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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第14章 炎の魔神
82/179

82話

***



<幻竜>は大山脈に住まう魔物の中で桁違いの力を有しており、<七災厄>の中でも危険性において一番に挙げられる。


生前ナスティ=クルセイドが<邪蛇>の討伐に失敗したように、剣皇国のトリスタンやイチイバル共和国のシルドレも<幻竜>を攻略せんと出兵し、悉く跳ね返されてきた。


<門>が大きく開け放たれて久しく、魔物が攻勢を強める中でイチイバルは苦しい立場に立たされている。


先年メルビルの教導騎士団に手痛い敗戦を喫し、幾多の有力な騎士を失ったその傷はまだ癒えてはいなかった。


それが為に南には常に備えねばならず、加えてミラノ自治領を占拠した剣皇国とは初めて国境を接したことで極度の緊張状態にある。


大山脈からの<幻竜>の攻勢は激しく、強力な群青騎士団の力をもってしても三方迎撃の維持は不可能に等しかった。


このタイミングで聖アカシャ帝国から同盟の提示があったことは幸いであり、メルビルへの抑止力という実益をもって共和国政府はこの申し出を受ける。


「これで良かったのか…。正直なところ、僕は納得がいっていません」


「倒すべき敵は二柱。あなたにはそれを理解していただいたつもりでしたが。シルドレ卿?」


首都グレイプニルの青城は依然修復中であり、二人が杯を傾ける高級士官専用のサロンは仮の行政府内に設けられていた。


カウンターとボックス席が二つしかない間取りの中、各地から取り寄せられた色とりどりの酒瓶が所狭しと壁に並べられている。


今宵は、青銀の髪をしたこの国で一番高名な勇者と、大陸一の知恵者と称えられし黒髪の魔女が二人、貸し切り状態で語らっていた。


「メルビル法王国のニーザ。奴らはセシルの仇…当然倒します。そのためにキルスティン=クリスタルへの援助も通した。しかし…」


「もう一柱は魔物です。躊躇う余地などないでしょう」


カザリン=ヴォルフ=ハイネマンがそう断ずるが、シルドレは苦笑をもって返す他にない。


「あなたの仰る通りに外交部に根回しをしました。…タレーランと言いましたか。随分気落ちして帰国の途についたそうです」


「間を置かず、聖アカシャとの関係にヒビを入れさせることが急務かと。かの国を孤立させ、ニーザに先んじてアビスワールドを落とすことが必須ですから」


「…ラインは、話せば分かってくれるのではありませんか?」


静かに杯をカウンターへと置いて、シルドレは俯き加減に言う。


最愛の妹を失った彼にとって、いまこのタイミングで親友たるラインベルクを陥れるというカザリンの策には感情的なわだかまりがあった。


「それを断り、ラインは蒼樹とナスティ=クルセイドを倒した。彼自身がその経緯を文にして私に送ってきました。少なくとも紅煉石に関してだけは、一歩も譲る気はないのでしょう」


「せめて、協力して先にニーザを討つというのは…」


「時間の無駄です。何より紅煉石を封じてしまえば、ニーザに何が出来るわけでもありません。後顧の憂いを断つのです」


シルドレの表情にさっと影が差した。


カザリンの言う理屈は彼にも痛いほどに分かっており、事実その言に従って事を進めてもいる。


それでもとシルドレが思うのは、彼の生まれる前から群青騎士団は大山脈の魔物と戦い続けてきたわけで、魔物を伐つことイコール<幻竜>を討つこと。


そう認識している以上、正面から大山脈に攻めいって決戦を挑む方がはるかにしっくりくるのだ。


魔物の発生原因である<門>が紅煉石に起因するとて、グラ=マリに計略を仕掛けて王都をも陥落させるというのは、あまりに性急に過ぎると受け取っている。


もう一つ、この国の政治形態にシルドレの懸念があった。


「カザリン師、騎士団は今のところ私が掌握出来ています。しかし民意が他国との戦を諾としない方向へ傾きつつある。民は長引く戦乱に疲れ果てているのでしょう。これ以上の負担は政権を脅かす恐れがあり、現時点でターナー元首がどう判断されるかは読めません」


