プロローグ
目が覚めたら、ギターが弾けた。
思考より速く指が動いて、E7(9)。
名前すら知らないのに、音だけは知ってた。
ギターを鳴らした瞬間、頭の奥にノイズが走った。
見上げると——薄暗いステージ。熱気、スモーク、足元のシールド。
誰かが笑っていた。音が跳ねて、照明が揺れて——。
……ライブハウス? 私、そんなとこ行ったことないはずなのに。
次の瞬間、目の前にあるのは、いつもの自分の部屋だった。
散らかった教科書、使ってないカバン、貼りっぱなしの時間割。
その真ん中で、私はギターを抱えてた。
ギターなんか、触ったことなかったはずなのに。
でも、触れた瞬間、音が出た。しかも、ちゃんとカッコよかった。
なんかこう、歪んでるのに芯がある。ブルースとロックの子どもみたいな音。
テレビや動画で聴いたやつじゃない。もっとこう、耳に刺さってくるやつ。
もしかして、前世でギタリストだった……とか?
いやいや、そんなはず——いやでも、指は言ってる。「知ってる」って。
……まぁ、いいか。
朝、玄関開けたら、そこに置かれてたんだよね。
黒いギグバッグ。名前もロゴも何もなし。無地。
だけど、妙に懐かしくて、ちょっと怖かった。触れずにいられなかった。
足元には、小さなトランク型のアンプ。スピーカーの穴と、ブタの鼻みたいなつまみがついてた。
ポケットから出てきたのは、銀色で四角い箱。黄ばんだクリーム色。
かろうじて「DD-3」と読めた。なんか、昔のロボットに付いてそうな見た目。
あと、ボロボロで重たい緑色の箱も。
塗装ははげてて、右端に小さく——π(パイ)って書いてあった。
爆弾かと思ったけど、たぶんファズ。
ギターは古そうだった。茶色とオレンジの木目。黒い指板。
ヘッドに、タバコでも押しつけたみたいな焦げ跡。
私、タバコなんて吸わないけどね?
でも、この音は知ってた。指が覚えてる。
ギターに触れた瞬間、何かが目を覚ました。
……やば。これ、前世とか、そういうやつじゃない?
ギターの神に選ばれし存在的な。
どっちでもいいけど——これは、私のじゃない。でも、鳴らせる。
それだけは、確かだった。
この音なら、世界をぶっ壊せるかも——なんてね。
最初からギターが弾けるなんて、ちょっと都合よすぎますよね。
でもこの物語は、「転生してギターテクニックを手に入れたラッキーな少女の話」ではありません。
むしろその逆で、「なぜ弾けるのか」「どうして音が鳴ったのか」を探していく物語です。
彼女が辿っていくのは、音と記憶、過去と今が交錯する道。
どうかもう少しだけ、この音の先に耳を澄ませてくれたら嬉しいです。
※ここから先は「現実の話」です。
物語の中で登場した機材たちは、すべて実在します。
そして、どれも“音”だけじゃなく、“記憶”や“手触り”を持った道具です。
興味がある方は是非補足として読んでみてください。
■コードとは
コードは、複数の音を同時に鳴らす“音のかたまり”。
ギターで言えば、指で弦を押さえて、ジャーンと鳴らすあれです。
明るく聴こえるコードもあれば、切なく響くものもある。
曲の雰囲気や感情を決める、音楽の“空気”をつくる魔法みたいな存在です。
澪が弾いたE7(9)も、その“響き”で彼女の心を映していました。
■ ギター:Fender Stratocaster(1993年製)
木目にオレンジと茶が混ざった「サンバースト」という色。
黒っぽいネックはローズウッド指板で、指に吸い付くような感触があります。
“ストラト”は世界中のギタリストが愛した形で、
その音はシャープで繊細、でも歪ませると荒々しくもなる。
まさに「心をそのまま出力する道具」です。
■ Pignose 7-100(ピグノーズ)
小さなポータブルアンプ。
乾電池で動いて、小さいのに、ちゃんと音が鳴ります。
「最初の一音」は、このアンプから。
”ブタの鼻”みたいなつまみを回すだけのシンプル構造。
→ ノブが一つしかない=自分の耳で音を聴くしかないアンプ。
■ BOSS DD-3(ディー・ディー・スリー)
エフェクターと呼ばれる、音に“効果”を加える装置。
これは「ディレイ」といって、ギターの音を少し遅らせて、繰り返す装置です。
声で言うと「やっほー……ほー……ほー」ってやつ。
まるで山びこのように、音が空間を漂います。
“音の記憶”を残す機械です。
■ Russian Big Muff
正式には「Electro-Harmonix Big Muff π」。
ロシアで製造されたこのモデルは、重くて、塗装も剥がれやすく、
見た目は無骨で、文字もロシア語まじり。
でも、スイッチを踏むと爆発したみたいな轟音が出ます。
ギターの音が、怒りにも叫びにもなる――そんなエフェクターです。
■ π(パイ)って何?
この記号は、数学の円周率で有名ですが、ここでは“ビッグマフの象徴”として使われています。
本体に「π」のマークが刻まれていたら、それは本物のBig Muff。
記号が“音のトレードマーク”になっている、珍しい存在です。
■ この物語での“音”と“機材”について
ギターやエフェクターは、単なる道具じゃありません。
それぞれに「音」があって、「性格」があります。
主人公・澪にとっては、それが“誰かの記憶”と重なって聴こえます。
もしこの後書きで「ちょっとギター触ってみようかな」と思ってくれたら嬉しいです。
そして、いつかあなたの手にも「世界を変える音」が宿るかもしれません。