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こちら妖精相談所  作者: 唯代終
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依頼1

 鳥がチチチと鳴いている。もう朝が来たのだ。眠りから意識が引き上げられる感覚。

 無理矢理にまぶたを持ち上げたせいか、エメラルドの瞳はいまだ眠気でとろんと溶けている。赤錆色の長い髪も、くしゃくしゃにもつれ、はねて、ひどい有様だ。

 上体を起こし、大きなあくびをひとつ。隠す様子も見られないミラのそれは、立派なレディとしてあるまじきもの。

 ベッドから起き上がりスリッパを履いて、ぺたぺたと鳴らしながら窓辺へ。閉じきっていたカーテンを開き、陽光を室内に招き入れる。

 途端、部屋は暖かな朝の色で満たされた。


「ん、んん~ぅ」


 大きく思い切り伸びをして、脱力。

 その頃にはミラの目から、眠気はすっかりなくなっていた。

 とててっ、と、軽い足音が近寄ってくる。そちらに目をむけると、美しいブルーの毛並みの猫が、足元に擦り寄ってきているのが見えた。彼女はその背を軽く撫ぜる。


「おはよう、ノノン」

「おはようミラ。すげえあくびだったな」


 ノノンと呼ばれた猫は、にやりと口角を持ち上げて笑った。ミラは慌てて口元を両手で覆い「見てたなら教えてよっ」と顔を真っ赤にする。――猫がしゃべることが、まるで当たり前であるかのように。


「あははっ、教えたってミラは大あくびかますだろ?」


 すくっと、ノノンが四足から立ち上がり、後ろ足二本で歩き出す。若草色の瞳をいたずらっぽくくりくり光らせて、ミラの足をその前足でぽんぽんと叩いた。肉球の柔らかな感触で和みかけたミラは、「違う、そうじゃない」と首をふる。


「紳士なら、レディに恥をかかせるものじゃないって言ってるのよ」

「悪いね。俺は紳士じゃなくて、ケットシーだからさ」


 ミラが頬を膨らまして怒ろうが、ノノンは気にした様子を見せない。気ままに、自慢のふわふわ尻尾を、どこか得意気に揺らしている。

 チチチ、とまた外で鳥が鳴いた。その瞬間ノノンの尻尾はピンと立ち、彼の意識が釘付けになる。


「……食べちゃだめよ?」

「もちろんだとも。そんな普通の猫みたいなことはしないさ。なんたって俺は」

「ケットシーだもんね。レディに恥をかかせる意地悪な猫」

「なんだ、よく分かってるじゃないか。んじゃ、ちょっと散歩に行ってくる」


 一度尻尾をくゆらせる。ノノンは二本足で立っている足元から見えなくなり、そのうち消えて見えなくなった。


「もう、ノノンったら……」


 ため息をついて、窓の外を見る。

 そこには小鳥に跳びかかり、爪を立てんとする、美しいブルーの毛並みの猫がいた。

 ミラは小さくため息をつき、しかしすぐに頬を叩いて姿勢を正す。彼女の表情は晴れやかな決意に満ちていた。


「よしっ、今日こそ相談所にお客様を!」


 おーっ! と天井にむかって拳を突き出した。

 ――妖精と人間が共存する、御伽話。始まり始まり。






 世界には、目には視えない隣人たちが住んでいる。

 彼らは人に対し、ときに知恵を与え、ときに恩恵を与え、……ときに恐怖を与えた。

 人々は隣人に感謝をしながら、畏れながら、毎日を過ごしていた。隣人のことを、忘れぬように、後世に伝えるために、口伝に、御伽話に、音楽に、残していったのである。

 しかし、あるとき。隣人たちが視える者が現れた。

 彼らは皆一様にみどりの瞳を有していたため、視えぬ人々はいつしか、「みどりの瞳は別世界を映す」のだと、まことしやかに囁きだす。

 みどりの瞳を持つ彼らは、隣人のことを妖しき御魂――妖精と呼ぶようになり、隣人それぞれに名を与えた。

 そうして、みどりの瞳を持つあるものが、声をあげたのだ。


「そうだ、僕たちのこの目と耳を使って、隣人たちの橋渡しをしよう」


 視えぬものが視える瞳。

 聴こえぬ声が聴こえる耳。

 彼らの声を伝えて、彼らの言葉を聞いて。もしもそれで、誰かの……みんなの役に立つのならば。






「――そして彼らは、あるひとりを中心に、妖精と人間をつなぐ相談所を開きました。そうして彼らの橋となるべく、毎日奮闘したのです」


 ぱたん、と本を閉じ、ミラはほうっと息をつく。未だ湯気が立つ紅茶に口をつければ、ローズヒップの華やかな香りが、ふわりと口内を満たす。ノノンはミラの膝の上に丸くなりながら、ひとつ大きなあくびをした。


