金曜日・一
Q
間違い探しです。
ひとつめの間違いはどれですか?
A
私が産まれてきたことでしょうか
◇◇◇
12月12日午前11時
桐原中学校三年一組
事件が起きた。
「コーンニーチワー!」
国語の授業中、教室の前の扉を勢いよく開けてその人物は現れた。
足首近くまである黒のコート。襟の毛皮も真っ黒。黒いシルクハット。黒い手袋。大きな黒いサングラスで目は見えない。
全身を黒一色で揃えている。
肌は白く、シルクハットから金色の髪の毛がこぼれて流れ、肩の高さで切り揃えられている。
鼻の下には金色の口髭、口元がニヤニヤと笑っていた。
三年一組の教室は奇妙な乱入者を迎え沈黙。次いでざわざわとし始めた。
テレビの撮影かと辺りを見回す生徒。
あまりにもいかがわしい人物の登場は、芸能人がかつての母校に表れるようなテレビ番組を思い出す。
しかし教室の後方にはテレビカメラも撮影スタッフもいない。
国語の先生が恐る恐る、
「あの、どちらさまですか?」
と、問いかける。
この先生が乱入した人物を知らない様子だった。
「イキナリお邪魔してすみマセーン。スーグに終わりマース」
シルクハットの人物は外国人だろうか。おかしな発音の日本語で先生に応える。
皆が突然の乱入者に注目する。ざわざわとする教室の中、あんな芸人いたか?と、隣の席の同級生に聞く男子生徒の声が聞こえた。
シルクハットの人物はざわめきの中、悠々と歩き教室の中ほど、ひとりの女生徒の前で足を止める。
「高崎陽子さんですね?」
「え?わたし?」
名前を呼ばれた女生徒は驚いて疑問で返す。その反応から高崎陽子はこのシルクハットの人物のことは知らない様子だった。
「高崎陽子さん、人に恨まれることはしてはイケマセーン。恨みとは巡り巡るものデース」
「はあ?」
「恨みは大地に染みる血の如く、見えなくなってもいつまでもその地に残りマース」
「なんのことか、解らないんですけど」
「恨まれることをしながらそれを忘れたならば、己の身に起きることの意味すら解らなくなりますよ」
シルクハットの人物と高崎陽子の会話は噛み合ってはいなかった。ニヤニヤと笑いながら話すシルクハットの男の言葉に、高崎陽子は眉間に皺を寄せて戸惑っているようだった。
教室中が囁きながらふたりの様子を見ていた。
「いずれあなたは思いを知ることでしょう。その身に重い知ることになるでしょう。はい」
シルクハットの男がそう言った直後、ドガッと音が教室に響いた。
男が一瞬でコートの中から鉈を取り出して高崎陽子の机に叩きつけた音だった。
シルクハットの男は両手を上げる。黒い手袋で右手に鉈を持ち、左手に左手を持って。
男が左手に持っているのは、手首と肘の中間で切断された高崎陽子の左手だった。
高崎陽子は自分の左手を見る。無くなってしまった肘から先の部分を。そこから噴水のように血が吹き出した。
「ああああああああ!」
高崎陽子が悲鳴をあげて、自分の切られた左手から吹き出す血で顔を赤く染める。その悲鳴で教室中からも連鎖的に悲鳴があがる。
シルクハットの男はまるで握手をするかのように高崎陽子の切断された左手を持ち、その切断面を見せるように近くの女生徒の顔に向ける。
その女生徒は悲鳴をあげながらのけ反って倒れた。高崎陽子の切断された左手から出た血で顔と制服を赤く汚して。
教室中が混乱し、誰もがシルクハットの男から離れようともがいて言葉にならない悲鳴を出す中、その男は入ってきたときと同様に悠々と歩き、教室の後ろの扉から出て行った。
シルクハットの男が去っていった教室の中は机が倒れ、椅子が倒れ、人が倒れていた。黒板の下では国語の先生が座りこんでガタガタと震えていた。
飛び散った血が所々を赤く汚して、高崎陽子の左手からはまだ血が流れていた。
高崎陽子は床に倒れびくびくと痙攣するように震えていた。
ひとりの男子生徒が倒れた高崎陽子に近づいて、自分のズボンのベルトを外して高崎陽子の左脇の下にそのベルトを通して縛りつけようとした。止血するつもりのようだが高崎陽子が暴れるので上手くいかないようだ。
何人かが我に返り携帯電話で警察に電話をかけ始めた。
こんなところだろうか?
今日、学校で僕が目撃した事件を書き並べてみたものの、これで解りやすく伝わるのだろうか?
