90話
***
荒れ狂う炎の海の中、意識を有して立っていられた者は少ない。
ガフは渓流が蒸発するほどの熱気を放っており、リーゼロッテが気を抜いた瞬間に、倒れ伏す味方は全員が黒焦げとなることは明白であった。
既に聖石は尽き、リーゼロッテは生命エネルギーを燃やして吐血しながらに対火防御の結界を維持している状況で、そう長くはもちそうにない。
唯によって気付けのされたラインベルクだけが、リーゼロッテの防御に風と氷の魔術を重ねがけして、ガフに対してどうにか接近戦を挑んでいる。
それでも相手があまりの巨体なため、膝下を削ることが精々であった。
(このままでは全滅だ。ロッテを連れて逃げるかどうか、選択の時が来たか…)
ガフはというと蓄積したダメージで足をほとんど動かせず、さらに頭部はリーゼロッテの魔術攻撃を浴び続けて崩れかけ、視界も大幅に制限されていた。
ラインベルクにはあと一押しという実感があったのだが、攻め手の不足は深刻で個人の力量でどうにかなるレベルの話ではないと理解もしている。
決断を下そうとしたまさにその時、ラインベルクの目前で揺らめく炎に守られた巨人の土手っ腹に、十字の剣閃が刻まれた。
それは光の如き速さで、そして凄まじいまでの切れ味を見せつけた。
ガフは己の腹が深く斬り裂かれた事態に納得がいかないらしく、猛るでもなく呆然と立ち尽くしている。
(今しかない!)
ラインベルクは火傷を厭わずにガフの足元から膝、腿と飛び上がって、腰から腹にかけての高さで十字剣を放った。
本家に及ばんばかりの剣撃が炸裂し、本戦二度目の必殺剣はガフの身体を突き抜ける。
「馬鹿な!人の子に、このような真似が…」
そう漏らしたきりガフの意識は途絶え、腹に風穴を空けた巨体は盛大な音と衝撃を伴って地に沈んだ。
シドに次ぐ二体目の<始源の魔物>の最期である。
(ディタ、巨人の命は獲ったぞ。安らかに眠ってくれ…)
ラインベルクが最後の力で起こした風の魔術により、渓谷一帯の炎は瞬時に払われた。
リーゼロッテすらもいつの間にか気絶していたようで、焼け爛れた皮膚を気にも止めない男女二人だけがその場で相対する。
「赤毛、ちりちりになっているぞ」
「ラインこそ、手足を動かしたら皮膚が破れて危ういわよ」
ラインベルクとアリシアは満身創痍の中で軽口を叩きあった。
「…流石だよ。<堕天>の名は伊達じゃない」
「私の十字剣を使いこなしてくれちゃって、よく言うわ」
「君の指導の賜物さ」
「…なら良かった。あなたに感謝されるのは、素直に嬉しい」
赤黒くなって痛々しいアリシアの顔に特別な色を感じ取り、ラインベルクは嫌な予感を覚えずにはいられない。
しかし彼女の言う通りに焼かれた身体が動いてはくれず、ただその紅玉の瞳を見詰め続けた。
「今に唯が目を覚まして治療にやってくる。あいつは体力を余しているはずだから、少しの辛抱だ」
ラインベルクの言葉にアリシアが悲しそうな表情を作る。
泣きそうに歪んだその面相に、ラインベルクは重大な決意が潜んでいるのを読み取った。
「…そんなの、必要ないわ。私はもうすぐ動き出せる。ライン、見て」
アリシアが差し出した腕は火傷の痕で痛々しかったのだが、そこに起きた変化はラインベルクを驚かせるに充分であった。
みるみる内に火傷の度合いは薄れ、あろうことかその範囲も狭まっていく。
魔術の発動が全く感知されないため、あくまで自然に任せた治癒であるとしか考えられなかった。
(何かの魔術遺産の力か?…いや、そうであっても魔術は魔術。この距離で魔力の流れを掴めない道理はない。とすれば…)
アリシアの全身は徐々に回復を見せ、やがて火傷の痛々しかった顔から焦げた髪の毛の一本に至るまで、全てが元の凛々しく美しい姿を取り戻した。
アリシアは聖剣ロストセラフィを鞘に収め、ゆっくりとラインベルクの下に近付く。
「ニーザに腹を斬られた時の傷も、ひょっとして…」
「そうよ。唯の稚拙な治療なんて、別に必要ではなかった」
「その力は…」
「グリーンベルト。<天使>の居館がそこにあったのは、あなたも知っているでしょう?」
ラインベルクは黙って頷く。
