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13話『酒場での一座』

 ……さて、と。エルは街灯がチラつく夜の町で、酒場を前にして気合いを入れた。



 現在時刻は深夜の1時。フィオナを助けた後、エルは彼女に服をこしらえ、3日後に落ち合う約束をして分かれた。


 3日という期間を設けた理由は、単純に、エルに準備が必要だったからだ。


 そもそも、エルはフィオナの師匠になる気はさらさらなかった。あの時、フィオナを傷つけた理由が自身の態度にあったのだと悟るまでは、今まで通りに過ごすつもりでいた。


 しかし、今は違う。力不足であることは百も承知だが、彼女を導き、なんとかしてその未来に光を与えたい。その思いがあったからこそ、この時間までエルは、彼女にどう言った指導をするか練り上げたり、言霊の魔術とはどんなものなのかを理論化したノートを作ったりをしていた。


 そうこうとしてなんとかまとめ終えた彼は、その後、今度は『師匠としてどう立ち振る舞うべきか』を考え始めた。


 あくまで対等とは言え、便宜上自身はフィオナの師匠になるのだ。当然、上に立つ者として、貫かねばならない物があるだろう。そう考えた時、エルはふと父親の言葉を思い出した。



『人の上に立つ人間は、酒に酔っ払ってべろんべろんになるくらいがちょうどいい』



 無論言葉をそのままの意味で捉えるべきではない。しかしエルは、それをわかっていてもその意味を解読することができなかった。


 だからこそ、現在こうして酒場へ来ている。


 エルは普段酒類を好まない。貧乏であることも理由の一つだが、何よりもアルコールの持つ独特な味が苦手で、エルにはそれが妙に鼻についたのだ。

 しかしそんなことは言っていられない。芯の在り方1つで、他人から信頼されるか否かが分かれるのだ。エルは大きく息を吸うと、「よし」と言って酒場のドアを開けた。


 カララン、と音が鳴る。酒場の中はやけにうるさく、エルは思わず身を縮こまらせてしまった。



 四方八方、色々な人達が酒を飲み交わしては談合を開いている。小さな円卓を囲んでバカみたいに騒ぐ若者、カウンターで隣の男性客に口説かれ眠そうにしている女性、木張りの床で眠りこけ店員を困らせる老人。


 その有様は混沌としていたのだが、暴力沙汰を起こしている客は誰一人としていなかった。エルは独特な感じながら、店長らしき人が立っているカウンターにおずおずと座った。



「らっしゃい」



 禿げ上がった男がエルに話しかけてくる。エルはしどろもどろになりながら、「え、あ、ど、どうも」と受け答えた。



「お、その様子、兄ちゃんこういう場所は初めてだな?」


「え、あ、はい。その、えと、どうすれば、いいですか、ね」


「おう、酒を飲むのにどうすればいいか聞くなんて変わった兄ちゃんだな。なに、好きな酒やつまみを注文する。それだけだ」


「あ、あはは……え、えと、ありがとうございます」



 エルは苦笑いを浮かべながら頷いた。


 ……好きな酒、とは言ったものの、その好きな酒がわからない。エルは店長が渡してきたメニュー表を眺めながら、何語で書かれているかわからない酒類に目をぐるぐると回した。



「……何も考えずに選べ」



 と。突然隣の客が自分に話しかけてきた。


 隣の客は、かなり重厚な鎧を着込んだ騎士だった。鈍色に反射する光、重たく威厳のある野太い男の声。厳格な雰囲気のある男騎士は、しかし首から上がかわいらしい子犬の被り物であった。



「……………………」



 え、何この人。エルは思わずぽかんとしてしまった。



 男騎士は器用にも、口の開いた子犬の被り物を着けたまま酒を飲んでいる。おそらく中身と繋がっているのだろうが、残念ながらその顔を覗くことはできない。どういうことだかはわからなかったが、それ以上考えることはきっと無意味なのだろうと思い、エルは苦笑しながら被り物の男に頭を下げた。



