告白が失敗した挙句鉄道オタクだからと嘲り笑われた僕に、憧れの生徒会長が救いの手を差し伸べた
「好きです……僕と付き合ってください!」
夕日が照らす学校の教室で、この僕、阿仁間 哲道はクラスメイトの庵地さんに頭を下げ、素直に思いを告げた。
クラスの皆が振り向くポニーテールの美人、成績も運動もクラスで一番優秀、おまけに交友関係も幅広い。そんなこのクラスで一番の人気者である彼女へ、僕は秘かに思いを寄せていた。
その顔、その髪型、その姿に、何度心を揺れ動かされたことだろう。
だけど、今まで僕は1度も声をかけられないままの日々を過ごしていた。
当然だろう、庵地さんは知り合いも友達も多い陽キャなのにひきかえ、僕は教室の中で1人で大好きな『趣味』の本を読み、廊下でも学校の外でもぼっちな日々を過ごす、文字通りの『陰キャ』だったからだ。
それでも僕は勇気を振り絞って、庵地さんに思いを伝える決意を固めた。
自分の心に宿ったほのかな想いへの決着をつけるために。
「……へぇ、阿仁間ってあたしのことそんな風に考えてたんだ」
「は、はい……!」
何ふざけた事言ってるの?
それだけのために、わざわざ放課後にあたしを呼び出したの?
庵地さんの答えは、僕が予想した通りだった。
やっぱり庵地さんは高嶺の花。成績は自信なし、運動もイマイチ、スタイルなんて以ての外な僕が誰かの恋人になるなんてそもそも無茶な話だったんだ。
でもこれで、叶うはずがない願望を綺麗さっぱり断ち切ることが出来た――そう安心した直後だった。
鼻で笑う音と共に、悪い方向で予想外の言葉が聞こえてきたのは。
「だいたい、あんたみたいな『鉄道オタク』が誰かを好きになる資格、あると思ってるの?」
「……えっ……」
そして、庵地さんの口から飛んできたのは、『鉄道趣味』に対する罵倒の数々だった。
鉄道オタクは社会に迷惑かけてばかりのゴミ。
鉄の塊に興奮する、理解できない集団。
そんな奴に『好き』だと思われたなんて、最悪最低。
電車と同格にされていたとか、気色悪いことこの上ない。
「つーか、阿仁間ってずっと1人で電車の本読んでたでしょ。あれすっごい気色悪かったんだけど。少しは自分がウザくてキショい屑鉄だって理解しなよ?」
この僕、『阿仁間哲道』という存在自体を馬鹿にされるのならまだ良い。僕だけが我慢すれば済む話だから。
だけど、小さい頃からの趣味、想い、生きがいである『鉄道趣味』をここまで貶されるとは考えもしなかった。
普段見せる彼女の明るい姿からは到底信じられない光景に圧倒され、僕は何も反論出来ず立ちすくむ事しか出来なかった。
「じゃ、あたし行くから。二度と話しかけないで、『キモヲタ』」
そして、彼女は冷たい言葉を投げかけながら、教室を去っていった。
立ったまま動けない僕の耳に、外で庵地さんを待っていたであろう取り巻きの女子たちの声が聞こえた。
どれも『気色悪い鉄道オタク』に恋心を抱かれた事に対する彼女への励まし、僕に対する罵倒、そして教室の中にまで響く嘲り笑いだった。
鉄ヲタに告白されて耳が汚れた。電車と同じ扱いされてマジムカつく。あんな鉄屑なんてこの世から消えればいいのに。
騒音のようなそれらの声が完全に聞こえなくなっても、僕は教室を出ることが出来なかった。
そして、気づいた時には僕の瞳から一筋の涙が流れ始めていた。やがてそれは、嗚咽とともに濁流となって瞳から溢れ出した。
「くそっ……くそっ……畜生……!」
それは、庵地さんから思いもよらぬ酷い事を言われた事へのショックだけではなかった。
彼女や取り巻きの言葉に対して何も言い返せなかった僕自身の弱さや情けなさに対する悔しさが、僕の心から止めどなく湧き続けたのだ。
何故あの時反論しなかったのか。どうして耐える事しか出来なかったのか。
誰もいない教室の中で、僕はただ後悔に苛まれ続けた。
そして、涙を拭おうと腕を動かした、まさにその時だった。
「……て、哲道君!?どうしたの!?」
