目を留めた。

 集落内の道へと続くそれに、迷わず、その後を追う。


 密集する家の隙間に逃げ込んだ相手は程なく見つかった。


 ある意味予想通りと言うべきか、野犬ほどの大きさの一頭の雷獣が、背から横腹にかけて大きく切り裂かれた太刀傷をさらして力尽きていた。

 微かに開かれた赤い瞳は既に黄泉路の先へと濁りかけている。


「どうして、人を襲った」


 答えが返らぬ事を知りつつも、ミツはそう静かに問い掛けた。


 人の足音にすら怯えて逃げ出すお前たちがどうして。


 赤黒い毛に覆われた目元を濡らすのが血だと理解していても、それが零れた涙のように思えてならない。 


 やがて、雷獣の口からだらりと舌が零れる。止まった息に、ミツはやるせない溜息をつく。

 何があったのか、最期の瞬間まで、目の前のアヤカシから伝わってくるものは、どうしようもない恐怖と拒絶だった。


 怯えきったまま息絶えた哀れなアヤカシの瞼を、身を屈めて、閉じてやった。


 アヤカシの骸は時間をおいて砂へと還る。その前にと、指に霊力を込めた。

 骸には特に目立つ異常はない。あからさまな痕跡を残すほど愚かではないらしい。

 だが、円を描くように獣の身体を探っていた指に微かな残滓がまつわりつき、短く息を呑む。

 黄京でも萩でも、衆目を集め、堂々と騒ぎを起こしていた輩だ。思った通り、雷獣を縛っていた呪は隠されぬまま焼き付いていた。

 ―――しかも覚えがある、この呪の正体は。


 身を起こすと、ゆるりと振り返った。

 しばらく前からこちらを観察していた存在には気づいていた。相手も隠れる気はさらさらないらしい。


 ほのかな月灯りに肩を蒼く染めた青年が、立ち上がったミツに微笑みかける。


「またお会いしましたね」


 見覚えのある顔に、つくづく世は狭いと瞠目する。

 正面から向かい合うのは、華やかな美貌を持っていないが、透き通る水のような清冽な美しさを持つ青年だった。

 以前と変わらず黒髪を一つに結い上げている。

 首を傾げるようにして微笑する青年の柔らかな雰囲気と、手に提げたままの白刃は妙に対比をそそった。


 黄京ではその白刃を抜く所は見なかったが、今、その刃先は確かに濡れている。


 ―――雷獣を屠ったのは、こやつか。


 動きの捉えにくいこのアヤカシに確実に致命傷を与えたあの一撃。


 言われてそう見れば、ミツにとってはほんの少し前の、現実には十数年という歳月が経つ前の、当時の面影もある。

 身に付けたものは簡素で、どこぞの屋敷に仕える家人のようだが、月灯りの中では平凡な装いも逆に彼の物静かな気品を際立たせるようだった。


 青年は太刀を一つ振ると、腰の鞘に収めて、ミツの前で腰を屈めた。


「お怪我はありませんか、お嬢さん」


 昔は寡黙で愛想を何処かへ置き忘れたような少年だったが―――随分と変わったものだと思う。


「それは良かった」


 首を振ったミツに微笑む姿は、女や子供受けにするに違いないと確信させる誠実そのものの態度だった。


「お前がこの雷獣を斬ったのか?」

「はい」


 彼は真面目な表情で一つ頷く。


「これが最後の一頭です。もう襲われる事はありませんよ」

「…」


 これで襲撃は二度と起こらないと安心させるように告げられたが、自分の見立てでは事態は到底これで終わらない。

 その事に気づいているのか、微笑ばかりが浮かぶ端整な面からは読み取れなかった。


 全員かどうかは知らぬが、かつての養い子たちが此度のアヤカシ異聞について関わりがあるのは確かだろう。

 ほぼ間違いなく、アヤカシ―――呪をかけた犯人を追っているに違いない。


 だとすれば、わざわざ申告せずともミツが知った証など、とうに気づいているだろう。

 術の心得のある者ならまず嗅ぎ分けられる類の証左だ。


「…?」

「失礼」


 思い巡らす少女の前で、黒髪の青年は気配を感じさせない足取りで歩み寄ると、そのまま腕を伸ばす。


「!」


 ぎょっとして固まる少女に構わず、優男に見合わぬ膂力で抱き上げた青年は、そのまま何事も無かったかのように路地から出ようと歩き出した。


「ま、待て! 何故、担ぐ!?」

「竦んで動けなくなっていたのでは?」

「違うわ! 降ろさんか!」

「別に落としませんから、大丈夫ですよ」


 悪意も害意も感じられない声音だったが、こちらの意を解さぬ返事をするのは意図的か。

 青年は町中へと歩く足を止めない。


 触れる手つきも丁寧で、まるで深窓の姫に対するような扱いにもみえるが、決定的に何かが違う。

 無造作に抱き上げられたようだったが、身体に回された腕は緩まない。


 ―――これは、まさか…逃げぬように、か?


 目まぐるしく思考が回転するも、それは混乱気味だった。


 どうして自分が養い子に拉致されているのか、さっぱり理由が見えない。


 ―――うーむ、このまま行けば厄介事になりそうな、気がする。


 ふと思い出すのは、共に暮らしていた時の事だ。

 老婆がアヤカシ退治で無茶をして大怪我を負った際に、静かに深く怒ったかつての少年に凍えるばかりの説教をされた。

 思えば、サラシナもダイラも、誰も彼に逆らおうとしなかった。


「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私は黒斗くろとと言います。お嬢さんの名を聞いても?」

「…ミツルという」

「やはりそうでしたか。それでは、青乃と赤也をご存知ですね?」


 淡く微笑まれるも、ここでその名を聞くとは、驚きすぎてすぐには言葉が出ない。


「彼らからあなたの事は聞いています。今回の事件に興味を持っているお嬢さんがいると」

「その、青乃…殿たちとは知り合い、か?」

「はい、彼らと私は同じ自警団に所属していますから」


 穏やかに告げられる事実が妙に衝撃的だ。


 という事は、誰も彼も別名を名乗っているが、もしかせずともあの二人も鬼子たちの成長した姿ではないのか。

 あの一族の絆を抱える四人が離れ離れに動くなど、あまり想像がつかなかった。


「彼らから頼まれていましてね。あなたが危険な目に遭わぬようにと」

「危険な目になど、わしは遭うておらん」

「えぇ、今回は」


 ですが、と、一見、物柔らかな声音は先を紡ぐ。


「お嬢さんはまた事件があれば首を突っ込むつもりでしょう」

「別に誰に迷惑をかけるわけでもなかろう。それに、自分の面倒くらいみられる」


 心配される事よりも、今の自分を否定されるような気分になって、不服を覚える。


「そうですね、あなたはやはり普通のお嬢さんではない。―――あの天狗と一緒にいるのですから」


 黄京ですれ違ったのだから風見の事を知っていてもおかしくはない。

 気のせいか。見下ろした横顔は何も変わらないのに、首筋がちりりと逆立つ。


「何処へ向かっておる?」

「中央の番所です」


 着きましたよ、と、声をかけられたのは、ただ一つ、町中で灯りがもれる平屋の前だった。

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