「あ、ありがとうございます」


「ふっ……酒は風情を楽しむものだ。存分に味わうがいい」


「あ、はい」



 そうは言われてもわからないのだからどうしようもない。エルはメニュー表をもう一度見回してから、チラリと隣の男の飲んでいる酒を見た。


 澄んだ青色の、綺麗なお酒だ。エルはそれに目を奪われ、よくわからなかったことも相まってとりあえず同じ物を頼んでみることにした。



「あ、じゃあ、お隣の方と同じ物を……」


「ブッ!」



 隣の男性客が酒を吹き出した。エルは彼の様子に疑問を感じたが、むせただけだろうと気にしないことにした。



「……どうして、こんなところへ来た?」



 と。隣の男がさらに自分に話しかけてきた。


 エルは男を不審に思った。自分たちは知らない客同士なのだ、なのにわざわざそんなことを詮索するとは、どういうことか。

 しかし、だからといって答えないわけにもいかない。エルはお酒が来るまでの間、若干の苦笑いを浮かべながら、彼の言葉に返した。



「――実は、僕……ある女の子に、魔術を教えることになったんです」



 男が黙り込んだ。明らかに食いついている、エルはなんとなくそう感じた。



「それで、まあ、色々と準備をして――ふと、自分は、教える側の立場になるとして、どういう風に振る舞えばいいのかわからなくなりまして。それで、父の言葉を思い出しました。

 ――人の上に立つ者は、酒に酔っ払うくらいがちょうどいい。その意味が僕にはわからなくて、だからこうやってお酒を飲みにきたんです。なにか得るものがないかな、って」



 エルが言い切ると、男騎士は「そうか……」と呟いて、興味もなさそうに酒を飲み込んだ。



「ごめんなさい。その、変な、話をして」


「……1つ言っておくが、もしも師として生きていたいのなら、そんな情けない態度を取るな。先の受け答えを見た限りだと、俺はあんたについていきたいとは思えない」


「……そう、ですね。もっと、強く、ならなくっちゃいけない。……頑張らないと」



 エルはそう言って自嘲気味に笑った。


 事実その通りだ。自分はあまりに、頼りない。こんな人間について行こうと思える者などいないだろう。ならば、もっと厳格で、強固な人間になるよう努めるべきなのだ。


 だが。エルはどことなく、その結論に引っかかりを覚えてしまった。

 なにかが違う。それは間違いなく大切なのだろうが、なにかが、違うのだ。エルはしかし、そのしこりの原因が何かまでは察することができなかった。



 ――と、突如。


 エルの後ろに、数名の男性客が立った。エルはその気配に気づき、後ろをふりむく。



「どうか、し、しましたか?」



 途端、1人の男がエルの頭にミルクをかけた。



「う、うわ!」



 エルは驚き椅子から転げ落ちてしまう。尻餅をつき、情けなく股を開いて、「いてて」と腰をさすった。


 と。



「おい見たか、今の無様な姿。やっぱり劣等種だな」


「ああ。さすが、万年Dランク様だな」



 男たちはくすくすと嘲笑を込めた笑みを浮かべていた。エルは男たちの行動にも、その態度にも思わず腹が立ってしまった。


 だが、ここは酒場で、後ろには店長がいる。なによりも、ここで男たちに激昂し、騒ぎを起こすのは、自分の道理に反する。エルはゆっくり立ち上がり、再び椅子へと座ろうとした。



「よっと」



 と、男がエルの椅子を蹴り、エルはそのまま床にまた尻餅をついた。



「いった……」


「はは、おい見ろよ。こいつやり返そうともしないぞ」


「ビビってんじゃねーのー?」



 男たちがそう言ってケラケラ笑う。エルはさらに不快感が募ったが、しかし、立ち上がりながら椅子を直すばかりで、一切の反応をしなかった。



「おい、無視してんじゃねーよこのタコ」



 男がエルの肩を掴み、無理強引に体を回す。エルは酔いが回って顔が赤くなった男と目をあわせた。



「なあおい、お前さ、あんまり調子にのるんじゃあないぞ? さっきから何も言わずに、ぶすっとしてよぉ。なに、俺たちのことなんかどうでもいいわけ?」



 しかしエルは答えなかった。怯えたような、しかし睨みつけるような視線で男を見つめるだけだ。男はそれに突如激昂し、「黙ってねぇでなんか言えよ!」とエルの顔を殴りつけた。


 エルは倒れ、椅子が吹き飛ぶ音が酒場に響く。ようやく騒ぎに気付いた客たちがどよめき出し、エルはしかし、「ごめん、なさい。大したことじゃないので」と周りに呼びかけた。