聞き覚えのする声の方を向いた僕の瞳に映ったのは、長い黒髪をたなびかせる美人にしてこの学校の生徒会長、釜田 新奈先輩が驚きの表情を見せる姿だった。
教室に残っている生徒がいないか見回っていた時に、惨めな姿を晒す僕の姿を目の当たりにすれば、そのような顔になるのも当然だろう。
「か……会長……っ……!」
なんでもありません、と返そうとした僕だけど、その思いには声にならず、代わりに発せられたのは情けない程大きな泣き声だった。
でも、会長はそんな泣き虫野郎の僕を決して馬鹿にせず、優しい笑みを見せながらそっと頭を撫でてくれた。
小さい頃から友達がいなかった僕に、勉強から遊びまで色々な事を教えてくれた、幼馴染のお姉さん。
学校一の美人と呼ばれ、生徒会長となり、今や完全に遠い存在のように感じていたけれど、そこにいたのは昔と変わらない、格好良くて綺麗で優しい憧れの存在だった。
「どう、落ち着いた?」
「すいません、赤ちゃんみたいに泣いてしまって……」
「大丈夫、気にしないで」
そして、会長は僕にこの教室で起きた出来事を尋ねてきた。
どんな言葉でも受け止める、という思いをその真剣な表情で見せてくれたのを受けて、僕は包み隠さず全てを話す決心を固めた。
同じクラスの庵地さんに告白した事。ものの見事に玉砕した事。そして、『鉄道オタク』であると言う事だけで笑われ、馬鹿にされ、小さい頃から大切に抱き続けていた鉄道に対する想いが容赦なく踏みにじられた事。
「……そう、そんな事が……」
「はい……」
誰かにフラれ、鉄道好きであることを馬鹿にされた。それだけでこんなに大泣きしてしまうなんて、本当に情けないですよね――自虐を込めた結論を述べた僕に返ってきたのは、予想外の言葉だった。
会長は真剣な表情を崩さず、そんな事はない、と強い言葉で僕のネガティブな感情を否定してくれたのだ。
「哲道君、貴方は頑張ったと思うわ。どれだけ酷い事を言われても必死に耐え続けた。そうでしょ?」
「で、でも……結局僕は……」
「それに、哲道君は自分の想いを言葉にして相手に伝えた。一世一代の覚悟を決めて告白するのって、凄い勇気が要る事よ。それでも、自分は弱くて情けないって思う?」
「か、会長……」
例え誰が何と言おうと、私は阿仁間哲道という存在を誇りに思う。
会長の言葉は、僕にとって何よりの救いだった。
嬉し涙をこらえつつ、ありがとうございます、と素直にお礼を言った僕に笑顔を返してくれた直後、会長の顔は真剣かつ怒りが込められた表情へと変わった。
「それにしても……庵地さんだっけ?その態度、絶対に許せないわね……」
「……やっぱりそう思いますか?」
「当然よ!告白した相手をフるのは自由。でも、あの女子たちは哲道君の『趣味』まで馬鹿にしたんでしょ!?」
他人の趣味や嗜好を滅茶苦茶に踏みにじるなんて、人間として絶対にやっちゃいけない事。そもそも哲道君は誰にも迷惑をかけてないのに、気色悪いといわれる筋合いはどこにもない。礼儀すらなっていない、最低の存在。そのような連中がこの学校にいるというだけで胸糞悪いったらありゃしない――興奮のあまり言葉の表現がどんどんエスカレートする会長を、僕は何とか落ち着かせた。
ただ、改めて思い返すと、あのような誹謗中傷を言われるような行いは1つもやった覚えはないし、そのような言いがかりを付けられた事は正直腹立たしい。
次第にその憤りが顔に表れ始めた僕をじっと眺めていた会長は、突然手を叩き、悪巧みを思いついたかのような笑顔を見せた。
そして、そのまま僕にある提案をした。彼女たち――僕を嘲り笑った庵地さんとその取り巻きに、キツめのお灸を据えてやろう、と。
「お灸……ですか?」
「そう。誰かの『大好き』を貶した報い、受けさせてもらうわ」
何か考えでもあるのか、と尋ねた僕に対して会長が教えてくれたのは――。
~~~~~~~~~~
「か……会長……」
「あら、どうしたの哲道君?」
――あまりにも簡潔、簡単、シンプル、でも非常に緊張するものだった。