こんな事件のレポートというものは初めて書くので、書き方というのもよく解らない。
歩さんが見て理解できればそれでいいだろうか。
テレビでは今日の学校であった事件がニュースで報道されている。
事件としては死人が出た訳でも無く、被害者も腕を切断された重傷者がひとりだけ。
被害の規模が小さいわりには、ニュースでは大きく取り上げられている。
謎の人物が学校に乱入して女生徒の左手を切断して、その左手を持って逃走した。
これが珍しくセンセーショナルだから、マスコミも扱いを大きくしているのだろう。
逃走したシルクハットの男はまだ捕まっていない。
この人物の目的が不明で今もどこにいるか解らない。次にこの男がまた事件を起こすとしたら? 標的になるのが誰かも解らない。それはあなたかも知れない。あなたの家族かもしれない。
このあたりの恐怖心が、実際の事件の規模よりもマスコミや人々が注目する要因なのだろうか。
僕は自分で書いたものを見直して、確認のために僕のクラスの名簿を見る。
あのシルクハットの男が、タカサキヨウコと言っていたが僕はあの女生徒の名前を知らなかった。同じ教室にいるからといって僕がクラスメートの名前を全員憶えているわけでは無い。話したことも無いクラスメートの女生徒の名前とか知らない。記憶に無い。なので名簿で名前を確認して字が間違ってないことを見直す。
もうひとり、高崎陽子の止血をしようとした男生徒の名前は、と。中山照斗。
真っ先に動いて人を助けようとした彼。目立つタイプでは無く物静かな人だという印象だったが、とっさのときに頼りになるのは彼のような人なのだろう。
彼が先に動いてくれたので、教室の中であまり目立ちたくない僕としては彼に遅れて動いて、暴れる高崎陽子を押さえて彼の止血を手伝った。
中山君以外にとっさに応急手当をしようというクラスメートがいなかった、というのもあるけど彼ひとりでは暴れる高崎陽子を押さえつけながら止血するのが無理そうだった。
それでつい状況に流されて中山君を手伝ってしまったのだけど。
僕が押さえている間に中山君は高崎陽子の脇の下に通したベルトを固く縛り、綺麗なタオルで傷口を押さえつけた。
そのために僕も中山君も血塗れになってしまった。制服も血で汚れてしまった。
制服についた血液というのは、洗ってもなかなか落ちないので困る。
後で中山君に聞いてみた。真っ先に動いて人助けをしたのは凄いし、止血の方法も知っているようだった。
どこかで応急手当とか人命救助とか教えてもらったことがあるのか?と。
彼は、いざというときに役に立てる人になりたいと、応急手当やサバイバルなどを独学で勉強していると恥ずかしそうに語ってくれた。参考になる本のタイトルなども教えてもらった。
サバイバル・バイブル、今度探してみよう。
実際に彼の知識は役に立ったし、その心構えととっさの行動力などは素直に尊敬する。
そんな彼の一面を知ることができたのはこの事件のおかげだろうか。
中山君のような緊急時に頼れる男が同じクラスにいるのは幸運なことだろう。
逆に言えば、このような事件が起きなければ中山君の真価は発揮できずに、目立たなくおとなしいひとりの生徒ということになるのだろう。
しかし、奇妙な事件ではある。
犯人の白い肌に金髪、おかしなイントネーションの日本語と外国人のようではある。
あのシルクハットの男は無差別では無く、初めから高崎陽子を標的にしていた。
そして高崎陽子以外には誰も被害が無い。
鉈を振り下ろす前のふたりの会話からだと高崎陽子に恨みがあるようなことを言っていたが、当の高崎陽子にはシルクハットの男に見覚えは無さそうだった。
そしてあの男は高崎陽子の左手を切断して持ち帰った。つまり殺すことが目的では無かった。
出血のショックとかあったみたいだけど、すぐに救急車で彼女は運ばれて行った。
テレビのニュースでも死亡したとは報道されてないから、死んではいないのだろう。
恨みはあっても殺すほどでは無い、ということだろうか。あの男が切りつけたのは一度だけ。狙ったのも頭でも首でも無く左手。
切った左手を持って、まるで散歩のように慌てることもなく悠然と出ていった。
今はこれ以上は解らないし、調べるつもりも無い。ただの中学生の僕が事件に首を突っ込む気も無いし、興味はあっても警察の捜査の邪魔をして警察に目をつけられるようなことは遠慮したい。
僕は書きあげたレポートを見て電話をかける。最近お世話になっている、というか最近つきまとわれているというか、僕のことを心配しつつも自分の趣味に忠実な人。自分の主義に忠実なあの人に。
ジャーナリストの端くれというなら、話題の事件の目撃者の話は役に立つのでは無いかな、と事件のことを書いてみた。
明日にでも歩さんに会えるならこのレポートを渡すことにしよう。
あぁ、事件現場で凶行を目撃したなら、僕は少しは動揺していた方がいいのだろうか?
いや、わざとらしい演技とかすると逆に疑われたりするのかな?
どんな態度でいるのが中学三年生男子として正しいのだろうか。他のクラスメートは今、どんなふうに過ごしているのだろうか。
困惑か、恐怖か、同情か。
道徳の教科書にはこんな事例のときに人として正しい在り方などを、参考例として解説付きで載せておいて欲しい。