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人生のピーク

 学校祭のような乗じるきっかけがないと凡庸な生徒は異性と知り合うことも仲を深めることもできず、去年予想した通り、とうとう高校最後の学校祭が始まり、終わり、俺はやはり童貞のままだった。芳日高校はそこそこ真面目な進学校だけれど、三年生も学校祭だけは別腹って具合にけっこう白熱する風習というか、毎年の流れがある。俺達の学年も例外ではなく、受験勉強のことはいったん脇に置いてしっかり羽目を外したようだった。今年は『赤団』が勝利し、俺達三年六組は『黒団』として敗北したが、俺にとってはやっぱりそういうのはイマイチどうでもいい話なのだった。こんなふうに無関心なところ、協調しないところが俺のなんだかんだ残念な欠点だと自覚はあるんだけど、こういうのはなかなか改善しようがない。なので案の定、今年も学校祭マジックは俺の知らないところでキラキラと発動しているようだった。高校生活もあと半年なのに、よくやるよ。と、負け惜しみを言う他ない。


 俺はけっきょく何も味わえなかった。なんにも経験できなかった。いや、友達と駄弁ったり遊んだり、そういうのは普通に楽しかったし、三年生になってコツコツ勉強して模試の点数を上げていくのも思ったより嫌いじゃない。だけど高校生活を振り返ってみてまず頭に浮かぶのは、何もなかったなって、けっきょくそんな感想なのだ。


 何を重視するかなのだ。俺はどこまでいっても脳味噌が股間の形をしていて、女子と仲を育み恋愛っぽいことをして学生を満喫したかったのだ。そのわりには誰のことが好きだとかそういうのもなく、漠然としていて、最初から最後まで天に任せきりだった。覇気もない。


 そうして学校祭のあとに俺はまた六組の教室に残っているが、今年は祭りの終わりを惜しんでいるのではなく、ただ受験勉強をしているだけだ。俺は塾には通わず、学校で居残り勉強をさせてもらっている。わからないところがあれば先生に尋ねに行く。そういう生徒は他にもいて、俺が特段珍しいってわけじゃない。


 だけどさすがに今日は誰も残らなかった。学校祭の余韻に浸りたいし、勉強は明日からリスタートしよう!と考えている生徒は意外と多いのかもしれない。あるいはまだ打ち上げとかが控えているのかもしれない。


 打ち上げか。俺達『黒団』には打ち上げがあるんだろうか? あるはずだけど、なんかもういいかなという思いも強い。仲のいい奴らとはクラスも別なので、この期に及んで参加する意味合いも薄い。


 ふ、と気配がして、隣の席に誰かが座る。ぼーっとしていたから少しビクッとなる。隣の席だから座るとしたら川村だろうが、特に仲も良くないし勉強中なので顔を上げたりしない。川村も遅ればせながら勉強をしに来たんだろうし、いちいち目を合わせる必要もない。お互いに邪魔をせず、黙々と。これが居残り組の共有すべきルールなのかなと俺は思っている。


 大学は国立志望だけど、学力の関係上、一か八かの受験になりそうだ。とはいえ、あまりにも遠方の国立では何かと不都合そうだし、偏差値の低いところは中身もそれなりといった具合で、国立ならなんでも構わないって心境じゃない。学費が上がって親には申し訳ないけれど、鷹座に散らばる私立大学群も視野に入れるしかない。悩ましい。そして、進路のことを真剣に考えている自分自身がなんだか不思議というか、不自然だ。気を抜くと他人事のようにも思えてきて危ない。


 志望校の過去問をやっていると、隣の川村がおもむろに立ち上がり、もうそんな時間か?と俺も顔を上げて教室正面の時計を確認する。まだ勉強を始めて一時間ちょっとしか経っていなかった。川村が来てからは三十分くらいしか経過していないんじゃないか? 飽き性だな。トイレか?と川村をチラリと窺うと、川村じゃなくて中原鈴香が立って俺を眺めている。


「あ、あれ……?」驚きすぎて反射的に声が漏れる。中原は六組じゃない。何組かは知らないけども、こんなところにいると思っていなかったから意表を突かれる。「お、お疲れ……」


「お疲れ」と中原も言う。


「…………」

 中原か。去年の学校祭前後からまったく話していなくて懐かしい……というよりは明確に黒歴史でやりづらいんだけど、どうしてここにいるんだろう? 教室を見渡してみるが、他に生徒はいなくて、え?、この子、今まで俺の隣で勉強してたのかな?と思う。わざわざ?


