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ロープ際の魔術師 世界バンタム級1位 ジョー・メデル(1938-1990)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2026/02/28

現役ボクサーとして30もの敗戦を喫し、勝率も七割そこそこのボクサーが”無冠の帝王”だなんて大げさと思われるかもしれないが、メデルは今日であればチャンピオン間違いなしの強豪だった。ファイティング原田をKOし、47勝1敗(41KO)の”KOマシーン”ヘスス・ピメンテルからダウンを奪って連勝を止められるバンタム級ボクサーが果たして今日いるだろうか。

 ロープ際の魔術師

 何と美しく気品のあるネーミングだろう。

 ロープ際に追いつめた相手ボクサーがフィニッシュブローを放とうとした瞬間、身体を入れ替えるように繰り出されるメデルの左右のショートが絶妙のタイミングで顎を捉えると、凄まじい衝撃によって伝達神経が遮断された相手は標的をロックオンした状態のままパンチを虚空に伸ばしながら、突然電源が切れたロボットのようにその場に崩れ落ちてゆくのだ。

 その時、相手の思考回路はこの一撃でメデルが倒れることをシミュレートしていたはずだ。

 メデルをロープに釘付けにしてパンチを浴びせているうちに、急激に分泌されたアドレナリンは全身を駆け巡り、脳を高揚感に浸してゆく。そしてそれがピークに達した刹那に訪れるブラックアウト。

 キャンバスに叩きつけられた衝撃と割れるような歓声によって脳が再起動した時、彼が最初に感じるのはぼやけた視界と平衡感覚を失った無重力の世界。やがて焦点が定まってくると、霞の向こうに憐憫に満ちた表情で自分を見下ろしているメデルの姿が浮かんでくる。

 リングのイリュージョニストがもたらした美しくも残酷な“魔の時”は、会場の時間を止め、血なまぐさいリングを芸術的な一枚の写真として人々の脳裏に焼き付けるのだ。それはまるでロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」のように、無常だが生と死が交差する瞬間の尊厳に満ちた輝きに彩られていた。


 日本でメデル伝説の最初の目撃者となったのは、一九六一年八月三十一日の夜、後楽園アイスパレスに集まった五千五百人の観客だった。

 当時の日本のボクシングファンにとって、メデルというボクサーは、“世界バンタム級一位”という肩書きの他には“カウンターの名手”という程度の認識しかなかった。

現役世界チャンピオンのエデル・ジョフレに善戦したと言われても、ジョフレがどの程度強いのかが定かでない以上、メデルの実力は測りようがなかった。したがって大半の観客は、メデルの技巧を堪能するために会場に足を運んだというよりも、世界フライ級六位の関光徳が格上のメデルを食って、再び世界に飛躍することを期待して集まったと見るべきだろう。過度の減量が祟って世界戦には敗れたとはいえ、日本軽量級屈指のハードパンチャーである関は、減量苦から解放されたバンタム級ならばその実力をいかんなく発揮できると見られていたからである。

 事実、メデル招聘を企画した極東プロモーションの小高会長も「メデルは、関がバンタム級で世界を獲るための踏み台」と言い切っていたほどだ。

 この試合、「ロープ際でのカウンターに注意」と意識の中に刷り込まれていた関は、一ラウンドからロープ際に下がるメデルの誘いには乗らなかった。するとメデルは二ラウンドからは作戦を変更し、いきなり強打に切り替えてきた。カウンター狙いを意識しすぎていたのか、メデルの鋭いワン・ツーに反応が遅れた関は、あえなく尻餅をついてしまった。

 カウンターのみがクローズアップされてきたメデルだが、バンタム級では有数のハードパンチャーだけにフライ級ボクサーとは桁違いの破壊力だった。実はバンタム級でも減量が厳しく、スタミナに自信がなかった関は、このままメデルの強打を回避することは不可能だと悟ったのだろう。あえて火中の栗を拾う覚悟で、打ち合いに臨んだ。

