その8 ミッション:インポッシブル
※先に言っておきますが、この文章にトム・クルーズは出てきません。
地獄だった。いや、地獄とは少し違うのかもしれないが、自分以外の全員が時間も決まりも指示も守らない、無断欠勤上等、etc...というような人間だったらどうだろう。これはある意味では東京で心を折られたときより精神的にキツかったかもしれない。
その頃、ちょうどバイオ燃料が商売になるぞと話題になっていた時分だった。伯父さんは性懲りもなくこれに目をつけて、フィリピンに住む友人に(伯父さんは本当に謎としか言いようのない広い人脈を持っている。どうやってそれを築いたのかは怖くて聞けないけれど)、それについてアドバイスを求めた。すると、フィリピンで腐るほど採れるという「ヤトロファ」という木の実が物凄く油分に富んでいて、バイオディーゼルにも使えるという話を聞くことができた。このヤトロファという木の実は和名を「ナンヨウアブラギリ」という。その種子は古くから様々な用途に用いられていて、石鹸やロウソクの原料になったり、果ては医薬品の原料になったりするらしい。で、そんな油分に富むヤトロファであるが、環境の変化に非常に強く、旱魃にも耐え、しかも種子に毒性があるため食用にも向かないのでバイオ燃料として利用しても食料を圧迫しないというメリットがある。さらにただ絞っただけで精製しない油でも燃料として使えるなど、いいことばかりのように見える。しかしこのヤトロファに目をつけた様々な国籍の企業がヤトロファの農地を拡大していき、結果として食料の供給を圧迫したり、他の作物の栄養を奪って土地が痩せたり、といった弊害もあるようである。
さて、そんなヤトロファに目をつけた伯父さんであるが、おれに命じたことは「フィリピンに行って事務所を構え、農地候補地と協力してくれる農家を探して来い」というものだった。まあ元々スペインの植民地だったとはいえ、公用語は英語とフィリピン語(タガログ語)である。英語が通じるならまあなんとかなるだろう、おれはそんな軽い気持ちで引き受けてしまった。
フィリピンまではそれほど時間はかからない。飛行機に乗って数時間で着く。亜熱帯なのでとても蒸し暑かったが、真夏の大阪よりはいくらかマシだった。マニラにホテルを取り、日本の途上国進出支援制度みたいなものを利用して、現地では最先端のビルの一室の、そのまた一室に小さな事務所を借りることができた。伯父さんの友人の伝手を辿って、多少日本語のできるフィリピン人の男の人を助手として雇い、おれのフィリピン生活が始まった。…のはいいが、その日の夜に事件が起こった。事務所開きを記念して、おれと伯父さんの友人の田中さん(仮名)、それとこのフィリピン人の男性、ペレスさん(仮名)の三人で夕食に行きましょうということにした。
待ち合わせには三人とも時間通りに着いた。フィリピンの人は基本的に時間にルーズなので一時間は待つだろうなと覚悟はしていたが、拍子抜けしたほどだった。しかしどうも様子がおかしい。ペレスさんの後ろに二十人ぐらいの人たちが満面の笑みで待っているではないか。…そう、ペレスさんのみならず、ペレスさんの一族郎党全員がご相伴にやってきたのだった。さすがにこれにはおれも腰を抜かした。またペレスさんのご両親はともかく、兄弟の家族も含めて皆そろってメチャクチャよく食べる。この時ぞとばかりに食べまくる。結局、決めていた予算の二十五倍近くかかってしまった。いくらフィリピンの物価が安いと言っても食べすぎである。しかも綺麗に全ての皿を平らげた。ペンペン草も残っていなかった。
翌日、ペレスさんが地元の農家を紹介してくれるということだったが、当然のようにその日ペレスさんは現れなかった。
到着して三日ほどで既に色々と疲れ切っていたが、ホテルはいいホテルだった。日本でいうビジネスホテルに毛が生えたぐらいの値段だったが、朝はビュッフェ形式の朝食だったし、簡単なスポーツジムもあり、気の利いたバーも地下にあった。夜、ホテルのバーでビールとウィスキーを飲んでいるときだけが癒しだった。
ところで、フィリピンというと男性諸氏は淫らなイメージを思い浮かべる向きも多いと思う。実際そういう、マスターにチップを払って、女の子を連れ出してムフフなことができるというバーも何件かあった(ゴーゴーバー、という)が、心にそんな余裕もなかったおれは結局利用せずじまいだった。一回ぐらいは行っておけばよかったかな、と少し後悔している。
約束の日から二日遅れで、ペレスさんはおれを迎えにきた。が、どうもまた人が多い。ペレスさんは、奥さんと子供たちを「マニラのオフィスビルなんて、滅多に来れるところじゃないから」という理由で連れてきてしまった。くれぐれも静かにしていてくれ、と念を押して、おれはペレスさんとともに事務所を出た。
車で一時間半ほど走ったら、周りの景色はすっかりジャングルのような熱帯林の様相を呈していた。車を降りて、ペレスさんは農家の集会所のようなところに案内してくれた。おれはそこで採れたてのマンゴーを頂いたが、その辺で売っているマンゴーよりずっと美味しかった。それだけはよかった。
しかしヤトロファ栽培の件を話すと、「そんなことは聞いていない、ただ日本人が来るからもてなしてやってくれと言われただけだ」というようなことを言われて、すごすごと帰るハメになってしまった。どうにもいい加減である。
また一時間半かけてマニラの事務所まで戻ると、オフィスの管理人からお叱りを受けた。子供が煩くて周りの利用者が迷惑している、と。
おれは頭が痛くなった。
次回に続く。