表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
べっさんの不思議なお仕事  作者: べっさん
7/8

その7 香港にて

 そのとき、何故かおれは香港に放置されていた。

「どうせ日本おってもやることないんやろ?しばらく香港おったらどうや」

 鶴の一声だった。帰国したらこのとき付き合っていた彼女とおれの誕生日を祝うはずだったなどと言える雰囲気では当然なかった。残念ながらその時点ですでに手筈は全て整っていたので、おれに逃げ場ははなから用意されていなかったのだ。機嫌の悪い彼女を電話でなんとかなだめながら、おれは香港の街を歩いていた。なぜそんなことになったのかというと、伯父さんの知人が香港に会社を持っていて、そこからある品物を買い付けに伯父さんとおれは香港に来ていた。おれはその旅に英語の通訳として同行していたが、留学経験があるとはいえ長らくネイティブの英語から離れていたので、話すことはできても聴き取るのに難儀してしまっていた。何度も「Pardon?」と聞き返すおれを見た伯父さんが軽い思いつきで、ちゃんと通訳できるようになって帰って来いと命じたのだった。


 香港というのは1997年までイギリス領だったのもあって、近代的なビル群に加えて、今でもイギリス様の建物が多く残っている。アパレルなど、イギリスのメーカーの直営店も多い。それから、中国本土では自動車は右側通行だが、香港ではイギリス同様左側通行となっている。加えて英語圏からの観光客がかなり多く、そういうのもあって、見た目は中国の人であっても、流暢に英語を話せる人がたくさんいる。もちろん、香港の公用語である広東語も広く使われている。中国語といっても北京語と広東語ではかなり違いがあるらしく、駅の案内板などを見ても、北京語、広東語、英語の三つの言語で書かれているものが多かった。

 そんな中国とイギリスのハイブリッド文化を持つ香港だが、そんなところにいきなり放り出されたおれは途方に暮れるしかなかった。伯父さんはホテルと当面の費用だけは用意してくれたが、見知らぬ土地、それも海外でブラブラと足の向くままに歩けるほど肝は据わっていない。とはいえ、ホテルでじっとしていられるたちでもないし、時間は腐るほどあった。仕方ないので、ホテルのフロントで観光案内の地図を貰って、香港の名所を日々巡ることにした。ザ・ピーク、九龍公園、テンプルストリート、ビクトリア湾のフェリー、ネイザンロード……。香港の観光スポットは大体見て回ったのではないだろうか。行っていないところといえば香港ディズニーランドぐらいだと思う。食事のとき、道を尋ねるとき、タクシーに乗るとき、何かを買うとき、気さくに話しかけてくれる人に愛想を返すとき、全て英語だった。

 その間も、伯父さんの会社からはメールで翻訳の仕事が回って来た。この滞在中は日常会話から仕事、娯楽として見るテレビに至るまでほとんど英語に囲まれて生活していた。

 人間とはすごいもので、そうやって違う言語の中で暮らしていると段々と順応してくる。もちろんおれの場合は過去の経験がベースになっているので人よりは早いかもしれないが、きっと一ヶ月もあれば大抵の人はある程度順応できるのではないだろうか。順応すると英語が英語として聞こえてくるようになる。どういうことかというと、例えば「apple」という単語があるとしよう、順応していないと、これを一旦頭の中で「りんご」という単語に置き換える作業がある。それからようやく、「赤くて丸い、少し酸味のある甘い果実」という映像が浮かんでくる。順応してくると、「apple」から直接「赤くて丸い、少し酸味のある甘い果実」を連想することができるようになるのだ。そうなってくると、英語に対して頭の中で一旦日本語に置き換えなくても自然と英語で返すことができるようになってくる。英会話ができるようになる必要があるが、どうにも苦手だという人はネイティブの国にこうやって一ヶ月ほど放り出されれば嫌でも話せるようになると思う。時間と金が許せばという制約はあるが、同じ高い金を払うのなら英会話教室に通うよりも遥かに効率がいいだろう。


 そうやって順応してきた頃、先に日本に帰った伯父さんから連絡がきた。ようやく日本に帰れるのかと思ったら、どうやら伯父さんの知り合いの会社と話がついたらしく、品物がちゃんと出荷されるまで見届けて来いとのことだった。その会社のスタッフはかなりフレンドリーで、最初に顔を出したとき、おれは結構な歓待を受けた。社長さんが夜にバカでかい回るテーブル一杯に乗った広東料理のフルコースを振る舞ってくれたりもした。はっきり言ってメチャクチャ美味しかったのをよく覚えている。英語でコミュニケーションを取って、しっかり務めを果たして、無事に商品が出荷されたのを見届けて、おれはようやくその会社を後にした。別れのときに言った言葉は「Thank you」ではなくて「多謝(トゥォーチェ)」だった。広東語でありがとうという意味だ。あちらのスタッフたちも笑顔になって、「アリガト」と言ってくれた。言葉が通じるというのは、やはり嬉しいものだ。


 そしておれがようやく日本に帰ったのは、香港に着いてから一ヶ月半も後だった。


 このあとおれは息つく暇もなく別の仕事でフィリピンに飛ぶことになるのだが、それはまた次回。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