月のあかりに照らされて
これは、永久に続く、名も知らない、忘れられた小さな島の物語。
トゥラル・トゥラル・ティ・トゥトゥ
お月様が目を覚ました
トゥラル・トゥラル・ティ・トゥトゥ
今度は、あなたがまぶたを閉じる番
お月様、この子を見守ってください
鳥達があかつきを告げるまで
ある静かな満月の晩、あなたは昔よく歌ってもらった子守唄を口ずさみながら、ひとり物思いにふけっていました。それは子供のころに置いてきた優しい日々の思い出。
あなたは幼いころ、小さな島の小さな小屋で暮らしていましたね。一年を通してやわらかな日差しがさんさんと降り注ぎ、花や果実のあまい香りが風にのって草原をかけめぐるその島を、人々は「常若の島」と呼んでいました。
あなたには親はなく、シーという名の女性が親代わりになってくれていたのでしたね。あなたがどこから、だれに連れられて、どのようなわけでここへ来たのか、わたしはまったく知りません。わたしとの出会いは、朝月夜に満面の笑顔で庭先を走り回る幼いあなたを見たのが最初でしたから。
シーはあなたに海より深く、春のそよ風よりも優しい愛情をそそいでくれましたが、その中でも特にあなたは、ねる時に彼女が聞かせてくれるお話と子守唄が大好きでした。
そして彼女の作るブルーベリーパイはこの上なく美味しく、あなたが悲しみの中にいる時には必ず焼いてくれてあなたの心をいやしてくれました。そのころのあなたにとって、彼女といるところがあなたの世界でしたね。
そのうちにあなたはだんだんと成長し、そして少しずつ、なやみ考えるようになってきましたね。なぜ彼女は島の外の世界のことを話してくれないのか、そしてなぜ彼女はこんなにも優しくあなたを育ててくれるのか。
そしてある晩とうとう、あなたは彼女にたずねてしまうのです。
「教えてください。シー様はなぜ外の世界のことを教えてくださらないのですか? 外の世界にはいったい何があるのですか?」
あなたの言葉を聞いて、彼女は少しばかり悲しげな表情をうかべ、そして静かに語り始めましたね。
「ダナン、あなたも大きくなりましたね。あなたがここへ来てから、もうそんなに時が経ってしまったのですね。わかりました、私の知っていることをあなたにお話しましょう。ですがそれを聞いてしまうと、あなたはもう戻れなくなるのですよ。それでもよろしいですか?」
あなたは、これまでに見た事もない彼女のものがなしそうな表情に、ほんの少しだけ気おされましたが、すぐに首をたてにふったのでしたね。
「そう、そこまであなたの意思はかたいのですね。それでは話さないわけにはいきませんね。では聞かせてください。あなたは『時』というものをどうお考えですか?」
そんなとつぜんの質問にあなたは少し言葉を失いましたが、すぐにこう答えましたね。
「はい、それは月が姿を見せ、消え、そして朝が来る事。春にまいた種が秋に実をつける事。そして、なにも知らない小さな子供が自分自身に疑問や不安を覚えることです」
あなたの答えに、彼女は答えました。
「そうですね。それも『時』を感じさせることです。ですが、私達の住むこの島はそんな『時』の流れからはずれてしまっているのです。そして過ぎ去った『時』を人々が忘れてしまうように、人々は私達のことを覚えていないのです」
「……わたしには、シー様の言うことがよく 分かりません」
本当は、あなたはこの時、彼女の語ることの意味をうっすら分かっていました。しかし臆病なあなたは、それ以上、自分で考えることをやめてしまったのでしたね。シーもまた悲しげに口をつぐんだままでしたので、あなたたちの間の時はまるで凍ったようでした。遠くから狼の遠吠えが聞こえてくるまで、そんな凍った時は続きましたね。
「夜もふけてきました。今日はここまでにしましょう。あとは明日の晩に」
彼女はそう言うと、さみしげな表情を残して部屋を出ていってしまいました。
彼女からこれ以上答えを聞くことができないあなたは、このとき一人で島を出る決意を固めてしまったのでしたね。知っている人がいないことぐらいへっちゃらさ、シー様以外の知り合いなんて、もともとほとんどいないんだから、なんて強がりを言っていたのを、わたしはよく覚えていますよ。