この学校に昔からの顔馴染みが会長以外おらず、しかも陰キャな性格のせいで友達も作れなかった僕は、ぼっちの時間を過ごすのが当たり前になっていた。学校へ向かう時間も休憩中も下校時も、いつも1人だった。
だからこそ、『一緒に学校へ登校し、そのまましばらく同じ時間を過ごす』と言う作戦を実行するにあたり、僕は全身が真っ赤になるほどの照れや恥ずかしさ、そして緊張でいっぱいになってしまったのだ。
何せ、僕の隣にいるのはこの学校で一番の美人、しかも皆を率いる生徒会長。
当然、そんな会長が誰かと一緒に学校へ向かうというのは、まさに生徒たちの注目を集めるに十分すぎる事態だった。
会長の隣にいるのは誰だ。1年生の男子のようだが一体何者か。そもそもどうして会長と一緒に登校しているのか。
四方八方から浴びせられる好奇と興味の視線、ひそひそと聞こえる噂話につい尻込みしてしまった僕へ、会長は凛々しい笑顔を見せつつ、もっと元気を出して、背筋を伸ばして、と耳元へアドバイスを送ってくれた。
「何も悪い事してないでしょ?だったらもっと自信を持って」
そうだ、そもそも会長の提案を受け入れたのは僕自身。決して強要されたのではなく、僕が自分の意志で決めた事だ。
もっとしっかりしないと、と奮起した上で改めて背筋を伸ばし、久しぶりとなる会長との時間を楽しむ決意を固めた、その直後だった。
「生徒会長!おはようございます!」
「「おはようございます!」」
昨日の教室で僕に見せた、全てを侮辱するような表情が嘘のような満面の笑顔で挨拶をしてきたのは、庵地さんとその取り巻きの女子たちであった。
おはよう、としっかり返した生徒会長だけど、僕は気づいた。会長の目つきが、まるで臨戦態勢のように変わったのを。
そして、先に宣戦布告を仕掛けたのは庵地さんたち。そのターゲットは、会長の隣にいる僕だった。
「あれー、生徒会長、隣にいるのってもしかして阿仁間ですか?」
「ええ、確か貴方もこの子と同じクラスよね?」
「そうなんです!でも会長、そいつの隣にいないほうが良いですよ」「そうですよ会長!」
「へぇ、どうして?」
そして、矢継ぎ早に庵地さんと女子たちは次々にこの僕――いや、正確には『鉄道オタク』という要素に対する罵詈雑言を次々に投げ始めた。
そいつは気色悪くていろんな人に迷惑をかけてばかりのやばい存在。何を考えているか分からないし、ダサくてウザくてキモい。
人間より電車が大好きっていう心を持つ、理解不能なおぞましい相手。
そんな存在にべっとりくっつかれている会長が可哀想で仕方ない。安全や名誉のためにも、今すぐ離れた方が良い。
「会長~、私たちと一緒に行きましょうよ~」
「そうですよ、あんなオタク君と一緒の時間なんて損ですって!」
「そうそう、鉄オタなんて一切の価値もないですから!」
「……ふーん……」
そんな彼女たちの言葉に対し、会長は聞き流すように事務的な相槌を打ち続けた。
それを自分たちの言葉に同意してくれた、と嬉しがる女子たちは、更に『鉄道オタク』という存在をけなす言葉を並べ続けると同時に、彼女たちにとっても憧れの存在である会長への媚びを売り続けていた。
言われっぱなしの会長の様子を見て反論をしようとした僕だけど、今回もまた何も出来ないまま彼女たちの言葉をじっとこらえる事しか出来なかった。
いつまで経っても無力なままの自分自身が悔しくなって顔が歪みかけた、その時だった。
「……つまり、EF66形0番台の武骨さとスマートさを兼ね備えた美しさが一切分からないって事ね」
「……へ?」
相手を蔑むような目線とともに、生徒会長が女子たちへ向けて語り始めたのは。
国鉄初の特急電車・151系電車の、試行錯誤の末に誕生した優雅なボンネットスタイル。
多数の特急・急行列車を牽引したC61形やC62形蒸気機関車による、ダイナミックかつ力強い走り。
急行から普通、時には特急列車まであらゆる運行をこなしたキハ58系気動車の万能ぶり。
日本で最も多く製造された鉄道車両とされるワム80000形貨車の機能美。