 俺が黙っていると、中原は目を伏せ、なんか、床の汚れでも確認するかのような動きをしてみせてから、教室後方へ歩いていく。カバンも持っているし、帰るつもりみたいだ。


 何か声をかけた方がいいんだろうか?とまず思うけれど、特に何も思いつかない。俺の隣で勉強してたの?とでも尋ねればいいのか? なんで誰もいない教室で俺の隣に座ったのかは気になるが尋ねてどうする?ってのもある。もう帰るみたいだし。去年みたいにすごくウザいアプローチをまたし始めたら中原はどうするだろう? そんなことを想像すると可笑しいが、俺には既にそんなエネルギーない。


 教室の戸が開けられて閉められる音を待つが、なかなか聞こえてこない。あれ?中原もう帰ってる?と振り返るとまだいて「鬼崎くん、学校祭どうだった?」と訊かれる。


「学校祭? いつも通りだったよ」と答える。


「彼女できた?」


「えっ、ううん」

 できるわけない。どうしてできると思うんだろう? あ、そうじゃないのか。ひょっとして、あれから俺に彼女ができるかどうかが中原はずっと気がかりだったとか? フったことで憐れみが湧き、一年経って俺がどうなったのかを確かめに来たとか? 俺に彼女ができていれば中原も罪悪感なく安心して高校卒業ができる、とか? でも別に中原は責任なんて感じなくていいのに。告白してくれたけど好きじゃないから付き合えない。それは当たり前の話だし、そんなことを気にしていたら告白は全部受けなくちゃならなくなってしまう。見ると、しかしなんだか中原は浮かない顔をしている。


「ごめん。私、鬼崎くんと喋りに来たんだけど……鬼崎くんは私とはもうあんまり喋りたくないよね……?」


「え……」まあ話すことはもうない気もするし、そういう観点でいえばあんまり喋りたくないとも言えるが「そんなことないよ」と一応返す。


「私のことってまだ好き?」


「いや、それはないない」

 俺はちょっと笑って否定するけど、直後に、もしかして好きって言ってほしかったのかな?と思う。中原、心変わりした? 今さら?


「嫌いではない?」と今度は訊かれる。


 なんかウザいなと少し思ってしまう。でも去年の俺はこれよりもウザかったはずなので我慢する。俺は中原よりも遥かに心が狭く、やっぱり中原って優しいんだろうなと改めて思う。「嫌いじゃないよ」


「鬼崎くん、学校祭楽しかった?」


 その質問はさっき……と内心ツッコミつつ、でも訊き方が若干違ったので「別に楽しくはないかな」と改めて答える。「学校祭自体が楽しいってことはないよ。学校祭なんて、中原さんみたいな一軍とか二軍が燃えるようなイベントでしょ。俺は可もなく不可もなくだよ」


