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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第14章 炎の魔神
83/179

83話

***



「しばらく戦争は禁止ね、ライン」


唯は「お酒を控えてね」くらいの調子で、寛ぐラインベルクに向かって言った。


「なんだい、それ?」


「国庫の食糧備蓄が心許ないの。作物の価格も高騰してるし、単純に流通量が不足していることが原因ね」


「腹が減っては戦は出来ぬ、か…」


ベッドの上で寝返りを打つと残り香が匂い、ラインベルクは寝間着姿で書類に目を通しているその香りの主を眺めた。


唯の私邸は旧ナノリバース伯爵邸ではなく、アビスワールドに構えたごく普通の戸建てであった。


これはテオドルと共に南部へ移った、ナノリバース家の使用人一家の借家を買い取り改装したもので、唯が一人で住むには十分な広さである。


ウッド調の落ち着いた内装に、広めのキッチンと凝った大理石製の浴室が特徴的だ。


ここ寝室は、女性らしく淡い桃色の壁紙が張られ、衣装棚や化粧台も綺麗に整頓されている。


ベッドには唯のこだわりとして、特注品の天蓋が備え付けられていた。


真摯に手元の書式に目を落とす唯の横顔を見て、随分といい女になったものだとラインベルクは感心する。


容姿もそうだが、職務への取り組みに益々の熱情が窺え、それは政府・軍部共に評価とするところであった。


振り返れば唯も二十歳を過ぎて結婚適齢期を迎え、貴族の社交界では行き遅れと呼ばれる日もそう遠くはない。


それでも唯はジリアンと異なり、ラインベルクにその手の発破をかけたりはしなかった。


例えばメレのような第三者的な目線からすると、ディタリアやアリシアと張り合っている現状をそれなりに楽しんでいるようにも見えるのである。


「ライン、お茶入れようか?」


「いや、いい。それより、大分忙しいみたいだな。ラルメティからの輸入は途絶えたままなのか?」


「うん…。南部の妨害でもなくて、商流自体が断絶したって感じ。このままだと、来年は騎士団の戦力維持が難しいかも」


ジリアンのグラ=マリ王国は、東部の一部地域を聖アカシャ帝国に割譲し、南部一帯をいまもってテオドル=ナノリバース侯爵勢に押さえられている。


穀物生産は元々西部と南部で奨励されていたことから、デイビッド=コールマンを打倒して西部地域を掌握したことで、これでも収穫見込みは倍増を見ていた。


それでも一千五百万超の国民を養うにはまだまだ不足で、緊急で輸入措置を講じるか、はたまた南部の併合を急ぐかする選択を迫られている。


(戦争をするなと言われたからな…)


ラインベルクが考えを迷っていると、呼び鈴が邸内にこだました。


「あら?誰かな…」


阿吽の呼吸でラインベルクが布団を被る。


上衣を羽織った唯が応対に出ると、玄関の方から寝室まで激しい問答が聞こえてきた。


ラインベルクの耳には、「いいから通しなさい!別に怒らないから!」とか「いい加減にしてよ!あんたにはデリカシーってもんがないの?」といった罵声が届いてくる。


少ししてアリシアが唯を引き摺り、メレを伴って寝室へと上がり込んできた。


「あのな…」


「ストップ!急を要するの。ディタリア少佐がラルフ=ブランジュってイカれた男爵を討伐に向かったのは聞いていて?」


アリシアは腰に聖剣を差しており、装いも訓練時のそれと変わらない。


ラインベルクは「さっき聞いた」と答えたが、言い終わるか終わらないかのうちにアリシアが言葉を被せてくる。


「ノースウイングで私が討ち漏らした炎の巨人が、ブランジュ男爵領に潜伏しているという確証が得られた」


ラインベルクは一瞬考えてから、怖い顔付きで弾かれるようにして起き上がった。


「奴はノースウイングから一日で男爵領に着いた形跡がある。西で巨大な人影が空を飛んでいたという目撃証言があるわ。その三日後には、領主があちこちから家畜を強制的に徴収している。早馬でその二日後に王宮に話がもたらされた。それで翌日、つまり一昨日にはディタリアが出立しているわ。…さすがにもう到着しているはず」


