15 交差 弐
視点が少し切り替わります。
「もしかして、攫われた娘さんはミツルさんの知り合いかい?」
「いや、そうではないのじゃが…」
渡りに船として何か情報がわかるかもしれない。そんな気持ちが逸ってつい先走ってしまった。
さて、内実はともかく、今の自分のような娘が、綺麗な衣でも甘い菓子でもなくアヤカシに興味を示すなど、普通でない事はわかる。
不審に思われ無闇に嫌疑をかけられるのは避けたいが、焦燥じみた知りたい気持ちは止められなかった。
「わしはアヤカシに興味がある。何故人を襲うのか、その理由が知りたいんじゃ」
それは退治屋として戦い続けてきたミツが長年抱えてきた疑問でもあった。
どうして突然、魔の変革が起こったのか。何がきっかけでアヤカシは変化したのか。
―――そして、今、この東国で何が起こりつつあるのか。
穏やかに問い掛けながらも、青乃は目の前にいる娘の様子を観察していた。
―――風見が連れていたという一人の娘を。
あの天狗が関わっているというだけで、興味をそそる。
純粋な好奇心と、―――ひそませた警戒ゆえに。
つい先日、黄京で邂逅を果たした男は、最後に別れたきりの十数年前より全く容色が衰えていなかったという。
それこそかの者の本性。人に酷似した姿を取っているが、いかに似せようとも、その正体は自分たちと異なる時波にたゆたう人外の存在だ。
滅多に変わり身を解く事はなかった男の本性を一度だけ垣間見た事がある。
月影の差す後姿のみであったが、恐ろしく長い真直ぐな黒髪をなびかせ、身の丈ほどの漆黒の羽根を広げたさまは、優れて美しかった。
奇し危かしと呼ぶに相応しい、妖しいうつくしさとでも言うべきか。
かつて、かの天狗は平然と人の世に紛れ、人の心を暴く事に愉悦を見出していた。
退屈凌ぎでしたよ、と、薄く微笑って言ってのけた天狗の顔を覚えている。
その天狗がとりわけ気に入り、浮名を流すのは決まって花街の女だった。
快楽、悲哀、欲望、愛憎、美醜、人の生が全てそこにあるのだと言い、面白いのだと。
それが見るからに婀娜な女でもない、年端もいかぬ少女をそばに置いていたと知らされて、興味を引かぬ筈がない。
実際、その光景を目の当たりにした赤也などは、ついに見境無く女童にまで手を出すようになったかと、呆れ混じりに毒づいていたが。
彼の見解はまた違う。
―――あれから短くはない年月が過ぎた。
かの天狗は花街にしばらく入り浸ったその後、忽然と姿を消したと聞く。
根城である御山に帰ったのだろうと察していたが、その天狗が今、この時に人界に舞い戻ってこようとは。
果たして、この邂逅は単なる偶然か―――それとも。
「わしはアヤカシに興味がある。何故人を襲うのか、その理由が知りたいんじゃ」
そして―――この娘。
妙な娘だ。
アヤカシ好みの整った顔立ちはまだ幼さを残し、咲き誇る前の蕾かと思えば、ところが、戦者が持つ覚悟がその眼裏に透かしみえる。
つい先刻もそうだった。
目をつけていたならず者たちの動きはあからさまで、うら若い娘に向ける舌なめずりせんばかりの目の色に、不埒な考えはすぐ読めた。
気配を殺して後を追い、すぐさま助けに入ってもよかったが、そこで青乃は割って入ろうとする赤也を制した。
探りたかったその一端はすぐに知れた。
普通の娘とは思えぬ身のこなしと、体格に勝る男たちを見据えた揺るがぬ眼差し。
名前を聞いた時もそうだが、かの人を彷彿とさせる。
―――世の全てに倦んでいるかのようにみえたあの天狗が唯一執着した、一人の老婆に。
「俺たちもそれは知りたいよ。どうしてアヤカシが突然、人を襲い出したのか。
―――でも、またどうしてそんな事に興味を? ミツルさんのような女の子が興味を持つ話題としてはかなり物騒だ」
魔の変革以後、東国の民なら誰だって一度は抱く疑問だろうが、少女が口にする響きはどうしてか、もっと深い意図を秘めているような気がした。
そして、その伏せられた真意を知るべきだと青乃の直感は告げる。
浮かべる笑みも口調も気安いものでありながら、青乃は当然のように疑念を口にしてくる。
派手な外見とおどけた笑みで惑わされてしまいがちだが、強面の赤也より、この優男の方が油断ならぬ相手だろう。
どうにも先ほどから探られる視線で肌がちりちりとする。
さて、どう答えるか。
自分の今の素性をどう説明するかだが、ありのままに話しても正気を疑われるだけに違いない。
かと言って、下手な誤魔化しを口にすれば足元を掬われそうだ。
「なに、わしは退治屋をしておるのでな」
むしろ開き直って、にやりと笑んで堂々と告げてやれば、二人は揃ってぽかんとした表情のまま固まった。
何を言われたのかわからないという顔だ。
「…そりゃ、嬢ちゃんなりの冗談か?」
面白くねぇなぁと頭から空笑いをされた。
「信じぬならそれでもよいが。わしは別に嘘はついておらんでな」
むしろしれっと言ってやれば、二人はますます目をまるくする。
「ほ、本当に…? …いや、でも、あの人も十代で退治屋を始めたって言ってたし、案外、これが普通!?」
「おいおい、あの妖怪じみたクソババァは例外だろ! ありゃ、人じゃねぇ化けモンだ」
「そうだよねぇ、あの人が例外なんだよね。まぁ、あの人も最初からああだったわけじゃないんだろうけど」
―――…ん?
