エルフの女王様 3
「……えーともう暗いので宿に帰ってもいいですか」
数時間後、リアは窓の外を見ながらマナとカイトに向かってそう問いかけた。
マナの自室の開け放たれた窓から見える空はすっかり夕暮れに染まっていた。
長い間、マナとカイトと会話を交わしたせいかリアは何処か疲れた様子である。速く帰りたいのか、うずうずとしたように体が動いていた。
「あら、宿じゃなくて城に泊ってもいいのよ?」
「………ありがたい申し出ですが、お願いですからそれだけは何としても拒否させてください」
マナの申し出にリアはひきつった顔で言った。
(無理無理。右腕さんに顔まで見られたのも予想外なのに、他の人にまで此処に私が居る事知られるとか考えただけでぞっとする。ていうか、本気で速く帰りたい……。明日起きてすぐに帰ろうかな)
そこまで考えてリアははっとなった。
(そ、そういえばあの子の事どうしよう。お義父さんの所に『訳アリな子です』って届けるのが一番なんだけど……。あの子いたら行きのように出来ないし……。んー、よし、こうなったら押しつけよう! 目の前に押しつけられる人達居るし)
どうやら助けたばかりの少女――ネアラの事をすっかり頭から除外していたらしい。帰りも行き同様の方法で帰る予定だったようだ。
生物に接触していればユニークスキルは正常に発動しない。
抱えて移動するなんて真似をすればユニークスキルは使えないし、何より抱えられてるネアラが二時間で海を渡るなんて荒技を耐えられるわけもなかった。
リルア皇国からこの国までの移動中は一応リアもスピードを加減して抱えて移動していたのだ。
正直学園を一度もさぼらずたどり着くためには全力疾走をしたかった。ネアラという存在は早く帰りたいリアにとってぶっちゃけ邪魔な存在である。
そこまで考えて、リアは一つの思考に至った。
「女王様、右腕さん! 頼み事があるんですけどいいですか」
突然何か考え込んだかと思えばそんな事を言いだしたリアに、マナとカイトは驚いた顔をした後、笑った。
「何かしら? 私が出来る事ならやってあげるわよ?」
「ありがとうございます。それでお願いなんですけど、此処に来る途中女の子助けたんですよ。色々事情があってギルドマスターの元におしつけ……いえ、届ける事にしてるんですが、私はスキルを使って向こうの大陸まで戻る予定なんです。だから、よろしかったらその子をギルドマスターの元まで届けてほしいんです」
リアの頼み事にマナは一瞬、驚いたような表情を浮かべる。
「そんな事?」
「はい。困ってるのです。私は一人でスキルを使って帰りたいので……。正直助けたは良いのですけれども」
頷きながらもリアはどうかこの頼みをやってくれればいいなぁなどと呑気に考えている。
「それは良いわ。やってあげる。明日迎えによこせばいいかしら?」
「はい。出来れば目立たないようにあの子をギルドマスターの元へ届けてほしいです」
そう言って、続けてリアは自身の泊っている宿屋の名前と部屋番号を告げる。
「わかったわ。その頼みは聞くとして、スキルを使って帰るってどうやって海を渡るのかしら。興味があるわ。教えてくれるかしら」
にこやかにマナが笑う。
リアのいった言葉に興味が出たらしい。マナの目は何処までも面白い玩具を見るような目であった。
「《空中歩行》と《瞬速》、そしてユニークスキルを常時使います。そうすれば二時間ほどで海は渡れますよ」
普通にそんな風な事を言うリアにカイトは何とも言えない気持ちになった。
(《空中歩行》と《瞬速》を使えば海はレベル百超えならこえられるだろう……。でも出来るからといってやる奴が居るのか……)
それは純粋な驚きだ。
普通なら出来てもやらない。そもそも途中でMPが切れたら、予想外の事態に落ちたら、そんな事を考えればやろうとは思わないだろう。
大陸と大陸の間の距離は大きい。
それをスキルだけで渡ろうとする根気がないものも多い。それでも普通にそれを実行している存在が目の前にいるのだ。
