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紅煉のラインベルク  作者: 椋鳥
第13章 五人組
77/179

77話

***



ラインベルクとアリシアの全身は朱に染まり、返り血なのか自身の負傷か区別がつかない程であった。


その姿を遠くから一目見掛けただけで、デイビッド=コールマンは取り巻きを引き連れ逃走を図っている。


ドミトリー=シルバースとフィリップ=ギュストは先般捕縛され、神聖グラ=マリ軍の主要な将帥はあらかた紅煉騎士団の手に落ちた。


だが、敵本陣を壊滅させたもののラインベルクとアリシアに休む間は与えられておらず、各々が兵を返す形で戦場を縦断し、依然交戦中の左右両翼を救うべくひた走る。


右翼は乱戦が続いた結果全滅に近い有り様で、アラガン中佐は健在であったが、残す戦力は僅かに十数騎を数えるのみ。


そこに、アリシアが部隊を引き連れて合流を果たす。


「…久遠アリシア中将が来られた!我らが筆頭騎士を迎えよ!もうひと踏ん張りだぞ!」


アラガンは味方の騎士を叱咤し、敵の剣を盾で受け止めて力一杯押し返した。


先程右上腕を斬られており、防御するのがやっとという状態である。


アラガンの大声はゼノア隊にも届き、目に見えて動揺が拡がっていった。


<堕天>のアリシアの威名は轟いていて、この段になってなお彼女と剣を交えようなどという気概は神聖グラ=マリの騎士たちからは窺えない。


「落ち着け!ここを破ってリーシャ=ロイルフォークと落ち合えば、充分に敵は迎え撃てる!怯むな!」


ゼノアは剣を振りながらそう言って回るが、自分がそれを信じているわけでもなかった。


(本隊が敗れたとすれば戦力差は如何ともし難い。…ここから逃げたとして、デイビッド=コールマンが討たれるなり捕まるなりしていたら、仰ぐ旗すら失ったことになる。もはやこれまでか…)


ゼノアの右方で騎士が三騎、一気に吹き飛ばされた。


その威力にゼノアは覚悟を決める。


軍装こそ汚れていたが、アリシアの美貌は少しも褪せることはないのだなと、ゼノアは剣を握り締めて感慨深く思う。


「降伏なさい、ゼノア。今すぐに。全騎に剣を捨てさせれば、悪いようにはしないわ」


「…久遠中将。負けは認めますし、部下たちの降伏も咎めません。だが、私はけじめをつけさせてもらいます」


「自棄は損よ。あなたが私に勝てるはずもなし。一時の汚名に耐えて、ラインと新しい国のために力を尽くしなさい!」


アリシアは怒気を発するが、ゼノアは涼しい顔をして微笑みをもって応じた。


剣を中段に構えて馬を進める体勢をとる。


「私の判断で敵も味方も、多くの騎士が死んだ。もう何もかもが遅い。…でも、最期があなたでよかった。ラインベルク将軍に、ゼノアが申し訳ありませんと言っていたとお伝えください」


「馬鹿…」


ゼノアの気合い充分の突進に対して、アリシアはロストセラフィの一閃でもってそれを制圧した。



***



リーシャとディタリアの戦いは精緻なもので、リーシャが得意の分断・集中攻撃の局面を作り出そうと流動的に動くと、ディタリアは遠距離攻撃でそれを牽制しつつ堅く守るといった具合に一進一退が続いた。


単純な部隊統率だけで言えば僅かにリーシャが勝っていたかもしれないが、神聖グラ=マリ側はゲルトマー=ギュストと敗残兵という足手まといを抱え、決定的な機会における部隊機動を幾度か邪魔されて現在に至る。