もう一つの質問については、あなたはもともと聞く必要はなかったのでしょう。彼女の優しさに理由などないことを、はじめからあなたは知っていたのですものね。
「四、五日もしたら戻ります。どうかご心配されないでください」
若かったあなたは、その晩のうちにわずかな荷物だけを皮ぶくろにつめこみ、一通の置き手紙を残して、そっと家を出たのでした。それは夜明け方のうす明りのなかでのことでしたので、あなたの姿はわたしですらよく見えなかったのですよ。
知らない世界への好奇心と、温もりから離れ自分を試したくなる自立心、それがあなたをこの小さな旅にいざなわせたのでしたね。
家を出てすぐに、あなたは庭先の花壇でシャムロック(シロツメグサ)の葉を一枚つむとパンをつつむために使われていた油紙で包み、お守り代わりに胸のポケットにしまいました。思い出しますに、この花壇の花々はあなたがこの小屋へ来たばかりのころにシーと共に作り、二人で大事に育ててきたものでしたね。
小さな島でしたから、地図をたよりに粗末なじゃり道をゆっくりと歩みすすめても、その日の晩には舟着場までたどり着いてしまいましたね。わたしの記憶が正しければ、この道のりはシーに連れられて何度か通ったことはあったかもしれませんが、一人で来たことはなかったように思います。
雲一つない上弦の月の晩、海岸につながれていた小舟を見つけたあなたは、おだやかに波打つ海へとこぎ出しました。真夜中の海へ一人で舟を出すなんて、今のあなたなら決してしないことですよね。好奇心が全てのおそれを忘れさせてしまったのでしょうね。
波風はおだやかで凪のような夜でしたが、不思議なことに、あなたをのせた小舟は何者かに誘われるかのように、ゆらゆらと揺らされながらどこかへと運ばれていきました。小舟の上で夜をむかえ、夜の寒さと心細さからあなたは何度も心が折れそうになりました。そんな時、あなたは胸にしまったシャムロックの葉に両手を当てて気持ちをふるい立たせていたのでしたね。
そして家を出る時に持ってきた食べ物が底をついたころ、ようやく名も知らない海岸にたどり着いたのでした。それはうす雲のかかるおぼろ月夜の晩でした。
あなたはてきとうな岸辺に小舟を乗りつけると、何かからにげるかのようにあわてて舟を飛び降り陸地へと足をつけたのでした。思えばあれは、初めての海で感じた恐怖という魔物からすぐにでもにげたかったのかもしれませんね。
とくとくっと脈が早まり、どんっと心臓が大きく高鳴るのを感じたあなたは、二、三度深呼吸をして気持ちをしずめました。そして心臓の高鳴りを感じなくなったあなたは、小舟をロープで岸へと引き上げ、ロープのもう片方を目についた木の幹に結び付けました。
あなたはすわり心地が良さそうな木の根を見つけると、そこに腰をおろしました。ほおっと安堵のため息をもらすと同時に、ぐうとおなかの音がなりました。しかしながら皮ぶくろの中にはわずかなパンきれと干し肉以外残っておらず、とうていあなたのおなかの虫のご機嫌をとるには足りません。
ですので、少し歩いたところにしげるブルーベリーの木を見つけたあなたは、思わず歓喜の声をあげてしまい、そしてすぐに両手のひらを口に当て周囲をうかがいました。そして辺りに人や獣のたぐいがいないことを確認すると、あなたはその実をほおいっぱいにかきこみました。
その実はまだ熟しきっておりませんでしたが、空腹のあなたはこれほどおいしいブルーベリーは食べたことがないと感じていましたね。ほのかなあかりに月ばえした実は実際よりも熟して見え、あなたは手当たり次第にそれをむしりとると皮ぶくろの中に放りこんでいきました。
夜が明けてから、あなたは人里をもとめてほうぼう歩きまわりましたが、ひとっこひとりと出会うことはありませんでした。
夜のとばりがおりはじめ、あなたは周囲をみわたすために高台に上がると、闇の中、遠くに小さな明りがゆれ動いていることに気付きました。一見、そのかすかな光はホタルのそれ思わせましたが、耳をすましてみますと虫の声とは思えないおそろしげな音色が耳もとに届いてきて、あなたはその場にしゃがみこんでしまいました。人々の泣き叫ぶ声、悲鳴、獣のような品のない雄叫び。おそらく、あそこでいくさが起きているのでしょう。
「おやおや、こんなところに子ウサギが一羽ぶるぶるとふるえとるよ」