「まっ、今じゃ相談所は廃れちまってるけどな」

「もうっ、どうしてそう意地悪言うの」


 口を尖らせすねるミラを、ノノンは笑うばかり。悪びれる様子など見せやしない。


「だあって実際そうだろ? 先代からここを引き継いでどんだけ経った?」

「……半年、は経った、かな」

「んでそのあいだに来た客は?」


 ミラの視線が、窓の外へと逃げる。太陽は高い位置にあり、見える木々は穏やかに凪いでいた。


「そのあいだに、来た客は?」

「……ゼロ、です」

「だろ。これを廃れたと言わずなんて言やあいい?」


 どこか勝ち誇ったように笑うノノンを、悔しげに睨む。

 彼はすくっと膝の上で立ち上がると、ミラの肩をぽんっと叩いた。まるで、なぐさめるような動きの、それ。


「ケットシーって、みんなこんなに意地悪なの?」

「人間って、みんなそんなにお気楽なのかい?」

「……もういいわ」


 すねるように紅茶に口をつければ、ノノンの楽しげな笑い声が部屋に響いた。言い返せないことを悔しく思いながら、彼女はそっと、そのブルーの毛並みをなでてやる。

 先代であるミラの祖母から相談所を引き継いでから、早半年。つい最近まで金の稲穂が揺れていたと思ったのに、今ではあちこちで花が咲き乱れ蝶が飛んでいる。時間が経つのは早いものだ。

 ノノンだって、先ほどから軽口ばかり叩いているが、ミラが小さいときからそばにいてくれたかけがえのない存在だ。妖精が視えるせいで人に馴染めなかったミラの手を引き、ときに兄のように、ときに親友のようにそばにいてくれた大事な家族である。意地悪はもう、ご愛嬌と言うしかない。

 そろそろ昼食の用意をしなければと、ミラが考え始めたときのことだ。彼女になでられ、ごろごろと喉を鳴らしていたノノンの耳が、ひくりと動いた。おもむろに顔を上げ、窓のほうをじぃーと見つめる。

 彼の動作につられて、ミラも外を見る。遠くのほうにある民家の群れ。石造りの煙突からは切れ切れに白い煙が昇り、青い空に溶け、雲の仲間入りをしている。何処の家も、昼食の用意をしているのだろうことがうかがえた。

 二対の瞳が、じぃと外を見つめる。……先に視線を外したのは、エメラルドのほうだった。

 ミラは未だ外を見るノノンに密やかな声で「どうしたの?」と問う。


「……誰か来てる」

「え……?」

「ここに、人が来てる。足音がするんだ」

「お客様かな」


 ボールのようによく弾んだミラの言葉に、「分からない」とノノン。

 外に意識が集中しているのだろう。丸めていた体を起こし二本足で立ちながら、ピンと耳を立てて、大きくゆっくりと尻尾を揺らしている。

 警戒しているんだ、とミラはすぐに理解した。こちらにくる足音とやらに、興味を惹かれているようだった。

 普段、この一帯に人がやってくることはほとんどない。それは妖精のいたずらに困っている人がいないことをしめすのか、妖精自体御伽の存在だと人々から忘れ去られたからなのかは分からない。しかし相談所が必要とされなくなったのは事実。

 その証拠に妖精が落ち着いて話しやすいようにと民家から離れている相談所には、手紙の配達人などの必要最低限の人しかこない。

 ……だのに、ノノンは足音を聞いた。

 彼は分からないと言ったが、きっとお客様だ。そうでなければ、妖精に興味を持ってくれた誰かに違いないはずだ。だってここは、妖精相談所なのだから。

 ミラは胸が高鳴るのを感じ、頬が緩む。

 対してノノンは、ミラの膝から降りて窓に張り付き、外の様子を睨むように見ている。大きく揺れていた尻尾は、次第に山なりに持ち上がっていた。


「知らない音だ、……三人かな。少なくとも、俺たちの知り合いじゃなさそうだ」


 ひくりと、ノノンの耳が揺れる。声には、剣呑とした色が宿っていた。


「もしはじめましての人だったとしても、よ」


 ミラはカップに残った紅茶を一気に飲み干す。香りはすっかり飛んでしまっていた。


「相談所を受け継いだ店主として、その人たちを迎え入れることに変わりはないわ。違う?」


 ノノンは前足を上げて、肩をすくめるような動作を見せた。


「ま、いいけどな。……疑うのは俺の仕事だ」


 ミラの耳にも、足音が聞こえてきた。

 鳥の歌や風の音色にまぎれて届く、談笑と人の気配。


「さあ、初のお客様をお出迎えしなくっちゃ」


 赤銅色の髪を手で整えて、期待で頬を染めるさまは、まるで恋する乙女だ。

 ミラはティーカップを回収し、キッチンに早足にむかっていく。


「浮かれて、騙されたりしなきゃいいんだけどな……」


 心配そうに尻尾をくゆらせつぶやかれたノノンの言葉は、彼女のスリッパの音にかき消えた。

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