その1 WEBデザイナー
おれは今まで様々な仕事に就いてきた。どの仕事も長続きしなかった。基本的に人の下で仕事をするのが苦手な、社会不適合者であるという事実からは目を背けないつもりだ。
けれど、世の中には実に色々な仕事というものがある。
おれが経験してきた仕事を削り取って、いくつか紹介していこうと思う。
しょっぱなは、『WEBデザイナー』という職業だ。WEBデザイナーというのは平たく言えばウェブサイトのデザインをする(そのまんまやないか!)職業である。ただ、一口にデザイナーと言ってもその仕事は多岐に渡り、デザインの一芸に秀でているだけでは中々口に糊をすることはできないのである。様々なウェブサイトを見ているとわかると思うが、ウェブサイトというのは『見た目』だけでは成立しない。例えばこの『小説家になろう』というサイトだって、ユーザー管理システムがあって、ユーザーが小説を投稿する仕組みがあって、投稿された小説を検索する仕組みがあって…と、プログラミングがガッツリと関わってくる。だからデザイナーであってもプログラミングを齧っている人間は強い。デザイナー専業でやるにしても、プログラマーがシステムを組み込みやすいデザインというのができるからだ。そして売れっ子デザイナーはデザインのセンスもさることながら、プログラムを上手に組み込んで面白いギミックをうまくサイトに仕込んだりするのである。実に妬ましい。
他に『ディレクション』という難しい仕事もある。これは、ウェブサイトを通じて何かしらの売り上げを上げるサービスを作るにあたって、企画からデザインから売り上げを生み出す仕組みを考えたり顧客と折衝したり…といった、もはやデザイナーの域を超えた大仕事である。確かにそれだけやりがいはあるのだが、激務故に身体や心を壊してしまう人も多いと聞く。
おれがこの肩書で仕事をしたのは、WEBデザイナーという職業が認知されてきて暫く経った頃だった。だから、今のWEBデザイナーの仕事ぶりがどういう感じなのかは、よくわからないということを付記しておく。
おれがデザイナー関係の専門学校を出て最初に就いた会社は、なぜか電気工事の会社だった。ところがここの社長が面白い人で、新しい事業をどんどんと繰り出していく、言い方は悪いが、下手な鉄砲も、という感じの豪快な人だった。その一環として、WEB制作事業をやろう、という上で事業立ち上げメンバーに晴れておれも選ばれたのだった。そのとき、おれの作品集を提出しないで採用されてしまったのに、おれは不安を覚えるべきだったのかもしれない。
もっぱらの客は、社長が経営する会社の得意先だった。だからやりやすいと言えばやりやすかったのだが、相手の担当者が一癖も二癖もある難物だったことは一度や二度ではない。WEBデザイナーが作るものは『ウェブサイト』というのが一般的なのだが、便宜上ホームページという言葉を使う。『このホームページの丸パクリをしてほしい』、『このホームページをもうちょい赤っぽくした感じで』これぐらいならまだいい。イメージがしやすいからだ。さすがに丸パクリをするわけにはいかないが、似たような感じで制作を進めることはできる。ウェブサイトというのは大体構造的には同じである。全てのページの表紙にあたるトップページがあって、全ページ共通の、大きなボタンがいくつかあり(グローバルナビゲーションという)、それを押すと、大きな分岐のトップページに遷移して、そこから小さなページに分岐していく、と、おおざっぱにいうとそんな感じである。だからどこそこのサイトに似せてくれ、というのは楽なのだ。そういう客の中にも難儀なのはいて、赤っぽくと言ったから赤っぽくデザインしたものを何点か持って行ったのに、「うーん、やっぱり青にできます?」とくるのである。そりゃあできますが、なるべくなら追加料金を頂戴したいところである。しかし上手くやる先輩は、最初のデザインの時点で「赤とおっしゃいましたが、青もいいと思いましたので試しに作ってみました」とやるのである。その先輩から学んだそういうものは、今でもおれの中で大事にしている。上っ面で優れたデザインと、それを求めるユーザーの潜在的な好みは違うのである。
しかしおれが本当に手を焼いたのは『自分でデザインをしてきてしまうオッサン』である。本人は「ここが何色で、ここにボタンがあって…」と得意げに説明しているのだが、デザイン的には完全に的外れなのである。この文章を一体何歳の人が読まれるのかはわからないが、2000年ごろの、今の形のインターネットの黎明期にあたる時代は『原色の背景にタイトルがドーンとあって、何故か音楽が流れている』ようなサイトが多かった。もちろんおれが人生で最初に作ったサイトがそういうものであったことは、僅かな羞恥とともにここに記しておく。つまりそういうオッサンは、そういうデザインをドヤ顔で持ってきてしまうのだった。
先にも述べたが、ウェブサイトの構造にはセオリーがある。グローバルナビゲーションがあって、ページを遷移していくごとに『パンくずリスト』(企業のサイトなどでよくある、『トップページ>会社概要>社長あいさつ』、みたいに辿って来た順番がわかるようになっているリストである。ヘンゼルとグレーテルの童話で、パンくずを落として来た道を忘れないようにした、というのが由来である)があって、フッター(ページの一番下)にはサイト内リンク集があって…とデザイン業界の先人たちが知恵を絞って出来上がった、どうすればユーザーが見やすい、使いやすいページになるか、というセオリーがきっちりあるのである。配色にしたってそうで、適当というわけにはいかない。長く見ていても目に優しい色使いをするのは当然で(トップページを見ただけで、「あ、目が痛い」と思われてしまってはすぐに閉じられてしまうのだ)、補色を上手く使う、ビビッドな色はなるべくパステルカラーのアクセントに使う、目立たせたい場所には少し色相を変えたバナーを配置する…等々。ところが『自分でデザインをしてきてしまうオッサン』は、そういうのを完全に無視しているのである。こちらはデザイナーなのでもちろん下手なものは作れないのだが、オッサンの意向を完全に無視するわけにもいかない。仮にも客なのである。そうすると『なるべくオッサンのデザインを活かした、セオリー通りのデザイン』という、なんだか妖怪の『鵺』みたいに形が曖昧模糊としたサイトが出来上がってしまうのである。そしてそういうオッサンは、おれたちデザイナーが何と言おうと、それで満足してしまうのだ。
そのオッサンの会社は、オッサン渾身のウェブサイトを立ち上げて数か月後に倒産の憂き目に遭った。
ウェブサイトとは関係なく、既に傾いていたのだとおれは信じたい。