「私も別に燃えてないし」と苦笑される。「普通だし、なんか学校祭っていうと……」


「……なに?」


 中原は目を細めて俺を眺めている。「ううん。私も学校祭好きじゃないから」


「そうだっけ? 楽しんでる側だと思ってたけど」


「好きじゃなくなった、かな」


「へえ。誰かにフラれた?」

 あ、なんか当てつけみたいになったかな?と後悔するが発してしまった声は戻せない。


「フラれてはないけど……」


「フラれそうになってるみたいな感じ?」


「や、今は付き合ってる人いないから」


 ピンと来てしまうのが嫌だ。「この前までは彼氏いたんだ」


「…………」中原は唇を噛んで目を泳がせてから「うん」と認める。


「そっか」

 今となってはどうでもいい。好きな人はいないけど俺とは付き合えないってなったのにけっきょく彼氏は作ったんだ……とは思いはするものの、怒りも失望もない。


「でもそれって……あ、ごめん。私、メッチャ鬼崎くんの勉強の邪魔してるよね。大丈夫?」


「それは全然大丈夫」


「うん。ごめんね?勉強忙しいのに。もう少しだけ話聞いてほしくて。あの、あのね? 私があのあと鬼崎くんじゃない人と付き合ったのって……あ、ごめ、泣きそう……」


「ええ!?」俺は焦って思わず立ち上がる。「な、なに? 大丈夫? 泣かないで」くらいしか言葉をかけられない。「話したくないんだったら話さなきゃいいし……」


「や、話したくてここに来たんだけど」中原は両の拳を目蓋に当てているけれど、涙声にはなっていない。「鬼崎くんが絶対に残ってるって確信持ってたわけじゃなかったから、実際にいたらいたで、どう切り出すかも考えてなくて、やっぱり帰ろうかなとも思ったんだけど……」


「うん。気が進まないならそうした方がいいんじゃない?」


「ホントに鬼崎くんって興味なくなったら突き放すよね!」と声を荒らげて屈んだかと思うと中原はけっきょく泣いてしまう。


 スカートで屈むもんだから両足首の向こうに思いっきりパンツが見えて、意外にも白で、だったら何色だと思ったんだ?と問われてもわからないけれど、普段だったらそのまま黙ってラッキーパンツを拝ませていただくんだけど泣かれてしまっているので俺は極力見ないようにしつつ中原に寄る。パンツへの射線を切るべく中原の隣に立つ。「別に突き放してないから。わざわざ気が進まないことを中原さんに喋らせたくないだけ」


「話したくて来たんだって言ってんじゃん……」


「まあね」でも泣くようなら断念してもいいと思う。「俺はなんだかんだで中原さんと一秒たりとも恋人関係になってないわけだから、中原さんは俺に気ぃ遣わなくていいんだよ? 中原さんが誰と付き合おうがそんなの中原さんの自由だし。あのあと急に彼氏が欲しくなって誰かと付き合いだすとかも、別にありだろ。そうじゃなくても、普通にいい相手を見つけたとかもありえるし」


 中原に逃げ道を作ってやっていると、廊下から話し声が聞こえ、近づいてくる。誰か来るかな? でも六組の生徒かはわからない。放課になってからまだ時間が浅いので、生徒はいくらでも校内に残っている。


 中原がすっと立ち上がり、俺の袖を摘まむ。「他の場所行きたい……」


 三十分くらい勉強時間が削られそうだ……と反射的に計算してしまう俺はひどい奴だ。「わかったよ」


 三年生のフロアである二階から一階へ下り、廊下の端にある掃除用具なんかを置いておく小部屋へ入る。階段の下の空間を利用しているので天井が斜めに下がってきており頭上注意だ。


 奥まったところで話が再開される。「学校祭の翌日、鬼崎くんはなんで私を無視したの?」


「去年の学校祭の翌日、ってこと? 無視してないだろ。話したじゃん」


「でも、もう話さなくていい・話すことはないって感じだったでしょ?」


「最終的にはフラれるんだから時間かけてもいっしょかなって思ったんだよ。実際にフラれただろ? あのとき中原さんは『付き合えない』ってはっきり言ってたよ?」


「うん……でももっと長く話し込むもんだと思ってたから」


「俺からしたら、前日に一回フラれてるわけだし。俺がしつこいから翌日に持ち越しになっただけで、改めてフラれるのは変わらないと思ったんだよ。それに気付いたら頑張って粘るのもバカらしくなってきて、早めに切り上げたんだけど……なんか間違ってた?」


 中原はふるふると首を振り、嘆息する。「私が間違ってた。あの日も鬼崎くん、私のこと好き好き言ってくれるんだろうなーって思ってたから。鬼崎くんの不安とか、わかってあげられてなかった」


「え、そんな今更……」


「いやっ、ごめん。許してもらいたいとかやり直したいとかじゃなくて……今日は鬼崎くんとただ話がしたくて来たの。ごめん。嫌な気持ちにさせてたらホントにごめんね」


「ううん……」


「学校祭のあとの……教室に残ってたあのときの鬼崎くん、なんかすごい可愛くて、好きだって言ってくれたのも嬉しくて……ああいう話を翌日も、そのあともずっとできたらなって、思ってたんだけど……」