「行くぞ」


ラインベルクが言うと、そこへすかさず彼の剣と軍服とがメレから差し出された。


「中将閣下、表に馬を引いてあります。それから、精鋭部隊の出撃準備も完了しておりますので。ご武運を…」


ラインベルクは頷き、言葉少なに駆け出した。



***



三十七歳になるラルフは、豊満な太鼓腹に薄くなった頭髪と、見た目は五十にならんとする貫禄を有している。


今も使用人に給仕をさせながら、肉に野菜にと山盛りの料理にありついていた。


ここ数日で彼が平らげた食事の量は尋常ではなく、元々主の大食ぶりに辟易していた使用人もさすがに腰を抜かしかけた。


眠ることもせずに延々と食べ続け、コックやメイドが先に次々と過労で倒れていった。


いま食べている食材は大半が生であったのだが、グルメで鳴らした男爵がその点を気にしている風でもない。


「…閣下。表に騎士団の部隊が来ておりましたが…」


無茶な徴発行為を罰せられるのであろうと使用人は気が気でなかったのだが、これで三度目の注進にもラルフは反応を見せなかった。


虚ろな目をしてがむしゃらに食物を口に入れていく。


使用人が窓の外を見やると果たして紅煉騎士団の小隊が展開していたのだが、予想に反して彼等は慌てふためいていた。


それどころか、男爵邸の窓から見える範囲で幾人もの騎士が見るも無惨な姿で倒れ伏している。


視界、硝子窓の向こうをを火線が走った。


「ひゃっ?」


使用人が本当に腰を抜かし、盛大に尻餅をつく。


「危ないから、もっとこっちに来い。それと、肉をおかわりだ。早くな」


ラルフはおかわりの方を重視しているようで、窓外には関心を示さずに言い放った。



ディタリアは魔術を駆使して必死に抵抗した。


炎を纏う鋼の巨体に氷の槍を幾百と投じ、次いで竜巻をも叩き込む。


更には己の剣に魔術を付与して斬りつけもしたが、巨人のただの一振り、拳の一撃を浴びて馬ごと吹き飛ばされた。


衝撃は凄まじく、四肢をバラバラにされたかのような錯覚を抱くも、何とかそれは免れている。


しかし内臓をやられたことはすぐに分かり、治癒の魔術を発動しようにも身体は思い通りに動いてくれなかった。


ディタリアは首だけを起こして戦況を見やるも、一刻ごとに騎士が踏み潰されていくその光景の中に、勝機など欠片も残されているとは思えなかった。


(まさか…私がこんな死に方をするなんて…。唯の言う通り、アリシアの帰りを待つべきだったかしらね…)


咳き込むと全身が激しく痛み、ディタリアは顔をしかめてそれに耐えようとする。


もしかしたらラインベルクが助けに来てくれるかもしれない。


アリシアが、シャッティン=バウアーが駆け付けてくれるかもしれない。


そう思うとディタリアには少しでも長く生き続けようという活力が湧き出てくるのである。


しかし残酷にも、運命はディタリアに味方をしなかった。


小隊の最後の騎士が焼き尽くされ、生存者が彼女一人になったことを巨人に気付かれたのである。


ディタリアの目には、震動と共にゆっくりと歩み寄ってくる巨人の足だけが映し出されていた。


(…吸血鬼に殺されかけたところを救ってもらって三年、彼と共にあって充実していた。悔いがあるとすれば、彼と添い遂げることが叶わなかったこと。…唯、久遠アリシアなんかに、負けるんじゃないわよ…。ライン…ごめんなさい…」


炎の巨人の足が容赦なくディタリアを踏み潰した。



ディタリアはこの日戦死し、死後に二階級の特進とされて大佐に奉じられた。


彼女が絶命してから半日経ってこの地を訪れたラインベルクは、腹を破裂させん程に食べて息を引き取ったラルフ=ブランジュの遺体を発見したという。


ラインベルクはその死体を辱しめることはなかったが、従軍した騎士の一人は後にこう証言している。


「触れたら火傷しそうに見えました。静かに怒るというのは、ああいう状態を指すものだと認識を改めましたよ。…あの久遠中将ですら、ディタリア少佐の御遺体に直面した際には聖剣を地面に打ち付けてましたからね」