「大したことじゃない? おいおい、お前にとって俺たちはそんな程度なのか? もっといいおもちゃになれって、言ってるんだよ!」



 男はそして、エルの顔を蹴とばそうとした。しかし、直後。



 隣に座っていた、男騎士が、エルの前に立ちその蹴りを受け止めた。



「いくら情けない男だからと言っても、お前たちみたいな奴になぶられるのは見過ごせんな」



 男騎士はそう言って、目の前にいる男たちを軽く吹き飛ばす。男たちはよろめき後ろへ下がり、いささか顔を青くした。



「1つ、言っておこう」



 男騎士がエルに話しかけてくる。エルは顔を上げ、彼の後ろ姿を見つめた。



「俺は別にお前を助けたいから動いている訳では無い。ただ、この手の手合いを野放しにすることが、俺の信念に反するだけだ」



 男騎士はそして、店長に手の平を向けた。



店長(マスター)、アレを出せ」


「おう、やっちまってくれおやっさん!」



 すると店長は1本の木刀を男へと放り投げた。男騎士はそれを見事に掴み、構える。



 エルはその迫力に圧倒された。ただ木刀を持っただけなのに、今までかわいらしい子犬程度にしか見えなかった被り物が、気高い狼のようにも見えてしまったのだ。


 エルを襲った男たちが明らかにたじろぐ。しかし彼らは「関係ねぇ、やっちまえ!」と叫び男騎士へと襲いかかる。


 エルはしかし、その後の結果がどうなるかを簡単に予測できた。


 一瞬。あっと声を発する間さえなく、男たちは倒れ、騎士はその中心に立っていた。



「さすが、“狂犬”の兄ちゃんだぜ」


「狂犬……?」



 店長の言葉にエルは思わず聞き返す。



「ああ。あの兄ちゃんは、俺たちの間で“狂犬”って呼ばれてるのさ。酒場の平穏を乱すと、ああして木刀でのされちまう。ここにはろくでもない奴が腐るほど来るが、暴力沙汰が起きないのはあの兄ちゃんがいるからなんだぜ」


「……狂犬、さん」



 エルは狂犬と呼ばれた男騎士の姿に見惚れてしまった。重厚に光る鈍色が彼の目に焼き付く。2本の足で大地へと根ざした立ち姿は、男騎士の気高さを表している気がした。



「大丈夫か?」



 と、男騎士がエルに手を差し伸べる。エルはそれを取り、「あ、ありがとう、ございます」と立ち上がった。


 直後。



 男騎士の後ろで、先程倒された男の1人が椅子を振りかざしていた。


 倒し損ねたのだ。奴は気絶した振りをして、男騎士が油断した瞬間を狙って殴り掛かる算段だったのだ。エルは気付いた瞬間、



「危ないっ!」



 思わず男騎士を突き飛ばした。男騎士が側方へ吹き飛ぶ、振りかざされた椅子が、彼ではなくエルへと向かってくる。


 そして。



 バキリ、と脳内に音が木霊した。


 揺れる視界、頭部から流れ出す血液。痛みは熱となり、意識をかすませる。男騎士が「エルっ!」と叫ぶ、殴りかかった男がニヤリと笑う。


 しかしエルは、倒れる素振りさえ見せず、目の前の暴漢を、睨みつけた。



「『ぶっとべ』!」



 エルは魔力を乗せ叫ぶ。途端、暴漢が突風に煽られたかのように後方へと吹き飛んだ。


 壁に背をぶつけ、そのまま泡を吹いて倒れる。騒がしかった酒場に沈黙が流れた。



「――狂犬さん!」



 と、エルは男騎士の元へと駆け寄った。



「ごめんなさい、突き飛ばして。怪我はないですか?」


「わた……俺は大丈夫だが、貴様……」


「よ、よかったぁ。本当、どこか痛めていたら、どうしようかって……」



 エルは男騎士が言い切る前に安堵の笑みを浮かべた。


 血も痛みも気にならなかった。ただ目の前の人に怪我がなくて、本当に良かった。エルは心の底からそう思い、男騎士を見つめる。



 と。男騎士が突如、ぷいっと自身から目を逸らした。



「……た、助かった。だが、傷は治せ」


「あ、ああ……こんなの大丈夫ですよ。『治れ』」



 エルがそう言うと、額の傷がみるみるうちに塞がった。


 血も出なくなり、もはや痛みも消えた。エルは額を触り、傷跡が無いことを確認すると、「よし」と言った。



「ごめんなさい、お楽しみの最中に。その、えっと……」


「――お前、その技はなんなんだ?」


「……え?」



 男騎士の言葉にエルは硬直した。と、男騎士が「いや、すまない」と言って立ち上がる。



「……助けてもらったお礼、と言えばなんだが……今日は俺に奢らせてくれ。思う存分に飲むがいい」


「え、でも、僕だって助けてもらったのですし……」


「関係ない。俺がそうすると言っているから、そうするのだ。どうする、飲むか、飲まないのか?」



 男騎士の迫力は有無を言わせなかった。エルは怖気付いた表情で、「は、はい……」と小さく呟いた。



「……まったく、よくわからん男だな」



 男騎士はそう言って椅子へと座り直した。

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