そこにラインベルクの率いる部隊が飛び入りをしたことで勝敗は決した。


「おのれ…ラインベルクッ!我が隊は最後まで戦うぞ!賊どもに王国貴族の矜持を見せつけてくれる!」


ゲルトマーは発奮するも数騎の騎士が追従したのみで、ラインベルクは馬上からそれを冷ややかに見つめている。


「ゲルトマー=ギュスト。降伏しろ。貴公の兄も我らが手にある。すでに貴軍の本隊は軍の体を成していない。戦は終わりだ」


「黙れッ!私は恥を知る王国貴族ぞ!最後の一兵まで戦い抜く!ギュスト万歳!グラ=マリ王国万歳!」


徒歩のゲルトマーは駆け出し、ラインベルク目掛けて斬りつけた。


ラインベルクはその剣を軽く受け、切り返しの一撃を喉元に見舞う。


斬られたゲルトマーは力なく倒れ、それを見届けた上で彼に従っていた騎士は皆、剣を捨てて投降の意思を示した。


リーシャ隊にも本隊敗北の報は届いており、多勢の新手が到着したことで意気は消沈している。


ディタリアと合流したラインベルクの下にリーシャが単身で乗り込んできた。


艶やかなはずの黒髪や雪のように白い柔肌は煤けていて、装甲や軍服の至るところに破損や剣傷が見受けられる。


その表情には毅然とした態度があったが、リーシャは黒瞳で泣いていた。


「ラインベルク将軍…私はロイルフォークの誇りを全う出来ましたか?」


「…ああ。さすがはロイルフォークだった。ミリエラも、君にやられたとあらば納得せざるを得まい」


下馬したラインベルクがゆっくりと一歩を踏み出すが、それに合わせてリーシャは一歩後ずさる。


「よかった…。騎士の家系に生を受け、一族の期待に応えることが総ての人生でしたから。…他人から見たらつまらない人生だと映るかもしれませんが、私はこれで満足しています」


「満足するにはまだ早い。君にはまだまだ苦労して貰うぞ」


「幾百幾千の味方の血を流させた私を御使いになっては、あなたとジリアン様が理想へと辿り着くのに枷となります。暗く濁った血脈をなるべく残さずに国を次代へ引き継ぐこと。それが肝要かと存じます。…どうか御健勝で」


「リーシャ=ロイルフォーク!待ちなさい!」


ディタリアが叫び、全速で飛び出す。


リーシャは短剣を自らの首にあてがい、近くまで迫っていたラインベルクにだけ聞こえるよう、小さな声でその句を接いだ。


「忘れ、ないで」


躊躇いなく喉笛が裂かれた。


ラインベルクはかつて右腕と頼んだ女の身体を抱き、その全身が冷たくなっても治癒の魔術を止めようとはしない。


ディタリアに強引に引き剥がされるまで、ラインベルクは詠唱を続けていた。


それはディタリアには、リーシャへの鎮魂の歌のようにも聞こえた。



***



七星カミュは、デイビッドからの使者をその場で手打ちにした。


ラインベルクとの緒戦に勝利した時点で送られた使者であったが、カミュのネットワークは最新の情報として神聖グラ=マリ軍が大敗を喫した事実を掴んでいる。


レイエス=ホルツヴァイン連合国の軍本部にある応接室で、カミュは倒れ伏した騎士の周りに形成される血溜まりの様子を冷酷な瞳で見下ろしていた。


(予想以上に使えない連中だったな。滅びるも運命だったのだろうよ。それにしても…)


カミュはリーシャ=ロイルフォークの死に関してのみ、自身でも不明瞭な感情を有していた。


士官学校で首席を争った二人だが、カミュは平民出身者の頭目として、片や名門出のリーシャは学内派閥としては貴族側に位置したために交流は少なかった。


共に早くから魔術の才を認められていたこともあり、互いにライバル意識は強かったとカミュは認識している。


容姿も突出して優れた二人は男と女、首席と次席、平民と貴族という観点から比較されることが多く、カミュなどは必要以上にリーシャのことを意識してきたものだ。


(呆気ないものだな…。あれほどの逸材、早々出てくるものではない。かと言って勧誘に応じるような性格でもなかったし、家柄を考えればこれ以外の結末は有り得なかったか。惜しいな…)


カミュは近侍の者を呼び寄せて騎士の死体を片付けさせる。


近侍ははじめぎょっとした様子で臆していたが、命令したのがカミュである以上従う以外に選択肢はなかった。


飾り気のないソファに身を沈めたカミュは、年季の入った薄汚れた掛け時計を眺めつつ近侍に声を掛ける。


「間もなくラルメティの使者が来ます。見た目だけは綺麗にしておくように。血の匂いは…別にいいでしょう。どうせ向こうは腐臭を漂わせてくるのですから。はい」


「は、はい…」


ミライという名の金髪の近侍は年若い女性で、旧レオーネ=シアラではそれなりの家の令嬢であった。


器量は良いが決して機転の利くタイプではない彼女を傍に置いている理由は、カミュ当人からして酔狂と広言している。


レオーネ=シアラ連邦の崩壊に伴う混乱から落ちぶれ、娼婦に身をやつしていたミライを拾って雇い入れたのも側女として囲っているのも、全て彼の気紛れの産物であった。


「アレクシー長官からは連絡はありませんでしたか?」


「はい…ありません」


「ふむ。使者の方は私が面倒を見れば良い話。しかし、ラルメティから流れて来たとかいう風来坊は長官に見定めて貰いたかったのですが。ええ」


カミュの物言いに、ミライはただこくこくと頷いた。


(さしずめあの女共のところか。もう少し現実主義者かと思っていたが、とんだ正義感をお持ちだ。<始源の魔物>だと?そんなもの、いようがいまいが俺の人生に何の関係がある…)