「私が彼女を斬ったのはね、復讐であり感謝の証でもあるの。幼い頃から、私はアーリーシティで変態領主に玩具にされ続けた。魔物と人間のハイブリットを研究していた狂人に、全身を魔術的に弄られていたわけ。禁忌を犯すその男を罰したのは一匹の魔物だった。<天使>と呼ばれた彼女は、男とアーリーシティを滅ぼすと私を連れ帰り、真の改造を施してくれたわ」
アリシアの語り始めた内容は、彼女の冷静な素振りに反して凄惨なものであった。
狂気の人間と凶悪な魔物それぞれに、魔術的に魔物と混合させられた久遠アリシア。
<天使>が彼女に命じたのは実験体の力を測るための魔物狩りで、その連戦で経験を積んだアリシアは圧倒的な戦闘力を身に付けることになる。
聖剣ロストセラフィの正体に至っては、<天使>がアリシアの骨から紅煉石の欠片と魔術とで造り上げた悪夢の産物であり、それを聞いたラインベルクは悪寒すら覚えた。
「あの男を殺してくれたことには感謝している。…でも故郷を潰滅させて、なにより私を生かした。それこそが赦せなかった。だから<天使>を殺したわ。そこからは、悩んだ…」
アリシアがひたすら力を求めたのは、恐怖から逃れるためであったと言う。
普通の人間でなくなってしまった自分を、社会は拒絶するかもしれない。
誰からも必要とされず、愛されもせずにただ疎まれ、永遠に孤独を貫くという未来をひたすら恐れた。
そして、剣で身を立てる道を選んだ。
騎士として国家に必要とされれば、出自の後ろめたさを少しでも払拭出来るかもしれないと考えた。
折しも大陸西部に豪傑が集められ、大武闘会が開かれていたのを知ってそこに顔を出す。
<天使>に強制されて魔物を狩り続けたがため、そこそこに知名があったことも幸いして、アリシアの出場はすんなりと認められた。
当然、圧倒的な力で優勝することになる。
以降はラインベルクもよく知るところで、大陸に名高い紅煉騎士団の筆頭にのし上がっている以上、ある意味アリシアの願望は叶っているとも考えられた。
「でも、もう終わり。知られてしまったからには、私の居場所はどこにもない」
「アリシア、何を言っている?」
「ライン…分かってくれとは言わない。でも、私にとって同情されるのも貶されるのも意味は同じ。…いいえ。忌み嫌われるよりも、憐憫の目を向けられることの方が辛い!どうしようもなく、アーリーシティのアリシアを思い出してしまうから!私は…これ以上の辱しめに堪えることなんて、もう、出来ない!」
至近距離から叫ばれて、ラインベルクにアリシアの慟哭が伝わった。
互いの吐息が肌で感じられる程に距離を近くにしていたが、アリシアは愛おしそうに眺めるだけでラインベルクに触れようとはしない。
アリシアはそっと足下にロストセラフィを置いた。
「もういらないから。ライン、良ければ使って。…気持ちが悪かったら、捨てちゃっていいから」
「待て、行くのは許さない!おれにはまだお前が必要だ、アリシア!」
アリシアは泣き笑いのような表情を浮かべた後、紅玉の瞳を閉じて闘気を内外に充満させた。
アリシアが脚力を強化しているのだと分かる。
「おれはお前の味方だ!行くなッ!」
「最後にあなたを助けられたから、それで満足。さようなら、ライン…」
一陣の風のようにアリシアは去った。
全速で駆けて行ったアリシアに追いつくことは、例え身体が万全の状態にあったとして、ラインベルクにも不可能であった。
命を助けられ、突然の告白を受けて訪れたのは、おそらくは長い別れ。
足下に置かれた聖剣だけがそこにアリシアのいたという痕跡であり、ラインベルクは痛む全身に鞭打ってそれを拾い上げた。
ロストセラフィを手にして周りに目をやると、渓流は干上がり、山肌や岩肌を覆っていた草木の類いは焼け焦げて一掃されている。
岩石と土くれだけの殺風景な眺めがそこに残されていた。
アレンら騎士たちは生命が危険な状態で倒れていると知れたが、ラインベルクには自身を治療するだけの体力も残されてはいない。
聖剣ロストセラフィを杖代わりに立ち、アリシアの進んだ方角、その遥か彼方を黒瞳に映す。
(…誰に止められようか。決して問題の解決になりはしないのに、おれはまた罪を重ねるところだった。…それとも、おれはただアリシアを側に置き続けたかったのだろうか?紅煉石で一時的にでも彼女を苦悩から解き放ってやれれば、それで満足したのか?)