(それにユニークスキルは別に使う必要はないのに、何故わざわざ体の負担になる事を……)
そしてその疑問はもっともであった。
ユニークスキルは普通のスキルよりもMPの消費は激しい。
それなのに何故わざわざ海を渡るにしろ、負担を増やすのかわからなかった。
「ユニークスキルは使う必要はないのではないかしら?」
同じ事を思っていたらしいマナがいった。それにリアは瞬時に反論する。
「必要あります! 私は目立ちたくないんですよ。あんまり注目を集めたくないんですよ。だからこそこの城にまで忍び込んだんです。海をスキルを使って渡るなんて目立つでしょう! それならユニークスキルを使うのは当たり前なんです」
リアにとっては移動中にユニークスキルを使う事は必要な事だ。寧ろ普段の何気ない移動でもユニークスキルを使うようなリアである。こんな目立つ場面で使わないはずがないのであった。
(《臆病者》だけど度胸があるのね、リアは。臆病で怖がってるだけじゃない。強くなりたいって意思がある。面白いわ。リカードがわざわざ私の元へよこすだけの子だわ)
そんな風に考えたマナはふと悪戯を思いついた子供のように笑って、リアに突然問いかけた。
「ねぇ、リア。もし私がこの場で貴方を殺そうとしたらどうするの?」
「へ?」
それにリアが何を言い出すんだという表情を浮かべる。それは隣でマナの言葉を聞いていたカイトも同様だ。
その質問をする意味が、リアにもカイトにもさっぱりであった。
「仮定の話よ。レベルが百以上も開いている私に殺しにかかられたらどうするのと聞いてるの」
「女王様に殺しにこられたらですか――、そうですね、それなら」
リアはその仮定の話に、マナの目を真っすぐに見て続けた。
「逃げれるならこの場から逃亡します。逃げられないなら、殺しにかかります(・・・・・・・・)」
そう答えるリアには、迷いはなかった。心からそう思っているとわかる口ぶり。
真っすぐにその茶色の瞳で、マナを見ながら言う。
その姿は《臆病者》の称号を彼女が持っているようにはとてもじゃないが思えないほどの強さがあった。
「諦めないのかしら。レベル差がこんなにあるのに」
また面白そうにマナは笑う。
「はい。どれだけ絶望的状況だろうと私は死にたくないんです。だから相手が私を殺しにかかるというなら、死ぬ気で全力をもって殺しに行きます。例えどれだけレベルに差が開いていても」
リアは迷いもせずまた答えた。
「じゃあもし貴方の親しい人が――例えばリカードが貴方を殺しにかかったらどうするのかしら?」
笑みを濃くしたまま、マナはまた続けた。
「逃げるなら逃げて、無理ならやっぱり殺しにかかります」
それは心からのリアの本心である。
どうしてこんな質問をマナがするのだろうとは思っても、その質問に対する答えをリアは迷わない。
「そう。それも死にたくないから? 自分が死なないためなら貴方は殺意を向けてきた友人も家族も殺せるのかしら?」
残酷な事を聞きながらも、そこには笑みが浮かんでる。
「はい。当たり前です(・・・・・・)。私は死にたくない。私を殺そうとする人が(・・・・・・・・・・)居るなら誰であろうと(・・・・・・・・・・)死なないために殺します(・・・・・・・・・・・)」
そこにもやはり躊躇いはなかった。
「そう。もう質問はないわ。もう帰っていいわよ」
「本当ですか! なら帰ります。さようならです。女王様、右腕さん」
リアは満足そうに頷いて言われた言葉に即座にそう返事を返す。そしてそのままユニークスキルを使いさっさとマナの自室から去っていくのであった。
*
「……マナ、あれはなんだ」
「何だはないでしょう、カイト。あの子は《姿無き英雄》。十五歳にして最強の一角を務める人間の少女よ」
リアが去った後、先ほどの問答に思わず声を零したカイトにマナは通常通りの笑みを浮かべていた。
マナは椅子に腰かけて、先ほど机の上に置いたギルドマスターからの手紙を手に取る。
