プロローグ
霊榠山と呼ばれる巨大な山がある。
その標高はおよそ二千メートルにも及び、山頂から麓まで絶えず白い霧が立ち込めている。そしてこの場所は自然に存在する魔力量も普通よりも圧倒的に多い。
霧に覆われていることもあり、視界は定まらない。誤って入ってしまったものは遭難してもおかしくないレベルの視界の悪さだ。
それに加えてこの山には多くの魔物が住んでいる。
魔力のあふれるこの場所の魔物達は、一般人では太刀打ちができないほどの強大なものが多い。
よっぽどの馬鹿か、よっぽどの実力者しか好き好んではいらない。
この場所はそう言われているような危険地帯だった。
そしてその危険地帯で最も危険だといわれている魔物が、ホワイトドラゴンと呼ばれる七メートル以上の巨体を持つ存在だった。
その存在のねぐらは山頂付近にある洞窟である。
その近くには山頂から麓まで大きな川が流れており、その近辺でよくホワイトドラゴンは目撃されるという。その噂を知っている者も多く、この山に入る事が出来る実力者であっても山頂付近には滅多に人は近づかない。
だというのに、その巨体がすっぽり入るほどの洞窟へと近づく一つの人影があった。
その人はこの霧の中では紛れてしまいそうな純白のローブを身にまとい、頭にはフードをかぶっている。加えて目の部分だけがあいている仮面をつけていた。
そして腰には二つの長剣と一つの刀が下げられていた。
その人はためらうことなく洞窟の中へと入っていく。
洞窟の中に肢体を地面につけて座り込んでいる真っ白な鱗に覆われた存在が居る。
頭から生える二本の長い角は人の体なんて簡単に貫通してしまいそうなほどの鋭さを持っている。
微かに開いた口からは、全てをかみ砕いてしまえそうなほどの凶悪な牙がのぞいていた。
人なんて丸のみ出来てしまいそうな凶悪な存在の黄色く光る目は洞窟へと入ってきた人影に欠片も反応を示さない。
それはまるで誰もそこには存在していないかのようなふるまいだった。
実際にそのホワイトドラゴンはその存在に気づいていなかったのだろう。
人影はホワイトドラゴンのほうへと躊躇いもなく近づいていく。足音も立てずに近づいていく人影は明らかにそれの視界に入っていそうなのに気づかれていない。
そうして近づいたその人物は腰にかかげていた二つの双剣を両手に取る。
漆黒の色を帯びた長剣を右手に、白銀の輝きを持つ長剣を左手におさめると、それを思いっきりホワイトドラゴンの巨体へと向けた。
振り下ろされた二つの剣はホワイトドラゴンの体を切りつけるかと思われたが、音と共にはじかれた。
振り下ろされた双剣とホワイトドラゴンの間には気がつけば半透明に光り輝く板があった。それは切っ先がホワイトドラゴンに届く事を許さない。
剣の切っ先とその板がぶつかれば、ようやくホワイトドラゴンはその黄色い目をその場にいるただ一人の人物に向ける。
「……リアか。相変わらずだな」
視線を向けてホワイトドラゴンから発された声は驚きでも敵意でもなかった。
親しみにあるような言葉が渋い声で発せられる。
「あーあ、やっぱりルーンには防がれちゃうか」
光り輝く板―――ルーンと呼ばれたホワイトドラゴンによって出現した《光障壁》と呼ばれる魔法と剣がぶつかり合ったのを見て、その人物は残念そうに声を上げる。
それはこの場には不釣り合いなまだ若い女の声だった。
「当たり前だろう。俺はまだ十五歳の小娘にやられるほど鈍ったつもりはない」
ふんっと鼻を鳴らしたような声がルーンから放たれた。
「不意打ちぐらいあたってくれてもいいのにさ、一度もあたんないんだもん。本当、世界には上には上がいるなって実感させられて怖いもんだよ」
嘆くかのように、そんな言葉を口にしたリアと呼ばれた少女は両手に持つ長剣を構えてルーンに向かって笑いかけた。
「さ、ルーン。やろうか。私前よりちょっとは強くなったと思うんだ」
それからリアとルーンのいつも通りの死闘が行われる。
リアの言葉と共に洞窟の外へとルーンが飛び出す。
大きな翼をひろげて、霧の立ち込める空へと一気にルーンは飛び上がった。
同じく外へと出たリアを見下ろす形でその黄色い眼光が見つめていた。
巨大なドラゴンに見下ろされているというのに彼女は怯む様子を一切見せない。慣れた様子で行動に出た。
「暗黒なる闇に願おう。大いなる力を願おう。(Beten wir dunkle Dunkelheit.Beten wir für große Macht)
業火なる炎を求めよう。求むは業火なる炎。(Fordern wir die Flammen der Hölle genannte Flamme.Flame nannte das... Flammen der Hölle)
闇と火を混ぜ合わせ、私はそれを発現させよう(Vermischen Sie Dunkelheit und Feuer damit, und ich werde es produzieren)
《黒炎》(《Schwarze Flamme》)」
リアの口から放たれたのは地球でいう西洋諸国で使われる言語であった。 この世界で魔法を扱うにあたり、つかわれる言語はそういうものであるという設定がされている。