ふりむくと、そこには腰の曲がった老婆が満面の笑みであなたをながめていました。
「ああ、そういえば、ずいぶん前にもこんなことがあったかもしれんのう。その時もたしか、今晩のような 霞がかった月夜の晩だったかのう。こんな晩は、いたずらな妖精が子供をさらって連れてきちまうんだろうね」
いたずらそうに老婆はそういうと、あなたの言葉を聞くもなく、こう言葉をつづけましたね。
「わしゃあ鳥目でな、今宵の空といっしょでかげってしまい、足下がよう見えんで、帰れんのじゃ。悪いがわしを家まで連れて行ってくれんかのう。礼にといってはなんじゃが、今晩はとまっていくとええ」
それが老婆の気づかいと知りつつも、闇夜の心細さのなか、悩むことなくあなたは老婆の好意にあまえることにしましたね。老婆の用意してくれた温かなアイリッシュ・シチューをひと口ふくむと、とたんにそばにシーがいないさみしさがこみ上げてきました。
夜が明けたら、すぐに舟に乗って島に帰ろう。そしてシー様においしいブルーベリーパイを作ってもらおう。人の温もりにふれて、あなたはこの小さな旅の終わりを決心しましたね。
「さあ、おまえさん、そろそろねんしゃい。明日の朝にはここを出て、はやくあんたの家におかえり。おまえさんの母さまは今ごろ、たいそう心をすり減らしていることだろう。このゆらゆらと燃えるローソクのしずくのようにね。おまえさんのような、満月みたいにきらきらした瞳をした子なら、なおさらじゃよ」
あなたのための寝床を用意しながら、老婆はひとり言のように話しつづけました。
「来た時と反対に、モミの木に向ってそれることなく進めば、夕方にはおまえさんのやってきた海岸にたどり着くだろうさ。そこで朝を待って、舟に乗ってお帰り。なにがあってもくじけちゃいけんよ」
あなたは、老婆に心の中をみすかされたような感じがして、はずかしさでいっぱいになり、なにも言わず、こくりとただうなずくだけでした。そんなあなたに老婆もまた、ただほほえみで返してくれたのでしたね。
翌朝あなたは老婆にお礼とお別れの言葉を言うと、海岸をめざして歩きはじめました。老婆はあなたにたくさんの食べ物をわけてくれましたので、お腹の虫も十分に飼い慣らすことができました。そしてその晩には海岸にたどり着くことができました。はじめて海岸に着いた晩に食べたブルーベリーの木を見つけたあなたは、実はその実がそれほど熟していなかったことに気付き、思わずくつくつと笑ってしまいましたね。
そんな時、あなたは遠くに人の姿を見かけました。昨晩、聞いたあのおそろしい声を思い出し、おそれをいだかずにはいられなかったあなたは、あわててそばのしげみに飛びこみ、身をかくしてしまったのでしたね。
現れたのは泥だらけのマントをはおった白髪の男でした。身なりこそはみすぼらしくありましたが、どことなく気品を感じます。男はあなたのかくれているしげみのそばに腰をおろすと、背を曲げてぼんやりと水面にうつる月をながめていました。そしてあなたは、ただ静かになりゆきを見守っていました。
ほんの少し気がゆるんでしまったあなたはふとしたはずみで近くの小枝をふんで音をたててしまいました。男がその音に気が付かないわけがなく、キッとあなたのいるしげみをにらみつけましたね。
「そこにいるのは誰だね。出てきなさい」
しかし、あなたは男の呼びかけに答えませんでした。それどころか、声をひそめ、いっそう姿を縮こまらせて、ちいさな野ウサギになってにげ出したいと考えていたくらいでしたね。胸にしまったシャムロックのお守りに手をあて、ただただ時が何事も無くすぎていくことをいのっていました。
「ああ、そうか。そうだったなあ。あの時もたしかこんな月夜の晩だったっけ」
すると突然、男は何かを思い出したかのようにそのようにつぶやき、しばらくしてから再びしげみにむかって今度はささやくように優しく話し出しましたね。
「ならば、そのしげみにしげる若葉にわたしは語ろう。おそらくは海のかなたより流れついた若葉よ。わたしもまたかつてはそうだった。わたしは一つの『時』の住人となり、一つの運命の歯車を回すことになった。そして今宵、わたしのささやかなつとめも終わりをつげ、全てを失い、わたしは今、くちはてようとしている。もうじきわたしの旅は終わるのだ。わたしのことを覚えているものなど、ほとんどいなかろう。けれども、わたしはなぜかさみしくもなければ悔やんでもいない。そんな残酷な運命にあらがって、精いっぱい生きてきたからかもしれない」
