第一話
目が覚めたら、なぜかギターが弾けた。
カチ、と小さなスイッチ音が鳴った。
赤いランプが点いた。多分、電源が入ったってことなんだろう。なんか、ピグノーズってやつはそういうやつらしい。
ブタの鼻みたいなつまみを、ちょっとだけ回してみた。ジジ……っていう、微妙に頼りないノイズがスピーカーから漏れる。
怖い。でも、ワクワクする。
ギターの端に、銀色の棒みたいなやつ──シールドっていうらしい──を差し込む。カチッて音がして、音の回路がつながった気がした。
右手が、勝手にピックを構えていた。
さっきと同じコード。E7……なんとか?
私には知るはずもないのに。指が覚えてるだけ。
ジャーン。
鳴った。
音が、鳴った。部屋の空気がびりっと震えた。
小さいスピーカーなのに、ちゃんと歪んだ。いや、むしろ歪みすぎててヤバい。πってやつのせいかもしれないけど、音がまるで壁みたいに押し寄せてきた。
これ、夢じゃないよね?
だって、手が、音が、ちゃんと……
私、ほんとに、弾けてる?
ていうか、もしかして、やっぱ転生したんじゃない?
ギター、最高かも。
―――
朝は、誰とも顔を合わせない。
リビングにはもう誰もいなかった。たぶん、もうとっくに出かけてる。学校とか会社とか、世間的にちゃんとした場所。
キッチンのカウンターに置かれてたのは、冷えた味噌汁とラップで包まれたごはん。味噌汁の表面に、油の膜がきらきらしてた。たぶん、今朝じゃなくて昨日のやつ。
「温めて食べてね」なんてメモは、もう何年も前から貼られていない。
電子レンジでチンする音が、部屋の中でやたら大きく響いた。
別に、寂しいとか思ってるわけじゃない。
こういうのが普通になっただけ。だからたぶん、大丈夫。
でも、たまにふと、空気が透明すぎて、自分が透けてるんじゃないかって思うことがある。
食べ終わったら、いつもの部屋。
カーテンは閉じたまま。机の上には、開きっぱなしのノートパソコンと、適当に積み重なった漫画と、ギター。
……ギターだけは、変わらなかった。
昨日、あのギグバッグから取り出したやつ。
あれだけは、妙にここに馴染んでる気がする。まるで、もともと私の部屋にいたみたいに。
他のことは、全部どうでもよかったけど。
音だけは、まだ“ある”って感じがした。
今日もたぶん、学校は行かない。
出席日数とか、テストとか、今さらって感じだし。
でも、ギターは弾いてみようかなって思った。
昨日の、あの音がまだ指に残ってる気がするから。
……って思ったけど。
なんか、弦、サビてる。茶色っぽい粉が出てきたし、押さえると引っかかる感じ。
ピック?っていうのかな、このはじくプラスチックの板みたいなやつ。これもなんか、しっくりこない。厚すぎるのか、形が合ってないのか……よくわかんないけど、たぶん、そういうのって大事なんだと思う。
というわけで、近所の楽器屋に行ってみることにした。
徒歩で10分くらいのところにある、古びた看板の店。
前に通ったとき、ギターがいっぱい吊ってあったのを覚えてる。
人と話すの、正直めちゃくちゃ緊張するけど……でも、こればっかりは、自分じゃどうにもならない。
■ ピックや弦
ピックは“ギターと指のあいだ”の感触を決める道具。
→ 厚み、形状、素材で全然変わる。
弦のサビは、“時間”の痕跡。押さえるたびに、誰かの時間に触れている。
音を出すには、弦があって、ピックがあって、手がある。
そのどれか一つでも、彼女を「いま」へ連れていく。
【シールドってなんだろう?】
ギターとアンプをつなぐ「銀色の棒みたいなやつ」。
それが、シールド――正式には“ギターシールド”とか、“ケーブル”って呼ばれています。
見た目は地味。でも、これがないと音は鳴りません。
どんなに高価なギターを持っていても、アンプが名機でも、
この一本がちゃんとしてないと、音はちゃんと届かない。
澪がシールドを差し込んだとき、「カチッ」という音とともに、
世界と音がつながったような感覚を覚えました。
それはたぶん、彼女にとっての“音のはじまり”の音。
◆ シールドの役割
ギターの信号(電気)を、アンプやエフェクターに送るコード。
ノイズを拾わず、音をクリアに届けるものほど“良いシールド”とされる。
柔らかいもの、固めのもの、色や長さも様々。
◆ 澪が使っているのは「Providence」製(予定)
Providenceは日本のブランドで、
プロミュージシャンも愛用する高品質なシールドを作っています。
特徴は「音の芯が通っていること」。
歪ませても、空間系を重ねても、音の輪郭がぶれない。
それはまるで、自分の中に一本筋が通ったときの感覚に近い。