「……ん? 翌日の話し合いでも俺が学校祭テンションで攻めてたら可能性があったってこと?」


「…………」


「…………」

 え? その沈黙は何? でも、どのみち『付き合えない』とは言われたけども……あれって俺が弱腰になっていたから? 好きって言ってくれない弱気な俺とは付き合えないって意味? ちゃんと駆け引きをしたあとでなら付き合えた? いや、だけどあれはもっと総括的な言い方だったはずで……いやいやいや、違う。そうじゃない。考えるな。これはもう取り返しのつかない話でしかなく、顧みるべきじゃないのだ。価値がない。むなしいだけだ。中原も今日はただ話しに来ただけだと言っている。


「……けっきょく私のピークって、あのときだったんだなって思うんだ。学校祭のあと、鬼崎くんと喋ってて、ちょっとウザいなって思ったのは本当なんだけど、でも楽しかったし、すごいドキドキしたし、鬼崎くんてこういう人なんだー意外と可愛いじゃん付き合ったらどんなふうになるんだろ?って帰ってからも考えてて、でもまだ実際に付き合う感覚とかは想像できなくて、どうなっちゃうんだろ?って思ってた、あのとき。あの瞬間」


「…………」


「翌日の鬼崎くんはなんか雰囲気違ってて、あーあ私怒らせちゃったんだろうなってあきらめちゃって、もうろくに話もできなかったけど」


「…………」


「高校生活を振り返ると、鬼崎くんと喋ってたあのシーンが真っ先に浮かぶんだよね。私と鬼崎くんは何にもなれなかったしどこへも行けなかったけど、あの瞬間だけはマジで楽しかった。楽しかったっていうか、気持ちがブワッて舞い上がったし、胸がぎゅってなった。締めつけられてて苦しいはずなのに、そんな状態で吸ったり吐いたりする息ひとつひとつが、一回一回が、ものすごく心地よくて、大切な気がして、尊い~って感じがしたの」


「…………」


「たぶん私の人生でああいう瞬間ってもう二度と来ない気がするから、そう思うとすごい寂しいんだけど……でも、だから、最後にそれを鬼崎くんに話しときたかったんだ」


「…………」


「ありがとう。ごめんなさい」


「…………」


「私があのとき……あはっ、やば。また泣く」


「泣かないで」と俺はまた頼むけど、俺もなんか泣きそうだ。俺がもう少し我慢強く構えていれば未来は違っていたかもしれなくて悔しい、ということよりも、なんか、失われて損なわれた瞬間っていうのは当たり前だけど二度と戻ってくることがないのだと初めて知り、それが悲しい。恐ろしい。俺の燃え盛るような情熱が中原にそれほどの衝撃を与えられたのならばそれはもしかすると光栄なのかもしれないが、あのウザいくらい暑苦しかった俺ももうどこにもいなくて、同時に空寒い。人生最高のピークの瞬間を既に捉え損ねたかもしれないという自覚は、たしかに恐怖だ。


 俺達はそれなりに頑張って毎日を生きているつもりだが、どんどんと突き進んでいくしかなくて、そのときそのときの自分自身へのケアなんてまったく充分じゃなくて、だからついついあきらめたり投げ出したりして楽になろうとするけれど、考えなくちゃならない。二度と戻れないその瞬間は、簡単に捨て置いて平気なものなのかどうか。


 くだらない教訓だ。そんなの誰でも知っていて無意識的に気を払っているはずだ。でも俺は痛感してしまった。本当にそういうことがあるんだと体感してしまった。だったら、くだらないじゃ済ませられない。


 小部屋の、掃除用具のモップなどといっしょに俺は背中を丸めて立っている。中原は隣で屈んでいる。俺は中原の頭に手を置く。「そんな、二度と来なさそうな人生のピークを更新したくて彼氏を作ってみたってことね?」