リアが放ったのは《黒炎》と呼ばれる《合成魔法》である。
人は魔力と属性適性を持つ。
大抵の人の属性適性は二、三個だ。
それらの異なる属性を混ぜ合わせて発現させる魔法が《合成魔法》と呼ばれるものである。
禍々しい黒がその場に出現する。
闇色の炎が不気味にとぐろを巻き、燃えていた。
それは、ルーンへと真っすぐ向かっていく。
上空でルーンはひらりとその魔法を躱す。巨体にも関わらず、信じられないほどのスピードだった。
リアは空を飛びあがるルーンを追いかけるように空気を踏む。そうして空の上を歩く。
それは《空中歩行》と呼ばれるスキルの効果である。
リアはMPを消費しながらも空中を慣れた様子で駆けていく。
真っ白な鱗のドラゴン―――ルーンに、白と黒の対になった長剣を手に空をかけるリア。
霧の中で繰り広げられるそれは酷く幻想的だった。まるで世界中で語られる英雄譚の一場面のような光景である。
《瞬速》というスピードを強化するスキルを使用し、リアは一気に空を駆けた。
そうしてその速度に乗せて、長剣を振り下ろす。
が、それはルーンにはあたることはない。
身をひるがえし、ルーンは華麗に空を舞っている。
斬撃を避けたかと思えば、リアの方を向き、その口を大きく開いた。
その口はリアの方へと向けられており、口内に赤く光る何かを見たリアは一気に焦ったように《瞬速》のスキルを使用した。
空を常人では理解できないような速度で駆けあがるリアはそうしながらも言葉を紡ぐ。
「《闇障壁》(《Un muro di oscurità》)」
そんな言葉と共にリアとルーンの間に出現するのは、夜の色をまとった黒色の一つの障壁である。
魔法名のみで発動された《闇障壁》と呼ばれるそれとルーンの口から放たれた炎がぶつかり合う。
障壁を発動させ、《瞬速》を使っているというのに少なからず体にぶつかった炎にリアは急いでその火炎の射程距離から離れて行く。
そうする中で完全に距離を置く頃には火炎から体を守っていた障壁はピキッという音と共に崩壊していく。
「癒せ! 癒せ! 癒せ!(Guérissez-le! Guérissez-le! Guérissez-le!)
我の傷をいやしたまえ。(Guérissez ma blessure)
《怒りの怒声》(《La voix fâchée de guérir》)」
慌てて体を回復させるための魔法を行使し、リアはまっすぐにこちらに飛びかかっていくルーンを見据える。
態勢を立て直している暇などそこにはない。
咆哮を上げて迫ってくる姿には圧巻されるものである。
「……うん、覚悟してルーン」
向かってくる姿に決心をしたように空中で見つめたリアは飛びかかってくるルーンを相手にしながらも一つの魔法の詠唱を始める。
「あなたに捧げたいものがあるのです。(Hay la cosa que quiero dar a usted)
それはまじりあいしもの。(Una y lo ama; una cosa)
炎は闇を纏います。闇は水を纏います。(La llama lleva la oscuridad.La oscuridad lleva el agua)
赤き炎と、暗き闇と、青き水はその場で混ざり合うのです。(La oscuridad oscura y la mezcla de agua azul con llama roja en la mancha)
火は全てを燃やしつくし、闇は全てを飲みこみ、水は全てを覆いこむでしょう。(El fuego quema todo exhaustivamente y la oscuridad traga todos y el agua disimulará todos)
さぁ、三つのそれを混ぜあわれた乱舞を見せてさしあげましょう。(OK, mostraré un baile bullicioso mezcló los a tres con)
さぁ、ご覧なさい。そして、絶望を垣間見るといいでしょう。(OK, mirada.Y debe tener un vislumbre de desesperación)
《三大属性合成魔法:乱舞》(《Tres. la magia de composición de atributo de tamaño:Baile bullicioso.》)」
戦いの中で詠唱された言葉が、魔法として現実に体現する。
現れるのは、燃え上がる炎に、力強く流れゆく激流、そして不気味な黒い物体。
それは《火属性》と《水属性》と《闇属性》の三つを合成させた《乱舞》と呼ばれる魔法であった。
リアの使える魔法の最大の魔法である。その分、使うのは難しいものだ。
《乱舞》は複数の属性を乱れ舞うかのように出現させ、一気に敵を沈める魔法だ。
轟々しく燃え上がっている炎の塊が、いくつもルーンへと向かっていく。
半透明に輝く激流が、真っすぐにルーンへとぶつかっていく。
夜を表す闇の球体が意思を持っているかのようにルーンに向かって動いてく。
赤と青と黒。
その三色が真っ白な鱗を持つドラゴンを彩るかのように囲んでいた。
ただそれに簡単にやられるようなルーンではない。
「妨げ! 防げ!(¡Obstrucción! ¡Impídalo!)