 五ラウンド開始早々、関は左右のパンチをフル回転させてラッシュをかけた。メデルはそのパンチのほとんどをパーリング、ヘッドスリップ、ブロッキングでかわしながら、いつの間にかロープ際に誘い込んでいた。それまで劣勢だった関の猛攻に場内は一気に湧きかえったが、ロープを背にしたメデルに関がフィニッシュブローの右フックを叩き込んだかに見えた次の瞬間、もんどりうってキャンバスに横転したのは関の方だった。

 メデルは関のパンチが大振りになる瞬間をじっと待っていたのだ。一見、攻めているように見えた関のパンチはほとんど命中していない。しかもメデルのパーリングは、払いのけられた関がバランスを崩すほど強いため、追撃のパンチは微妙に流れてしまう。ここで決めなければ勝ち目が無いと見た関は、クリーンヒットを奪えない焦燥感からパンチがラフになり、そこを見透かされたかのように、右フックを繰り出そうとした瞬間のガラ空きの顎に右ショートフックを浴びてしまったのだ。

 メデルが右に回りこみながら放ったショートはあまりにも速く、観客の多くは勢い余った関がスリップしたように見えたため、カウントが始まった時は一瞬きつねにつままれたように唖然としていた。

 関は決して打たれ弱くはない。それでも死角からのカウンターをまともに浴びているため、足が硬直してしまっており、もがきながら初のテンカウントを聞いた。

 まさに芸術的なワンパンチKO。メキシコから来た刺客が名刺代わりに日本のファンの前で披露したカウンターは、蒸し暑い夏の夜を切り裂く氷の刃だった。しかし、勝ち名乗りを受けたメデルが嬉し涙に暮れながら観客席に向かって挨拶をした時、一見キザだが感激屋のメキシカンは、多くの日本人ファンの心に爽やかな印象を植え付けた。

 一ヶ月後、東洋J・フェザー級チャンピオン坂本春夫の挑戦を受けたメデルは、体重差をものともせずジャッジ二名がフルマークを付ける圧勝で意気揚々とメキシコに帰っていった。メデルを研究し尽くした坂本はロープ際への誘いには一切応じることなく、必殺のカウンターこそ回避しきったものの、あまりに消極的すぎ、試合自体は盛り上がりに欠けた。

 面白いことに、この試合におけるファンの最大の関心事は、メデルのカウンターがいつ炸裂するかということだった。日本人の坂本が一矢報いることより、メキシコ人のメデルのKO勝ちを期待するファンの方が多かったということは、それほどメデルのボクシングの芸術性に対する評価が高まっていたことを意味する。

 客を呼べるボクサーとしてテレビ局ならびにプロモーターからも絶大な信頼を勝ち得たメデルは、翌一九六二年にもビッグファイトの声がかかり、再び日本にやってくることになった。


 一九六二年三月二十九日、日大講堂に八千余の大観衆を集めて行われた世界フライ級一位矢尾板貞雄対世界バンタム級一位ジョー・メデルの一戦は、前売り券が飛ぶように売れ、日大講堂は久々の超満員に膨れ上がった。

 あのパスカル・ペレスの連勝を五十でストップさせた矢尾板のフットワークは、全階級を通じて世界最高の声も高く、日本人ボクサーの中では最も世界に近い男と目されていた。かつては非力と言われていたが、前年の南米遠征を機に倒すコツにも磨きがかかっており、一月にはメデルが倒せなかった坂本春夫をワンパンチで仕留めている。

 しかしそれ以上に、実力より将来性に寄せる期待が大きすぎた関の場合と違って、矢尾板は実績も文句なしである。さすがにジョフレにはメデルと同じ十ラウンドにKOされているが、一階級上のパウンド・フォー・パウンド最強の現役チャンピオン相手に最終ラウンドを迎えるまではほぼ互角に戦っているのだから、メデルといえども矢尾板のスピードについてゆける保証はない。

 序盤は矢尾板がスピードを生かして攻勢を取った。単発ながら右ストレートがしばしばメデルの顔面を捉えたが、メデルは打たれるとバックステップしながら巧みにロープ際に誘い込もうとするため、深追いはしない。

