その6 英語翻訳
TOEICのベストスコアは900点である。まあ凄いのか凄くないのかと問われると世間的には結構いい点であるのは間違いない。間違いないが、おれの先輩には満点者が二人いる。上には上がいるものだ。ちなみに彼らは純粋な日本人であり、留学経験もない。何を食べたら満点なんて取れるのだろう。ドラえもんに暗記パンを貰ったに違いない。ちなみに今おれがTOEICを受験したら800点取れるかどうかも怪しいと思う。
おれがプータローをしていると知った伯父さんがウチの仕事を手伝わないかと声を掛けてくれた。伯父さんの会社は表向きは建設業で土木工事などを請け負っていたが、貿易やら古物商やら果てはよくわからん健康食品の小売りまで、多角経営と言えば聞こえはいいが、その実は行き当たりばったりとしか言いようのない会社経営をしていた。不思議と黒字経営だった。貿易の真似事のようなことをやっているのもあって、伯父さんの会社には英語の書類が多くある。元々翻訳できる人を雇っていたのだが、その人はもう結構な歳であり、彼だけでは手が回らないということでおれが手伝うことになった。
英語というのは、現在事実上世界共通語の役割を担っている言語である。中国語の書類も、スペイン語の書類も、フランス語の書類も、ポルトガル語の書類も、イタリア語の書類もドイツ語の書類も、そして日本語の書類も、英語以外のあらゆる言語の書類には、基本的にはその言語と英語によってのみ解釈される、という但し書きが付いている。今でも英語の翻訳はあちこちから依頼があるのだが、その基礎となった経験はここに遡る。もちろん、英語自体の基礎能力は高校生の頃に培われたもので、トータルで3ヶ月ほどオーストラリアに留学していたこともある。これは自慢だが、学校全体で大きな模試を受けたとき、英国の二教科で全国8位を取ったこともある。まだ上に7人もいるのかと思ったほど上出来だった。しかし悲しいかな理数が入ると目も当てられない順位になってしまう。おれは根っからの文系人間なのだ。
話が逸れた。しかし実社会での英語というのは一筋縄ではいかない。まず専門用語である。こんなものは学生時代には習わない。そもそもからして、国際商取引のイロハすら知らなかったのだから、まずはそこから覚える必要があった。辞書を引き、インターネットで調べ、また辞書を引き、学生時代より随分単語力がついた。専門的な単語も多く覚えた。文法については少しリハビリすればすぐ思い出したので、単語さえわかってしまえばあとはどうにでもなる。インターネットのおかげでわからない単語はすぐに調べられるし、専門用語も大体調べればどこかに解説がある。本当にインターネットは便利である。
しかし得てして利便性には罠が潜んでいる。
翻訳サイト、というものがある。これは使った人ならわかると思うが、無料で提供されているものは大抵、『なんとなくわかればいい』程度の機能しかない。おれは日本語と英語以外わからないから、例えば中国語で来た書類は英語に直してくれと相手方に頼んだ。するとなんとそういった翻訳サイトで適当に翻訳したものが来るのだ。正式な契約書ですらそうだった。オイオイ…と思ったことは数えきれないほどあった。英訳者も雇えないのかよっ!と内心悪態をつくこともあった。というかそういうことがあると毎回ついていた。本当に意味がわからないのだ。例えば「重要」という単語が「important」ではなくて「heavy core」になっていたりする。パッとみればすぐに翻訳サイトで翻訳されたことがわかる。それぐらい酷い。
翻訳というのは、誤解を生んではいけない仕事である。他の言語を訳すというのは結構責任が重い。あちらのニュアンスを汲み取り、なるべく厳格に訳さなければならない。文学作品の翻訳というのは、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したように、訳者のセンスで成り立つところもある。しかし商取引の書類に訳者の感性は不要である。とにかく正確に訳す必要がある。貿易の書類にまさか「I love you」なんてことは書いていないだろうが、その場合は「あなたを愛しています」と過不足なく訳さなければならない。
だから元の文章を歪めてしまう翻訳サイトは本当に厄介なのだ。参考にするのはいい。翻訳サイトで大まかに訳しておいて、人間の手で手直ししていくというならまだわかる。何しろこちらは元の文章がわからないので、来た書類がアテにならないとなると手の打ちようがない。別に元言語の翻訳を依頼しなければならないハメになる。
言葉とは相手に何かを伝えるためのものであり、ただ発すればいい、書けばいい、というものでは断じてない。伝わらなければ意味がないのだ。それが取引の場においては尚更である。お金が絡むし、何よりお互いの信用に関わることなので、そういう意味で翻訳は本当に気を遣う仕事である。
とはいえ、基本の基本は自分の母語を知っている、ということが大事になる。突き詰めると、英語が理解できても自分の母語に上手く落とし込めなければ翻訳者としては失格である。文法なんてのは二の次で構わないのだ。「ら」抜きだ「い」抜きだうるさい人もいるにはいるが、つまるところ相手が理解できればいい。そういうことで言うなら、日本語から英語に直すのは、言わずもがなもっと難しい。英語のネイティブの人に英語で理解させるというのは本当に至難の業である。伝わらなければ意味がない、それはどんな言語でも同じことなのだ。
うん、誰か僕に言語力をもっと下さい。