第二話
店のドアを押すと、小さな鈴が鳴った。
中は静かで、少し埃っぽい空気が漂っている。
木の棚にはエフェクターが並んでいて、壁にはギターがずらりと吊り下げられていた。どれも古そうだけど、ちゃんと手入れされてる感じがした。
「いらっしゃい。」
ゆっくりとした声が、カウンターの奥から聞こえた。
白いシャツにベストを着た、おじいさん。髪は短く刈られていて、目が細くて優しい。
お店の空気と同じで、どこか懐かしい感じのする人だった。
私は思わず、声が出なかった。
代わりに、そっとギターのケースを持ち上げて、カウンターの前まで歩いた。
「そのギター、少し見てもいいかな?」
うなずくと、おじいさんは静かに手を伸ばして、ケースを開けた。
中のギターを見て、目を細める。
「……なるほど。いいギターだ。けど、うん、弦がちょっとね。そろそろ替えどきかな。」
私は小さくうなずいた。
「ピックも、合ってない感じかい?」
「……はい。」
ようやく声が出た。小さな声だったけど、おじいさんはちゃんと聞こえたみたいで、にこっと笑った。
「よし、じゃあちょっと試してみよう。手にしっくりくるやつ、あると思うよ。」
カウンターの下から、小さなプラスチックの箱が出てきた。
中には、いろんな形と色のピックがぎっしり詰まってた。
三角っぽいの、涙みたいな形のやつ、先がとがってるの、丸いの……こんなに種類あるんだ、ってちょっとびっくりした。
「手が小さめだから……まずはこれかな」
おじいさんが差し出したのは、半透明で少し柔らかい感じのピック。
私はそっと受け取って、ポケットからギターを取り出す。
アンプに繋いで、軽く鳴らしてみた。
カラ……ン。
音が、さっきよりも、やさしく響いた。
まるくて、ちょっと切ない音。なんか、柔らかいというか、遠くで誰かが弾いてるみたいな……そんな音だった。
「次は、これ。」
今度は黒くて硬いピック。
これは、さっきよりもずっと鋭い音がした。ガリッ、っていう感じ。ちょっとこわいくらい強かった。
「……全然、違うんですね」
思わずつぶやいたら、おじいさんは目を細めてうなずいた。
「そう。ピックひとつで、音の印象は変わるんだ。音っていうのはね、手と心が通る場所なんだよ」
私はその言葉を、なんとなく、胸の奥で反芻した。
──音って、手と心が通る場所。
なんか、わかる気がした。
「弦も、新しくしておこうか。」
店主がそう言って、後ろの棚からひとつのパッケージを取り出した。
ピンク色のパッケージ。右上にでかでかと“9”の数字。
なんか、見覚えがある気がした。だけど、記憶の底から浮かんできたものと、少しだけ違う。
「ロトサウンド。昔は紙箱だったけど、今はこういうパッケージなんだよ。」
アルミっぽい質感の袋に入った弦。
私の記憶のなかにあるのは、もう少しざらざらしていて、端がちょっと破れかけてるくらい使い古された感じだった。
「使いやすいし、馴染みもある。好きな人は、ずっとこれだよ。」
おじいさんはそう言いながら、手際よく弦を張り替えていく。
錆びついていた弦が一本ずつ外されて、キラキラした新しい弦が張られていく。
その様子を見ているだけで、不思議と胸の奥がすうっとした。
まるで、わたしのなかの何かも、張り替えられていくような……そんな気がした。
「ピックは、これに決まりかい?」
おじいさんが手にしたのは、涙の形をした黄色いピック。
ちょっとざらついた質感。カメの絵が描かれていて、親しみやすいけど、どこか誇らしげな顔をしてる。
「JIM DUNLOP TORTEXの0.73。扱いやすくて、音もはっきりしてる。合ってると思うよ」
私はそれを受け取り、ぎゅっと握りしめた。
手の中に、少しの重みと、確かな触感があった。
音って、たぶん、こういう小さなところから生まれてくるんだ。
帰り道、手提げ袋の中から、ピックの入った小さなケースのカラカラって音がずっとしていた。
そのたびに、胸の奥がちょっとだけ弾むのが、自分でも不思議だった。
最初からギターが弾けるなんて、ちょっと都合よすぎますよね。
でもこの物語は、「転生してギターテクニックを手に入れたラッキーな少女の話」ではありません。
むしろその逆で、「なぜ弾けるのか」「どうして音が鳴ったのか」を探していく物語です。
彼女が辿っていくのは、音と記憶、過去と今が交錯する道。
どうかもう少しだけ、この音の先に耳を澄ませてくれたら嬉しいです。
【後書き:ピックと弦のこと】
ギターを鳴らすには、指だけじゃなくて「道具」がいる。
ピックと弦は、“音を出すためのいちばん近い触感”です。
ギタリストにとって、これは「靴のサイズ」みたいなもの。
合ってないと、どんなに頑張っても“自分の音”にはならない。
■ ピック:JIM DUNLOP TORTEX(0.73mm/黄色)
アメリカのJim Dunlop社が出している、有名なピックシリーズ。
「TORTEX」は、亀の甲羅のように耐久性があり、サラサラした手触りが特徴。
厚さ0.73mm=柔らかすぎず硬すぎず。
→ コードもアルペジオも、ちょうど良い強さで弾ける厚さ。
澪が選んだ理由(文脈的):
指に吸いつくような感じがして、手が自然に動いた。
派手じゃない黄色いピック。小さな亀のマークが可愛くて、ちょっと安心する。
■ 弦:ROTO SOUND R9 “ROTO PINKS SUPER LIGHT”(09-42)
イギリスの老舗弦メーカー「Rotosound」の軽いゲージ(太さ)の弦セット。
“R9”は細くて柔らかい=初心者でも押さえやすく、チョーキングもしやすい。
「ROTO PINKS」という通称も、パッケージカラーに由来している。
澪の設定では:
古い紙パッケージを知っている
でも今売っているのは、新しい銀の袋(アルミ蒸着パック)
“時の流れ”や“記憶の違和感”を感じるトリガーとして登場
文中での描写例(抜粋風):
昔は紙の箱だった。ピンク色で、どこかポップで、やさしかった。
でも今は、銀色のパック。空気を遮断するような、ぴっちりした袋。
たぶんその方が音は綺麗になるんだろうけど……
なんとなく、記憶と手触りがずれたような気がした。
◆ ピックと弦は「音の入口」
ピックが軽ければ、音は柔らかくなる。
弦が細ければ、指は動きやすくなる。
でもそれだけじゃなくて――
「その手触りが、“今の自分”に合っているかどうか。」
それが澪にとって大事なことだった。