***



薄明かりの下、コツコツと甲高い靴音を響かせて階段を降りていく。


ジリアンは寒さのためか一度ぶるっと身体を震わせて、そっと二の腕をさすった。


階段を降り切ったところで見張りの騎士に挨拶すると、恐縮した相手からぎこちない敬礼を返される。


「彼のところ。良いわね?」


「は、はいッ!この階には他に囚人はおりませんので」


「ありがとう」


肩にかかった金髪を優雅な動作で払って、ジリアンは一人で狭い廊下を行く。


女王と監獄。


これほど似合わない組み合わせはないだろうと、ジリアン自身からして少しだけギャップを楽しんでいる。


間接的に彼女をここへ誘った張本人は、精神的復活を果たせねままに酒浸りの生活を送っていた。


(あの阿呆…!)


ジリアンは心中で毒づき、目当ての牢の前に着くなり仁王立ちとなる。


廊下よりさらに暗い独房の中を鉄格子の隙間から覗き見ると、人間らしき塊が隅で丸くなっているのが分かった。


「そこな負け犬!こちらへ来なさい!私の声を聞き忘れたとは言わせないわよ」


塊はもぞもぞと動き出したかと思うと、ぼろ雑巾のような囚人服の袖で目元を擦り、ジリアンに目線を寄越した。


そして、目が見開かれる。


「ジ…ジリアン…様?」


「そう。グラ=マリ王国女王ジリアン=グラ=マリよ。あなたたちの主。わざわざこんなところまで来たわ。強情っぱりが牢から出ようとしないと聞かされてね」


「…たとえ陛下が来られても同じです。私はもう死んだ身。現世に未練はありません」


「ゼノア。そうも言ってられないの。平時であれば、アリシアに慈悲を施されたあなたをここに置いておくだけで済む。でも今は非常時。心が折れた騎士でも、頭数にはなる」


ジリアンはそう言って、ゼノアにうっすらと笑みを送る。


ゼノアはその態度を不審に思い、自説を曲げてジリアンへと質した。


「…何か、あったのですか?」


ゼノアには、アリシアに叩きのめされて以降俗世の情報は入ってきていない。


はじめにリーシャ=ロイルフォークの自刃に関して聞かされ、ゼノアは慟哭する。


ジリアンはしばらくそれをただ眺め続け、ゼノアから語りかけてくるのを辛抱強く待った。


「ジリアン様…」


「ラミア=キスは退役したわ。今やラインは手足をもがれたも同然で、酒に逃避して半分夢の世界の住人よ。…あれで仲間想いだから、大分堪えたのでしょうね」


「ラミアが、退役…」


「ああそう、ディタリアも戦死したから。命なんて儚いものよ」


「えッ?」


狙ったようにジリアンは情報を小出しにする。


ショック療法的にゼノアを奮い起たせようという腹であった。


しかし実際のところ、ジリアンは事の成否にはそれほど執着はしていなかった。


いざとなれば、自分が捨て身で行動を起こせばラインベルクは動かざるを得ないと分かっていたし、ゼノアの復帰は国勢に直結する程の大事ではない。


ラインベルクが立ち直るきっかけとなる可能性があるならばと折角出向いて来たわけで、説得工作はそのまま続けた。


「ラインは確かにあなたのことを買っていたわよ。その勝ち気も含めてね。先の戦いで敵対した元紅煉騎士の処遇は、流石に何もなかったことには出来ない。それでは頭から私に従った者が馬鹿みたいだしね。でも、復帰は認める。もう一度彼や私のために馬車馬のように働く覚悟があるのなら、チャンスはあげる。それを生かすも殺すもあなた次第。それだけよ」


