感情を籠めて言わないごめんに、何の意味もないことを俺は知っている。
無意味に生きる君たちへ。
仕事で「謝ればいいのか?」と言われた。
俺にミスはない。 言われたとおりにしただけ。
文句でもあるのだろうか?
こっちが言ってやりたい。
「俺はお前が気に入らないんだよ」と。
しかし、仮にも相手は上司だ。
口が裂けても、そんなことは言えない。
しかも、上司は社長のお気に入り。
仕事ができないくせに、
っというか、できないからこそなのか、
愛想だけは一丁前。 人の倍以上しやがる。
なのに、努力は人の半分以下どころか、まったく。
だから、俺は気に入らない。 マジでクソ喰らえ。
で、話を戻すと、お前の失敗なのに、
責任転嫁して俺のせいにしようとする。
「俺は悪くないですよ~」っと、
遠回しに、かるーく言ったら、
「謝ればいいのか?」と逆ギレ。
そして、「はい、そうです」と言ったわけでもないのに、
「悪かったよ(笑)」という軽い感じで俺に対して言いやがる。
マジで気に入らない。
「感情のないごめんに意味はないんだ」と。
「謝るときは心から謝りなさい」と親に言われてこなかったのだろうか?
親の顔が見てみたいよ。
まぁ、見たところで何の意味もないことはわかっているが。
だが、残念ながら根が腐ってるのは、この上司だけじゃない。
同僚だって、中学からの友人だって、幼馴染だって、
ましてや俺の親ですら、俺自身ですら、適当に「ごめん」を言う。
本当にこのままでいいのだろうか?
適当に悪いとも思ってないのに、「ごめん」と言い、
心の底から憎くって、恨んでいたとしても頭を下げる。
仕方ないでしょ? 自分の立場を守るためなんだから。
相手の会社が悪かったとしても、「すみませんでした」と。
たとえ、上司に汚点があったとしても、「私が悪かった」と。
そして、それは日常生活でも同じだ。
いつだって、立場を気にして、
いや、そんなのがなかったとしても、適当に謝る。
よもや、「すみません」や「ごめんなさい」じゃなく、
挨拶代わりの「しゃーせんw」とか「めんごめんご」でも通用するレベルで。
それくらい、感情が籠められることなく、世の中に蔓延っている言葉。
それが謝るという行為で示される、社交辞令的な言葉である。
本当に人間とは面白い生き物だ。
感情を籠めることなく、無駄な音を発するのだから。
それでも俺は、きっと「ごめん」を発する。