「……その全てを、貴方たちは理解できないのね……」
そして、会長は大きなため息をついた。相手の無知を憐れむように。
「えっ……?」
「はぁ……?」
生徒会長の言葉を聞き終えた庵地さんと取り巻きの女子たちは、揃って唖然とした表情を見せていた。会長の豹変だけではなく、言った内容が全然わからないのもその要因だろう。
だけど、僕は生徒会長の言葉の意味を全て理解していた。
当然だろう、これらは全部日本の鉄道車両、それも日本国有鉄道、いわゆる『国鉄』に在籍していた車両についての知識、常識、そして会長の想いなのだから。
この女子たちは知らなかったようだけど、僕の隣にいる釜田新奈生徒会長は、僕と同じ、いや遥かに凌ぐ程の鉄道オタク。
家の本棚にあるのはアイドルやコスメではなく鉄道に関する雑誌ばかりだし、ベッドの傍には宝物の鉄道グッズがずらりと並べられている。
縫いぐるみなんてある訳がなく、代わりに置かれているのは会長が一番大好きな鉄道車両、大出力の電気機関車・EF66形の大型鉄道模型だ。
そもそも、僕が鉄道趣味に目覚めたのは、この黒髪美にして長年の幼馴染である生徒会長が、小さい頃の僕に鉄道の知識をたっぷり教えてくれたお陰。
会長の自室で勉強や遊びを教えてもらう傍ら、熱烈に日本や世界の鉄道について語られ、本や写真、DVDを一緒に見続けたのが、今の僕に至る原点という訳だ。
そして、しばらくの沈黙を経て、庵地さんは口を開いた。
「……あ、あの……生徒会長……」
「どうしたの?」
「ま、まさか……今まで言ったのって、全部電車の事……ですか……?」
恐る恐る尋ねた言葉に、会長は笑顔で力強く頷いた。
全部、私が大好きな鉄道車両についての自慢だ、と堂々とした言葉を加えて。
その途端、庵地さんとその取り巻きの女子からの生徒会長へ向けた表情が変わった。それは、鉄道オタクだからと僕を散々貶した時の目つきや表情によく似ていた。
そして、彼女たちの口から飛び出したのは――。
「そんな……生徒会長が……鉄道オタクだったなんて……」
「会長……最低です……」
「気持ち悪すぎですよ、会長……」
――ありったけの罵倒の数々だった。
美人で格好良い皆の憧れの生徒会長が、オタクの底辺の鉄道オタクだったなんて最低。会長がそんなに気色悪い趣味を持っていたなんて信じられない。はっきりいって会長はあまりにも非常識的。たかが鉄の塊をそんなに熱く語るなんて理解できない――庵地さんたちは次々に心無い言葉を浴びせ続けた。
それに対して会長は一切反論する事なく、浴びせられる罵声の数々を聞き流し続けているようだった。
だけど、その様子を隣で見ている僕にとって、一切抵抗しない相手を責め続ける彼女たちのやり方は耐えられないものがあった。
「本当にキモいですって、会長!」
「今すぐ鉄道オタクなんて卒業してください!」
「将来まで危うくなってしまいますよ!」
何が卒業しろ、だ。何が将来まで危うい、だ。何がキモいです、だ。
生徒会長は何も悪い事をしていないのに、どうしてここまで言われる筋合いがあるんだ、ふざけるな――。
「……いい加減にしろ!」
――我慢の限界に達した僕の思いは、大声になって発せられた。
「生徒会長の悪口を言うな!」
「はぁ?黙ってろ鉄ヲタ」
「あんたは関係ないでしょ、さっさと消えてよ」
「関係ある!僕の事はいくら馬鹿にしても構わない!でも、これ以上生徒会長を馬鹿にするな!キモいなんて言うな!!」
大切な生徒会長、昔から憧れていたお姉さんを守るため、懸命に絶叫した僕の目に映ったのは、腹を抱えて大笑いする女子たちだった。
「やべー、マジバカじゃんこいつ♪」
「何イキってんの、鉄ヲタ♪」
「お前こそキモいんだけどー♪」
僕を嘲り笑う声は、どこまでも大きくなり続けた。
結局何をやってもキモヲタで陰キャな僕は、彼女たちのような陰湿な連中に尊厳を傷つけられ続ける運命なのか――心の中から悔しさや悲しさが溢れようとしたその時、僕は気が付いた。
