第1章〈仲間はずれの暗殺者〉(2)
「これは……何の冗談で?」
剣を突きつけられ、両手をあげたままの状態で俺は質問した。
「しらばっくれるな、お前が身につけているペンダント、それが機鋼連合の遺産へのアクセスキーであるということは調べが付いている」
しらばっくれるもなにも、完全に初耳だ。
自分の何だそれ?という表情が気に食わなかったのか、苛ついた表情で男は剣を握り直し、より危険な角度で自分に向けてくる。
首筋に突きつけられた剣の刃先が僅かに肌に触れ、意識せずとも全神経がそこに集中する。
流石にこれは冗談なんて状況じゃあないな……
更に後ろに控えていた別のナイトが続ける。
「更に、お前には禁忌とされている旧技術研究をしていた疑いもある。ここ数日アンダーの跡地に向かっていたそうだな、そこで一体何をしていた!」
「何って、近々予定されている近場のアンダー探索にあたって、危険性があるかどうかの事前調査を……」
そう、口頭報告じゃいつも当然のように無視されるから、無視されないよう、俺はいつもしっかりと事前に申請書類を提出している。
今回も事前に出したので、まったく問題はないはずだ。
「事前調査申請もなしにか?」
そうそう、ちゃんと事前調査申請書もなしに…………ってええ!?
「ふざけたことを言うやつだ、真理議会にそのような申請が来た形跡は一切ないぞ」
……前言撤回、あのクソ上官、俺のみならず俺の提出した書類まで無視しやがった。
「そ、それは多分ここの管理官の所にあるはず……」
それを聞いた隊長格の男は一言ふんっ、と鼻を鳴らすと。
「で、その書類には、その胸からぶら下げている物に対する許可申請も混じっているのか?」
噂通りタチの悪い連中だ、結局、書類がどうとかは関係ない、こいつらは最初っから俺のことを黒だと認定しているわけだ。
わかりきっていたことだが、やっぱり異端審問課の連中は話が通用する相手ではなさそうだ。
別の切り口で反論してみるか。
「ちょっと待ってくれ、このペンダントについては、あんたらと同じ異端審問課のアインって奴が知っているはずだ。アイツなら、俺ペンダントがそんなやばい代物じゃないって証明してくれるはずだ、確認してくれ!」
その声を聞いた瞬間、隊長格の人間の眉がピクリと反応した。
「アイン上等審判員がお前の無実を証明してくれるだと?」
おっ、少しは反応があったな。
「そうさ、あいつは俺の育ての親だ、ガキの頃から俺がこいつを持っていたことだって知ってる」
こんなところであいつの名前を借りるのは癪だが、それしかこの事態を解決する方法はない。
こいつの反応を見ると、運がいい事にどうやらアイツは真理議会でそれなりの地位にあるようだ。
「貴様、今回の異端審問課への申し立てには、そのアイン上等審判員も混じっている事を承知の上で、そのようなでまかせを言っているのか?」
……はい?
「この土壇場でそんな嘘を平気でつくとはな、アイン上等審判員はおっしゃっていたぞ『あいつは自分の名前を出してその場を逃れようとするかもしれないが、全て真っ赤な嘘なので信用するな』……とな」
頭の中が混乱する、そもそもこのペンダントを俺に渡したのはあいつ自身で、そのペンダントが旧遺産の禁忌物だって申し立てたのもあいつで……。
「さて、続きは『真実の部屋』で聞かせてもらおうか、無駄な抵抗はするなよ、この距離でナイトを相手になどできるはずもないからな」
"ぞくり"と背中が冷える。
『真実の部屋』
騎士団に所属している者でそれが何かを知らない人間はいないだろう。
そう、"何がどうなる場所かも含めて"。
そこに入ったが最後、殆どの連中は生きて出られない。そしてそれは"運がいい"方に属するってことも。
……まともな取り調べもなしにいきなり真実の部屋行きだなんて、思った以上にやばいところで話が進んでいるみたいだな。
そうとなれば、するべきことは一つ。
「それは……冗談きついな!」
叫ぶと同時、脚に渾身の力込めて思いっきり後ろに飛び下がる。
瞬間、銀色の軌跡が眼前で閃く。
僅かに刃先が髪に触れ、さっきまで自分の体があった場所で刃が空を切る。
『否』
額に激痛が走る。
空を切ったかに見えた刃は確かに標的を捉えていた。
『くそっ!やっぱりめちゃくちゃ速い』
当然だが、騎士の称号を持つナイトの放つ剣撃は、もはや人のそれでは無い。
軌道を読み、先に動いたにもかかわらず、同じ騎士ですら完全な回避は敵わないその一撃こそ、ナイトをナイトたらしめている証だった。
額が熱く焼ける、熱い、熱い、ひたすらに熱い。
切られた額を左手で抑えそのまま、振り返って一目散に廊下を突っ走る。
隊長格の男が何かを叫んでいるのが聞こえるが、そんなことを気にしている場合ではない。
頭の中で宿舎と城、そして城門までを結ぶ最短ルートを頭の中に思い起こして走る、全力で走り抜ける。
畜生、一体全体どうしてこうなった!綺麗なウェイトレスの娘を見ながらうまい飯食って、書庫で借りた本でも読みながら過ごすはずの予定が全部パァだ!
