土曜日・二
Q
無人島に行くことになりました
ひとつだけなにかを持って行けます
何を持って行きますか?
A
無人島に行けるだけで充分です
他にはなにもいりません
◇◇◇
先輩。鏑美咲
高校二年生で僕の二つ上。
家族が僕と同じ宗教団体にいて、先輩とはその宗教団体の子供の会からの顔見知り。
そのころは歳も違ってあまり話すことも無かったけれど、2ヶ月前くらいからこうしてつきあうようになった。
機嫌の悪かった先輩とはサンドイッチを注文したあと、テーブルの下で手を繋いでいる。そうすると少し機嫌は良くなったようだ。
テーブル席で並んで座って、テーブルの下で手を繋ぐ。指を絡ませて。
なんとなく繋いだ手の先輩の左手の親指の根本を、僕は右手の親指でもみもみする。
それがくすぐったいのか先輩は少し笑った。
学校も違い住んでるところも離れているけれど、先輩にとって話ができる相手というのが僕ぐらいしかいない。
家族が宗教団体にいるというのは同級生から敬遠される。一部の熱狂的な信者の布教活動でイメージが悪い。
そして僕も先輩も宗教活動に熱心な方ではない。それどころか、できれば脱会したいと考えてる。
なので学校の中でも宗教団体の中でも話ができる人があまりいない。
僕も先輩もそれなりに上手くやり過ごしてきたものだけど。
昨日の事件、謎の外国人が学校の中で同級生の左手を切り落として持ち去った事件についてを先輩に話す。
こんなことがあったけど、僕は無事だと安心してもらうために。
もちろんちーちゃんと佳介さんのことは秘密のまま。
「先輩も黒いコートに黒いシルクハットの金髪男には気をつけてくださいね」
先輩は人の手を切る怪人物がいまだに捕まることなくうろついていることを怖がる。
それでも、
「私も、嫌なヤツの腕とか、切ったりしてみたい。少しはすっきりするのかな?」
と、ぼそりと口にする。
先輩の言う嫌なヤツ、ね。ひとりしか思いつかないけど。
喫茶店で少し話してから、会計をすませて外に出る。レシートを忘れないようにして。
お釣りとレシートを預けるのも次に会う約束のため。歩さんは今回の事件のことも宗教団体についても、まだまだ僕に聞きたいことがあるみたいだ。
先輩とふたりで映画館に、学生のデートらしいデートとしては間違ってはいないだろう。たぶん。
僕の好きな映画はチャップリン、他にはフォーリングダウン。
今やってる映画で僕の好みそうなものは無いので先輩に選んでもらう。映画館で映画を観るのも久しぶり。
先輩が選んだのはハリウッドのアメコミヒーローもの。
スクリーンでは全身ピチピチのスーツを纏ったヒーローが怪人と戦っている。
先輩はずっと僕の手を握ったままスクリーンを見ている。集中して見ているので楽しめているようで良かった。
スクリーンの中ではヒーローが縦横無尽に暴れている。
正義のヒーロー、悪と戦う正義の味方、か。
現実にはいない正義のヒーローは、それが本当にこの世にいて欲しい、正義がこの世にあって欲しいと願う人の気持ちを受けて、作り物の世界の中の正義と平和を守っている。
現実の世界の正義を諦めた数だけ、作り物の世界にヒーローが産まれるのだとしたら、世界中にヒーローの物語が大量にあるというのは悲しい話なのか、それとも笑える話なのだろうか。
あのピチピチスーツで正体も身元も隠せるのなら、今すぐ買いに行きたい。できれば僕のお小遣いで買える金額で。
正義のヒーローは悪の怪人を打ち倒し、街は平和を取り戻してヒーローは恋人と再会してキスをする。ハッピーエンド。
僕の人生はハッピーエンドを迎えられるのだろうか?
先輩はハッピーエンドを迎えられるのだろうか?