周りでこのやり取りを見つめていた生徒たちの空気が明らかに変わっていた事を。
それは、笑いが収まると同時に周りを不安そうに見渡し始めた庵地さんたち女子グループもまた同じだった。
やがて、生徒たちから呆れ、憐み、そして怒りの感情が露わになり始めた。
『鉄道オタク』である僕や生徒会長ではなく、庵地さんたちへ向けて。
「なあ、さっきからこいつら何様なんだ……?」
「生徒会長をキモいとか何とか……」
「どういう事……?」
流石の庵地さんたちも、自分の状況を理解し始めると少しづつ顔が青ざめていき、慌てて自分たちの行為を正当化し始めた。
自分たちは生徒会長に纏わりつく気色悪い鉄道オタクを責めただけ、むしろ自分たちは生徒会長を守ってやった側だ――その言い訳の数々は、僕が聞いても明らかに無理があるものだった。
当然だろう、『気色悪い鉄道オタク』をこの場で貶す事は、僕のみならず皆の憧れである生徒会長も大いに貶す事になるのだから。
それに気付かないまま、彼女たちははっきりと生徒会長の趣味を馬鹿にした。言い逃れなんて不可能な状況だったのだ。
「はぁ?お前ら生徒会長を気色悪いって言っただろ!?聞いてたぞ!」
「そうそう、確かに言ったわよねぇ?」
「い、いやそれは……」
「そ、その……」
「だって鉄道オタクなんだよ、会長は!」
「生徒会長が電車好きで何が悪いの!?」
「会長は会長だよ!キモいだなんて酷い!」
「そうだそうだ!みんなの会長を馬鹿にしやがって!」
「絶対許さねえ!」
「え、だ、だから……」
「わ、私たちは……!」
多くの生徒たちにとって、生徒会長が鉄道オタクか否かなんてどうでも良いことだった。
それ以上に、皆の憧れである生徒会長を散々馬鹿にしたと言う行為は断じて許される事ではなかった。
自分たちの悪口に酔いしれ、夢中で会長を貶し続けた女子たちは、文字通り皆の『敵』になってしまったのだ。
必死に続く言い訳、それを上回る糾弾の声。まさに阿鼻叫喚という言葉がぴったりの光景を尻目に、会長は僕の手を引っ張り、この場を去ろうとした。
それに付き従い、喧噪から逃れようとした僕の背後から聞こえてきたのは、庵地さんたちの助けを求める声だった。
クラスメイトでしょ、私たちを助けなさいよ、それが義務でしょう――自分たちが悪い事をした事実をどこまでも認めようとしない言葉を耳に入れた瞬間、僕の心の中に僅かばかり残っていた彼女たちへの同情心は完全に消え去った。
あれだけ馬鹿にした癖に助けてだって?ふざけるな。勝手に泣き喚いてろ。
その思いこそ声に出なかったけれど、僕は彼女たちをガン無視し、会長と共にその場を去った。
やがて、四方八方から責められ続けた庵地さんたち女子グループの泣き声や喚き声が聞こえ始めた。
それを見計らったかのように、会長は笑顔を見せながらそっと僕に語った。
「ありがとう、あいつらから私を庇ってくれて」
「え、そ、そんな事……!」
「胸糞悪い罵倒から助けてくれた。私の『鉄道好き』の想いを守ろうとしてくれた。それだけでも嬉しいの」
どれだけ責められようが、どれだけ悪く言われようが、鉄道が大好きという心を折る事なく、必死になって守る覚悟を見せてくれた。それはまさしく、君の持つ『強さ』の証。あの時もそう言ったでしょう――会長の言葉には、しっかりとした信念が込められていた。
そして、会長は僕に改めて今回の作戦――庵地さんたちが会長へ喧嘩を売らせるように仕向ける策が成功した旨を伝えた。
特定の趣味を貶し続けた彼女たちは、その『趣味』を持つ怒りの会長が張った『罠』に嵌り、見事に醜態を晒す形で自滅したのだ。
「こういうのを、『墓穴を掘る』って言うのよね」
「そうですね……」
~~~~~~~~~~
その後、庵地さんたちを取り巻く環境は激変した。
当然だろう、皆の憧れである生徒会長をキモいだの非常識だの散々馬鹿にしまくった事が、多くの生徒たちの知る処となってしまったのだから。
その結果、他のクラス、他の学年に加えて、僕たちのクラスでも白い目で見られるようになった。