「民主主義の国ですものね。それは仕方がありません。…ただ、群青騎士団が動けぬとあらば、剣皇国を頼りにしてでも成し遂げます」


前方、板張りの壁面へと視線を漂わせたままでカザリンは言う。


手にする杯の中で氷が溶け、カランと甲高い音を立てた。


シルドレは一瞬身体を固くさせたがすぐに元に戻り、杯をゆっくりと口へ運ぶ。


「お強いのですね」


「よく底無しと言われます。ラインを酔い潰したことも、一度や二度ではありません」


カザリンが顔だけでシルドレを向いて優しい笑みを見せる。


暗がりにあっても彼女の優れた容姿は眩く映り、灯火の淡い光が艶やかな黒髪に反射して周囲をキラキラと彩っていた。


「そちらではありません。…まあ、あの男はさして強くもないのによく女性を酒に誘ったものです。何でも泥酔して介抱させる作戦だとか言っていました。成功したのを見たことはありませんが」


シルドレの情けないような表情を見てカザリンはコロコロと笑う。


「<騎聖>シルドレ。あなたには本当にラインに良くしていただきました。感謝しています。あのような無口で無愛想の見本みたいな男が、まさか稀代の女たらしに成長するなどとは…予想以上です」


「いや…あれは天然でしたよ!だからこそたちが悪い。アルマにシンシアにコンスタンツ…。それと知っていて、どうしてセシルもあいつを好きになったものやら」


「プリムラが聞いたら卒倒しそうな話です」


不意に、シルドレが考えるような仕草を見せた。


「…そう言えば、ラインからグラ=マリに戻ろうなどという話は聞いたことがありませんでした。少なくとも、あの国に政変が起きて新王が即位するまで、彼からジリアン様の名すら聞いたこともなかった」


「魔術都市での大半の時間を、ラインは記憶が不確かな仮そめの人格で過ごしました。記憶が戻ったとき、彼は真っ先にニーザ=シンクレインを狙ったのですが、その前に確認していたことがあります。それは私の下で学んだグラ=マリ王国の国勢に関してです」


カザリンの観察したところによると、自身を取り戻したラインベルクには、魔術都市や闇ギルド時代の別人格としての記憶も統合されているのだという。


彼が明朗となった頭で始めに作業をしたのは、グラ=マリ関連の情報の再銘記とジリアンの消息確認だったそうだ。


彼女とグラ=マリに逼迫した危険が無いと確信したラインベルクは、準備もそこそこに聖都エルシャダイへ忍び込むことになる。


「そうでしたか…。では、やはりラインの求めるものがジリアン様と紅煉石にある点は間違いないのですね」


「覚悟です」


「え?」


シルドレは虚を突かれた形で、間抜けな声を出した。


「あなたは先ほど私に強いと言いました。その理由です。私は偶然にも闇ギルドからラインを助け、彼が覚醒した時点で以後も彼の力になると決めました。その時から、今のこの事態は想定していました」


カザリンの言葉には力がこもっていた。


「しかし…力になると言っても、現にラインとは敵対しかけていますが?」


「ラインの望みが彼自身の正義と自由を縛るものでしかないならば、そのような観念は払ってやらねばなりません。彼の意に反してでも、私の意志でそうしてみせます。それが、私の覚悟」


決して感情的になっているようにも見えないが、魔術師であるカザリンの全身から、闘気が立ち上っているのではないかとシルドレは見違えた。


(ラインの望みが…彼自身の正義と自由を縛る…。あいつは決して誇大な政治信条や理念は持ち合わせていなかった。だが、市民を魔物の害から守らなければならない程度の正義は誓っていたはずだ。紅煉石にはまだ、僕の知らない隠された秘密があるというのか?ライン…)



***



「ではグラ=マリとの同盟は維持せよと言うのだな?ダイバー=アグリカル伯爵公子」


「はい、宰相閣下。謹んで申し上げます」


ダイバーは右腕を胸の前で水平に掲げ、優雅に敬礼をして見せる。


宰相は満足気に頷き、壇上に控えし皇帝へと上奏した。


階段を二十段上がり、さらに絹のカーテンを隔てた向こうの玉座に、聖アカシャ帝国皇帝は座している。


帝国貴族として上位にあり、加えて宮廷魔術師兼第5軍団司令官の地位にあるダイバー=アグリカルでさえ、謁見の間では皇帝とこれ程に距離があった。


(今はこの距離だが、着実に縮まっているぞ。セイレーンという頼もしい伴侶も得て、私は確実にステップアップを果たしている)