「違う」とうつむいたまま否定される。「鬼崎くんと喋ってたときの、ああいう瞬間がもっと欲しかったの」


「ふうん」


「……でもダメだった。その人も私のことを好きって言ってくれて、だから付き合ったんだけど、全然上手くいかなくて……。や、私が勝手に高望みした挙げ句に失望したってだけでその人には申し訳なかったなって今にして思うんだけど、喋ってても、デートとかしても、夏休みには旅行へも行ったんだけど」


「そういう具体的な話はあんまり聞きたくないかな」と俺は割り込んでしまう。イラッとしてしまう。俺が熱意を尽くしたときには軽くかわそうとしたクセに、好きだって言われたから付き合ったって、なんだよそれ。


「ご、ごめん。でも私が言いたいのは、だから鬼崎くんは本当に特別で、私にとってはすごい人なんだよってこと。鬼崎くんは大学行ったら絶対モテるから。自信持ってキャンパスライフ満喫してほしい」


 ふざけんな。「……で、中原はけっきょく俺のこと好きなの?」


「…………」


 俺は中原の隣に屈む。「俺はお前が好きなの」


 なんかムカつきに任せて口走ったけど本当なのか? 正直、去年みたいな、中原は可愛いしエッチしたいしなんとしてでも口説き落としたい!みたいな衝動はない。でも、俺なんかとの数分間の会話を人生のピークだとか言って思い出して泣いてくれる子なんて、それこそ俺の人生で二人と現れないはずだ。それに、中原にはあんなものをピークにしてほしくない。あんなくだらない学校祭マジックなんかを。だって、俺がいれば中原のピークはまだまだ昇り調子ってことなんだろう? 俺なら、ひょっとしたら中原のピークを一日ごとに更新していけるかもしれない。そんなことをしてあげられる相手が目の前にいるのに、しないなんて、せずに人生を済まそうとするなんて、ちょっと愚かしくないだろうか? 変な動機かもしれない。だけど俺は中原をこのまま帰らせてそのまま卒業時期が来たら今生のお別れというふうにしたくない。


 中原はまだうつむいている。「……ごめん。私も好き」


「なんなんだよ」俺は脱力する。「だったらそう言えばいいじゃん……」


「鬼崎くん、絶対怒ってたじゃん。私ずっと嫌われてるのかと思ってたし……」


「まあ、なんかよくわかんなかったけど」


「ほら。絶対怒ってた。あのときだって、全然私の話聞いてくれようとしないし、そりゃあきらめるよ」


「……すいません」で足りるのかは定かじゃないが。


「いや、私もごめん」ようやく中原が顔を上げる。目が真っ赤になっている。「ねえ、大好き。やばい。超好き」


「そんなに好きなんだ?」


「あのさ……からかわないで。私いま本気」


「からかってないけど、どうなるの?俺ら。これから」


「絶対鬼崎くんの邪魔になるってわかってて言うけど、付き合いたいです。もちろん、高校卒業してからも、ずっと」


「中原さんは志望校どこなの? てか文系? 理系?」


「知らないの? やっぱ私のことなんて見てないよね……三年三組の国立文系コースですが? 第一志望は宇羽大学です」


「おっ。俺も宇羽が第一志望。理系だけど。鷹座からもほどよく近くていいよな」


「…………」


「まあ俺は落ちそうな気がするけど、いっしょに合格できたらいいかもね」


「……どこに進学するんでもいいけど、付き合いたいって言ってんの。私。誤魔化してないで付き合いたくないなら付き合いたくないでいいから、言ってよ」


「…………」


「……あー、鬼崎くんが怒ってたの、なんとなく理解できたよ。たしかに、わかった。じゃあ付き合わなくていいよって言いたくなるわ」


「いや、冗談冗談。俺から告白してるんだから、付き合うだろ。中原さんが受けてる側だし、そもそも中原さんが自由になんでも決めていい立場なんじゃないの?」


「……今回は私が惚れてる側だから。立場弱いし」


「全然。俺の方が下でいいよ」


「ホントに? 鬼崎くんってMなの? 去年も自分のことはひどい扱いでいいって言ってたよね?」


「……はは。言ったっけ? よく覚えてるな」


「全部覚えてるから。一言一句。それくらいじゃないと、大事な思い出だなんて言えなくない?」


 俺は中原の頭に手をやり、今度はちゃんと撫でてみる。汗を掻いていたからか、髪はパサッとしている。見た感じは細いけれど、こうして触れてみると、一本一本は意外と太い。なんだか、三年生になってからはずっと勉強勉強勉強で参考書の文字ばかり眺めていたが、やっぱり女の子……というか中原は可愛らしい。メスっぽい瞳に俺が映っている。


