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10 天子

場面が変わり、少し暗い話が続きます。

 ―――ここに一人の語り部を招こう。


 何から始めまするか。


 語り部は問う。

 そして、まずこの地におはす神々について語りますれば、と言った。


 ―――神は人の目にははきと見えぬものであれど、その存在を感じ得るものでありまする。


 まずこの器たる世をお創りになられたのが、あらゆる神々の祖となる三貴神であられまする。

 一に、昼を与う日之神。

 ニに、夜を捧ぐ月之神。

 三に、大地を愛でし地之神。

 いずれもこの世の根幹に関わる偉大な神々であられまする。


 神々と一口に申しましても様々でございまする。

 山の麓に住まう民はまず、恵みを授く山に宿る山神を信じますれば。

 浜の傍に住まう民は、海神の怒りに触れまいと心得る事にございましょう。


 あまねく人の手が届かぬ事象は、神の領域だと言われておりますね。

 遙か高みにおはす高貴なる方々の裁定を、わたくしたち只人は甘んじて受けなければならないのでございます。


 こう表しますと、神が自在に事象に手を加えるような誤解を生じまするか。

 只一言、申し上げるのならば、そこに在り続けるだけで神は神なのでございます。


 神は人を試すもの。ゆえに、時に非情とみえる裁定が下される事がございます。


 神はそして、この地に息づくアヤカシをも見守っておられまする。

 人とアヤカシ、それは等しくに。

 ―――アヤカシについては、また別の機会に語りますれば。


 話を人の手に戻しましょうぞ。


 ―――世に光を与う主神、日之神。

 その神の祝福を受け、東の国を統べる選ばれし民が、天子なのでございます。


 と、語り部は結んだ。


 ―――天子は神より授けられた国の至宝でございまする。











 主都である黄京ききょうから四都に繋がる筋はそれぞれ色の名前がついている。

 南方の萩ならあかの大路。

 西方の安和あわなら白の大路。

 北方の葛名くずなは黒の大路、最後に東方の撫子なでしこが青の大路という風に。


 国を挙げての慶弔行事にあたる特別な日には、象徴する色が塗られた飾り提灯を軒下に吊るすのが慣例であった。


 いつも各地毎にてんでばらつく時の鐘が計ったかのようにほぼ狂いなく打ち鳴らされ、鈍くこもる残響が消えぬ内にと、大路沿いの家々は手早く提灯に火を入れる。


 もし黄京を見下ろす事が出来たのなら、しずしずと宵闇が迫る薄暮の空の下、都を十字に割くように浮かび上がる、赤、青、白、黒色の鮮やかな筋を拝めるだろう。

 天におはす神々に照覧あれと知らせるためのしるべだ。


 常と異なる彩りの軒下に立つ民草の視線は、知らず知らず、京の西方、白の大路の方角に吸い寄せられる。


 その大路の一辺に何があるか、黄京に住まう民に知らぬ者はいない。

 ―――東国の中枢、天子のおはす御所。

 それが今宵始まる、神々をも観客に迎えた、数十年の時を越えて繰り返される舞台の名となる。






 夕刻を迎える以前から御所内は赤々とかがり火が焚かれ、準備に追われる侍従や侍女たちが随所で慌しく立ち働く姿が目立っていた。


 式典が執り行われる地は、一同を受け入れられる広間と高座を持つ、二之御殿。


 定刻に合わせて次々と門をくぐった参内者たちは、階級毎に定まった色目豊かな衣ではなく、一様に式典用の暗色の直衣に改めている。

 途中に設けられた渡殿や控の間に集まる彼らの姿が、華やかな御殿に落とされた墨滴のようにみえるのは、彼の思い過ごしか。

 むしろ、今から行われる一幕はこの国の暁闇を払うための寿ぎである筈だ、と、自らに言い聞かせるように呟く。


 ―――先んじて噂はあったが、よもや今日の日であるとは。

 ―――確かに主上おかみの御気色は優れないと聞いていたが…。

 ―――まさか、先日、アヤカシが現れた事と何か関わりが。

 ―――恐ろしい…五十年前の変事がまた繰り返さねばよいが。



 目新しくもない御所にまるで初めて足を踏み入れるかのような戸惑いを誰もが滲ませ、囁き交わされる会話はどれも仄暗い影をまざまざと見せ付ける。


 それをはっきりと不快に思いながら、黒の直衣をまとった少年は、奥殿の一つ、四之御殿へと足を速めた。