さっきの一撃で頭の中までやられたのか、果てしなくくだらない思考が俺の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
その思考とは裏腹に自分の体はというと『右』『左』『左』と見慣れた廊下を出口までの最短ルートで駆け抜けていく。
あの角を曲がれば出口
そう思った瞬間自分の頭に一つの予感がよぎる。
……保険をかけておくか
曲がり角の手前で一瞬立ち止まり、握り締めた右手を胸の部分に置く。
大丈夫、焦るな、焦らなければ必ず成功する筈だ。
一拍おいて気持を落ち着け、誰にも聞こえないような声で小さく呟く。
「シフト」
カチリ、と自分の頭の中のスイッチを入れるような感覚が全身を満たす。
上手くいった、これで十分とは言えないが、迷っている暇はない。
ローブを被り直し、意を決して最後の曲がり角から飛び出す。
やっぱりいた。
入り口に人影が二人、古今東西、人の出入り口に陣取る人間は二種類しかいない、不審な人物が入ってこないように見張る者と、"ここから出ていかないよう"に見張る者だ。
二人は何か雑談をしているようにも見える。
連中、まだ騒ぎに気付いていないみたいだな。
自分の腰に手を伸ばし、小さなネジっころのような小石を取り出す。
本来は魔力の反応を見るためのそれを、連中の近くの壁に思い切り投げつける。
『カッ』とぶつかったそれは、思ったより大きな音を立てて彼らの足元に転がる。
案の定、近くで鳴った音に二人は反応した。
二人の意識がそっちに反応した瞬間、一気に横を通り過ぎる。
別に足音が消えたり、姿形が見えなくなくなったわけでも無いが、すぐ横を駆け抜けていく自分に、二人は何の反応もしなかった。
何かに気がそれている限り、目の前を通り過ぎていっても反応することができなくなる、環境干渉魔術『気配遮断』
自分の魔術がまともに役に立ったのなんて何年ぶりだろうか。
城の門から飛び出し、城下の街までの階段を転げ落ちるように駆け下りていく。
途中、見知った顔の騎士達とすれ違ったが、血相を変えて走るおれに気付く者はいない。
よし、上手くいけば、連中は俺が城から出て行った事にもまだ気付かない筈だ。
階段を降りきり、人混商店の人混みまで走り込んだ自分は、そこでようやく一息つくことができた。万が一に備え、ローブは外さない。
息が切れ、身体中から汗が吹き出る、額からは汗に混じって赤い血まで滴り落ちている。
こんな様子の男が街中で死にそうな顔をしながらフラついていたら、普通あっという間に騒ぎになるだろうが、『気配遮断』の効果がまだ生きているのか、誰一人としてこっちを気にかける人間はいなかった。
呼吸を整えるため、街道の隅に崩れるように座り込む。
その時、胸元にあるペンダントに目がいく。
こいつが……
いつも普段通り、なんの疑いもなく、物心ついた頃からつけていたペンダント。
『それは君の両親が身につけていたものだ、一体それがなんなのか私は知らないが、君が持っておくべきものだろうな』
そう言われてアインに渡されたペンダント。
顔も覚えていない両親との接点だと、特に意識したことはなかった。
だが、気づけば片時も離さず身につけていたそれが、まさか"そういうもの"だったとは。
さて、どうするか、頭の中でグチャグチャになってしまった情報を整理する。
俺の現状は?
一言で言えば最悪だ、騎士団でも一番タチの悪い異端審問課の連中に目をつけられた。恐らくさっきの連中はまだ城の中を駆け回っているだろうが、執念深い連中のことだ、いずれ城下まで捜索の目がいくのは時間の問題だろう。
このペンダントは?
正直何もわかっていない、連中は遺産へのアクセスキーだなんて言っていたが、機鋼連合の遺物なんてそれこそ、先の調査でなんとか見つけたフレームぐらいしか見覚えがない。
"アンダー"へ向かえば何かわかるかもしれないが、近場のアンダーは全て騎士団の管理下なので、到底近寄る事はできない。
アインについては?
今すぐあいつのところに行って八つ裂きにしてやりたいが、一旦アイツに関しては保留だ。
わからないことが多すぎて今すぐどうこうできる状況じゃない。
どうするべきか?
少なくともこの街を早急に去る必要がある、そのための準備も必要だ。
城から飛び出してきたから金は殆ど持っていないが、幸いここは街一番の市場だ、やりたくはないが、買うことができなくとも"調達"することはできる。
結論は?
城門に向かいつつ必要なものを調達、兎にも角にも街から一旦離れること。
方角は近年騎士団の影響が弱まってきている西、ペンダントとアインについては街を離れてから改めて考えるものとする、以上。
さて、ここからまた一つ問題が発生する、つまり"調達"に関する事だ。
自分で結論を出しておいて頭が痛い、物理的にも精神的にも。
だが、迷っている暇はない、ここで悩んでいたらそれこそ取り返しがつかないことになる。
俺は立ち上がって目を閉じ、息を大きく吸って吐く。
そして、一言だけ呟いた。
「……シフト」
こうして俺は、栄誉ある騎士団のアサシンから、犯罪者のコソ泥へと見事にジョブチェンジを果たしたのだった。