ラインベルクは頭を振って、己の後ろ向きな想念を払った。
ともすれば紅煉石は魔術的な限界を迎え、<門>が暴走して人間の世は終わりを迎える。
そんなことはラインベルクは百も承知で、自分が欲望の為にニーザ=シンクレインの狂気に感染しては、言わんや本末転倒ではないかと自制の心を取り戻した。
そうして我に返ったラインベルクを怒濤の哀しみが襲ったのは必然で、何故なら彼は久遠アリシアを愛してさえいたことに気付かされたのである。
***
「完・全・勝利!」
「何がです?」
「ラインを狙ってた女狐は、あんたを含めてみんないなくなった。あとは乳臭い小娘…それもファザコンだけ。嫁ポジションは私がゲットしたも同然ってことよ」
「でも、それならまだ女王陛下がいらっしゃいますよ?」
ラミア=カレンティナの返しに唯が唸る。
「…あそこはよく分からないもの。考えても仕方がないわ」
「そうですね。…因縁があるということと、二人の行動方針が全て紅煉石の維持を前提としているということの他に、何も情報はありませんし」
「仲が良いのは分かるのよ。でもなんて言うか…気安いんだけど、ラインの方に遠慮がある気はするのよね」
「それ、よく分かります!」
ラミアが大きな声を出したことに反応して、ベビーベッドの中の赤ん坊がむずかりだした。
慌てることは無しに、ラミアが優しくあやし始める。
王都中央区画の外れに建つ官舎にラミア一家は間借りしており、新しくはないが士官用の物件なので特に不便を感じていなかった。
夫のグリプスは騎士団で現役の佐官な上、ラミアの最終官位である大尉としての年金も雀の涙ほどではあったが出ていたので、家族三人が暮らすに充分な環境と言える。
「もうすっかりママよねえ…。乳牛って感じ」
「それは微妙な評価ですね…」
「さっき得心してたみたいだけど、ラミア。あんたがラインから離れたのは、やっぱりジリアン様が原因よね?」
赤ん坊を抱いて身体を揺すっていたラミアがはっとした表情を見せたが、すぐにいつもの柔和さを取り戻して唯と向き合う。
「ふふ。唯さん、それを私に訊きますか…」
「もち。こうなったら白状しちゃいなさいよ。何だかんだ言っても、みんなラインに骨抜きにされちゃったわけだし」
「…そうなんですよね。リーシャさんもディタリアも。アリシアさんだって、結局は転びましたからね…」
ラミアは赤ん坊を抱えたまま部屋を横切ってキッチンに入り、パーコレータを手に取る。
リビングに戻ると唯の空いたカップに珈琲を注いで、向かいに腰を下ろした。
唯は赤ん坊を貸してとせがみ、ラミアから受け取ると自分の腿の上にそっと転がす。
あどけない笑顔を向けられると、釣られて唯も破顔して見せた。
「…私、勘違いしていたかなと思ったんです。多分、ディタリアも同意見だったと思います」
「勘違い?」
ラミアの切り出した話に、唯は意表を突かれた形で聞き返した。
「ラインは…彼には人生を諦めている節があった。全てに対して、どこか他人事とでも言うのか。それと、禍々しい闇に囚われた過去と、その時に犯した罪とを清算したがっているようにも見えました。それが何か、はっきりとは分かりませんが」
「うん…」
「思ったんです。私やみんなで彼の帰る家を作ってあげなきゃって。彼の重しになって、彼がどこかに行ってしまわないよう繋ぎ止めておかないと、と。…でも、対魔騎士団を退けたあたりで考えを改めました。彼の目指す先に、そもそも過去と訣別する何かなんて存在していないんじゃないかと」
「どういうこと?」
「ジリアン陛下の理想とする統治は共和制に近いものがありますよね?国内の統一が近付いて、陛下の権力がより盤石となれば、そういった体制移行も叶うことでしょう。ラインもそれを望んでいました。…でも、それと彼の過去の問題には何も関係がないのでは?仇敵と言われるニーザ=シンクレインを倒すことすら、彼にとって大事とは思えなかった。…結局のところ、陛下との間に交わされた何かは当事者が責任を果たす他に償う方法がないのだろうなと。彼はただ、その瞬間を先伸ばしにしているに過ぎない…そんな風に感じました。漠然としていてすみませんが…」
「…ジリアン様とラインとの間に責任がありそうな問題と言えば、紅煉石の一択よね」