 臨機応変なメデルは、矢尾板のヒット・アンド・アウェーを封じるため、中盤からはジャブを多用し始めた。矢尾板が踏み込もうとした瞬間、出鼻をくじくような鋭いジャブが右目を狙って伸びてくるため、射程が狂いストレートの的が定まらない。しかも接近すれば右ショートが矢尾板の唯一の弱点であるボディを抉ってくるとあって、次第に矢尾板の手数が減ってきた。

 中盤以降、後手に回った矢尾板は最終回の必死の追い上げも及ばず判定で敗れ去った。

「やはりメデルは巧かった。こちらが策した手を封じてしまったのだから一枚上だった。特に右から攻める手が使えなくなったのだからどうしようもない」

 さすがの矢尾板もメデルの巧技には脱帽の体だった。

 この試合の後、メデルは六月十四日に世界フライ級十位のファイティング原田、六月二十八日に東洋バンタム級チャンピオンの米倉健志との対戦が予定されていたが、矢尾板戦で古傷の右手中指を痛めたことを理由にこれをキャンセルし、メキシコで静養することになった。

 もし、そのまま原田戦が実現していたら、世界のボクシング地図も大きく変わっていたかもしれない。

それは一年半後、遅ればせながら実現した原田対メデル戦で、メデルが自身のボクシング人生最高のパフォーマンスを見せたからである。


 一年間のタイムラグは二人のボクサー人生に紆余曲折をもたらした。

まず原田は、メデルの代役として対戦した世界バンタム級六位のエドモンド・エスパスサに初黒星を喫したものの、世界挑戦が決定していた矢尾板の突然の引退によって、代役として出場した世界戦でポーン・キングピッチをKOし、史上最年少の世界フライ級チャンピオンの座に就いていた。

 逆にメデルは矢尾板戦の後、半年間のブランクを経てエデル・ジョフレとの二度目の世界戦に挑んだが、二度のダウンを奪われたあげくに、六ラウンドKO負けで返り討ちにあった。

 ここにおいて一旦両者の立場は逆転したが、一九六三年に入り、原田が初防衛戦に失敗したのを機にバンタム級転向を表明すると、メデルは、前年に自分の代役として原田、米倉を連破して世界バンタム級二位に駆け上ったエスパルサをいとも簡単にKOし、再び世界ランキング上位に返り咲いている。

 かくして一九六三年九月二十六日、日大講堂で激突した時の両者は、世界ランキング三位のメデルに対し、原田は四位とほぼ同格だった。一時期、旭日昇天の勢いで世界の王座を奪った原田と黄昏時に入ったメデルのボクシング人生は、完全にすれ違ってしまったかのように思われたが、運命の糸は二人に絡みついたまま離れなかった。

 一、二ラウンド、原田のラッシュ攻撃はメデルをロープに釘付けにした。“狂った風車”の異名を取る原田の連打のスピードは凄まじく、顔面からボディまで不規則に打ち分けてくるため、とてもカウンターを狙う隙など見出せなかった。ロープ際の魔術師が、ロープを背にガードを固めている姿を目の当たりにしたファンは、早くも「メデル老いたり」の感を強くせずにはいられなかった。

 三ラウンドに入ると、これまで防戦一方だったメデルがロープ際でもボディへのカウンターで反撃を試み始めた。単発でもタイミングを見計らったメデルのショートアッパーは原田の出足を鈍らせるだけの効果は十分だった。ここでカウンターを警戒した原田がジャブを中心としたステディなボクシングに切り替えると、メデルは原田の速いジャブに対して、スナップの効いた重いジャブで迎え撃ちながら、試合を劣勢から五分の状態に立て直していった。

 原田は序盤に速攻で機先を制したイメージが残っているのか、攻めが強引過ぎた。パンチにスピードがあってもリズムが単調で動きが直線的だったため、そこをメデルに見切られてしまったのだ。