ゼノアはただ聞き入り、ふとした拍子にか細い声で「私の家はどうなりましたか?」と訊ねた。


事前に調べていたジリアンは、ゼノアの兄は討ち死に、父母は自害して果てたと事実を告げる。


大きく息を吐き、薄汚れた天井を見上げてゼノアが呟いた。


「もう私に失うものはないのですね…。リーシャの分だけラインベルク将軍にお仕えするのも悪くはない、か…」


そんなゼノアの感傷をジリアンはさして興味もなく見守っている。


当人が納得さえしていれば経緯などどうでもよく、男は色々と理屈っぽくて大変よねと、最後まで他人事を決め込んでいた。


しかし、いつまで経っても自分に向き直らないゼノアに、しびれを切らせたジリアンが催促する。


「主君は私なのだけれど…いつまで待たせてくれるのかしら?」



***



リーゼロッテはラインベルクに付いて、紅煉騎士団の共同墓地を訪れていた。


彼女の士官学校の同期でも既に幾人かがこの地に眠っており、足を踏み入れるだけで身の引き締まる思いがする。


空は晴れ晴れとしていて雲のひとつも流れていない。


太陽の真ん前を横切った椋鳥の群れは、その身をひとところに留めずに颯爽と飛び去っていく。


(気持ち良さそう…。大地に縛られて、つまらない世俗の規則にがんじがらめにされた私たちとは、えらく違ったものね)


鳥眼の魔術を使えば彼らと同じ視界を得られるリーゼロッテと言えども、無限に広がる大空を飛び回る爽快感は決して味わうことが出来ない。


浮遊の魔術を使いこなせれば鳥と似たような感覚が楽しめるかもしれないと、リーゼロッテは技術的なアプローチを模索する。


意識を空から現実へ引き戻すと、ラインベルクの姿は丘を下った先で小さくなっていた。


リーゼロッテは急ぎ足で石段を駆け降りる。


息を切らせてラインベルクの横に並び、そっと横顔を盗み見ると、頬は痩けていたが眼光からは濁りが失われていた。


(ゼノア氏が戻ってきて少しは落ち着いたみたい。しばらくは戦争もなさそうだと聞くし、このまま身体を自愛して欲しいものだわ)


リーゼロッテは、一人だけになってしまった身内であるラインベルクの心身を真剣に案じる。


相次ぐ同盟の結成により列強の軍事力は均衡を見ており、一国でも動けば他の全てを巻き込みかねないため、衝突は意識的に回避され続けていた。


一番に暴発を危険視されていたメルビル法王国ですら、キルスティン=クリスタルの解放軍という内憂を抱えているがため対外侵攻に踏み切れてはいない。


そういう意味からして、ラルメティ公国は政変に伴う混乱からいち早く抜け出し、ここ数年大きな敗戦に見舞われていないことから風評を除いては国力の充実を見せている。


骸骨騎士に王宮を乗っ取られた国。


アレン=アレクシーやヤンバイ=ドルプらの口から伝わった話は止めどなく広がり、当事者たるレムルス公王が公式に否定の見解を出さないこともあって、半ば事実として諸国に受け入れられている。


共同墓地の周囲には常緑樹が隈無く植えられており、入り口に建てられた石造りのアーチには蔦と蔓とが絡まって緑の園といった景観を醸成していた。


アーチの下で、側近と護衛とを引き連れたジリアンがラインベルクらを待ち伏せている。


リーゼロッテは畏まるが、ラインベルクは特に意識をしている様子もなかった。


「アレン=アレクシーから書状が届いたわ。内容をかいつまんで言う。巨人の件は聞いている。本件に限り共闘の用意がある。情報もある。興趣があらばムーンシェイドを訪ねられよ。…以上よ」


ジリアンはつらつらと述べて、一人ラインベルクへと近付いた。


「蓮がいれば、余程のことを除いて対処は出来る。行ってすっきりするようなら、行ってみれば?」


「…しかし」


「レイエス=ホルツヴァインの国都をじっくり観察してらっしゃい。レオーネ=シアラの旧領を回復した以上、そこそこには発展しているのでしょうから。何か攻略の糸口が掴めるかもしれないわ」


