出会い編
インディは2005年4月30日生まれのイングリッシュブルドッグ。「血統書」がついていた。
この春が来たら11歳になるがこの10年間、インディの「血統書」の提示を求められたこともないし、何かの役に立ったという記憶もない。この「血統書」からわかったのは、静岡県の生まれだということ。そして、生まれた時にアスリートオブなんたらという名前が付けられていたので、初産の子だったことも後に知った。「血統書」に記載されている生まれた時の名前は、初産だとAからはじまり、2回目の出産だとBから始まる名前が与えられるそうな。その程度の情報は、今となってはまったく必要のないものばかりだった。少なくともインディにとって「血統書」は必要なかったようである。
そうそう、インディがどのような経緯でわたしのもとにやってきたかについて。
当時、同居していた友人ふたりがホームセンターのペット売り場に通い始めたのだ。
そこで、真っ白のブルドッグを見つけた、と興奮気味に話してくれた。今度見に行こう、と誘われていたが生返事を繰り返しているうちに、真っ白のブルドッグは老夫婦に買い取られていったそうだ。
ふたりの落胆ぶりは、はたから見ていて可笑しいくらいだった。次の日から、暇さえあれば「返品されているかもしれない」と云って、またホームセンターに通いだした。「新しい子犬が入るかもしれない」というなら納得もできるが、「返品されるかもしれない」という発想がこのふたりらしかった。
そもそもふたりが、ホームセンター通いを始めた事の発端はわたしにあった。
ファッション誌をぺらぺらと流し読みしながら、「チワワでも飼おうかな」と何の気なしにわたしが云ったのだ。本気で犬を飼うつもりはなく、今思えば、誌面で、モデルやアーティストたちが楽屋やステージ裏にバッグに入れたチワワを所構わず連れ回す自由さがうらやましく思えたのだ。
「チワワ」って何?と、同居人たちが好奇心を満たすために訪れたペットショップで、白いブルドッグに出逢ったそうだ。
当たり前のことだが、白いブルドッグが老夫婦から返品されることもなく、同居人ふたりのホームセンター通いは無駄足以外のなにものでもないものだった。ふたりがホームセンター通いをしている間もわたしは、粛々と日々通勤していた。経済的にもっとも安定していて、精神的にもっとも不安定だった。ふたりののんきな行動に注意も払わなかった。
ほどなくして、ある日の仕事中、「電話ちょうだい」とメールが届いた。なにごとかと思い電話をすると、興奮気味に「ブルドッグが入った。明後日には連れて帰れるみたい」とのたまった。明後日?つれて帰る?ブルドッグを?さっぱり的を得ない会話となった……。
要するに、白いブルドッグが老夫婦に買われていった日からほぼ毎日通っていたホームセンターで、新しい子犬が入荷した。それは白と茶のブルドッグで、目が合ったので一緒に来るかと尋ねたらうなずいたそうな。いや、首をきゅっとかしげたそうな。
安易に動物を飼わないで、と訴えかける注意書きそのままの事例にあっけにとられた。そんな安易な思考回路の人物が、身近に、しかもふたりもいたとは。
その電話は、飼おうかという相談と云った類いのものではなく、つれて帰るからね、という通達のようなものだったように記憶している。はじめてインディに会ったのは、引き取りに行くその日ではなかったか。
ホームセンターのスタッフの「心変わり」など受け付けないと云わんばかりの勢いで、平均寿命が6〜7年であること、暑さ寒さ湿度に弱いこと、心臓が弱いこと、関節を傷めやすいこと、などのいいわけがましくも聞こえる注意事項を一方的に説明され、あれよあれよというまに、「じゃ、かわいがってあげてくださいね」と引き渡された。
親となるわたしたちの人間関係や、経済状況、生活サイクルも聞かれないまま両手のひらにちょこんと乗ってしまうくらいしかないちいさなちいさなインディがわたしたちのモノになった。
いまでこそ、インディは意思をもったこの上なく存在感のある生命だけど、あのときはなんとなく手に入った「かわいらしいモノ」程度にしか感じてなかったのではないかと思う。
とにかくインディとわたしは出逢ってしまったのだ。




