青き絵描きの少女 1-2
6月24日、正確には25日の午後1時が絵画コンクールの締め切りなのだが、それまでに私の目の前にあるこのまだ真っ白なこのキャンバスに評価されるような絵を描かなくてはならない。友達や先輩達はすでに着色に入っているというのに私はまだ、鉛筆で下書きをし消し、下書きをし消しを何度も繰り返していた。言い訳をするならば、私は着色が得意なだけで下書きは苦手なのだ。弟は得意のようだが私はまったくだ。その証拠に、中学時の夏の課題でのポスターコンクールで、私が描いた絵はもちろん落選したわけだが、ハルは見事優秀賞に輝いた。
このとき実はハルは鉛筆で描いただけで提出をしようとしていたのだが、その薄い黒だけの絵に惹かれた私は思わずそのポスターに着色をしてしまったのだ。ルール違反ではあるが、私自身もまさか姉弟の合作で優秀賞をとるとは思わなかった。しかしこの事実は私の中で今はもう確かめようのない一つのつながりを感じさせるものだった。私は私達の中で生きる祖父の欠片を愛しくそして誇らしく思った一瞬だった。だからこそ、ハルには絵を描いて欲しいと強く思うのだ。だが、弟は描かない。今の私は弟と少しづつ距離が出来ていく現状におびえていた。
窓側にアキ、桜、唯とキャンバスを並べて作業をするのがいつもの美術部の窓際の風景。そしてそのいつもの風景からいつもの適当な会話が聞こえてくる。
「桜先ぱ~~い。目の前にして逃げてちゃ何も進みませ~~~んよ?」
「わ、わかっていますわ!けど・・・・やっぱり無理ですわ。 定期で開催される水沢物産主宰の社交界のご挨拶の何倍も緊張いたしますの。」
「ハハハ・・・・・。」
先では桜の事を”お嬢様のよう”と指したが、桜は水沢物産社長の一人娘。つまり、立派なお嬢様なのである。朝の登校時間の8時丁度と18時半に桜を送り迎えをするリムジンが校門前にいつも現れるのは紅葉高校の名物と化していた。
「そ~だアキちゃんにハルくんの弱点を教えてもらえばいいんじゃなぁ~~~~い?」
「な、なるほど!そうですわね。アキ教えなさい。」
「・・・・・私もわからないですよ。」
「何!?それはどういう意味?お金? いくら払えばいいのかしら?」
「違いますよ。ただわからないんです。最近のあいつは。家にも帰ってこないし部活にも出ないし。何考えてるんだか。」
神妙な面持ちのアキにかけていい言葉を桜と唯が探していると並べられたキャンバスの向こう側で名護の怒鳴り声が聞こえてくる。
「またてめえか!なんだ?あたしをボクシング部に転部させたいのか?あ?」
声のする方向では再び名護にタコ殴りにされている部長がいた。声に反応しアキ、唯、桜の三人は同時にキャンバスの左に顔を傾け様子を確認した後すぐにもとの体勢に戻る。
「だって名護ー。昨日ちゃんと着色した部分が真っ白になって色がなくなっているんだもん!疑いたくはないけどこんなことをするのは日ごろ嫌がらせをして僕を恨んでいる名護しか・・。」
「それは私じゃない。だが安心しろ。今からお前は私にその絵のように真っ白にされるんだからな。覚悟はいいか?」
「まった!その反応、やっぱ犯人名護さんじゃないっすか!」
部長の理不尽な考えで完全に怒り狂った名護から赤黒いオーラが見えた。
「桜先輩もあ~~~~んな風にもっと積極的にならないと~~~~。」
「あんな暴力的な積極性はいりませんわ。」
「そんなこと言っている場合じゃありませんよさすがにヤバイです!部長が殺されちゃいます止めましょう。」
さすがにこのままにしておくと警察沙汰になりかねないと思い私達は二人を止めにかかる。
「名護先輩落ち着いてください!」
「大丈夫だアキ。この拳をふりぬくだけでいいんだ。それだけですべてを許すことに決めた。」
「それがダメなんですよ!死んじゃいます!」
アキは構えられた腕にしがみつき、名護が部長を殺してしまうのを防ぐ。一方唯は部長と名護の姿を面白がって携帯で写真を何枚か撮りだし、桜は少しはなれてあきれるような顔をしながら二人の争いの種となった部長の絵を見ていた。実際止めるという作業をしていたのはアキのみだった。
「ふ~~~ん。綺麗に色がなくなっていますわね。」
絵を見入る桜の後ろから身長の高い男が桜の声に反応するようにつぶやいた。
「確かに。部長の絵は好きだったのに残念だね。」
「!・・吉田。急に後ろに立たないで下さる?」
「ハハハ。ハルくん以外の男にはトゲトゲしいね。でも彼の体育中の写真をわざわざ授業中抜け出して撮りにいくのはいかがなものかな。」
「は、はあ!?・・・・どうしてそれを!?」