男は一呼吸つくと、言葉を続けました。
「おそらくは望まずしておとずれたのだろうが、ここはお前のいるべき『時』ではない。はたして、それが温もりを捨ててまですべきであったのか、どうかはわからない。だが若葉よ、そのまま、そのしげみの中でかれ葉となり、わたしのようにくちはてることだけはしないでおくれ。お前の運命に祝福を!」
そう言って男は立ち去りました。あなたがあの男の言っていたことがわかるようになるのはもっと後の事でしたね。
突然、あなたは恐怖という名の魔物にとりつかれ、夜明けを待つことなくすぐに舟をこぎ出してしまいましたね。闇夜の中、不安や恐怖と戦いながら、何とか舟は島へとたどり着きました。子供のころより慣れ親しんだ、よく知る島のはずでしたが、どことなく雰囲気がかわっている事にあなたは違和感を覚えました。ですが、そんなことはあなたにとってはとるにたらないことでした。旅をなしとげた自信と一編の物語を持って、シーのもとへと帰れるのですから。
そして、たどり着きました。優しく温かなシーの待つわが家へ。あなたは、喜び勇んで扉を開けたのでした。
しかし、そこにはシーどころか、あなたが暮らしていた痕跡すらなくなっていました。ただ沈黙だけがあなたを出むかえました。気のせいか、壁のペンキや絨毯はあなたが暮らしていた時よりも新しくなっているようにも感じます。
「シー様、シー様、どこにいるんですか? おこっておられるのならあやまります。ごめんなさい、ごめんなさい!」
あなたはまるで子ネズミのように、シーの姿を求めて家の中、そして庭の垣根をこえて暗闇の中、大声をあげながらかけずり回りました。ですが、呼びかけに答えたのは夜風がふく中で聞こえた狼の遠ぼえだけでした。
身も心もつかれきったあなたは何も考えることが出来ず、とぼとぼと小屋へと引き返しました。庭の垣根を通りすぎた時、あなたはシャムロックの花壇がなくなっていることに気付きましたね。いいえ、なくなっているというよりもまだ作られていない、といった方が正しいのかもしれません。花壇のあった場所には野草が生いしげり、あれほどきれいに積まれていたレンガもあとかたもなく、なくなっています。
ふと、あなたは思い出しましたね。
「私達の住むこの島は『時』の流れから外れてしまっているのです」
というシーの言葉を。
あなたは分かりましたね。「時」から外れたこの島から一度足をふみ出してしまうと、再び同じ「時」に戻ってこられないんだと。だからあの時、シーは悲しそうに自分をみていたのだと。
一人ぼっちになったあなたは、しばらく泣きつづけましたね。ふいに月あかりがあなたを照らしました。そして夜空にうかぶ満月を見上げたまま、凍ったようにあなたは動きを止めてしまいましたね。まなこの器にたまったなみだがこぼれ落ちないように。
トゥラル・トゥラル・ティ・トゥトゥ
お月様が目を覚ました
トゥラル・トゥラル・ティ・トゥトゥ
今度は、あなたがまぶたを閉じる番
お月様、この子を見守ってください
鳥達があかつきを告げるまで
あなたは無意識にシーから教わったあの子守唄を口ずさんでいましたね。
そしてあなた、そしてわたしもまた、うっすらとでしたが、これから起こるだろうことをわかっていました。いずれ誰かがこの小屋のとびらをたたくだろうこと。そしてそれはひょっとすると、あなたにとてもよく似た幼子かもしれず、朝月夜には満面の笑顔で庭先を走り回り、そしてシーとともにシャムロックのレンガ花壇を作るのではないかということを。いえいえ、それどころか、またあなたは舟に乗って島を出ていき、あなたの物語の続きを紡ぐのかもしれません。
そんなことを考えながら、あなたは静かにまぶたを閉じ、ねむりにつくのでした。
ええ、もちろん、わたしはいつだって、あなたのことを見守っていますよ。
これは、永久に続く、名も知らない、忘れられた小さな島の物語。
おわり
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