我が宿敵となりし者の攻撃を全て防ぎとめよ。(Me vuelvo mi enemigo viejo y lo hago e impide todo el ataque de la persona y lo detiene)
それが、我が望みである。(Es mi deseo)
いかなる攻撃も通さんとせよ。(Va a mantener cualquier amable de ataque.)
今こそ、我が絶対防御を見せる時が来た。(Tiempo para mostrar a mi defensa absoluta vino ahora)
《四方結界》(《Cada prevención de la dirección contra mal》)」
《四方結界》と言う名の四角い防御壁をルーンが完成させようと口を動かしている時には、リアはもう動き出していた。自分の放った危険な魔法の中に躊躇いもせず体を突っ込ませていく。
手に持っていた双剣をしまうと次に腰にかかげていた一つの刀を取り出す。
そしてルーンの後ろに回り、防御壁の弱点―――魔力のあまりとおってない場所を刀でさして、それを崩壊させる。
そのままリアは襲いかかろうとしたのだが、それは即座に反撃に出たルーンにはばまれた。
リアはそのルーンの大きな白い尻尾により、叩きつけられる。
障壁を張ったものの、衝撃は大きい。
少しふらついたリアに向かってルーンは追撃をかます。
そうしてその後の約十分ほどの攻防の空中戦の中で、リアは思いっきり地面にたたき落とされた。
どうにか受け身をとり、致命傷は避けたもののその頃にはMPの消費と体の痛みで立ち上がることができない。
地面に刀をさして、それを手に体を支えるリアははぁと悔しそうな溜息を吐くと手を挙げた。そして霧の中で翼を広げているルーンに言う。
「ルーン、降参よ」
大きな声でリアがそう言えば、ルーンはうなづいてドスンッと地面に着地する。
お互い負傷しているもののルーンはほぼ無傷である。その様子にリアは何処か不機嫌そうな態度だ。
「相変わらず十五の女子には思えない強さだな」
「いつか絶対勝って見せるから覚悟しといてね。それと、私を回復してもらっていい? 結構きついんだよね」
感心したように口開くルーンに、リアがそう言えば、ルーンは回復魔法のために口を開くのであった。
*
戦闘の後、ルーンの寝床の洞窟の中にルーンとリアは居た。大きなルーンの巨体を背もたれにして座り込んでいるリアはふと口にした。
「あ、そういえば私もうすぐ学園行くからしばらく来ないから」
「……学園に行く必要あるのか? お金なら一生生きていけるほどあるとこの前いってなかったか?」
「お金は沢山あるけど資格取るためには学園通った方が楽なんだもん。薬師とか事務員の資格ほしいんだよね。それに何か面白いものあるかもでしょ?」
ルーンの寝床の中だからなのか、仮面をはずしフードをはずしたリアは笑ってそういった。
リアはこの世界では珍しくもない茶髪に、灰色の瞳を持つ。肩まで伸びる栗色の髪はストレートで、真っすぐだ。
「資格がほしいのか」
「そう。もちろん、魔物討伐もやるけどさ、それ以外の時は普通に平凡に交じりたいんだよ。私は!」
「ギルド最高ランクの癖に平凡に交じりたいとは相変わらず変わったやつだな」
あきれたように声を上げるルーン。そんなルーンに体重をかけて座り込み仲良く話すリア。
もし二人――一体と一人を見る者がいればさぞ驚いたことだろう。
「さてと、ルーン。私帰るから、またね」
「ああ」
リアはしばらくして立ち上がると仮面を装着して、ルーンに向かって笑った。
ルーンが頷いたのを見て、そのままリアは《瞬速》を発動させて一気に山を下りて行くのであった。
死闘を繰り広げ、会話を交わす。
それが霊榠山の主と呼ばれる危険度MAXとされるホワイトドラゴンとギルド最高ランクを保持する《姿無き英雄》と呼ばれる少女の友情の形であった。