二年F組吉田さなあき。一見普通の優しそうなどこにでもいる男子のように錯覚してしまいがちだが、彼の異常なところは外見ではなく内面にある。高校二年にして紅葉高校生徒会副会長。そして、校内学力テストが入学してから今まで常に学年一位。運動では中学でのテニスの全国大会で優勝するほどの腕を持つ。いわゆる文武両道。ハイスペックな男である。しかし、彼の異常な点は正確にはそこではない。 他人の誰にもしゃべったことのないような情報をなぜかすべて知りえているというところである。誰と誰が付き合っているというどうでもいい情報から、来週の天気を言い当てたという伝説も残っているほど。これにより、美術部を含めこの学校の生徒、教師すべては吉田に逆らえないという状態であった。副会長に立候補し一つの演説もなしに着任したのもこの力だと言われている。恐ろしい男だ。
桜の疑問を放り出し名護と部長の話に首を突っ込む吉田。
「ほらほら、落ち着いて名護先輩。部長、絵の件は名護先輩の逆恨みではありませんよ。ご安心ください。」
「誰が逆恨みだって?この地味インテリ野郎!」
「まあ、まあ。部長よく聞いてくださいね。昨日帰宅前の部長の絵は何もされていないいつもの状態だった。しかし今日のこの部活動の時間で目にしたときには色が消えていた。つまり昨日の最終下校の時間からこの部活動までの時間にいたずらをされたわけですが、昨日は部長と僕で最後美術室の鍵を閉めて帰宅しましたよね。もちろん名護先輩を含め他の部員も僕らが美術室を出る前に帰宅していました。さらに今日は水曜日。水曜日の今日はどの学年クラスも美術の授業はなく、この美術室は今部活が始まるまで閉められていました。ということは僕ら美術部員含めこの学校の全員すべての人間がイタズラできない状況だったというわけです。」
「じゃあ~~~~。ど~~~して色がきえているの~~~。」
「ん~問題はそれですが、実は先ほど第二美術室で大き目のネズミとこぼれた白いペンキを発見しました。おそらく部長の絵が白く色が消えたように見えたのはそれらのせいでしょう。」
「なるほどね~~~~~。」
「ネズミ!?・・・・まったく!ちゃんと掃除をしていないからですわ!」
美術室に笑いが戻る。そんな中アキだけは部長の例の色の消えてしまった絵を神妙な面持ちで眺める。確かに部長は一週間前からすでに着色に入っていて、半分以上完成していたはず。しかし、絵はまるで削られたかのように一部分だけが白くなっていた。ペンキ?本当にペンキか?そう思ったアキは思わずつぶやく。
「上から塗りつぶされたというよりは絵が”食べられた”ような・・・そんな感じですね。」
そう言ったアキは背に複数の視線を感じる。身の毛がよだつようなその視線たちはアキが振り返ると一瞬の内に消えてしまった。後ろに何かいた?妖怪?幽霊?”最近似たような体験”をしたアキは摩訶不思議な連想をするがすぐに不安を拭い去ることが出来た。なぜなら後ろにはいつも優しい美術部メンバーがいたからだ。
「まあ、お、俺は、最初から名護ではないとは思ってたけどね。」
「あ?」
「ごめんなさい。」
一瞬のうちに胸倉を掴んだ名護に一瞬で謝る部長の後ろでアキが副部長の吉田に駆け寄る。
「吉田先輩!ハルはどうしました?」
「ああ。ハルならあっちの美術室の窓に顔を出したハルくんのお友達の龍二くんに誘われてどこかに行ってしまったよ?もしかして、止めたほうがよかったかな?」
「あのバカ!」
頭を抱えるアキの後ろで桜がひそかにがっかりしていた。
6月10日午後18時19分。
「よし。そろそろ今日は終りますか。桜のリムジンもそろそろご到着なさる時間ですしね。」
「吉田!勝手に名物みたいに言わないで下さる?あたくしだって執事の矢葉月のおせっかいには迷惑していますのに。」
「いいなぁ~~~~~。アたクシもオじょウ様になりたいですわ~~~~ん♡」
「バカにしているの?唯?」
「滅相もございませ~~ん。」
副部長の吉田の一声で美術部の今日の活動に解散が命じられる。名護はそそくさと仕度を整え帰宅。その後、唯と桜。そしてアキと美術室を去る。いつもと同じように全員同じ時間に下校した。戸締りの確認のために副部長の吉田と部長が最後少しだけ残った二人に挨拶をして、アキは一人帰路に着く。
「帰ってなかったら許さん。あのバカな弟め・・・。」
アキはこの言葉を念仏のように繰り返し唱えながら通り過ぎざまのおばちゃんの視線に見向きもせず正面だけを見て帰路をたどっていく。自分の家が見える通りに差し掛かったところでハルの帰宅の有無を確認できる。帰っていれば家の窓が光っている。その逆はもちろん帰っていないということになるが、結果は、今日も暗闇に同化するように家の窓は真っ暗だった。
さて、まだ日常ですね。飽きずに一話の最後まで見ていただけると幸いですが笑