カーテンの前で皇帝と話し終えた宰相がよたよたと覚束無い足取りで階段を降りて、「善きに計らえ」との皇帝の意をダイバーに伝えた。


ダイバーは恭しく礼を述べて、速やかにその場を辞する。


宮中を脱して行政府に差し掛かる庭園にて、待ち伏せていた腹心のグレイ=ラシードとキエシャルの二人組が走り寄って来る姿が見えた。


「アグリカル殿、如何でしたか?」


ローブ姿ののっぽの魔術師がしゃがれ声で伺いを立てる。


グレイ=ラシード男爵はダイバーの血縁で彼の六歳年長の従兄弟にあたり、短慮さが目立ちはしたが、家族も同然という信頼から側に置かれていた。


本年で三十七にもなるが社交界では評判が悪く、嫁の貰い手は依然見当たらない。


「万事上手くいった。これでラルメティ公国も早々は手出し出来まい」


「やったわね。目論見通り、これで貴方の発言力も増すはずだわ。早く私も出世させて頂戴な」


キエシャルが色っぽい目付きをしてねだった。


彼女はダイバーの魔術学院時代の同級生で、元好敵手でもある。


女男爵という身分に満足せず、ダイバーに仕えることで自身の権勢を向上させることを至上の目的と置いていた。


ダイバーが自らの威勢を示すために行った今回の提言は、グラ=マリ王国との同盟を維持・強化するというもので、旧ヨハン・ロイドラインの産物であるこの関係は、保守勢力には目の敵にされている。


そのため、ダイバーを支持する保守派の貴族たちが面食らうことは目に見えていた。


敢えてそこを強行したのは、ダイバーの言行が皇帝をも動かせるのだという権威付けと、彼自身これが帝国の為になると判断したことに因る。


「ラルメティの如き田舎国家の相手はグラ=マリに任せておけばよい。魔物が徘徊する宮中などもっての他よ。すぐに狂信者共への対策を練るぞ。そこは当然群青騎士団の連中を利用させて貰う。これで構造はシンプルであろう?」


ダイバーがそう誇るのに対し、グレイとキエシャルの魔術師コンビが合いの手を入れる。


そんな場面に、芝生の上を豪快に踏みしめながら長身の騎士が通り掛かった。


「やあ。これは宮中で飛ぶ鳥を落とす勢いの、ダイバー=アグリカル閣下ではありませんか」


「…レーン=オルブライト将軍」


ダイバーの表情が瞬間的に硬化した。


対照的にレーンは皮肉な笑みを浮かべていたが、丸縁眼鏡の奥の瞳が鈍く光る。


「何でも御自ら東方防衛の任に就かれるとか。大義なことですな」


「なに、帝国騎士として当たり前の責務を果たすだけですよ。将軍に南方を守護いただいておりますから、私が対メルビルに専念できるというものです」


「一つアドバイスだが、ロイド=アトモスフィを伴われるが宜しかろう。かの者はここらではマシな魔術師。戦闘経験も豊富故、使徒を宣する雑兵どもなどに遅れはとりますまい」


ダイバーの眉は吊り上がり、側近二人のレーンへと向けられた視線からは敵意が剥き出しとなる。


涼しい顔をしてレーンは畳み掛けた。


「教導騎士団の騎士は存外強力だ。力なき勇気は無謀。国を思う志に偽りがなくば、適材を用いるが筋というものであろう」


「…私を無力と罵るのか、オルブライト将軍?」


「そのような恐れ多いことは申しません」


「アトモスフィ将軍以外にマシな魔術師が少ないと聞こえたが?」


「そう聞こえましたか?では私の言い方に問題がありましたな。マシな魔術師はロイド=アトモスフィ以外に一人もいない、が真意です」


暴発しかけたグレイを手で制し、こめかみに青筋を浮かべたダイバーがレーンを睨み付けながらに警告する。


「…オルブライト将軍、いま少し言動に注意した方が宜しかろう。私は紳士ではあるが、度が過ぎる挑発を無視できる程に軟弱ではない」


「紳士というのは、権力を弄んで政治や軍事を壟断するのが趣味なんですかね?ならば私は紳士である必要はなさそうだ。そのような狼藉にはへどが出るたちでして。…失礼」


言いたいことを言って、レーンはダイバーらの前から遠ざかった。


彼はダイバーと入れ違いでの参内を要求されていたのだが、将軍とはいえ平民出身がために皇帝や宰相への拝謁は予定にない。


宮廷書記官に決定事項の法定文書を読み上げられるのみである。


後に残されたダイバー一味はそのことを盛んにあげつらったものだが、辱しめられた溜飲が下がるでもなく、レーンに対する憎悪をただ募らせただけであった。




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