誰かを遊びに誘おうとしても、軽蔑の目とともに断られたりするのもしばしば。時に無視までされる始末。しかも今日は全員揃って学校すら休んでいた。
クラス一の人気者だった彼女たちは、クラス一、いや学校一の不人気者に成り下がってしまったのである。
でも、僕は決して彼女たちに同情する事はなかった。
誰かの『大好き』という想いを貶し、嘲り笑った報いを、彼女たちは存分に受ける格好になっているのだから。
その一方で、件の事件を境に僕と生徒会長、鉄道という同じ趣味を共有する同士の仲は急速に深まった。
離れ離れになっていた時間を埋めるように、僕たちは図書室や学校の屋上で互いの事、勉学の事、そして鉄道に関する様々な事柄について思う存分語りあうようになった。
勿論、皆の憧れの会長を独り占めしているポジションにいる僕に対して、あちこちから恨みや妬みの視線が飛んでくるのは若干感じていた。
だけど、時間が経つにつれてそういった周りのネガティブな感情は薄れていき、やがて僕たちの間柄が話題にされる事はほとんどなくなっていった。
もしかしたら、今回もまた会長が裏で動き、僕に浴びせられようとしていた罵詈雑言を防ぎ続けていたのかもしれない。
だけど、その疑問を問いただす事は敢えてしなかった。
だって、誰からも気にされなくなったお陰で――。
「……いただきます!」
「いただきます♪」
――こうやって会長と肩を並べ、校舎の屋上で一緒に弁当を食べつつ、海外の鉄道に関する話題で盛り上がる事が出来るのだから。
「昨日のテレビ見ましたか?外国の路面電車特集」
「勿論!タトラカーがいっぱい登場して楽しかったわね」
「僕もいつかあの国へ行ってみたいです……タトラカーを乗り回したい……」
「そのためには色々な勉強が大事よ。お互い頑張りましょう」
「は、はい……頑張ります……!」
そして、たっぷり話を弾ませた僕たちは、快晴の空を見上げながら一息ついた。
色々な騒動はあったけれど、結果として僕はこうやって会長と同じ時間を過ごす機会を得る事が出来た。小さい頃、一緒に遊んでいた時と同じように。
だからこそ、僕は覚悟を決めなければならない。今、まさにこの機会を逃せば決して出来ない事があるのだから。
「……会長……いや、釜田先輩!」
「……ん?」
「ぼ、僕と……!」
そして、どこか興味深そうにじっと見つめる生徒会長――いや、釜田先輩へ向けて、僕は頭を下げ、率直な思いを伝えた。
「……今度、一緒に街の図書館へ行きませんか!?」
しばらくの沈黙を経て、先輩が下した答えは、「OK!」と言う意思を示すサムズアップと笑顔だった。
「……ありがとうございます!!」
本当は、ここで僕の心の奥底にある真の思い――小さかった頃の僕に様々なことを教えてくれた先輩に対する憧れ、情熱、それらの感情がすべて詰まった、『二文字で書けるあの言葉』を口にするのが最良の選択肢だったのかもしれない。
だけど、それは今の僕にとってまだ早すぎる事だ。
確かに先輩は僕を何度も褒めてくれた。どれだけ貶されようとも傷つけられても、鉄道好きという想いを折る事無く懸命に耐え続けた、強い心を持つ人だ、と。
勿論、それはとても嬉しく、誇りに思っている。だけど、僕はそれに決して満足しきってはいない。
今の僕はまだまだ情けない所が多いし、勉強も運動も未熟だし、何より先輩に頼ってばかり。
学校中の熱い尊敬を一身に受けている先輩――『生徒会長』と真の形で肩を並べ共に進むためには、まだまだ努力が必要だからだ。
だけどいつか、先輩が一番大好きと語る、国鉄史上最強とも言われる直流電気機関車・EF66形のように、心身ともに強く逞しくなる。
そして、その日が来た時には先輩、いや『憧れのお姉さん』の心を絶対に射止めてみせる――。
「……楽しみにしているわ、哲道君」
――そんな僕の心は、既に先輩に読まれていたのかもしれない。
ウインクと共に発せられたその言葉は、どこか意味ありげな、そして嬉しそうなものだったから……。
「……はい!」