第43話『ラザリアの罪 2』
『いいよな、恵まれている人間は』
『アイツからしたらこんなもの、どうとも思っていないだろ』
頭の中に声が響く。諦観、嫉妬、蔑み――そうした感情からくる、侮蔑の声だ。
『ああやって私たちのこと見下してるのよ』
『今日もポイント稼ぎかよ、ご苦労さんだぜ』
『自分に酔ってあんなこといつまでも続けて、何が楽しいのかしら?』
魔術の学校で生活をして、必死に優秀な地位にかじりついた。才能は確かにあったのだろう、だがそれだけで語るには無視できないほどの努力を、私は積み上げてきたつもりだ。
なのにその努力のほんの少しさえやろうとしない人間が、なんで私にああも偉そうなことを言えるんだ。私は連日向けられた悪意に、心の中で、ずっとそう反論してきていた。
――中でも、一番嫌だったのは。
『本当、あの子かわいそうね』
『あんなにもわかりやすくマウント取りに行くとか、ゴミ以外のなんでもないじゃん』
『何が親友だよ、いいダシに使ってるくせに』
『『『本当に、フィオナさんはかわいそう。アイツがいたから、あの子は辞めてしまったんだ』』』
黙れ。黙れ、黙れ、黙れ。
お前らがアイツの何を知っている。お前らが私たちの何を知っている。
何が「かわいそう」だ。アイツがまだ学校にいたころに、散々アイツをバカにしてきたのは、他でもないお前らじゃないか。
アイツがいる時にはアイツをバカにして、いなくなったら平気で味方だったと、自分たちは何もしていないと言い出すのか。なぜそうも都合の良い生き方ができるんだ。
ゴミじゃないか、そんなの。誇りもなにもない、そんなクソみたいな生き方しかできないなんて、まさしくただのゴミクズじゃあないか。
『所詮才能だけ』
黙れ。
『先生の前でいい恰好したいだけ』
黙れ。
『本当、生きてて恥ずかしくないのかな』
黙れ。
なんでだ。なんで誰も私の努力を、頑張っている姿を、正しく見てくれない。
どうすればいいんだ。どうすれば私は、褒めてもらうことができるんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
エル・ウィグリーは、様々な淀んだ色が複雑に絡み合う景色の中で、さながら水の中にいるかのような浮遊感を味わっていた。
なにが起きたのかわからない。仮面の中に入り込んだはずのアルゴフィリアが突然目の前に現れたかと思えば、妙な闇の中へ吸い込まれて、気づけばここにいた。エルは意識が覚醒していながらも、しかしまどろみの中にいるような、不思議な感覚を受けていた。
『ここはどこだ、とでも言いたげな表情ですね』
エルは驚き、周囲を見回した。
間違いない。今の声は、アルゴフィリアだ。しかし奴の姿が見えない。……奴は、どこにいる? エルが緊迫感に脂汗を滲ませると、途端、またしてもアルゴフィリアの声が響いた。
『ここは一言で言うなら【精神世界】――【魂の色彩】と呼ばれている場所です。私があなたをここへ連れて来ました』
エルはアルゴフィリアの姿をなお探す。しかしどこにも姿は無い。途端、「くふふふふふ」というアルゴフィリアの笑い声が空間にこだました。
『人には多くの感情が存在しています。怒り、喜び、悲しみ――ここはそうした感情の活動を観ることができる場所です。故に私は発火点とも呼んでおります。
人によってはここへ至ることそのものが難しい者もいるのですが――どうやらあなたは、特に適合性が高かったようです。私もびっくりする位簡単に連れてこられましたからね』
「――アルゴフィリア。あんたは一体……」
『さあ、どうでしょうね。1つだけ言えることは、あなたよりも世界を知っている者です。
いいや、そんなことはどうでもいい。それよりも、第3のテストを開始します』
パチン、と指を鳴らす音が響いた。途端、エルの周囲にあった様々な色が、
一瞬にして、黒一色に染まってしまった。
「ッッ――!」
エルは直後、胸を抑え呼吸を詰まらせる。
「――あっ……!」
息が乱れる、手足が冷える。脂汗が吹き出して、頭が暴走したかのように熱を持ち始める。耳が過敏になり、視界に映る全てがうるさく感じる。
これは……わかる。僕は何度も、何度もこれを味わってきた。