 四之御殿は次代天子の母となった后に与えられる場所であるが、現在、その主は不在となっていた。

 ちなみに一之御殿は神を祀る聖なる御座、二之御殿は執政のために用意された最大の御殿、三之御殿は次代天子を授かる後宮として后の住まい所となっている。

 三と四の御殿はその性質上、天子の居住区となる奥殿に含まれ、奥まで入り込める者も限られる。


 はっきり言って、至高の血族でもない限り、彼の年で奥殿への参内が許されるのは異例だ。


 藤永とうえいは立派な体格を備えた凛とした男子で、冠も直衣姿もきりりと様になっていたが、年は十五に達して間もない。

 年若い部類に入るが、すれ違う朋輩たちににこやかな顔つきのままそつなく挨拶を述べつつ、真逆の事に頭を働かせる程度の腹芸は既に心得ていた。


 笑顔で腹にじわりとわだかまる苛立ちを押し殺したまま、人気の無い四之御殿に移動し、目当ての室へと辿り着いた瞬間に、仮面を脱ぎ捨てた。


貴斗たかと、いるか!」


 生気に満ちた、朗々とした声が静けさを打ち破る。


 ぐるりと廻らした視界に人がいない事を確認し、藤永は遠慮なく、次の引き戸へと手をかける。


「貴斗!」

「―――そのように大声で呼ばずとも聞こえているよ」


 声の主は内庭に面したささやかな縁側の端に見つかった。


 暗色の直衣とは対照的に、白一色の袍をまとった青年が板敷きの縁側に行儀悪く片膝を立てて座っていた。

 たった一つ、茂みに抱かれるようにして立つ石灯篭が淡く光を広げている。

 この四之御殿に移り住んで一年、毎日、飽きるほど目にしているだろう庭を。


 貴斗と呼ばれた青年は藤永より年嵩で、今年、二十歳になろうとしているが、背丈は既に藤永に負けている。


 自分の隣に並び立った藤永にちらりと目を上げ、貴斗は線の細い面の印象そのままに少し笑う。

 病弱な生まれではないが身も顔も繊細な造作で、肌は装束を引き立てるほど白い。

 短くは無い付き合いながらも、藤永は大口を開けて笑う彼の姿をいまだ見た事はなかった。


「…何を笑っている」

「ん、まぁ、想像通りだと思ってね」


 貴斗は草を食む牛のようにのんびりと応え、藤永はますます愛想笑いとは程遠い仏頂面となる。

 あまりにも常と変わらない義兄の様に、少年は理不尽な怒りを覚える。


 ―――数奇な出生を持つ貴斗は、生まれてすぐ藤永の生家である葦原家に引き取られ、実の兄弟のように育った。

 細腕にも関わらず、貴斗は幼子だった藤永をよく抱き上げ、庭の草木の名前や自国の古史に至るまで教えてくれる、良き教師でもあった。

 つい最近まで二人は同じ屋根の下、上も下も無く、気安く暮らしていたのだ。


 葦原家の屋敷の中では衣装をくずし、よく身の回りの世話をする侍従を嘆かせていた貴斗。

 こうして装束を一部の隙も無く調えると、まるで別人にみえる。


 ―――それは言葉のあやではなく、本当に彼は『別人』を演じるのだろう。


 愚問だと知っていつつも、藤永は問わずにいられなかった。


「本当に―――これで良いのか、貴斗」


 これで良い筈がない。

 この選択が彼の平らかな望みとは対極にある事を知っている。


 それでも藤永がこの瞬間に彼の返す応えを待ったのは、今なら覆せるのではないかと願ったからだ。

 事態が土砂のように戻り難く押し流されていく今、どんなに無謀で浅はかな願いであるのかは重々、承知ではあったが、己だけは彼の望みに添うてやりたい、と。


 息をひそめて控える弟へ。

 下ろされた瞼が開くまでに一呼吸あった。


「―――あぁ、選んだからね、私は」


 四季折々の草花で区切られた小さな庭は、彼自身の手で土を掻き、整えられたものだ。

 それを隅々まで目に焼き付けるように義兄は視線を動かさない。


 ただ、口許は微かに緩められていた。


 それを見て、藤永は黙って肩を落とした。











 その夜、月之神が青白き身を夜に捧げて見守る中、粛々と式は行われた。


 ―――次代への、天子の譲位。

 前天子は名を改め、新しくその座に据えられた天子は人としての名を喪う。


 年若き天子の後見は左大臣職を拝する葦原家が引き続き務める事を周知した後、あっさりと場は解かれた。


 ―――貴族一同を前に執り行った式は顔見せ以上の意味を持たない仮初めのものだと、彼は言った。


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