 メデルはカウンターの達人だけあって防御も巧みである。

 一般にオーソドクスの左ジャブを殺すには右クロスのカウンターを合わせるのが有効とされるが、メデルには原田得意の右クロスは通じない。メデルは相手のカウンター狙いを察すると、ジャブを打った左腕の肘を外側に返すように戻す。そうすると右クロスは外に流れてしまいせいぜい肩に当たる程度である。

 六ラウンド一分過ぎ、攻撃がラフになった原田がロープ際の打ち合いで左ショートを浴びてグロッギーに陥ると、あとはメデルの思う壺だった。焦って前に出てくる原田に冷静にカウンターを合わせ、三度のダウンを奪うTKO勝ちで「魔術師」の貫禄を示している。

 一方の原田も半ば意識を失って前のめりに倒れ込みながらパンチを振り続けるなど、最後の最後まで諦めない根性は大したもので、観客は素晴らしいファイティングスピリッツを見せた敗者にも惜しみない拍手を送った。


 運命の女神はこのサバイバルマッチに勝ち残ったメデルに再び試練を与える。

 半年後にマニラでノンタイトル戦に臨んだメデルは、地元の英雄レイ・アシスに不覚のダウンを喫し、スプリットで判定を落としてしまう。再戦ではKOで借りを返したものの、その間にランキングを上げた原田が難攻不落のジョフレを攻略し、メデルのターゲットはジョフレから原田に移る。

 一九六六年十二月、原田とは戦わざるライバルだった世界一位のヘスス・ピメンテルに快勝したメデルはようやく原田との再戦にこぎつけた。二十八連続KOの記録を持つピメンテルからダウンを奪ったカウンターのショートフックは相変わらずの切れ味だったが、三年の月日は精密機械に微妙な狂いを生じさせていた。

 一九六七年二月、二度目の防衛戦でジョフレを返り討ちにした原田は王者の風格に満ちていた。攻撃のバリエーションが増え、クリンチワークも巧みになった原田に二十八歳のメデルはほとんど付け入る隙を見つけることが出来ないまま最終十五ラウンドを迎えた。

 ここで逃げ切れば防衛確実という場面、かつてKOされた相手に一矢報いたい原田はメデルを倒しにきた。

 原田の性格からしてこうなることを予想していたメデルは、ラスト三十秒で狙い済ました右ショートで王者を泳がせると、逆転KOを狙って最後の力を振り絞ったが、防戦一方だった原田がつんのめるように前に出てきた瞬間、とどめのはずのショートフックが頭上をかすめ全てが終わった。

 

 一九六〇年代のバンタム級は、エデル・ジョフレ、ジョー・メデル、ファイティング原田という個性的な三人のボクサーを中心に回っていた。対戦成績を見る限りは、原田がジョフレに二勝〇敗、メデルに一勝一敗で、ジョフレがメデルに二勝〇敗だが、そのほとんどが僅少差であり、結果がどう転んでもおかしくないほど三者の実力は拮抗していた。

 この中で主役はやはり“黄金のバンタム”であるジョフレだったかもしれないが、準主役である原田と名脇役を演じきったメデルの存在なくして、ジョフレという名の太陽が、あれほど眩しく輝くことはなかっただろう。メデルはいわばジョフレの強さを正確に測る物差しだったと言えるかもしれない。

 生涯戦績73勝30敗(45KO)9分

メデルの日本人ボクサーとの対戦成績は8勝3敗(4KO)2分だが、KO勝利した乙守と山根は敵地での対戦のため、日本のファンの前でメデルが演じたKO劇は二試合に過ぎず、それほど日本人キラーというイメージはない。しかし、初来日から5年もの長きにわたって日本軽量級のトップクラスを総なめにしてきた実績は比類のないものだ(河合、宇野との引き分けも地元判定という声が多かった)。最晩年の小林戦にしても、メデルの棄権により小林の連続KO記録は継続したが、引退前の小遣い稼ぎと愛する日本のファンへのサヨナラの挨拶を兼ねてホープの箔付けに一役買っただけのことだ。

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