スクリーンの中では暗転した暗闇の中から、おそらくは次回の敵だろうという悪そうなヤツが、
「これで終わったと思うなよ?」
と言って高笑いする。次回作を匂わせてエンド。
その悪そうなヤツの笑い声が、僕たちの現実を嘲笑っているような気がした。
「なかなかおもしろかったですね」
先輩に話ながら僕はパンフレットを買う。映画が気に入ったのではなく、先輩とのデートの記念にでも。
「そうね、本当にあんなヒーローがいてくれたらね。独善的でも、独り善がりでも、法律とか社会とかなに一つ気にもしないで、弱きを助けて悪を殺す、そんな正義の味方」
僕もそんなのはいないと思ってた。佳介さんに会うまでは。
縁の会った人が困ってたら助けてくれる正義の人。ただ、あの人の場合ヒーローというよりは必殺仕事人かもしれない。
先輩を家まで送ろうとしたら、断られた。
「シルクハットの怪人が現れるかも知れませんよ?」
「出たら、宏佑くんが変身して助けに来てね」
そんな話をしながら逆に駅まで先輩が見送りに。遅くなると先輩の家族が心配するだろうから、お互いに早めに帰ることにした。
未だに黒いシルクハットの外国人が捕まっていないから。
先輩は帰りたくは無いのだろうけれど。
「じゃあ先輩、また」
会いましょう、と続けようとしたら先輩に正面から抱きつかれた。
そのまま先輩にキスをされる。唇が触れる。
先輩はすぐに離れて、
「ごめんね」
と、一言。すぐに振り向いて走り去って行った。
なんとなく自分の唇に指を触れる。
「はぁ」
ついため息が漏れる。
先輩が僕に対する思いは、愛とか恋とかでは無いのだろう。ただ、愚痴をこぼす相手、助けを求める相手が僕ぐらいしかいない。それでいっしょにいるだけの、ただそれだけの恋人ごっこ。
先輩の両親はあの宗教団体の熱心な信者だ。僕から見ると狂信的な。それが信仰に溢れた、信者としては正しい姿なのだけど。
宗教団体の幹部に自分達の娘を差し出すほどの熱い信仰。
2ヶ月前に偶然先輩と再会した。公園でぼんやりと虚ろな目をした先輩に。
そのまま地面に倒れて消えてしまいそうに見えたのが心配になり声をかけた。
おじさんとセックスした、気持ち悪かった。先輩はそう言った。
先輩は両親に逆らえず、親の言うがままにその宗教団体幹部に身を任せた。
先輩の不幸は先輩の両親ほどに、頭が宗教に染まってなかったことだろう。
それでも親の言うことに逆らえない、親の期待に逆らえない、親に反抗できない。自分ひとりが我慢をすれば家族は平和で平穏だから。
親に生かされてる、親の所有物だから。
乱暴にまとめると先輩はそんなことを語った。
そう呟きながらも先輩は我慢しきれずにボロボロと泣いていた。
僕はそれを聞きながら、先輩の手を握っていた。それぐらいしかできないから。
家族が大事な先輩は警察にも話す気は無いといった。
「警察に言ったところで、親子の問題に警察は入ってこれないでしょ。民事不介入とかで」
先輩は涙を拭きながら、少し笑ってそう言った。
その日から、僕は先輩とつきあうようになった。先輩の気晴らしにつきあうようになった。
先輩のことが気に入ったのか、その宗教団体幹部はたまに先輩の家に来る。先輩の両親は喜んで迎え、先輩は身体を洗ってその幹部に身を差し出す。
幹部が飽きるか、先輩が両親を切り捨てない限り終わらないんじゃないだろうか。
だから僕は歩さんと先輩を会わせた。
歩さんには先輩のことを、
『僕と同じく家族が宗教団体に入信していますが今の宗教団体そのものに疑問を感じている人です。ただ、他人には警戒する性格ですので』
という感じで伝えている。両親が狂信者で幹部に犯されているとは僕からは言ってはいない。
あの歩さんのちょっと押しの強いお人好しに期待している。
歩さんが先輩と親しくなって先輩が歩さんを頼るようになれば、事態はなにか変わるのではないか、先輩が今の状態から抜け出せるのではないか、と。
僕ではなにもできないから。できなかったから。
先輩が考えを変えて、家族と縁を切り、親を捨てる気にならなければ、僕が警察や歩さんに全てを打ち明けても問題は解決しない。
先輩が我慢して口を閉ざせば、被害者はいないのだから。
訴えでる被害者がいなければ事件にならない。
僕が先輩を助けるためにあの宗教団体幹部を殺すことも考えた。
だけどそれでは僕が殺人犯になる。僕の父さんと母さんが人殺しの親になってしまう。
二人とも仕事は順調で家庭は平和で、そんな父さんと母さんに迷惑はかけられない。
僕が親を切り捨てるつもりが無ければできないこと。なるほど、親切とはよくいったものだ。
いっそ佳介さんに話してしまおうか。
ちーちゃんのように依頼してみようか。後金が一万五千円だったから前金が同額だったとして三万円か。
ただ先輩の場合、あの幹部が死んだとしても先輩と先輩の両親の関係は変わらない。
警察に訴えたところで家族の問題は民事不介入、と先輩は言った。そう、問題の根本は先輩の家族関係。
正確には親に隷属し従属する先輩の気持ちの問題とも言える。
反抗期、というのも時と場合によっては必要なものなのかもしれない。
僕自信、実感したことも体感したことも無い感情だけど。
電車に乗って家に帰る。さて今日の夕飯はなににしようか。
その前にやることはやっておこうか。
電車の中でスマホを取り出して歩さんにメールを。
喫茶店でおごってもらったことのお礼と、先輩の家の住所と電話番号を書いて送信。
歩さんが調査している宗教団体の実態はどこまで調べられているのだろうか。
それと、あのレポートは歩さんの仕事の役にたったのだろうか。
最近はいろいろと思い悩むことが増えて、なかなか勉強が進まない。学生なのだから学ばなければいけないことは多いのに。まだまだ知らなければいけないこと、憶えなければいけないことが多いのに集中できない。
それでも、これから先も生きていくためにはなんとかしなきゃいけないか。