前任の参謀長が急死したことで、カミュは二十一歳にして軍の最高幹部の一席である参謀長に昇格していた。


軍制改革に大鉈を振るい、それに止まらず国防長官たるアレンを通じて連合国の政治にも干渉するカミュを、彼の数少ない上司にあたる騎士団長すらも忌避し手出しが出来ないでいる。


前参謀長の死因には不審な点があり、真っ先に疑われたのは次席のカミュであった。


それでも声望あるアレンの懐刀ということで深く詮索されることはなく、嫌疑不十分のままにカミュが空席を埋める形となっている。


実際のところカミュは無実であったのだが、彼に対にする一般的なイメージが知略や魔術といった長所よりも、陰湿で何を考えているかわからないといった影の部分において先行しているという好例であった。


(さて…聞くに値する話を持って来てくれると良いのだが。骸骨程度に統べられし国などに、過大な期待は禁物か)



***



アリシアやアラガン、ディタリアらを後始末に残し、負傷兵と少数の騎士だけを連れて帰都したラインベルクを出迎えたのは、比類なき美貌を誇る騎士団長であった。


「御苦労だったな。全て聞いている」


王宮の前に黙して佇んでいたラインベルクへ、蓮はそう労いの言葉を掛けた。


珍しく軍装では無しに淡い水色のドレスという装いで、腰まである黒い髪は先の部分が紅色のリボンで結われている。


その艶姿に一瞬だけ目を奪われるも、ラインベルクから返礼は発せられなかった。


「やはり私が行くべきであったな。貴公、酷い顔をしているぞ」


「…それは違う、蓮大将。立場が逆だったのなら、おれはあなたを赦しはしなかっただろう」


「ならば僥倖よな。貴公に命を狙われるのは寝覚めに良くない。…リーシャ=ロイルフォークの気持ちは私には分かる。彼女は騎士の本懐を遂げたに過ぎない。貴公が罪に感じてしまっては、彼女が報われないと思うぞ」


蓮の言うことはラインベルクにも理解は出来たのだが、リーシャを喪失した現実を直視するだに心に痛みを覚えた。


白亜の外壁を見上げ、そこに座す主の威信を示すがため犠牲となった騎士たちに想いを馳せる。


「騎士団の損害も大きかった。これはおれの油断…なのだろう」


「良いからしばらく休め。数で優る敵に勝っておいて将軍に自省されては、勝利を祝いたい部下たちが気の毒だ」


蓮はラインベルクの肩に手を置き、優しい声音で休養を勧める。


蓮の体臭が甘く薫り、ラインベルクはこの時ばかりはそれを嫌って身体を離した。


「おかえりなさ〜い!」


底抜けに明るい声を発して、唯がシャッティン=バウアーを伴って駆け寄ってくる。


唯が石畳を踏む音は軽快で、荒んだラインベルクの胸中に新風を吹き込んだ。


「無事に帰って来られてなによりね、ライン」


「唯…リーシャは…」


「うん。辛かったでしょ?でも戦う前から覚悟はしてたはずよね?もうくよくよしない!」


「お疲れ様でした、ラインベルク中将!なあに、閣下ならまたぞろ愛人の三人や四人、すぐにみつかりますよ」


唯に被せたその冗談混じりの激励は女性陣にいたく不評で、二対の白い目に晒されたシャッティンは身体を縮こまらせて口を閉ざす。


ラインベルクは困ったような表情を浮かべ、唯にされるがままに背中をさすってもらっていた。


蓮はそのスキンシップ行為をしっかり目の端に置いており、時折冷たい視線を唯へと向ける。


「…ラルメティ公国の宿将・バジル=バジリコックはハリス=ハリバートンに粉砕されたそうだ。アレクシーのこともある。南はしばらく荒れそうだな」


蓮が誰にともなく言い、シャッティンは居住まいを正す。


唯からすれば父親との戦いが近いわけで、自然とその身体を固くした。


南方の情勢を気にかけている余裕などないラインベルクであったが、フレザントがどうしているのかだけは関心がある。


ラルメティにおける知己の内、ナスティ=クルセイドとは決裂したものだが、フレザントとは見た目以上に強い絆で結ばれていた。


(ラルメティ公国にとって損があると見れば、敵が誰であれ打倒せんと動くはず。…あの男は、魑魅魍魎が蠢く今のラルメティを存外容認しているのかもしれないな)




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