そしてカイトに向かって言うのだ。
「リカードからの手紙にはあの子の事が書かれていたの」
そういってマナは笑みを零す。
「『あいつはいつか貴方のように強くなる。もしかしたらいつか越してしまうかもしれない』って書いてあるのよ。『臆病なのに戦闘狂で、俺が最も面白いと思っている存在だからきっと貴方も気に入る』ともね」
ふふふと楽しそうにただ笑う。
ギルドマスターからの手紙に書かれた文に目を通して、何処までも楽しそうに笑っている。
隣に立つ引きつった顔のカイトとは正反対の表情だ。
「リアは面白いわ。十五年しか生きていない子供なのに優先順位をちゃんと決めてるの。リアの優先順位はそうね、『自分が死なない事』よ。自分のためならきっとリアは誰を殺す事も躊躇わない」
「……それが誰であってもか」
「ええ。そうよ。きっとさっきの答えは虚勢でも何でもないわ。リアはもし友人や家族が殺意を持って攻撃をしてくれば、殺しにかかるでしょう(・・・・・・・・・・)」
楽しそうにただリアを見て正直に思った事をマナは口にする。
(本当に面白いわ。あんなに小さな子が、種族としての限界を突破してあんな風に生きてる事が面白くてたまらないわ。《臆病者》の称号を持っているのに、あの子は強い)
マナの口元がまるで新しい玩具を見つけた子供のように弧を描く。
「リカードはリアを私に会わせたかったから手紙を書いて届けさせたのよ。交友関係の狭いあの子と私の間につながりを作らせるために」
「……それにどんな意味が?」
「リカードが死んだ後もきっとあの子は生き続けるからよ。あいつもいつの間にか親バカになったのね。いつか自分が居なくなった後あの子をよろしくとも書いてあるのよ。縁起が悪い。どうせあいつの事だから後百年は少なくとも生きるでしょうに」
ギルドマスターの手紙にはリアの事が書かれていた。
いつかは人族最強のマナを越えるかもしれない。最も面白い存在だからあわせたい。
そんな文章は結局本心だろうが本題ではない。
「親バカ……?」
「リアはリカードの養女らしいわ。だから、この手紙は娘のために父親が綴ったものよ」
くすくすと笑みを浮かべてマナが言う。
ギルドマスターは自分が養女にした少女の事を、娘になったリアの事を気に入っているのだ。
リアはもっと強くなる。そう確信していたからこその手紙なのだ。
強くなったリアは、ギルドマスターよりも長い時を生きるだろう。自分が居なくなった後に交友関係の狭いリアの事を心配していたのだ。
きっと殺されるとかそういうイレギュラーがない限り、ギルドマスターの寿命は百年はあるだろうにだ。
この世界が何が起こるかわからないほど危険だからかもしれない。なるべく早くギルドマスターはリアをマナに会わせたかったのだろう。
「あいつが親バカ? そもそも養女だと……そんな話は聞いてないが」
「わざと言わなかったんでしょうね。あいつは親バカ以前に面白い事が好きだから」
楽しそうに微笑みながらもマナは椅子に腰かけたまま外を見る。
もう《姿無き英雄》と呼ばれる存在は此処から消えうせた。きっと警備の者に気づかれる事もなく平然とこの城を後にしている事だろう。
(あんなに面白い存在をこちらによこしてくれたリカードに感謝しないと。ふふ、安心しなさい。リカード。あんなに面白い存在あんたに頼まれるまでもなく構うにきまってるじゃない)
マナにとってリアは何処までも面白い存在だった。
だからこそ心の中でギルドマスターに向かってそんな思いを走らせていた。
そんな本人にとっては全くありがたくもない『構う』という思いをマナが走らせている頃、
「というわけで、貴方の所には女王様から使いが来るから。その人と帰って。私は一人で帰るから」
「え、それは……」
「拒否権はないよ。貴方の命を握ってるのは私だから。なんなら、貴方をリルア皇国の、貴方を憎んでる皇妃様の前に差し出してもいいんだから」
自分の意見をネアラ相手に押し通していたのであった。