 中原が俺の太股に乗っかりながら抱きついてくるが、学校祭テンションになっていない俺は固まってしまい受け身のままだ。体が動かせないわりには口が回る。「前の彼氏とはやった?」


「はあ? バカじゃないの?」


「やってるに決まってんだからいちいち訊くなってこと?」


「やってないから」中原が両腕をぐっと締めてくる。「鬼崎くん絶対そういうの気にするよね」


「…………」

 普通気にしない? だけどさすがにハグはされているだろうからそれは敢えて訊かないけれど面白くはない……って感じるということは俺も中原に対してちゃんと気持ちがあるみたいでホッとする。勉強ばかりしていたし、中原のことはとりわけ考えないようにしていたし、俺の感情の働きはぶっちゃけ今現在、小さい。弱い。好きだとは言ったものの、好きだよな? 好きなはずだ。うんうん、好き好き……といった具合だったのだ。でもいずれにせよ、これからの受験勉強は昨日までのそれといろいろな面で様変わりしそうだ。具体的にどんな心境で進めることになるかはまだ想像もつかないんだが、今までのように粛々とはいかない気がする。


 中原の吐息が頬に当たり、当たるや否や、より鮮明な柔らかい感触が頬に広がる。一年振りにチュウをされている。中原にとっても一年振りなんだろうか? ハグもだけど、キスぐらいはしていて当然だよな? 心を読まれたかのように「キスもしてないから安心してください」と言われる。


「嘘だろ」と俺は勢いよく首を捻り、真横にいる中原と目を合わせる。顔がものすごく近いが、今は気にならない。「何ヵ月付き合ってたのか知らないけど、キスしてませんは嘘臭すぎる……」


 付き合ってもいない俺のほっぺにすらチュウしていたのに、彼氏にしてないなんておかしすぎてちょっと白々しい……と思っていると口にされる。


「そんな簡単に誰にでもキスしないから。私がなんであのとき鬼崎くんにキスしたのか、そういうのも鬼崎くんは考えてくれてなかったよね」


「…………」

 なんか、たしかにな。でもあんなほっぺにチュウくらいで自惚れるなみたいな意識があのときにはあって、勘違い野郎にはなりたくなくて、できる限りスルーしていたのに。


 また唇に唇を重ねられ、舌を少し入れられる。こんなの絶対初めてじゃないじゃんと思うが、俺も舌を入れるキスくらいなんとなく知っているし、実際、中原の舌に応じているんだから何も言えない。信じたいし、信じてあげようと思いなおす。


「……ま、悪いのは私だ。鬼崎くん、ありがとう。私に、ちゃんと好きって言うためのチャンスをくれて」


「別に……俺が好きだと思ったから好きって言っただけ。中原さんが悪いってこともないし」


「本当にごめん。去年の告白、嬉しかった。遅くなったけど、私も大好きです」


「……学校祭マジックが一年後に煌めくこともあるんだな」


 俺がおどけると、しかし中原は首を振る。「私はあのときからずっと鬼崎くんのことばっかりだったから、学校祭マジックって感じが全然しないんだけど」


 俺にとっては、でも、そもそもが学校祭の勢いを借りた種蒔きだったわけだから、今回かろうじて花開いたこれは、やっぱり魔法なのだ。天からの奇跡。それでも一応、自分自身で引き寄せた幸運だという自負もある。とはいえ、俺が学校祭に後押ししてもらって下心丸出しで招き迎えたシーンなんかが人生のピークだというのは、やっぱりなんか、浅ましいというか、乏しい。中原にはこれからもっといろんな場面でドキドキしてもらいたいし、感動してもらいたい。俺だってそう。生きていて二度は訪れないであろうと思える瞬間は、中原となら、何度となく通過できる気がする。

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