これは、これは――
『それは【絶望】と言う感情です。彼――イアンさんがずっと持ち続けた感情です。彼の場合ここに更に怒りと憎しみが加わり、【憎悪】とも呼べる感情にもなっていましたね』
「――な、にを、した……」
『ああ、説明してませんでしたね。
同期したのです。イアンさんの感情を、あなたと。いやあ、あなたはやりやすくて良かった。もう一人の女はちょっと手こずりましたからね。そりゃあイアンさんを無自覚に絶望に叩き落とした張本人なわけですから、当然でしょうが』
「どう……いう……ッ!」
『見せた方が早いですね』
途端、エルの頭の中に、憎悪に呑まれたイアンの目の前で、膝を付いて項垂れたラザリアの姿が映し出された。
『彼女にも同じことをしています。と言っても、彼女にはあなたと同じものではなく、イアンさん自身の感情や過去全てを見せているのですが』
「なぜ……」
『簡単ですよ。彼女の中にある闇を呼び覚ましています』
エルはその言葉で自身の感情が大きく揺らぐのを感じた。
『この空間は、私があなたがたに闇を呼び覚ますために使っています。いやあ、人間の感情を探るのは極めて楽しいですよ。とある少女は周囲に対する怒りと、それが捻れて自身の親友に向かってしまった嫉妬や憎しみ、そしてそれに対する罪悪感――そういったものを呼び起こされて、自分の友を切りつけるようになりました』
「……! リネアさんの、ことか……!」
『ご明察です』
「ッ……! お、お前は……たかだか自分の快楽のためだけに、そんなことをしているのかっ!」
『アッハハハ、あの少女に関しては間違いなくそうです。しかし、こと今回に関しては――目的が違います』
エルはアルゴフィリアの受け答えに目を見開いた。
『第3のテスト――それはあなたに【選択】をしてもらうことです。
先も言いましたが、あなたが今味わっているのは、あなたの感情ではありません。それはあのラザリアという女に地獄へ突き落とされた、イアンさんという青年の絶望なのです』
エルは途端、心臓が脈打つような、脳を閃きが駆けるような感覚に襲われた。
否、否、違う。こんなものは、あってはいけない。
『あなたの中に入り込んで理解したのですが――あなたが彼女をやたらと気にかけていたのは、愛情からでもなければ親愛からでもない。そこにあったのは、紛れもない憎悪だ。
ではなぜ憎悪を抱いていたのか? ――それは、あなた自身が彼女に地獄へ突き落とされた人間だからだ』
エルは脂汗を滲ませ、額を抑える。頭痛が激しさを増す、熱が思考を薄めていく。
『あなただけではない。これまでに彼女は何人もの人間を同じ方法で地獄へと突き落としてきた。
そこには彼女の純然たる信念や思いがあったのかもしれない。しかしいずれにせよ、彼女がその愚かしさ故に絶望を与えた事実は変わらない』
映し出された映像の中で、イアンが黒い剣を生み出し、ラザリアを爛々と睨みつける。憎悪の笑みを浮かべ、明確な殺意を彼女に向ける。
『それこそが、彼女の罪。誰からも裁かれることの無い罪。人の人生を狂わせておきながら、しかし多くの者から悪ではないと判断される理不尽な罪。
あなたもその犠牲者ならば、この言葉の意味がわかるはずだ。であれば、彼女はやはり裁かれるべきではないか? そして誰も裁くことがないのであれば、それが悪業であろうとも、誰かが彼女を裁くべきではないか?』
エルは息を荒らげ、荒げ、流れる映像をただ見続ける。
『さて。あなたには、2つの選択肢があります。
1つは、この世界、魂の色彩を抜け出し、イアンさんを止め彼女を助けること。
もう1つは、ここで黙ってイアンさんがあの女の首を刎ねるのを見届けること。
ええ、断罪するのはあなたではない。あなたがここで呆然とし、その結果彼女が死んでも、あなたは何一つ悪くは無い。
助けに行かなかったとして、あなたにはそもそも彼女を助ける義理はない。むしろイアンさんの立つあの場所に、あなたが立つ権利さえある。
故に、選べ。あなたは、彼女を助けるか? それとも、裁きを見届けるか――?』
エルは呆然と。薄ぼんやりと、ラザリアたちの情景を見続ける。
――僕は。僕、は。エルは何度も、自問自答を繰り返していた。