気のせいか、なんだか妙に癇に障る会話が目の前で展開されている?
「しっかし、こんな若い女の退治屋の噂は聞いた事ねぇけどな」
「うーん、ミツルさんがそう言うならそうなんだろうけど。こんな事で嘘ついてもしょうがないし」
前世でも女だてらに退治屋を名乗っていれば見た目で侮られる事など始終あったが、それにしても。
風見の過保護っぷりもそうだが、今生の自分の姿はそんなに頼りなくみえるのであろうか。
いっそ屈強な男に生まれ変われば良かったものをと憮然となる。
「でもね、ミツルさん、そういう話なら尚の事、ちゃんと約束してもらわないと」
ふと変化した声音に俯けた顔を上げると、真剣な顔をした青乃と目が合った。
「ミツルさんは知らないかなぁ、最近、東国のあちこちで起こっているアヤカシ騒動を」
萩や黄京だけではない。
東国全般に渡り、凶暴化したアヤカシに襲われる事件が起こっているのだという。
「ちょっとね、今までに無い動きをしてるんだよねぇ、アヤカシが。
ここだけの話、他の都では何人か本職の退治師も返り討ちにあってるとか」
その話に、ミツは驚いた。
魔の変革以前にも悪さをするアヤカシがいなかったわけではない。
その辺りは人の性が千差万別あるに同じ、また、人の手によって棲家を追われたアヤカシが報復に出る事もないわけではなかった。
今では退治屋の顔が前面に出ているが、その昔、アヤカシと人の間で調停役を担う事もあったと聞く。
つまり、アヤカシの退治屋は古くから存在し、そのための技も代々継がれてきた。
そう簡単に返り討ちに遭うほど歴史は浅くない筈だった。
「上はどうみているか知らないけど、どうにもこれだけじゃ終わらない気がする。
下手な手出しをすればまずいんじゃないかってね」
―――囁かれる天子の交代。
―――魔の変革の兆し。
―――宙を睨む牛鬼の首。
―――攫われた娘。
幾つかの鍵となる言葉がミツの脳裏に閃いては消えた。
「だからね、ミツルさん、約束してほしいんだ。退治屋として、今回の件に関わらないって」
「しかし、それでは逆にアヤカシに対抗する手が一人でも多く必要なのではないか?」
その反駁に、青乃はふっと表情をくずした。
「あのね、これは俺の個人的な願いだけど、ミツルさんのような若い女の子が危ない目に遭うのを見たくないんだ」
「…」
なんだ、それは。
困ったような眉下げ顔で、そんな風に言われては反論しにくいではないか。
頭から押さえつけられたらどんな事をしても撥ね付けたろうに、年上の男の顔をして心配など。
「…アヤカシが何処へ逃げたかは、わかっておるのか」
結局、話の矛先を変えれば、彼らは難しい表情で首を振った。
「人の目を眩ます術に長けたアヤカシらしくてね。北の森地に逃げたのではないかと言われているけれど、まだ捜索中だよ。
また娘を攫うやもしれないし、ミツルさんも充分に気をつけて」
俺たちに任せておいて、そう言い聞かせて、彼らはならず者たちを引きずって番所に戻っていった。
その後姿を黙ってミツは見送る。
どうやらまだ打つ手を隠しているようだが、出会ったばかりの娘に全ての手の内をさらすほど、彼らも愚かではない。
だが、どうやら血生臭い何かが始まりつつあるという確証は得られたようだ。
理由としてはそれで充分だった。
―――黙って引き下がる事はできんよ。
神にどんな思惑があろうとも、この命、また再び巡るというのならば、自分のしたい事に使わせてもらおう。