「はい。結論を引き延ばしている理由も何となく分かりますよね?樹林王国の蒼樹女王は、石を魔術的に封印することが<門>を閉じることに繋がると指摘されたとか。…ジリアン陛下とラインはそれを拒否したわけですから。それで、きっと私では何もしてあげられないのだろうな…と」
唯はラミアの言葉を噛み締める。
あの二人の間に漂う静謐であり不穏でもある空気の正体。
奇蹟を生み出すと同時に<門>を開き、魔物をも召喚するという紅煉石。
その紅煉石を頑なに守るジリアンと、彼女の騎士ラインベルク。
詳細は分からずとも、そのような関係性から導き出される贖罪など、唯には一つしか思い浮かばなかった。
「やっぱり、最後は死をもって償う…とか?」
***
夜半にも関わらず、玉座にはジリアンの身がしっかり収まっていた。
さすがに平服ではあったが、紅のローブを纏って口紅も引いており、誰かを待ち受けているのだとすぐに分かる。
点された灯は少なく、表情には陰影が差していた。
それがジリアンの硬質な美貌と相俟って非情な色を見せている。
「お待たせしたわね。女王」
扉が開かれた様子もなく、その人物は玉座の側に降り立った。
「魔物にも時間の観念はあるのかしら?」
ジリアンは声のした方に目線をやり、充分に非難の込められた問いを投げ掛ける。
「さて…二百年近く閉じ込められていた身だもの」
「そうね。ご先祖様は実に偉大だわ」
「貴女、テオドル=ナノリバース、そしてラインベルク。あの時生き残った三人の子孫が、こうして栄華を極めていることには驚きよ」
染み一つない純粋な白髪を腰まで垂らし、飾り気無しの水色のワンピースを装着したイリヤは、左右で異なる赤と青の瞳をジリアンに固定する。
「何の嫌みかしら?私は<始源の魔物>とかいう凶悪な魔物を封じた事実を言っている」
「それは私から奪った紅煉石の力であって、三人ともそれほどに優れた人間というわけではなかったわ」
「訂正するわ。凶悪なのは、あなたではなくて紅煉石の方。…それで、たかだか魔物風情が一匹、私に何の用件があると言うの?」
ジリアンは極寒の視線を叩き付け、不快さを前面に押し出して言った。
「私はイリヤ。あなたたちが魔物と呼ぶ異界の住人とは、根本からして違うわ。正確ではない表現だけれど古代種と呼ばれることもある。紛うことなき人間よ」
「その人間擬きが、一体何の用があると?私の部屋の鏡にわざわざ魔術文字なんて寄越して」
「私を雇いなさい」
「は?何ですって?」
「私を雇いなさい。ラインベルクの腹心が次々と欠けていき、<堕天>までもが退場した。騎士団の武の失墜は目を覆わんばかり。このままでは剣皇国やメルビル法王国とは互し得ないでしょう?」
「…世迷い言を。何の根拠があって人間擬きを仲間にしろと?」
「ラインベルクは抜き身の剣。貴女という鞘に収まったまではいい。でも使い手が不在ではその力をもて余すだけだわ。私は兵法に一家言ある。「戦略と国家史略」や「騎士兵法の条理」、「七十七陣図」、「高等戦術概論」といった著者不明の書物。各国騎士団の教則本に採用されていない?それらを著したのは遥か以前の私。気鋭の一兵法家として名を馳せていた当時のね」
騎士団の教練などジリアンの管轄外であり、確認も面倒なためイリヤの主張に噛み付くことはしなかった。
巷で<始源の魔物>が暗躍を始めているとの報告を受けていたジリアンにとって、寧ろ興味を覚えたのはイリヤの意図である。
「女王、私を用いなさい。ラインベルクの万夫不当の働きをお見せするわ」
「…どうしてそこまでラインに構うの?あなたの目的は一体何?」
ジリアンの追及に、イリヤの両眼の光が微かに揺らいだ。
それを逃さずに察知したジリアンはさらに切り込む。
「<始源の魔物>を従えるなんて真っ平御免よ。それこそ、何を考えて近寄ってきたかも分からないのでは話にならない。近衛の者を呼ぶわ」
「…白状しましょう」
「最初からそうしていれば、時間の無駄もなかったわ」
主導権を握ったジリアンが得意気に言う。
「あの日、遺跡に六人の冒険者を招いたのは私。その内の一人、トリニティ家の嫡男こそが私の贄であり、そして恋人でもあったわ」
「贄?」