ジリアンは柔らかい口調でそう言うが、ラインベルクとて都市を散見した程度で国の弱点を暴けるなどという甘い考えは持ち合わせていない。


そして言っている当人がが信じていないことも分かっていた。


「リーゼロッテ=ブラウン」


ジリアンにいきなり声を掛けられ、リーゼロッテは身構えた。


「はい」


「トリニティの血脈は絶えたものとばかり思っていた。…あなたには悪いことをしたわね」


「…?女王陛下、恐れながらお言葉の意味が分かりかねます」


「前々国王の廃流はナノリバース伯爵家の作意によるもの。今は侯爵を名乗っていたわね。…そのナノリバースに抗ったトリニティ侯は、開明派が粛清されたものとして歴史に名を残した。そこまではいいわね?」


「はい」


「でもトリニティ侯にナノリバース伯やグラ=マリ王家に対する負い目があったことは、世間では知られていない」


ラインベルクの顔色が変わる。


「ジリアン、止せ!」


「なぜ?この子は当事者でしょう?知る資格があるわ。その上で私やあなたを責め立てようと、それは当然の権利とは言えなくて?」


「…責め苦を嫌って言っているんじゃない。人の口に戸は建てられん。敢えて無用な波風を立てる必要はないだろう?」


「リーゼロッテ、この先を聞きたい?」


「…はい」


「ロッテ!」


ラインベルクは声を張り上げはしたが、力ずくでどうこうするつもりはないらしく、ジリアンとリーゼロッテとをただ交互に見やる。


「トリニティ侯はね、禁忌を犯したの。正確には、国宝に関する封じられた情報の一端を、幼い子らに明かしてしまった。そう、紅煉石の願望成就の秘密をね。それで、それを知った二人の愚か者が道化役の手引きもあって、見事紅煉石を持ち出してしまった」


リーゼロッテはこくりと頷いた。


ジリアンは突き刺さるラインベルクの視線に気圧されたのか、声をトーンダウンさせて細部を端折る。


「…まあ、要するに建国の御三家のうち、トリニティだけが紅煉石の魔力に取り付かれていなかったわけだけれど、これが不始末でチャラになったということ。禁も皆で破れば怖くないという野心の現れを警戒したトリニティ侯は、その後ことあるごとに紅煉石の封印を主張して残りの二家と対立した。これが流血の発端」


核心を避けたエピソードではあったが、聡明なリーゼロッテは概略だけでなく登場人物のディテールにもあたりをつけていた。


(仮に紅煉石を持ち出した二人というのが伯父様と陛下だったとして、では手引きをした道化役というのは一体…)


ラインベルクが声を掛けても、リーゼロッテはしばらく自身の考えに没頭して応答しないでいた。


或いはリーシャ=ロイルフォークやディタリアであったならば、ラインベルクとの因縁からメルビル法王国のニーザ=シンクレイン枢機卿の名を導き出せたに違いなかった。


「陛下、お時間です」という側近の指摘にジリアンはその場を辞し、後に残された二人は何となく気まずい空気に居心地の悪さを覚える。


リーゼロッテは区切りとばかりにふうと息を吐き、いつも通りの冷静な口振りでラインベルクに向かって言った。


「別に責めたりはしませんよ。なにもかもが、今更です」


「…何れ話す。愚かな男の、安っぽいヒロイズムにまみれた埒もない物語を」


「はい、伯父様」


ぎこちなくはあったが、リーゼロッテは笑顔を見せることでこの話の打ち切りを受け入れる。


「…なあ。その伯父様という呼び方は何とかならないか?」


「なりません。ご不満ですか?」


「年寄りみたいでな…」


リーゼロッテがクスクスと笑う。


リーゼロッテはラインベルクの母の末妹の娘で、厳密には伯父と姪の関係ではなく従兄妹となる。


「もうすぐ三十になるのでしょう?違和感なくなりますよ」


「そんなものかな」


「そんなものです。…さ、お昼でも食べに行きましょう」


手提げ鞄をぷらぷらと揺らしたリーゼロッテが先行して、二人は共同墓地を後にした。


ラインベルクは一度だけ背後を振り返り、悲哀のこもった視線を丘の上に向ける。


(…また来るよ。ディタリア、リーシャ)




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