「そう。私たちは<門>に触れたがために、創造神より原罪を与えられた。償うには、人間を媒介として相当する罪を相殺しなければならない。<暴食>のガフであれば、贄たる人間に暴食行為を代替させることで罪は目減りする。ほんの僅かずつだけれど。贖罪を完遂すれば、永き呪縛から解き放たれる…」
「…<門>とは、大山脈の?」
「あれはその内の一つ。名残に過ぎないわ。古代、私たちがまだただの人間であった頃には少なくとも七つの<門>が確認されていた。それを、私たちは興味本意で全て開いた。大陸は異界の生物で溢れ、人間種族は存亡の危機に見舞われた。そして私たちは罪の烙印を押された。…例えば、貴女たちが<七災厄>と呼ぶ異界の生物には、外見的特徴に明らかな違いがあると思わない?」
ジリアンはつい先日、ラインベルクとリーゼロッテから受けた<七災厄>に関する講義の内容を思い起こした。
ラインベルクの下手くそな描写と文献に記載された図柄から、一つの結論が導きだされる。
「人型と、化け物?」
「呼び方はともかく、正解よ」
<真紅の暴君>、<石榴伯爵>、<歌姫>、<天使>の四者は人間と変わらぬ風貌を持ち、残る<幻竜>、<邪蛇>、<鉄巨人>はそれぞれ怪異で獰猛な外見を有している。
イリアが語るところによれば、前四者は過去に存在していたとある一つの<門>から出現した種の生き残りで、<幻竜>、<邪蛇>、<鉄巨人>は大山脈の<門>から現れた別種に当たると言う。
「神は全ての門を閉じ、私たちは原罪に苛まれた。もし贖罪が果たされぬまま滅びを迎えたならば、私たちの魂は未来永劫苦しむことになる。…当時の私は贄にトリニティを選んだ。でも彼は私を裏切って、紅煉石を奪ったわ。あろうことかその力でもって私を遺跡の奥に封じ、グラ=マリ王国を建国した」
「…建国の御三家が紅煉石の力を使い続けたことで大山脈の<門>は開いた。<幻竜>やら<邪蛇>やらが降臨しただけでなく、魔物は止めどなく異界から溢れ出ている…というわけね。なら、紅煉石を使って<門>に作用した王家の人間にも、等しく原罪というのは押し付けられるものではないの?」
ジリアンの疑問にイリヤは答えない。
或いは彼女も答えをしらないか、若しくは言うのも憚られるが既に罪が確定しているかのどちらかであろうとジリアンは推測した。
「…恋人だったと言ったわね?」
「そうよ。私の原罪は<色欲>。贄には異性への欲求を解き放ってもらわねばならない。トリニティは性に奔放であったし、私達は愛し合ってもいた。…そして、ラインベルクは彼の血を十二分に継いでいる」
「あなた、ラインを贄としたの!」
「ええ。遺跡であったその時に、直感があった。それは結果的に正解だったわ。だから私は贖罪のためにもラインベルクに勝ち続けてもらう必要があるし、その手助けは惜しまない」
ジリアンはひとしきりイリヤを睨み付けた後、長い溜め息をついて心を落ち着かせる。
(あの馬鹿…脇が甘過ぎるのよ!魔物にまで好かれて、どれだけ女を侍らせれば気が済むっていうの?)
イリヤは動かずに、ジリアンが反応するのをじっと待った。
空気の流れもほとんどないので彼女の白髪は石膏像のように静止しており、色違いのその両眼も飾られた宝石を思わせた。
「…<門>を閉じる方法は?逆に紅煉石の力を行使して閉じるとか」
「樹林王国の蒼樹から聞いたでしょう?あの子はマハノンや私たちと接触して、ある程度の解を得ていた。紅煉石の魔術特性で歪められた因果律が<門>に作用した結界、<門>は抉じ開けられた。そうである以上、紅煉石の力で<門>そのものに干渉しても、効果は相殺されるだけ。一つは紅煉石を封印して、発動中の魔術を全て解除すること。これなら因果律は平時に戻るから、歪みも自動的に補正されて<門>は閉じるという理屈。もう一つは…」
イリヤのもう一つの答えに期待してか、ジリアンは玉座に座したままで前のめりになった。
その碧眼は大きく見開かれている。
「かつてあの<門>を開けたことのある人物に力を借りるということ。成功の可能性は未知数だけれど、あながち博打とも言えない。大山脈に位置する<門>の調査担当は…そう、確か<強欲>のレウ=レウルだったかしら」




